Phase7-9:双剣――世界を断つ者
本来なら応急処置を優先すべきだったが、あの施設に留まれば警察に見つかりかねない。
ゆえにカザミは、負傷したアングを抱えながら、吹き抜けから外へと飛び出した。
近くの公園にある公衆トイレへと入り、便座にアングを座らせる。
彼のシャツの裾を捲った。
「うっわぁ~……。グロいけど、貫通はしてない。よかったー……」
剣で横腹を貫かれたと聞き、ゾッとした。
ただ幸いにも、内臓にまでは到達していない。それを確認し一息つく。
止血してから、冷却性のジェルスプレーを吹きかけ、包帯を巻く。この手順でいこうと考える。
今日はやたらと、他の誰かに応急処置を施している。
「あたしはお医者さんじゃないっていうのにさ。まったく……」
攻撃を食らった本人は、頭部の随所から汗を垂れ流している。
軽症とは言えない。改めて裂傷を見た。
血はまだ出ているが、スポイトで吸い取った液体を垂らす程度の、非常に少ない量。
ふと手が止まる。
横腹を剣で刺された。そのうえで引き抜かれた。
この部位には、守ってくれる骨もない。
「(もっと血が出てないとおかしい気が……)」
奇跡的に急所を回避したのか。きっとそうだろうと勝手に断定付ける。
途端に、冷たい影が差した。
公衆トイレの入口の壁に、寄りかかるようにして、黒スーツ姿の彼女は立っている。
「レッド・アーマードの装着者が、同い年くらいのかわいい男子だから黙ってたってわけか?」
声を聞いたため、危機によるざわめきではない。
しかし、この状況で対面することの深刻さもカザミは理解していた。
レジスタンス・ワシントン支部のリーダー、クロエ……。
普段以上に、彼女は只ならぬ雰囲気を漂わせていた。
振り向いたカザミは、どうにか言い訳を考えようとする。
「クロエ。そ、その……」
「なんとか言ったらどうだ、こっちは拠点を攻撃されたんだぞ!!」
彼女の怒りは、やはりその点についてだった。
レジスタンスの活動に巻き込ませたくない。その考えから、レッドの正体は彼女に伝えないでいた。
後悔の念が胸に重なり始めた、そのタイミングだった。
クロエは壁に寄りかかるのをやめ、ドカドカと踏み込んでくる。
「最初から連携さえ取れてれば、こんなことにはならなかったかも――!」
足が止まった。
便器に座る彼の姿を見てだ。
驚愕を通り越して、一気に大量の汗が噴出する。
赤茶色の髪色、妙に目立つ一束分の白髪。
以前に見た写真から連想することは、容易だろう。
「まさか……リリアンさんの息子か!?」
言われたアングは、僅かに目を見開いた後、睨みつけるように顔を下げた。
その圧のある態度から何かを感じ取ったのか。
クロエはぐっと口を閉ざした後、カザミへ視線を向ける。
「どういう事情持ちかは後で話してもらうぞ。勝手にアーマード・ジャマーを使ったことについては……まああの有様だ。許してやる」
彼女は懐から、ある物体を取り出す。
Tの字で切り抜かれた、木製の人形であった。顔はとんでもなく雑で、マジックの点を三つ記すことで目と口らしい。
「一見分からないだろ? こんなふざけた見た目だから敵さんも気づかず、見逃しちまったってわけだ」
これこそ、拠点で作られていた秘密兵器、アーマード・ジャマー。
鼻の赤い部分を引っ張れば起動し、一定範囲内のアーマード装着を強制解除する。アーマードとの戦闘が多くなるであろう状況を見越しての開発だった。
「ようやく量産体制に入れるってところだったんだが、生憎、これを生成するために必要な機械は破壊された。この一発と、サンプル分の二発しか残ってない」
するとクロエは、この人形を弧を描くように投げた。
カザミが難なくキャッチする。
「一つはお前に渡しとくよ。一回きりだから慎重に扱え」
忠告してから、気だるそうにポリポリと頭を掻いた。
「なんとか言い訳つけてここに来たからな……。早く職場に戻るとするわ」
彼女も潜入捜査の真っ只中だった。それもカザミのような急ごしらえではなく、かなりの時間をかけて潜り込んでいる。
去られる前に、カザミは気がかりな点を聞いておく。
「生き残ったみんなは?」
「国外ですぐに取り合ってもらえそうなのはメキシコくらいだ」
アメリカの南に位置する地域。レジスタンス達による強行作戦により、「国ごと彼らの拠点になった」と以前に彼女から聞いた。
ゆえに、麻薬組織の悪辣ぶりも目立っているようだが……。
「結局カルテルの仲間入り……」
「あくまで、一時的に結託してるだけだからな。国の武力がイレギュラーの味方になってくれてるんなら、こっちの人員と集めれば凄まじい勢力になるぞ」
彼女は最初から、メキシコ支部のやり方に好意的であった。イレギュラーの尊厳を守るためなら、組織による武力衝突も辞さない。
この危うさとアングという存在を、なるべく近づけさせたくないとカザミは思っていた。
クロエが背を向け、公衆トイレから出ようとする。
だが外に出かかったところで、ふとアングの方へ振り返った。
「母親についてどこまで知ってる?」
息を呑んだのはカザミのほうである。
カザミは、リリアンとの関係をアングに話していない。レジスタンスの人物との繋がりが仄めかされたのも、彼の視点から見れば初めて。
この問いかけに対し、アングが鼻で笑いかける。
親指でカザミを指差した。
「俺の周りには……不親切な奴らが多くってな……。こいつと知り合いだった、ってことしか分かっていない」
「そうだったか。ただウチらも、あの人が何で味方してくれたのかは最期まで教えてもらえなかったんだよ」
リリアンのことを誰よりも信頼していた彼女だったが、唯一の不満を吐露しているように見えた。
それ以上話は発展させず、クロエはこの場から去っていった。
二人残されたことで、気まずい空気が積もる。
カザミは、言い訳を考えるに連れて笑みが引きつっていった。
「レ……レジスタンスと繋がりがあるのを隠してたのは、君が拠点に殴り込みに行かないか不安だったからであって……」
エゴが混ざっている。
あのことに触れざるを得ないという理由から、彼に全容を話せずにいるだけだ。
もう許してくれる筈がないと分かりきっていた。
しかし彼は。
「メーナは……?」
「え?」
「病室まで行ったんだろ……。通話越しの、音で分かった」
わざとだろうか。自身の母に関する話題を逸らした。
彼自身が、あまり聞きたくないと思っている可能性はある。自分の戦う意味の根幹を揺るがしかねないから。
だがいずれにしても、変わった話題のほうが、カザミの心を抉ることとなる。
まだ傷が痛むだろうに、おどけた様子で言ってくる。
「見に行くだけなら、侵入する必要なんてなかっただろ」
彼女がどう変わってしまったかについて、頭の中でよぎる。
言葉には出せず、呑み込む。
無理やり笑みを繕う。
「君が一番、気にしてたんでしょうに」
何もかも大丈夫だったよと、嘘をつくべきか。
そう迷っている間に、アングは顔を深く下げる。
「悪かった」
自分の顔を隠すように、右手で覆った。
「面倒ばかり……かけてるな。俺は」
涙を堪えるように、少し声は上ずっていた。
何かと反発してくる不器用な彼の、曲りなりの感情表現。
カザミの一言によって、彼は、メーナの無事を確信したのだろう。
もちろん命に別状はない。だが……。
リリアンのことについてとは比べ物にならない。
今メーナのことを伝えれば、アングは間違いなく壊れてしまう。
だから彼の謝りに、ただ無言で頷くしかできなかった。
*
雲の形は不均一。ゆえに誰も認識できない。
ある対象を提示された。レイシキは彼女を追うため、空中で姿を消している。
公衆トイレへと駆け込む直前、彼女は狐の仮面を外した。
同時に入った人物は、黒のパーカーの少年、アング・リー。
つまりこの時点で、両者が協力関係にあることは明白。
三十分という時間の後、彼女はトイレの入口から、中から覗き込むようにして顔を出す。
誰かに見られないようにと周囲を警戒。安全を担保してから、負傷したアングの肩に手を回して外へと出る。
彼女の顔をスキャンする。
脳内演算を実行。
大量のネットワークに接続し、検索をかける。
特定自体は早かった。スーパーイーツの配達員、エリカ・エンブレス。
しかし情報が少ない。会社内のリストと、SNS上での評判のみ。
偽名だと即座に推測。
ゆえに、アルゴリズムを変える。
スキャンした顔面への『逆算補正』だ。
子どもの成長度合いは大きい。三年から五年の変化で、AIの分析にも違いが見られる。
若返らせた状態で再検索する。
確定した。
四年半前。陸上競技連盟が主催する大会、ジュニアオリンピック。
その十三歳から十四歳の女子部門において、走り高跳びの競技でチャンピオンに輝いている。
カザミ・シルヴァ。
組織への共有事項に指定。
ケイオスの存亡に関わるリスクレベル、A級に該当する。
*
燃え盛るような紅葉が観れるという評判を聞いたが、夜闇で潰れた無の景色しか広がっていなかった。
中央警察署、特別対策班本部長の座を降ろされたばかりのゼオンが訪れたのは、多くの森林に囲まれたロッジの中だ。
メリーランド州に建つ、あの女の別荘。
というよりは、今日付けで彼女の物になった。
窓から見える只の木たちには、何のライトアップも施されていない。
「車で二時間を浪費してまで来るにしては、殺風景な場所だな」
単なる一つの意見を、部屋の奥に座る大統領、マリウスに伝える。
足を組んで椅子に腰掛ける彼女はワインを一口し、サイドテーブルに置いた。
「だからこそ、都会の喧騒とは無縁。静かに過ごせるのだろう。軍事基地ごと放棄されるまでは、フランクリン・ルーズベルト大統領の時代から別荘として扱われてきた。貴殿も知っているだろう?」
よほど嬉しいのか。彼女は、祝いの瞬間でしかワインを口にしない。
この広大な敷地へ容易に入り込めたということは、政府が放棄する寸前に、マキシロード家が買い取っていたという事実が想像できる。
ゼオンは振り返り、彼女を直視する。
「突発的な思いつきでその座につけるわけがない。表舞台を退いている間に、熱心なロビー活動でもしていたか」
「皮肉として言っているのだろうが、各界から信頼を勝ち取ったまでのこと」
「私を貶めたのも君だな?」
返答に間が生じる。
表情自体に変化はない。
「何の話だ? 全てはそちらの不手際のはず」
「娘が集中治療室に入れられたことを知ってもなお、ワインを嗜んでいる。そんな母親を誰が信用すると思う?」
「そういう貴殿こそ、何故わざわざ私の娘を気にかける? 関係性も、血の繋がりもないのに」
答える必要はない。
真実を仮面の中に閉じ込め、次にどのような言動を行ってくるか待つ。
マリウスは下を向き、微笑みとともに深く息を吐いた。
仕切り直すように立ち上がる。
「貴殿に見て欲しいモノがある」
「警察に対して脅しとは」
「そう受け取るのか? だが従うか、従わないか。どちらのほうが益となるかは明らかなはずだ」
わざわざ二時間弱という移動をかけてゼオンがここまで来たのは、その『本題』を明示されたためだ。
彼女の今の立場、そして昔からの縁を考えれば、断るメリットは無かった。
言葉を口には出さず、彼女のいる方へゼオンは歩き出す。
マリウスはより口角を上げ、近くの扉を開けた。
リビングに相当するエリアから離れ、寝室へと移動した。
元はと言えば放棄された物件だ。最低限の管理はされていたようだが、ただ白いだけのベッドがぽつんと鎮座している。
マリウスは、何もない木製の壁へと近づく。
掌で触れた時、それは起きた。
ゴゴゴゴゴ……。
壁が押し込まれていく。
よくあるエレベーターのサイズほどの広さで、まさに人が乗り込めるだけの空間が開かれた。
元は海軍が管理していた土地だ。後からこのような仕掛けが作られていても疑問はない。
「どうした? まさか恐れを為したわけではあるまい」
彼女はあえて、イレギュラーのみが知る言葉を使っている。
ゼオンは、止めていた歩みを再開。
二人が搭乗すれば、左右から金属のシャッターがスライドし、密室を作る。
下矢印のボタンをマリウスが押した三秒後、微かな重力の変動を受けた。現在は下降している。
階層の表示はなく、どこへ辿り着くのかは完全なる未知。
機械の起動音のみが鳴る沈黙を、ゼオンから破る。
「試しているつもりなのだろうが、最初から、そちらの軍門に降るつもりはないぞ」
「私は、得になると思って行動に移している」
「つまり、見せるだけの理由があるということか」
「すぐに分かるさ」
銀に覆われた壁。振り返らないマリウスの後ろ姿。
この退屈な光景はいつまで続くのか。
そう思っていた矢先。
エレベーターの扉の合わせ目が基点となり、青く光る縦の線が生じる。
それは左右二つに分かれ、ゼオン達を囲む壁面を一周するように動き出す。
この線の動きにより、銀の壁が消えた。
代わりに支配した。
視界全てが血に染まったかのような、禍々しい赤だ。
降下する箱はいつの間にかガラス張りへと変わり、向こう側にある空間を映し出す。非常照明によって異空間じみた装いとなっている。
着目すべき点はもう一つある。
圧巻そのものであった。
まるで左右の壁に繋がれているかのように、見上げる位置にて巨大な物体が固定されている。
円筒状の巨大なカプセルだ。
白い装甲に包まれ、中に何が入っているのかは分からない。
しかし側面には、あるマークが貼られていた。
黄色の正三角形。
中央には小さな黒点があり、そこから三方向へ、葉のような形の同色が展開する。
放射能標識と呼ばれるそれは、ある時期を境に世界から存在を消された。
しかし今、財宝のように目の間で君臨している。
「これは……」
「貴殿ならば認知しているだろう? 百五十年前までは、ただ所持しているだけで抑止力となった」
今の彼女には、赤の色が似合う。
多くの人々を肉片に変えることも厭わない。
そのような充実を示していた。
「人間の感情の抑制と共に廃棄されることとなった、破壊の象徴……。核爆弾だ」
(つづく)




