Phase6-9:戴冠の序曲――爪痕
会場から抜け出してすぐ、アングは全力で走り出した。
なるべく早く、この建物自体から逃げ出さなければならない。直進の廊下がやけに長く感じる。
すると、アングのズボンのポケットに、振動が発生。
カザミから渡されたスマートフォンによる着信。音は無く、バイブレーションのみで知らせている。
今は誰にも見られていない。受話器を上げるマークをタップし、耳に当てた。
『いったい何やってたの!!』
「サミット会場から抜け出した! 一階に来てくれ!」
『もう向かってる! それより、どこかにタレット銃が――』
アングも目にした、殺戮兵器の名が飛び出した、直後。
「ぐぎああああああ!?」
「っ! 待て!!」
向かっていたロビーの方角から、男性の苦しみ声が響き渡った。
アングは一旦、スマートフォンを耳から離す。廊下の曲がり角を通り、手荷物検査が行われていたテーブルまで近づく。
係員は逃げだしたのか、誰もいない。
そしてここを抜けた先のロビーから、金属製の足音が聞こえる。
アングは壁に隠れ、そっと覗き込む。
「なっ……!?」
思わず声を上げた。
仰向けに倒れる被害者が一人。胸から腰までを縦に斬られているが、血は流れていない。
赤白い裂傷という固まりに変わっている。何かで焼き切られたのか。
そして彼を庇うようにしゃがむ、もう一人の男性。ここまでは驚かない。
彼らにゆっくりと近づいていく、その装甲が思わぬ姿だった。
『果敢にあの処刑場から逃げてきたというのに、こうして地を這うことになるとは夢にも思わなかっただろう!』
内蔵マイク越しに聞こえる、ミュージカルで通用しそうなよく通る男の声。
彼が装着しているのは、今まで見たことがないアーマードだ。
茶色の、一見すると西洋騎士のようなフォルム。左肩からは青い布がなびき、左腕全体を覆う。
だが、それらの特徴以上に目立っていたのは、胸部と腰部に二枚ずつの装甲板。
肩から脇下までを垂れ下がるように覆うそれには、五線譜の楽譜のような模様がついている。
一方で、腰部に取り付けられているのは、白一面に細かい黒線。所々の半分に黒い太線が描かれている……。
つまり、ピアノの鍵盤だ。
一見チープにも見えるその意匠が、逆に事の異常さを醸し出していた。
被害者の探偵の盾になろうとしている男性が、震えながらも右手を前に出し、接近を拒もうとする。
「た、頼む……!! やめてくれ、見逃してくれぇ!!」
この怯えよう。甲高い声から、彼はイレギュラーか。
反応を見たアーマード装着者は、満足そうに頷く。
『そうはいかないなぁ! わたくしは待ち望んでいたんだよ。凡人たちでは決して奏でられない音色を、そなた達ならば奏でることができるのだから!』
声を張りながら、彼が優雅に振るうそれは、遠くからでは視認がしづらい。
単なる細い、白の棒に見える。
彼は、自分が負傷させたであろう男性を見下ろしながら、顎を擦る。
『いや待てよ? 既にイレギュラーとして覚醒しているのならば、ここまで派手に切り刻む必要もなかったわけだ』
反省でもしているのか。
それにしては上ずった声で、持っている棒を、負傷した男性へ向ける。
変化はここで起きた。
その棒の周りに、白いプラズマが発生。
最初は、短い長さを覆う程度のもの。いくらビーム兵器だとしても心もとなく見える。
あまりにも急だった。
ブォォウッ!!
三倍以上だ。
一気にビーム刃は伸び、倒れる彼の肩を貫通してみせる。
「ぎぃああああああああああ」
『ハハハハハハハハハ!!』
被害者と加害者。全く違う感情の叫びが重なる。
どうにか助けてやりたいところだが、今のアングにはレッド・アーマードが無い。
飛び出せば返り討ちに遭うだけ……。
だがここで、兆しが生まれる。
対面の奥向こう。社員用と思われるゲートが設置された廊下の先に、少女の姿が見えた。
耳には、アングが手にしている古代の端末と同じ物体を押し当てている。
レッド・キューブを回収してくれている少女、カザミだ。
しかし彼女との間に、謎のアーマードが待ち構える立ち位置となっている。
この位置からレッド・キューブを受け取るのは難しい……。
そう思っていたが、彼女は驚いたように目を見開いた後、服の裏から何かを取り出す。
レッド・キューブが、既にガタガタと揺れ動いており……。
独りでにふわりと浮いた。
そしてカザミのもとを離れる。空気を消し飛ばすような勢いでこちらへ向かってくる。
ロビーへと入り、楽しんでいる狂人の横も通り過ぎた。
装着者は風圧に気づいて振り返り、『んん?』と声を上げる。
止めはせず、ただ見送った。
元の持ち主に近づくにつれ、赤い四角形の速度が緩やかになる。
アングが手を伸ばしてキャッチ。
胸元まで引き寄せると、しばらく途絶えていたあのうるさい声が蘇った。
『おい何があったんだ! やっぱりオレが思ったとおり、あの女が――』
『違う!!』
『図星かよその反応!! だから言っただろ、構うなって!!』
すぐにユージーンは冷やかしを浴びせてくるが、彼への受け答えのみで済む状況ではない。
『嗚呼、素晴らしい! これが真なる叫びというものか!!』
例の狂人が、まるで遠くにいる誰かへ聞かせるように声を張り上げた。
『そなたも同感だろう? 我が愛しのレッド・アーマード!!』
向けた対象は、やはり自分に対してである。
飛んでいく赤いキューブを見たのだ。彼がどの組織に属している人物化は分からないが、気づいて当然。
『いいや、こう呼ばせてもらおう! ミスター・レッドと!!』
ユージーンも状況が掴めていないのだろう。困惑の声を上げた。
『また愛の告白……。あいつ誰だ?』
「こっちが聞きたい」
無駄に発言が多いため、声色から正体を探ってみてはいる。アングの記憶にはない声だ。
しかし向こうは、あくまでこの接触に歓喜する。
『そこまで期待はしていなかったが、本当に来てくれるとは! メーナ・シンフォニーには感謝しなければならない!』
「……なに?」
単純な感謝というよりは、明らかに彼女を愚弄しているように聞こえた。
アングは壁越しで、睨みつけるように声の聞こえる方を見る。
『二度もそなたに血の戦場を与えてくれたのだからなぁ!! 殺戮という背景がなければ、赤き装甲は輝けない! あのお嬢様はとんだファム・ファタールだ!!』
ぎりっ、と奥歯を噛み締める。
苛立ちもあるが、最初からこうするつもりだった。
赤いキューブの出っ張りを押す。
すぐに赤の装甲が身体に貼り付いた。
アングはレッド・アーマードとなり、その姿をロビーに晒した。
警戒の声が脳内で反響する。
『おいアング! 挑発に乗るな!!』
そんなつもりはない。
だがズカズカと、敵に向けて歩き出す。
特に逃げようともしない彼に対して、アングは右の爪を振り上げた。
『おおっと!』
茶色の装甲は、面白がるようなステップで飛び退き、回避。
距離が遠くなった。
この隙にアングはしゃがみ、足元の二人へ呼びかける。
『連れて行けるか?』
「あ、ありがとう……! 助かった!!」
男性は、傷を負った仲間を背負い、出口へと走り出した。
ユージーンが、唾を吐くように不満を述べる。
『けっ! いい素材になりそうだったのに……』
怨念を力に変えられるという特性が分かってからというもの、彼は、いっそ死んでくれたらと願うようになった。
その思考には文句を言いたいところだが、今はそんな余裕もない。
『初めましてだなぁ! そなたに会いたくて会いたくて仕方がなかった!!』
対面の敵と対峙しなければならないからだ。
何やら両腕を広げて歓迎の姿勢だが、アングは鼻で笑う。
『馴れ馴れしい友人はもう足りてるんだ』
『言うじゃないか! だが先に謝罪しよう。わたくしは今少し、興奮している!! 憧れとも呼ぶべきイレギュラーの、最もパッションに満ちた相手と対面しているのだから!!』
彼は不可解な言葉を口にした。
ユージーンが片眉を上げながら指摘する。
『イレギュラーが憧れだとォ? ならお望み通り、限界まで引き裂いてやれ!!』
人を斬り、高笑いを上げる猟奇的な人物だ。容赦はいらないという点においては同調する。
意気込んで拳を握りしめた……直後のことだ。
背後から足音。
それは、アングが走ってきた廊下からであり……。
既にアングは、最悪な予感に呑まれた。
ゆっくりと振り返り、確認する。
胸に手を当てて必死に息を整える、可憐な少女の姿。
アング『メー……ナ……』
思わず、息に溶け込むような声で呟いてしまう。
何でついてきた。
疑問に思うも、すぐに納得がいった。
自分が欲する事柄に対して、一切の妥協がない。彼女はそういう人物だ。
メーナは顔を上げ、二体のアーマードの存在にいま気づいたのだろう。
大きく目を見開いた。
彼女の存在を視認したのは、相対する敵も同じだ。
ニヤつきで粘つくような音。かすかに聞こえた。
『面白い』
すると彼は、細い棒に纏わせていた光線を解除。
ただの白い棒になったそれを横に傾け、右肩から伸びる楽譜の装甲板に擦り付ける。
ギギィォォン……!!
心地良い音色ではない。
バイオリンやチェロのように弦を弾くような動作、音の種類だったが、実に耳障りだ。
錆びれた弓でも使っているのかという、金属音混じりの不協和音。
更にもう片方の手では、腰のピアノをタッチ。
本物のように立体的ではないものの、触れただけで音が鳴る。
こちらもわざとなのか。常に飛び飛びの音で、まともに音楽としては読み取れない。
一体どういった意図か。単にこちらの気を惑わせるための小細工の可能性もある。
そんなものに引っかかりはしない。アングは、殴打の一つでもかまそうと踏み込みを始める。
その不愉快な音色が、ある一定量、脳内へ流れ……。
異変が起きた。
身体が、動かない。
いや違う。
動いてはいる。
こちらの意志に反して、身体の向きを変えようとしているのだ。
抵抗を試みるも、それは侵食を遅らせる程度。カクつきながら、思考にない動きが決行される。
ユージーンによる肉体操作ではない。その証拠に、彼も愕然としている。
『どうしたアング!? 何してる!!』
彼から見れば、アング自身がおかしな動きをしているように思えるのだろう。
勝手に動き始めた肉体は、完全にその向きを反転させ、前進。
向かう先はどこか。
もう、分かってしまった。
予感は遮られず、地獄へと突き進む。
こちらを見つめる、メーナの元へと近づいていくのだ。
遠くにいるカザミも、ほぼ同じタイミングで気づいた。走り出す。
だが、絶対に間に合わない。
アングが抱く恐れとは反して、メーナは。
安堵するように胸を撫で下ろした。
「やっぱり……。アングく――」
『逃げ……ろ……』
「え……?」
捻り出せた唯一の警告。
その意味に、彼女が気づけるはずもない。
左腕が引かれる。
僅かな助走が加わり、振り上げられる。
指の関節から伸びる、鋭利な白い爪によってだ。
柔い肌を裂く、感触があった。
血の粒と共にその身が舞う。
大きく口を開き、顔を歪ませる彼女の右腕に。
三本の赤い線が刻まれた。
(つづく)




