第十四陣 不夜城に交差する思惑
「はい、これヒロトの分。落とさないように腰のベルトにしっかり装着しときなさいよ!」
中立商業都市「海市」の港へと近づく連絡船の客室。エレナから手渡されたのは、ブルートゥース・スピーカーみたいな重厚な真鍮製の小箱だった。革のホルダーに収まったその筐体は、スリットの隙間から精巧な歯車がチクタクと音を立てて噛み合い、小さな真空管が青白い光を灯している。
「何、これ?」
「『霊子式・音声同調機』。簡単に言えば、自動翻訳機よ。機巧武者や機巧甲冑にも実装されている。他のメンバーはみんな軍の支給品を持ってるんだけど、ヒロトは皇國の外から来たから、今まで手配が遅れてたの」
「翻訳機……。でも俺、今までみんなと普通に会話してたけど?」
「それは皇國語が、ヒロトの世界の『日本語』とほぼ同じだからよ。皇國内なら問題ないけど、これから向かう海市は多国籍の言語が飛び交う国際都市。世の中、私のようなバイリンガルばかりじゃないから、必要不可欠よ!」
なるほど、と尋人がその無骨なガジェットを腰のベルトへしっかりと装着したその時、連絡船が大きく揺れた。海市の港へと着岸したようだった。
* * *
湿り気を帯びた海風が、煙と錆の匂いを運んでくる。
皇國と大秦国の境界に浮かぶ中立島――不夜の商都と謳われる「海市」は、狭い路地が幾重にも交差する迷宮のような都市だった。
入り組んだ運河には、真鍮の装飾が施された蒸気船がひしめき合い、街の中心部は赤茶けた鉄骨造りの高層建築が空を覆っている。至る所に張り巡らされた鋼管からは絶えず白い蒸気が噴き出し、下町にひしめくバラックには、極彩色の幟旗が翻る。東洋の歓楽街のような猥雑さと、異常発達した蒸気機関が混ざり合った、独特の活気がそこにはあった。
「……ここが海市か。なんていうか、毒々しいというか、けばけばしいというか……」
尋人は、額の汗を拭いながら隣を歩く凛たちを横目に見る。尋人たちは口元にはスカーフを巻き、風通しの良い白い薄絹の旅装で変装していた。ここでは、むやみに出自や身分は明かさないことが暗黙のルールらしい。さっそく、派手な看板を掲げたジャンク屋を見つけたエレナが、目を輝かせて駆け出した。
「すごーい! 見てヒロト、このクランクの軸受け、霊子回路を直接噛ませてるわ!」
尋人もしゃがみ込んで覗き込むが、正直何が凄いのかさっぱり分からない。凛が、興奮するエレナの袖を引っ張り囁く。
「おいエレナ、はしゃぎすぎるな。ここは金さえあれば何でも手に入るが、裏を返せば危険と隣り合わせの街なんだぞ」
「その通りにゃ。にゃん丸の鼻が、香辛料の裏に潜む『血と殺意』の匂いを嗅ぎつけてるにゃ」
尋人の肩の上で、にゃん丸が神妙な顔で髭を震わせる。……こいつ、それらしいセリフはともかく、ついに自ら「にゃん丸」と名乗ったぞ、と尋人は唖然とした。
その後、尋人たちは二手に分かれて街を見て回ることにした。凛と蘭、弥生は食料の買い出しと情報収集。尋人とエレナ、詩織はクラウスの出力に適合した「霊子結晶」の捜索だ。
* * *
小一時間後。
エレナが「ここ、掘り出し物の気配がする!」と指差したのは、運河の最奥、錆びた鉄パイプがマングローヴの根のように絡みつく古い機械工房だった。
尋人たち三人が店内に一歩足を踏み入れると、渦巻く蚊取線香の煙と、潤滑油の鋭い匂いが鼻を突く。壁には大小の圧力計が張り付けられ、奥では小さな蒸気ボイラーが絶えず低い唸り声を上げていた。
店主に声をかけると、無言で眼前の黒檀のカウンターテーブルに目を落とした。そこには、広げられたウコン布の上に、蓋の開いた木箱が一つ。中には、淡い白光を放つ、拳大の輝石が置かれていた。
「この高純度の輝き! 皇都ではまずお目に掛かれない霊子含有量です!」
普段冷静な詩織が思わず歓喜の声を上げる。尋人たちが霊子結晶に近づこうとした、その時。
一人の男が割り込むように、その間に立ち塞がった。
「――あいにく、私が先に商談中だ」
耳に心地よく響く、硬質ながらもどこか艶を帯びたよく通る声。先ほど装着した「音声同調機」が、男の紡ぐ異国の言葉を寸分の狂いもなく頭へと届けてくる。
尋人が顔を上げると、そこには一人の青年が立っていた。
白を基調とした細身の長袍に身を包んでいる。腰には機能美を備えた真鍮装飾の短剣を差し、長い栗色の髪を高い位置で一つに束ねていた。一見すると色白な美青年だが、その双眸は獲物を狙う鷹のように鋭い。
「……譲ってくれませんか。俺の仲間が、これがどうしても欲しいもので」
「私も、故国で待つ主のためにこれが必要なのだ。引くわけにはいかない」
互いに譲れないお宝を前に、視線が火花を散らす。
その瞬間、ふいに尋人の脳裏に、先の戦場で見た「白い残像」が蘇った。
聞き覚えのある声。そして、青年の衣服に銀糸で施された龍の刺繍は、白銀の機体に刻まれたそれと同じだった。間違いない――
「……大秦国の『白龍』だな?」
尋人が低く囁くと、青年の眉がピクリと跳ねた。
刹那、工房内の空気が一変する。青年は尋人から素早く離れ、猫のようなしなやかさで間合いを取った。その静かな闘気に、尋人の背中に一筋の汗が流れ落ちる。
「貴様……なぜその名を知っている。皇國の密偵か?」
「先の戦いで、あんたの機体――『氷閃』に散々苦しめられたからな。忘れようにも忘れられないよ」
白龍は殺気を含んだ眼光で尋人を射抜く。だが、彼は腰の短剣を抜こうとはしなかった。
「ふん……皇國の機巧武者に乗っていた男か。よもや、このような異国の片隅で再会するとはな」
白龍は不敵に口端を上げ、鼻を鳴らす。その表情から、先ほどのあからさまな敵意が若干、薄らいだ。
「『私闘を行った者は、即座に身柄拘束の上、厳罰に処す』――海市を中立都市たらしめる鉄の掟だ。……声を荒げて口論するのはお互いに都合が悪かろう。店主、悪いが話がつくまで、これは取り置いてくれないか」
店主はそれを聞くと肩をすくめて承知の意を示し、工房の隣に設けられた酒場の方へ顎をしゃくった。
敵対する大秦国のエースパイロットと、皇國のにわか戦士。
香辛料の香り漂う湿潤な街で、数奇な運命に導かれた二人の密談が始まろうとしていた。
刃を交えた敵と異国の地で、まさかの再会!
尋人と白龍、二人はどんな会話を交わすのか?
次回をお楽しみに!
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