第四十陣 その演算に魂を込めろ
シュウゥゥゥゥ……。
限界まで熱せられた蒸気兵器が夜気で冷やされていく音が、前線基地に響いていた。
日没に伴う帝国軍の撤退により、ひとまずの休息を得た六花分隊と皇國軍。尋人のクラウスは、致命的な大破こそ免れたものの、度重なる激戦と強行軍による駆動系の負荷で限界に達していた。装甲の至る所が黒く焼け焦げ、関節部からは油混じりの蒸気が噴き出している。
そんな基地内に設けられた野戦病院では、弥生が負傷兵たちのもとを甲斐甲斐しく動き回り、清浄な霊子を照射して、治療に奔走していた。ようやく一段落ついた彼女が、尋人のもとへと歩み寄る。
「尋人様、大丈夫ですか? 顔色が悪いです。弥生の術でも、心労までは完全に癒せません……」
「ありがとう弥生ちゃん。全然平気だよ! クラウスなんかさ、大秦国の時より動きが良い気がするくらいだよ」
「それは、皇國の大地から霊子波動が送られているからです。皇國の蒸気兵器は霊脈の影響を強く受ける仕様になっています。だから、天岩戸に近いほど、その力を増すのです」
「へぇ。じゃあ、まだまだ頑張れそうだな!」
その様子をじっと睨んでいたエレナが、真鍮ゴーグルを額に上げ、工具を片手にクラウスの脚部をカンカンと叩きながら、呆れたように声を荒らげた。
「なに、呑気なこといってるのよ! 無茶なオーバーワークの連続で、表面上は機能維持してるように見えても、あっちもこっちも限界域に達してるんだから!」
尋人は「面目ない……」と額の汗を拭いながら苦笑いする。精神的疲労の蓄積からか、その足元はわずかに震えていた。それを見たにゃん丸が格納庫の木箱の上から欠伸しながら尻尾を振る。
「クラウスだけでなく、お前も無理し過ぎだにゃ。ここで、お前が倒れたら全てが水の泡。中核戦力の自覚を持って、休める時はしっかり休息を取るにゃ」
「わ、分かったよ。ちょっと詩織さんの様子を見てきたら、休ませてもらうよ」
にゃん丸にまで攻められ、旗色の悪くなった尋人が飛行船へと足を向けようとしたその時、背後から凛が静かに声をかけた。
「尋人。詩織さんのところへ行くのだな」
「うん。ちょっと様子を見てくるよ」
尋人が頷くと、凛は停泊する飛行船を見上げ、その切れ長の瞳に微かな憂いをにじませた。
「詩織さんは特務隊配属以来、私たちの姉代わりだったお人だ。誰よりも真面目で、誰よりも責任感が強い。……今回は皇國の命運がかかる、まさに乾坤一擲の大事な局面。だからこそ、あの人が一人で無理を重ね、己を追い詰めていないか、私は心配でならない。尋人、詩織さんを頼むぞ」
「わかったよ、凛」
尋人は頷きながら応えた。
* * *
飛行船内の演算室。その重い鉄の扉を開けると、そこはむせ返るような熱気と、カチカチカチカチと狂ったように鳴り響く蒸気演算機の打鍵音に満ちていた。集中している詩織に、尋人が掛ける言葉を失っていると、エレナがひょっこり顔を出してきた。
「詩織さん、何か手伝えることない? 個別兵器の術式演算なら私の方が得意だし、パンチ打ちの速度だって中々のもんよ?」
エレナがフランクな調子で申し出ると、詩織は銀縁眼鏡のブリッジを細い指先で直しながら、優しく、しかし緊迫した声で応じた。
「ありがとう、エレナちゃん。でも、敵の新たな術式に対抗するには、まずは六花分隊はもとより、この地に留まる味方の残存部隊も含めた広域戦術論理を固めなきゃいけないの。この一個大隊規模の情報分析が完了するまでは、私一人で集中したいの……ごめんなさいね」
「そっか……マクロな戦略面は詩織さんの独壇場だもんね。わかった。でも無理し過ぎちゃダメだよ?」
エレナが心配そうに退室していく。尋人は、ここにいても邪魔になるだけかと思いつつも、なるべく視界に入らない後方のスツールに腰かけて、様子を見守ることにした。
そんな尋人の存在にすら気が付かず、作業に集中する詩織の焦燥は限界に達しようとしていた。
(早く……もっと早く構築しなければ……! 明日、尋人君たちが、みんなが死んでしまう!)
完璧な論理を。一分の隙もない、冷徹な機械の演算を上回る新術式を。
カチカチカチ、ガガガガガッ!
彼女の脳内の過熱に呼応するように、大型蒸気演算機が異常な高熱を発し、シュルシュルと白い蒸気を噴き上げ始める。
「――あ」
その時、詩織の視界がぐにゃりと歪んだ。
長時間の連続作業による肉体疲労と、仲間の命を背負う精神的重圧。膨大な情報処理を行っていた彼女の脳と、過熱した蒸気演算機が、同時に限界を迎えた。
バラバラッと作業机から、山のような穿孔カードがこぼれ落ちる。
糸が切れた人形のように、詩織の身体は冷たい床へと倒れ込んでいった。
「詩織さんっ!? おい、誰か来てくれ!!」
尋人の悲鳴のような叫び声が、深夜の基地内に響き渡った。
* * *
「……、……さん……詩織さん!」
幾重にも重なる温かい声に導かれ、詩織はゆっくりと目を開けた。
かすむ視界の先、額に冷たい手ぬぐいを感じながら体を起こすと、そこは演算室の簡易ベッドだった。
目の前には、安堵の表情を浮かべた尋人がいる。
枕元の眼鏡を掛けて周りを見渡すと、驚いたことに、目の前にいたのは彼だけではなかった。
凛が床に散らばった穿孔カードを一枚一枚、丁寧に拾い集めている。その後ろには、蘭、弥生、エレナ、そしてにゃん丸まで、六花分隊の全員が彼女を囲むように佇んでいた。
「みんな……どうして……。私は、早く術式を……」
「急に動いちゃダメだよ、詩織さん!」
蘭がその大柄な体躯でベッドの前に立ち、優しくも強引に彼女を寝かせ直した。
「ったく、水臭いじゃないさ! 一人でぶっ倒れるまで作業するなんて、うちらの絆はその程度のもんかい?」
「そうですよ、詩織さん」
弥生が、温かい湯気の立つお椀を差し出す。
「これ、頭の熱を下げて疲れを癒やす特製の薬草粥です。まずはこれを食べて、体力を戻してください」
「ありがとう、弥生……」
「……だから、無理するなっていったのに」
エレナも心配そうに声を掛けた後、励ますように声を張る。
「詩織さんが全体理論を組み立てたら、そこからの穿孔カードへの打ち込みと、個々の蒸気兵器へ落とし込む術式は全部私が引き受けるから! 一人で抱え込んじゃだめ!!」
凛もまた、澄んだ瞳で詩織を見つめた。
「詩織さん、私たちは六花分隊の仲間だ。それぞれの得意分野はあっても、できることは皆で協力したい。どうか、私たちを頼ってほしい」
「エレナちゃん、凛……」
「やれやれ、どいつもこいつも、つくづく意地っ張りばかりだにゃ」
にゃん丸がベッドの足元に飛び乗り、肩をすくめながら、優し気に目を細めた。
「みんなこう言ってるんだから、少しは仲間の手を借りたらどうだにゃ? なんだったら、吾輩の美しい毛並みを撫でて癒されるがいいにゃ」
「……」
詩織の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
完璧な論理を作らなければ誰も守れないと、一人で暗闇の中を走っていた。だけど、それは間違いだった。自分にしかできないことと決めつけ、みんなの力を借りて役割を分担することを忘れていたのだ。
尋人は、詩織の細い手の甲にそっと自らの手を重ね、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。
「完璧じゃなくていいんだ、詩織さん。俺たちは機械じゃない。さっきの戦いだって、俺と凛は、お互いの不完全なところを補い合って、信頼の呼吸だけで敵の計算を狂わせた。俺たちの絆を……俺たち仲間の力を、もっと信じてほしい」
「不完全さを補い合う……絆……」
尋人の言葉が、そして目の前で自分を心配そうに見つめる仲間たちの笑顔が、詩織の脳裏で鮮やかに弾けた。
そうだ。インペトラル帝国軍の「連動術式」は、あくまで想定しうる行動予測の中から最適解を求めているに過ぎない。対する自分たちには、人間には、数字では測れない「意外性」があり、互いの死角を埋める「柔軟性」があり、なにより命を預け合う「信頼」がある。
私がマクロな集団戦術を動かし、エレナちゃんが個別の機体制御を最適化する。そして、その間を繋ぐのは、この有機的な人間の情熱そのものだ。
詩織の考える演算の世界に、初めて「人間の絆」という温かい血液が流れ込んだ瞬間だった。
「……閃いたわ」
詩織の顔に、かつてないほどの充実感と、才気に満ちた輝きが戻る。彼女は涙を拭い、尋人の手をきゅっと握り返した。
「尋人君、みんな……ありがとう。私、大切なことにやっと気がついた。不格好でも、泥臭くても……私たちの絆を紡いだ、最高の新術式を作ってみせる。だから、朝まで力を貸して!」
「あったぼうよ!」
蘭が快哉を叫び、エレナが腕をまくる。
黄色い灯火に照らされた深夜の演算室で、六花分隊の絆は、夜明けの勝利に向かって熱く、力強い鼓動を刻み始めていた。
尋人も休んでいる暇は無くなったようです。
次回、仲間との絆に気づいた詩織は、いったいどんな術式を生み出すのでしょうか?
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