Phase7-5:双剣――世界を断つ者
立体駐車場に留まってから、どれほどの時間が経ったか。
カフで確認する。一時間半以上が経過していた。
まだその程度なのかと、アングは再び顔を膝の間に落とす。
『なー。いつまでここにいるんだー? いい加減見飽きた光景なんだけど』
塞ぎ込むアングとは対照的な、呆けた声が頭に響く。
アングの視点から見たユージーンの霊体は、近くの窓枠のフレームに座っては、脚をブランブランさせていた。
『三十分そこらで立ち直ると思ったから黙っといてやったのに、全然溜息ばっかつきやがって』
彼は、大口を開けながら曇り空を見上げる。
『まあ流石の愛しのメーナちゃんも? こんなウジウジした姿見たら幻滅して、別の男に寄ってっちゃうんだろうな~』
誘いには乗らない。
この男の手法の一つ。怒らせたり、混乱させるなどして、身体を乗っ取ろうとする。それをもう分かっている。
考えを見透かされたことに対してか。霊体はフンッと鼻息を荒げた。
『オレなんてなぁ、オマエに殺されてるんだぞ!!』
アングは目を見開く。
その発言は、心を抉るには十分すぎた。
『それに比べたら、あのお嬢様の傷なんて軽いもんだ!!』
だが、そのように話を繋げられたことに対しては、歯ぎしりをする。
アングは彼を睨みつけた。
「軽いとか重いとかの話じゃないッ!!」
両者の被害を天秤にかけるなど、本来あってはならないことだ。
だが、命まで奪ったという事実は、いつまでものしかかる。
アングは、右手を自身の頭に食い込ませた。
「俺の傍にいたせいで……!!」
血が滲むような声を発する。
このふざけた世界を終わらせるどころか、自身の存在が、悲劇を加速させているように感じる。
果たして自分は、本当に必要なのか。
対するユージーンは、また始まったとでも言いたげに深く息をついた。
まだしばらくは、この行き詰まるような空気が……。
続かない。
重苦しかった空気を裂く、重低音にアングが気づいた。
下の階からだ。
明らかに人ではない。この場所がどこなのか考えれば、自然と分かる駆動音だった。
坂道から上がってくる。
黒塗りの塗装に、POLICEという白文字が書かれた、その存在が。
『なに!? アング隠れろ!!』
言われてからアングは立ち上がり、辺りを見回す。
車の陰に隠れようとしたが、ちょうど周りに車体が一台も見当たらない。
しかもあろうことか、そのパトカーは、通路のド真ん中で停車。
運転席と助手席の扉がそれぞれ開く。
何かを誤魔化すような、伸ばした口調の女性警察官から降りる。
「いや~。多分、気のせいだとぉ思うけどなぁー」
「本当ですって! あの生意気そうな仮面で、事件現場を見下ろしてたんですよ!!」
「なーんとなくだけど、それ、ゼオン本部長の前で言わないほうがいいよ?」
そして、もう一人は……。
まばゆい金髪。警察の制服を着るには、いささかまだ幼くも見える。
つい一週間前まで同居していたのだ。忘れるはずもない。
彼がこちらに気づく。
目が合ってしまい、お互いに固まる。
しかし当然、彼から先に弾ける笑顔が広がった。
「アングゥゥー!!」
幼馴染のジョイは、両腕を広げては駆け寄ってきた。
アングは顔を引きつらせて後ずさりするが、踵に硬さが接触する。
背後はよりにもよって壁際だ。
逃れられない。
ドスゥッ!
彼の飛びつきは、背中や腰へのダメージにもなった。
「ぐおっ……!?」
頬を寄せ、頭頂部や顎やらを両手で擦ってくる。
「どこ行ってたんだよー!! 心配したんだぞー? おー、よしよし」
「離……れろ、馴れ馴れしい……!」
「折角の再会なのに、そんなこと言わなくったっていいじゃんかー!」
こういった接触は、今に始まったことではない。
だが今日は、特に顔が赤くなる。
何も言わずに家を抜け出した気まずさと、何より、前方でジッとこちらを見ている女性の存在がそうさせている。
彼女はからかわない。ただ真剣な面構えで、軽く握った拳を顎に添えた。
「なるほど! ジョイ君とダン捜査官が事ある度に気にかけていた、アング君……。あなたですね!」
数歩近づいてから、丁寧にお辞儀をしてくる。
「はじめまして! ハル・フラットといいます! 警察やってます!」
「ど、どうも……」
勢いに押され、たじろぎながらも頭を下げ返す。
しかしジョイは、何を勘違いしたのか。
顔を歪めてパッと離れた。
「うわぁ……。いま鼻の下伸ばしたな!?」
「緊張してるだけだ……!」
「わざわざ家まで迎えに来た女がいながら……。不純」
まるでこちらが悪いことをしたかのように呟かれる。
その女というのは、以前、直接フルーレ邸を訪ねてきた際のカザミのことだ。エリカという偽名を使っていた。
「だから、それはバレリーさんが勝手に……!」
同じく勘違いしていた、彼の母バレリー。
その名を口にして、あの空間を思い出す。
毎日四人で夕食を囲んでいたリビング。休日には、一緒にパーティーゲームをするなどもしていた。
偽りの暖かさだとしても、かけがえのない日々だった。
「バレリーさんと……ダンさんは」
「強いて言うなら、アングがいなくて寂しそう」
ジョイ同様、彼の両親はどちらも優しい。
バレリーには家を出るところを見られたが、笑顔で見送ってくれた。
一方でダンとは、アーマード越しに戦うこととなった。
レッドの正体がアングだと分かった時、彼は、許してくれるのだろうか。
薄い期待にはすがらないほうがいい。
「どこで何してるんだよ。そろそろ、母さんのご飯が恋しくなってきた頃だろ」
ジョイにしては、深刻めいた声色だった。
「聞いたんだろう。友達の家で一ヶ月は――」
「知ってるけど絶対嘘だね! 友達少ないだろ、アング」
うぐっ……と言葉を詰まらせる羽目になった。
「タロウとマックスにも聞いたけど、いないって言うからさ! 二人とも大して心配してなかったけど」
「その反応は正しい。いちいち気にするな!」
「愛が大きければ心配も勝るってーの!」
見逃してくれる状況ではなくなった。アングはどぎまぎする。
何故だかハルも、指の付け根を唇の下のくぼみに当てては、うーんと唸っている。
こういった状況の時にはどうするべきか。
有無を言わさず、踵を返すのである。
「俺は行かせてもらう」
「あんまり出歩かないほうがいいって! ワシントン中のイレギュラーを殲滅する、みたいな話も出てるしさ!」
一瞬足が止まりかける。
サミットでのマリウスの発言が中継されていたというのは、先ほど聞いた話だ。驚くことでもない。
なのでまた一歩踏み出すも、今度はハルが呼び止めてきた。
「もしどうしても帰りたくないというのなら、警察寮の空き部屋を貸してあげますよ?」
「ああ! それいいね!」
勝手にスラスラと話が進んでいく。
アングは、振り返って止めざるを得なくなった。
「本当に大丈夫ですから。それより、自分たちの仕事を――」
発言の最中のことだ。
焦りすらも隙となったのか。
「ぐっ……!?」
いきなり、意識が闇に引きずり込まれる。
リムジンの中以来の感覚。今日はやけに多い。
内に眠る精神は、歯をむき出しにするほどの下品な笑みを二人に向けた。
「そいつぁ名案ですねぇ!! しばらく泊まらせてもらっていいっすかねぇ!?」
基本的にアングは、コメディアンのようなふざけた表情など作らない。クールじゃないと思っているからだ。
それをよくジョイも分かっているだろうから、彼は目を見開いて絶句した。
「な……なんだぁ?」
『(ユージーン、お前ッ……!!)』
彼の脳内に語りかけてやると、おそらくわざとだ。
返答を口頭で行った。
「折角のビッグチャンスなのに、ポイッと捨てるほうがおかしいって!」
ジョイの疑問に対する返しとして、繋がっていない。傍から聞いていれば理解不能。
この不可解さに、ハルは冷や汗まで垂らす。
「まあ確かに、そうだとは思いますけど……」
ユージーンは、もう野宿など嫌なのだろう。自分の欲を優先している。
アングの懸念は、そこがどんな場所なのかにある。
『(警察の敷地に自分から踏み入る馬鹿がいるか!!)』
そんなことは分かっていると言いたげに、アングの肉体自体はニンマリと笑む。
これでは彼のやりたい放題だ。早く主導権を奪い返す必要がある。
未だ見つけられていない明確な対策。それを模索する中……。
ドグォォォン……!!
遠くから、爆音が鳴った。
何かが爆発したというより、落ちたような音だった。
ジョイが屋外の方を向き、訝しげに目を細める。
「んん? 今度は何だよ……」
遠くの空にて黒煙が上がる。
ハルは、カフでコンパスアプリを起動。
赤の針が、爆音の鳴った方角を指し示す。
「北の方角からかぁ……」
すると、ハルの耳元から着信音が鳴った。
開いていたホログラムの画面には、通話を受けるかの表示が現れる。
ハルは、緑のボタンをタップした。
「はい、ハル捜査官です。はい。今ジョイ君と一緒にいますが」
頷きながら受け答えを続け、次のタイミングでだ。
彼女はジョイを見ながら口にした。
「出撃?」
その単語を聞いたジョイから、気の抜けた表情が瞬時に消える。
まだ電話での連絡は続く。
「要望ではなく命令……って、誰がそんなことを?」
ハルは、向こう側の返答を聞き……。
瞳を収縮させた。
「マリウス大統領……」
意識だけの状態なのに、アングは、全身の毛が逆立つような錯覚を覚えた。
彼女は大統領を自称していた。単なる妄言では、という憶測もまだ心のどこかにはあった。
だが、ここまでの早すぎる展開が、物語ってしまっている。
「分かりました。ダン捜査官とも、向こうで合流ですね」
ジョイが僅かに眉を上げ、アングの肉体と顔を見合わせる。
ハルは最後に何度も頷く。
「はい、はい……。それでは」
通話を切るや否や、彼女はすぐにパトカーへと向かう。
ジョイも早足でついていく。
「行かなきゃダメな感じですか?」
「だって命令だからね」
完全に置いてけぼりを食らっている。
ユージーンは、アングの声を使って呼び止める。
「お、おい! 行くってどこにだよ!!」
両者ともに足を止め、ジョイから首を傾げる。
「なんとなく分からない?」
「レジスタンス達の殲滅ですよ」
最悪の予感は的中した。
生きるために結集されたイレギュラーの武装組織。カザミの知り合いがいる場所だと認識している。
先ほど連絡を取っていたクロエは別の場所にいるのだろう。しかし、他の仲間たちは……。
ここでジョイは腕を組み、目を閉じる。
「うーん、だけどなぁ……。最近、イレギュラーだからって頭ごなしに悪だ、って決めつけていいのかな、とも考えてるんですよ」
「イレギュラーはすぐ処罰! そういう規則だよ!」
「けど、レッド・アーマードっていう例外もいるでしょう!?」
「ジョイ君は見た目のカッコよさに騙されすぎ!」
ハルの方が上司だ。このままでは彼女と同行するジョイも、イレギュラー虐殺へと駆り出されることになる。
このアングの危惧を、ユージーンが感じ取ってしまった。
なんとかしてやるとでも言いたげに、ふふんっと笑う。
「ジョイの言う通りだと思うぞ! まだ何もしていないイレギュラーを襲撃するなんて、どっちが人の命を奪う化け物だよ、って話!」
言った瞬間、アングは喉が詰まりそうになる。
一方のジョイはというと、瞳をキラキラと輝かせた。
「アングー! 分かってくれるか~!!」
また両腕を広げては、こちらへ迫ろうとしてくる。
しかしそれを、ハルがスッと右手を伸ばして制止した。
先ほどまで穏和だった表情が、今は犯人を追い詰めたかのように鋭いものとなっていた。
「あなた、こんなところで何をしていたんですか?」
「へ?」
「ジョイ君の同居人だからと深く考えないでいましたが、学生が学校を休んでこんなところにいるなんておかしい」
一瞬で風向きが変わった。
アングは既に予感していた。やはりこうなったかと。
ユージーンの焦りのせいだが、肉体の至るところに嫌な汗が滲み始める。
一方のジョイも、苦笑いで両手を斜めに振る。
「ハ、ハル先輩! アングは不良ですけど、別に悪いことしてるわけじゃ――」
「ジョイ君は黙ってて」
もはやジョイの方を見ていない。何かを確信している。
それを、ユージーンも感じ取ったのか。
閉塞していた意識の檻が、突如として広がる。
「は……?」
思わず、アングは声を漏らしていた。
彼が、憑依を自ら解いたのだ。
あまりにも勝手な判断。アングは背後を睨みつけるようにして怒鳴る。
「お前……! 肝心なところでッ!!」
「んん? 後ろには誰もいないのに、その反応……」
今度は、アングが失態を犯した。
未だ、ユージーンの存在は誰にも見つかっていない。ゆえに悟られることはないと思いたいが、疑念の瞳は迫りくる。
ハルは前のめり気味に直視。
背を正した後、人差し指を突きつけた。
「まだ未成年とお見受けします。タバコ、酒類、もしくは薬物などを持っていたら、今すぐ出しなさい!」
アングは、気の抜けた声が出そうになった。
想定していた指摘とは違う。思わずアングが怒鳴ったのを、幻覚症状だと勘違いしたか。
少しズレているが、仮に持っていないことを証明できても、補導される勢い。どうすべきか……。
そう思考を巡らせ始めた時のことだ。
「え? ああ、はい! いま代わります!」
ハルの横で、ジョイがある受け答えをしていた。
耳に指を当てている。彼のカフに連絡が入ったのか。
ジョイはそのカフを外し、ハルの方へと伸ばす。
「んん?」
突然端末を手渡され、目をパチクリとさせる。
彼女は自身のカフと取り替え、耳に付けた。
「はい。こちらハル・フラット……」
少しの認識の時間の後、ピンッと気をつけの体勢になった。
「ええ!? ゼオン本部長!?」
彼女の上司からだろう。
アングも、ダンからだろうか。どこかで名前を聞いたことがある。
「ああ、元本部長……でした! はい、はい。……ええ?」
何やら話を聞いているようだが、その最中、彼女は不意に後ろを向いてしまう。
丸まった背で視界も落ちているというなか、ジョイがこっそりとジェスチャーを見せる。
エレベーターのある方を、人差し指で何度も指し示した。
おそらく、電話がかかってきたという件までもが彼の機転……。
アングは感謝代わりに、彼を見ながら頷く。
「いえ、ジョイ君が私に、と言いましたので……。あれぇ?」
まだ彼女は、部下の策略に気づいていない。
今のうちにと体勢を低くし、逃走した。




