Phase7-1:双剣――世界を断つ者
一滴の赤が落ちる。
白き爪……。悪夢のような一瞬を果たした、その凶器からだ。
アングは、視界が歪んで見えた。
誰をどうしたのか。再認識するまでもない。
ただ、激しい息継ぎとして、動揺が体現していた。
見下ろす先の少女は横向きに倒れ、腕に刻まれた赤い傷痕を押さえながら、震えている。
両目をきつく閉じて苦しむ彼女。
自分を愛してくれていた、メーナだ。
独りでに動き出した肉体により、レッドの爪が彼女を引き裂いたのだ。
何故、こんなことになったのか。
『はははは!! 素晴らしい!』
理由は自ずと察する。
背後から響く、狂人の笑い声によってだ。
『無害の者に自ら手をかける気分はどうかな? ミスター・レッド!!』
いまだ、彼の細工にかかったままのアングの肉体。小刻みに身体が揺れるのみで、振り返ることができない。
状況を嘲笑するように、同じくアーマード装着者である彼は語りかけてくる。
『これは運命だ! どこにいようが、そなたは血と絶望の狂騒から逃れられない! わたくしの為に、未知なる音色を発し続けるのだよ!! ハハハハ!!』
絶え間ない早口。イレギュラーの男性を甚振っていた時よりも楽しんでいるように聞こえる。
何より、気に障った。
この凄惨な状況そのものを、楽器の一部として捉えているような、傲慢な表現がだ。
内なる心が、燃え盛るように目を覚ます。
『んん? まさか……』
敵の男が驚いている間に、変化は起きた。
レッドの装甲の継ぎ目。その至るところから炎が吹き出た。
動かせなかった肉体も、今までが何だったのかと思えるほどに脳の命令を受け入れる。
確かに自分は、世界に惑わされて友を殺した、ろくでもない男である。
だが相手は、自らが犯した罪を他人に擦り付けるような人物だ。
なぜ反省を促されなければならないのか。到底理解できるはずもなかった。
アングは、待ち受ける敵へ向けて重たい歩みを始める。
『メーナを巻き込んだな……ッ!!』
茶色のアーマードは、硬い掌で拍手した。
『流石……コア・アーマードといったところか。通常の人間ならば半日は影響を受けるものだが』
『普段から人を操っているような言い草だな!!』
『芸術的な理解の早さだ! そなたの認識は間違っていない!』
すると、彼が手に持っている小さな棒が、腋を覆う楽譜のような装甲板へまた伸びていく。
『では、そのうえでまた反復しよう!』
脳内でユージーンが指示を出す。
『多分あれがトリガーだ! 止めろ!!』
あの錆びた音色を許してしまえば、また身体を操られてしまう。アングは前のめり気味に踏み出す。
右の爪を、相手の頭部めがけて振り下ろす。
しかし、不快な音のほうが早い。
ギィィィィィ……!
アングの攻撃は、到達するよりも前に硬直。
そこから前に突き出そうとしても、後ろから二十もの糸で引っ張られているかのような、凄まじき拘束感に支配される。
擦る音を鳴らしながら、関心するように見つめるのは目の前の敵であった。
『ふぅむ……。やはりこの段階を突き破らんという姿勢。かなり耐性があるな』
間近で見れば、音を鳴らすのに使っている棒の持ち手部分が、コルクのような形の木製に見える。
そこから伸びる、上にいくに連れて細くなるも先端は丸いという全体的な形状。
指揮者が扱うタクトそのものではないかと感じた。
『まさかお前……!!』
『おおっと。わたくしの正体に気づいたようだが、そこまでだ』
彼は指揮棒を装甲板から離す。
その丸い先端を、レッドの胸部へと向けてきた。
『効力が半減しているのであれば致し方あるまい! 瀕死に留め、一緒に来てもらう!!』
イレギュラーの男を突き刺していた時のように、ビーム刃を展開するつもりだ。
未知の威力。レッドの装甲で防げる保障は全くない。
彼は指揮棒の持ち手部分、その底へと親指をかける。
回避は不可能……。
諦めの最中に、後方から何かが横切った。
ピンポン玉のような大きさの球体で、男が持つ指揮棒の根本に命中。
パァンッ!
直後に破裂し、粘着性を伴う薄ピンクの物体となって、ガムのようにまとわりついた。
『ぬぅ……!?』
射撃の勢いに押されるような格好となり、装甲板にくっつく。上下運動ができなくなる。
アングの動かせない視界からは、何が起きたのか判別できず。
代わりに、ユージーンが状況を説明する。
『アング! 狐面を被った変人のお出ましだ!!』
背後から、確かに金属の足音が聞こえてくる。
常にあのブーツを履いているカザミで間違いない。
対して敵アーマードは、ならばと、腰のピアノのような装甲板に触れようとする。
この僅かな間が、アングに打開の一手を与えた。
弦による軋んだ音が聞こえなくなったことにより、硬直していた身体が自由を取り戻す。
その感覚はすぐに認識できた。相手に悟られない反撃を形作る。
人差し指と親指で、銃の形を作った。
赤き身に宿った怨念。使わせてもらう。
人差し指の先端から、渦巻くように炎の球体を形勢。徐々に膨れ上がる。
敵はその存在に気づいたが、もう遅い。
面積の大きい腰部。
避けづらいそこへ目掛けて、発射。
ズゴォッ!!
命中はした。
相手が床を抉って後退りするほどの衝撃。
だが、装甲から火花を散らしながら、受け止めている。
敵はほくそ笑むように『ククッ』と呟く。
『こちらの意表を突く、素晴らしい反撃だ。だがあいにく威力には恵まれず――!』
『舐めるな……!!』
まだ攻撃の第一段階に過ぎない。
アングは、人差し指をクイッと天井へ向ける。
張り付いていた炎の球体が、もう一回り大きくなる。
余裕ぶっていた彼も予想外だったのか、素早く自分の腰を見下ろす。
やがて球体は、限界を迎える。
ドゴォォォォッ!!
破裂。
十字の爆炎が生じ、敵を吹き飛ばす。
『ぬおおお!?』
仰け反りながら宙を舞った茶色の装甲は、待ち構えていたガラス窓をかち割る。
建物の外へと投げ出された。
火災報知器の高いベルが鳴り響く。
屋内に燃え移りそうな炎は、レッドの鷲掴みするような動作で吸収する。
アングの横に、狐の仮面を被ったカザミが並び立つ。
「誰あいつ……?」
『……心当たりはある』
仰向けに倒れていた敵は、装甲についた埃を払いながらその身を起こす。
すぐに笑い声を漏らした。
『序曲としては良い成果だった。このあたりで捌けさせてもらおう』
低くなった体勢と、角度ゆえに気づくのが遅れた。
彼は、ピアノの装甲板に触れている。
『しまった……!』
アングは咄嗟に走り出す。
だが、止められない。
僅か二つの音が耳に入った、直後のことだ。
脳に、視界にノイズが走る。
そして、次の瞬間には……。
茶色の装甲は、完全に姿を消していた。
カザミも同様の現象に見舞われたようであり、同じく辺りを見回している。
まさか、瞬間移動の能力でも持っているのか。
途方もないことを考えつつも、アングの意識は現実へと引き戻された。
向き合わなければならない。
思わず逃げたくなる、あの惨状に。
途端に動悸が早まったのを感じながら、後ろを振り返る。
まだメーナは、床に倒れ込み、傷口を押さえながら目を閉じていた。
この手で傷つけた。
そして彼女から見ても、友人かもしれない相手に突然斬りつけられたという、理不尽な裏切りを受けたのだ。
『メーナ……!!』
許してくれるはずがない。
しかし、どうしようもない感情を抱えながら、アンバランスな足取りで近づこうとする。
それをカザミが、抱きつくように止めてきた。
「ダメ!! 警備員が来る!!」
実際、奥の廊下の方から、絶え間なく足音が聞こえてくる。レッドの聴覚センサーが感知した。
だがそんなことよりも、メーナへの責任感が勝っていた。
『置いていけない……! 俺のせいで……!!』
「君が警備員に攻撃でもしたら、本当に取り返しのつかないことになる!! 分かってる!?」
言われて、アングはハッとなった。
もしここでそのような状況を作れば、レッドは無差別に人を襲う危険人物と見られてしまう。メーナに対しても同様であったという決定的な証言材料になる。
そしてもう二度と、メーナも振り向いてくれなくなるだろう。
力を緩めるというよりは、抜け落ちるようだった。
メーナの姿を、強引に視界から排除する。
彼女の意見に従い、二人は割れた窓から外へと飛び出した。
*
ロビーから物音は消えていた。
にも関わらず、駆けつけた警備員全員が、廊下の角や壁際に隠れて状況を覗いている。
生身の肉体では、アーマードという兵器に太刀打ちできない。だからであろう。
関係者用通路から歩いてきたマリウスが、慎重過ぎる彼らよりも先に前へ出る。
一旦ロビーの中心へと赴き、誰もいないという確認を装う。
ヒールの高い音を鳴らしながら、洗面所の入口へと近づいていく。
男性用の仕切りの陰に、彼は隠れていた。
羽のような兜。コンサートホールのような赤銅色に身を包んだ装甲がだ。
マリウスは、直接顔を向けず、壁と対面しながら口を開く。
「どういったカラクリだ? レイシキのものと同じ技術か?」
『そうではありません。彼らの脳から、わたくしを突き止めるであろう五感を全て遮った。あなたにはお伝えしていない能力です』
すると彼は、アーマードの装着を解いた。
彼を彼たらしめんとする銀の髪が、風圧で揺れる。
シックな配色のキューブを掌で受け止め、懐へとしまう。
首から横へと広がるように垂れ下がるジャボを正しながら、彼は細い口を釣り上げた。
「あの間に奇襲をかけてやりたいところでしたが、攻撃分のリソースも割いてしまうことになる現状でしてね」
これこそが、世界的な指揮者、ヴィウス=ノヴァ=マイヤーが持つもう一つの顔である。
彼は味方ではあるが、契約を通しての限定的な関係。全ての情報を共有できているわけではなかった。
マリウスは、隠れている彼のために告げる。
「裏口は解放している」
「かたじけない」
軽くお辞儀した後、彼はお手洗いを済ませたことを装うように、ハンカチーフを取り出す。
そのままマリウスの前を横切ろうとする。
何故、滞りなく終えられたように振る舞っているのか。
気に入らず、マリウスは彼の細い腕を掴んだ。
こちらを向く、舐めた視線と衝突する。
「粗相が過ぎたな。おかげでこちらの計画に一つの陰りが見え始めた。すぐにレッド・アーマードを確保することもできたのではないか?」
脳内のカフに転送された監視カメラ映像で、状況は全て見ていた。
後にその映像は、誰にも見られることなく削除される手筈だ。
ヴィウスは、堪えきれなかったのか。口から「フフッ」と息が漏れる。
「もしや、ご息女を傷つけられたことにお怒りで? イレギュラーでもないのに?」
「単純な不満だ」
「それは失敬」
手を離すと、ヴィウスは軽く振り払うような動作をしてから、関係者用通路へと歩いていく。
近くで倒れているメーナのことなど、見向きもしていなかった。
マリウスは、その娘の元へと近づいていく。
先導したことにより、警戒して隠れていた肉壁達が、続々とロビーへ足を踏み入れている。
メーナの傍では、三人が彼女の容態を確認していた。
その一人が、マリウスの接近に近づいて声をかける。
「お怪我はありませんか?」
「いったい何を見ていたんだ? それよりも娘を頼む」
「救急車を呼べ!」
部下に指示を出す警備員を尻目に、マリウスはメーナを見下ろした。
レッドによって作られた右腕の傷口。そこから血溜まりが出来ていると思ったのだが……。
想定の半分の量でせき止められていた。
赤く滲み、本来の白はほぼ見えないが、止血用の包帯が巻かれていたのだ。
例の人物に助けられた形となった。
「大事はないな? メーナ」
マリウスが呼びかけると、彼女の視線がゆっくりと上がる。
顔は汗ばみ、やや血色が悪いようにも見えるが、強がるように微笑んでみせた。
「ええ……。なんとか」
マリウスは頷き、背を向ける。
もう訪れることもないであろう空間を、記念に眺めておく。
障害と呼ぶほどの窮地ではない。
だが、当初の予定は大きく変更する必要がある。
何故ならば……。
誰にも聞こえないように低く呟く。
「伝染したか」




