Phase6-6:戴冠の序曲――爪痕
カザミは、遠くの柱の陰から、アングがメーナと共に屋外へと出ていくのを見送った。
彼が離れすぎては囮にならないと思っていたが、そうではない。彼らはガラス壁越しに向き合い、立ち話を始めた。
何故わざわざ外に出たのかという疑問は当然浮かぶが、見える位置にいるのならば構わない。
カザミは、いま自分が向かうべき方向を見据える。
社員用の入場ゲート……。ICカードをかざすことでしか通ることができない、駅の改札のような装置が三列並んでいる。
こちらは人だかりが少ない。出勤時間はとっくに過ぎているうえに、お昼休みの時間もまだ先。右端に警備員用の個室があるだけだ。
ナイゲールは、アメリカ地域の代表とも呼ばれる大企業である。
セキュリティが厳重なのは思っていたとおりだが、どうするべきかと両手をパンツのポケットに突っ込む。
無論、強行突破など仕掛ければ大事になる。
「どこか窓の開いている場所を見つけるしかないか……」
小声で呟きながら、案を張り巡らせていた時のことだ。
一人の影が、目の前を素早く横切っていった。
性別までは判別できなかったが、ゲートのすぐ横にある化粧室。その女性用に入っていた。
カザミの脳裏に、第三の案が浮かぶ。
彼女が出現した方向も関係者用の通路からだった。
つまり社員である可能性が高く、どの用途かは不明だが、死角となる狭い空間へと入っていったわけだ。
その人物を無力化し、ICカードを『借りる』ことさえできれば、潜入までの道のりは容易となる。
カザミは早足で、化粧室の中へと侵入。曲がり角からそっと奥を覗き込む。
ちょうど、個室トイレの扉が閉められたところだ。
個室とは言っても完全な密閉空間ではなく、天井付近が空いている仕様のもの。あそこから乗り越えれば中に入れる。
占めた……と同時に、またトイレかとも思った。
一日に二度もトイレを覗き込む羽目になるなど、今後あるだろうか。
複雑な気分で口元を歪ませつつ、カザミはその個室トイレの前へと張り付く。
「よっ……!」
この程度の運動は苦にならない。ジャンプし、扉の上端を両手で掴む。
大声を出される前に、中にいる人物を気絶させなければ。顔を出し、中の様子を見下ろす。
気づいた彼女はこちらを見上げ、今まさにズボンを下ろそうとしていたところだった。
目を丸くするのは当然のことである。
だが、カザミも固まることとなった。
あまりにも見覚えがある人物だったからだ。
前髪を上に向けて一束結ぶ、特徴的な髪型。半袖の水色シャツ。
そして、腕に付着しているバッジ……。
一滴、冷や汗を垂らした彼女は、昨日会ったばかりの警察官で間違いない。
しかもカザミは、アングとの接触時に口パクを隠すためにマスクを着けていた。そのまま来てしまった。
サングラスも加えての怪しすぎる風貌に、彼女はあんぐりと口を開けている。
「何を……しようとしていたんですか?」
「いや、これは、その……」
対応に迷っている間に、警察の彼女は目つきを鋭くする。腰のホルスターからある物体を引き抜く。
黒光りする銃身がお目見えとなった。
カザミは慌てて左手を前に出す。
「ままま待って待って!」
あえて身を乗り出し、中へと転がり落ちるように入る。両足で着地はする。
銃を構えて後ずさる彼女に対し、サングラスとマスクをずらしてみせた。
シリアスな顔つきが一点。
きょとんと気の抜けた表情となった。
「って、あれ!? あなたは昨日の!」
「……またお会いするとは思いませんでした」
「私もです~! そういえば、自己紹介してませんでしたね。ハル・フラットといいます!」
「はは、どうもー……」
苦笑いで応対していると、ハルは彼女から見て左側を指差した。
「トイレなら、隣が空いてますよ?」
顔見知りだと分かった途端に拳銃をしまう。友達のような馴れ馴れしさも見せてきた。
警戒心が無さすぎないか。もっとも、そのほうが都合はいい。
カザミは問いを投げかけてみる。
「今日は仕事でここに?」
「のはずだったんですけど、なーんか思ってたのと違って……。暇を持て余しているところです」
「そうなんですねー。じゃああたしはここで……」
営業スマイルを浮かべながら背を向け、トイレの鍵を開けようとする。
「え! まさか、挨拶のためだけにここへ!?」
何故だか帰してくれない。呼び止めつつ、緩めていたベルトを直し始める。
「あなたがここにいるということは、明確に事件の香りがします! 黙って見送るわけにはいきません!」
イメージだけで面倒なことに巻き込まれてしまった。
カザミはあからさまに顔をしかめ、振り返る。
「任されてるお仕事があるのでは?」
「私がいてもいなくても変わらない。それくらいは勘で分かります!」
両の拳を握りしめては、前のめり気味に言っている。
とてもじゃないが、引き下がってくれる雰囲気ではなかった。
またややこしくなってしまうが、仕方がない。
カザミは、予め用意していた『万が一の択』をここで切る。
「実はあたし、こういう者でしてぇ……」
取り出した名刺を、両手でハルに渡す。
彼女はそれを顔に近づけ、ゆっくり丁寧に読み上げ始めた。
「『どんな依頼も引き受けます。探偵、ショウ・ナルップ』……。探偵さん!?」
「しーっ……!! あんまり叫ばないで……!」
無論、そんな探偵はいない。事務所も無い。
ただ、ある程度は信憑性を高めるため、専用の電話番号を作りはした。名刺にも記載されている。
「なるほど、合点がいきました。色んな事件現場にあなたが現れているのは、これが理由だったんですね!」
「まあ、ということなので……。今回は、ナイゲール社に関する調査がしたくて、このビルに……」
「しかし、それが理由で、わざわざ使用中のトイレに入り込むって……」
ハルは半開きの拳を口元に当て、考え始める。
すぐに目を見開いた。
「まさか、社員さんのICカードを奪おうとしたんじゃ!?」
「そそそ、そんなわけないじゃないですかー! 話を聞こうと思っただけですよ。ははぁ……」
気が抜けた人物なのに勘は鋭い。カザミは謎に表情筋を強張らせることとなる。
ハルが、まばたきを繰り返しながら問う。
「では、どういったご依頼で?」
「詳しくはクライアントとの契約上言えないんですけど、虚偽報告の真偽を……」
「虚偽報告……。医療に携わるナイゲールがやっているのだとしたら、重大事項ですね」
考えるたびに下向きになるハルの視線だったが、キッと前方を見据えた。
「分かりました。ショウさんのその捜査、私が手伝いましょう!」
正義の心に満ち満ちた、そんな思い切りの良さが見て取れる。
が、カザミは引きつった笑みを浮かべた。
「え。いや、いい……」
「何でですか! 今の感じだと、オフィスに入れなくて困ってたんですよね?」
ハルは自身の胸をポンッと叩く。
「ご安心を! 警察の捜査権限があれば、自由に出入りできます!」
警察との関わりはなるべく増やしたくない。しかし、ゲートというセキュリティのせいで、潜入も何もない状態なのも事実。
カザミは一旦よそ見をしたり、「むぅ……」と唸ったりしながら思案する。
見上げる角度で彼女に聞く。
「もし今日何か見ても、警察には報告しないって約束してくれますか?」
「それは……内容を見て考えますよ」
はっきり「イエス」と述べない辺りは、まだちゃんと警察官をやれているほうだなと感心した。
危なくなったら撒けばいい。そう割り切り、彼女に手伝ってもらうこととした。
*
ナイゲール本社ビルの正面出入口。そのすぐ傍の壁沿い。
アングの目の前で立つ彼女は、唇を結びつつも、喜びの息が漏れていた。後ろで手を組み、胸躍らせるように上体が揺れている。
アングの言葉を待っての挙動だが、彼にはようやくメーナが、歳相応の少女に見えてきた。
「それで? 話っていうのは?」
「ああ、いや……」
向こうから話を切り出された。アングはたじろいで足踏みする。
ただ、自分から言い出したこと。誤魔化しは効かない。
いきなり結論から述べるのではなく、前段階から始めることにした。
「最近、俺の様子がおかしいって気づいてたか?」
「だって学校に来ないんだもの。他のみんなは変わらず登校しているわよ」
バーンズが暴れた騒動の後、火曜日までは休校。水曜日からは通常通りに授業が再開された。
しかし廊下の床は崩れ、死人まで出る事態だった。
「いちおう聞くが、あんなことがあって、行きたくないと思わないのか?」
「犯人は死んだのだから、思うわけないでしょう?」
負の感情が無いということは、何かへの恐れも薄れてしまうということ。この世界の常である。
彼女の当たり前だと言わんばかりの発言に、アングは対抗するように言う。
「俺は躊躇いが生じたんだ。行くわけにはいかないと思った」
「……」
メーナの表情から、高揚の色が消える。
期待していた内容と違ったのか。ただ、いつものミステリアスな微笑は見せてくれた。
「理由を教えてくれるのね?」
核心に踏み入ろうとしている。
真実を告げてしまえば、もう今の関係には戻れない。だが彼女の安全のためだ。
アングは深く息を呑み込む。
「実は俺……」
「あら、ちょっと待って?」
言いかけたところで、突如、彼女が片手を上げて話を切った。
こめかみに指を当ててのサイン。そして、瞳には円状の青い光が灯る。
彼女のカフは脳内チップとして埋め込まれているため、こちらから動作を見ることはできない。網膜に画面が展開され、仮にチャット連絡だとしたら、脳波による文章作成で返信を行う手筈だ。
メーナは指を離し、アングに視線を合わせ直す。
「順番が早まったんですって。お母様の登壇」
「は?」
「さ、行きましょ」
アングの横をすり抜け、ビルの中へ戻ろうとする。
唐突な事態の急変。これによりアングは、肩の力がスッと抜けてしまう。
振り返って呼び止める。
「いや、まだ肝心の部分が――」
「後の楽しみとしてとっておくわね?」
あまりにもタイミングが悪い。アングは口内で息を鳴らし、無造作に首を横に振った。
そうこうしている間に彼女はスタスタと進んでいく。アングは早足で追う。
懸念していた手荷物検査は滞りなく済んだ。
ポケットにしまっていたスマートフォンだけは手に取って見られたが、何かの指摘はされず、すぐに返却された。
検問を通過して角を曲がると、奥へと長く伸びる廊下がお目見えとなる。
既にサミットは始まっているため、人は誰も見当たらない。妙な緊張感を保ちながらメーナの背中を追う。
特に何も起こらず、突き当りの大きな扉をメーナが押す。
腹の底まで響くようだった。
吹奏楽器や弦楽器。それらが織りなす重奏が押し寄せる。
中は既に薄暗闇となっており、ステージ上のライトのみが華々しく灯る。
来場者用の席はすり鉢状に段差となって連なり、地下と直結した構造となっていた。
「途中からでも聞けて嬉しいわ」
彼女が小声で述べたのは、今まさに演奏の真っ只中であるオーケストラに対してだ。
曲のクライマックスと思われる。渦となった音圧が激しく空気を揺らし、聞く者を圧倒させる。
中央では、テレビか何かで見たことのある指揮者が、汗を撒き散らしながら激しくタクトを振るっている。
……寒気がした。
思えば、フェニックス・フィールドでの惨劇も、この演奏の後であった。
偶然の一致だろうとすぐに気は楽になったが、胸の奥でしこりとして残り続ける。
そもそもサミットの場で、こういった催しはよくあることなのだろうか。
不信感を募らせるなか、先導していたメーナによってだ。
急に手を掴まれた。
「ほら、こっち」
そのまま強引に引かれる。会議場の最後列、その右角まで向かう。
通路となる階段以外は、長机と座席がそれぞれ繋がっている、キャンパスなどでよく見られる仕様。
しかし、アング達が辿り着いたそこだけは違った。
他の硬そうな座席とは違い、クッション性のある弾力が敷かれた専用の椅子二つ。ドリンクホルダーまで完備されている。
テーブルはというと、水たまりのような曲線を描いたスケルトン素材。こちらも、木製の茶色のみで統一された他のテーブルとは違う。
しかも、左と前列には誰もいない。大きく距離を離されている。
他者とは隔絶された、まさに二人の為だけの席と言えよう。
呆気にとられているアングとは対照的に、メーナは何の抵抗もなく壁側の席へ座る。
彼女はこちらを見上げた。
「立ったまま聞いてるつもり?」
確かに悪目立ちする。それは避けたいため、言われたとおり渋々と隣の席へ腰を下ろす。
メーナは落ち着いた表情のまま、ステージ上へと視線を向かわせる。
彼女に合わせ、アングも演奏の様子を拝見。
音に乱れがない。息継ぎから音量まで、全てが計算し尽くされたかのような凄み。
スタジアムの時は距離が遠かったゆえになんとも思わなかったのだが、今回は圧倒される。
何より、この演奏を一緒に聞いているのが、彼女であるということ。
それがどうしようもなく、今という時間を特別にさせていた。
するとメーナが、演奏の迷惑にならない、絶妙な声量で話し始める。
「実はね。私も、アング君に聞こうと思ってたことがあるの」
また何かからかってくるのか。
そんな風に思っていた自分に、突きつけられる。
「みんなが気になっているレッド・アーマードの正体。あれ、アング君でしょ」
息が止まる。
音が消えたような。世界が凍りついたかのような。
それだけの衝撃をアングに与えた。
「な……」
対応できない。
自ら伝えようとしていたことではある。それを彼女から言われただけでしかない。
いや、違う。
彼女から、確信を持ったように言われたことが問題だった。
「何で……そう、思うん、だ」
声の震えが止まらない。動揺を抑えきれない。
対して彼女は、人差し指を立てながら淡々と言葉を並べる。
「明確な証拠はないけど、複数の要素から結びつけてみた。例えば、アング君が持ってた、あの赤いパズルとか」
「メーナ。お前はパズルを解いて、ボタンも押した。それで何か起こったか?」
「私だったからセンサーが反応しなかった」
「こじつけがましい妄想をやめろ!!」
つい吐き散らす。
ゆえに、近い席の来場者が、怪訝な顔でこちらを見ることとなってしまう。
アングはそれに気づき、慌てて歯を噛み締めた。
逆にメーナはというと、優越感に浸るように口角を上げた。
「もし今、こことは全く違う場所でレッド・アーマードが現れたりしたら、間違いなくアング君は白でしょうね」
そのような準備は不可能。現状のレッドは、アング以外の者が装着することはできないとされている。
同じ構造の物体が複数個現存するならばあり得るが、ユージーンからそのような事実は一言も聞いていない。
メーナは、脚の向きを斜めに揃え、続ける。
「マイライズで私を助けてくれたのもそう。何故かは分からないけれど、一連の挙動と、サムさんが殺される瞬間を撮影した、私に対する言動。それらをまとめてみて、私は、レッドの正体がアング君なんじゃないかって連想した」
彼女の読みは当たっている。
しかしだからといって、イエスとは言えない。
「仮に、そうだとしたら……?」
苦し紛れの問いを返しながら、トイレ内でのユージーンの危惧を連想する。
『どっか人気のないところに連れ込まれて暗殺されるかも――』
まさか彼女は、本当に……?
念を入れ、カザミから渡されたカードリーダーに、ポケットの中で触れる。
分からない。どっちだ。
メーナの表情に、陰が差し込んでいるようには見えない。
「タロウ君の配信のせいで悪者扱いされているけど、私は、レッド・アーマードをそんな風には咎められない。絶対に根は良い人だと思ってる」
その言葉が本心なのだとしたら、彼女は善意のみで独白したということになる。
だがそんなことが――。
当然に生じる疑念を分かっていたかのように、メーナはきゅっと微笑む。
「それに、私を守ってくれた騎士様がアング君だとしたら」
そうして小首を傾げ、いつもの調子で言うのだ。
「こんなに嬉しいことってないじゃない?」
世界の音色が元に戻る。
拍手が舞う。
楽団の演奏が終わったからなのだが、それらは、違った意味を含んでいるように聞こえた。
何なのかは分からず、ただ目の前にある紫の瞳と見合う。
彼女の願いを受け入れるか。拒絶するか。
「俺……は……」
カツン、カツン――。
高い足音。それはステージ上から響いた。
アングは、現状から逃避するように横目で見る。
楽団が、各々の楽器を持って去る。
それを横切るのが、黒のヒールを履き、脚を交差させるように歩く高身長の女性だ。
紫の髪色。本来は長髪なのか、後頭部に大きく円状にシニヨンとしてまとめている。
肩を覆うようにマントを羽織い、あらゆる面からただならぬ風格を漂わせる。
彼女は、深々と一礼している指揮者の隣に立つ。
男が顔を上げると、特に目配せするでもなく、入れ替わるように位置が変わった。
彼女はゆっくりと目を閉じ、耳につけているイヤモニに指を当てる。
何やら頷いている様子から、裏方との準備待ちか。
彼女の動きを見続けている最中。
肘掛けに置いていた手が、右から伸びてきた手に重ねられる。
メーナは、より囁くように明かす。
「身内以外の誰にも教えていない秘密なら、私も持ってるわ」
彼女もステージの方を見つめながら。
しかし確かに、アングに向けて告げる。
「メーナ・シンフォニーと名乗っているけど、その姓はあくまで芸名。本当の名前はね、メーナ・マキシロードっていうの」
「マキシ……ロード……」
壇上の女性の吐息が、スピーカーに乗る。
彼女はまず、胸元に手を当て、軽く頭を下げる。
『お招き頂きありがとうございます。政治アナリストとして政財界に助言を行う立場にある、マリウス・マキシロードという者です』
次に、メーナの母である彼女は、会場を訪れた者たちを見回しながら、声を張り上げた。
『私が一番目のプレゼンターに繰り上がったことを疑問に思う方も多いでしょう。しかし今から話すことは、医学という枠組みだけでなく、この世界全体の平和における問題定義。今回のサミットのテーマに非常に適していると、主催者の方々に急遽ご理解いただきました。そのうえで宣言しましょう』
笑みが浮かび上がる。
企みを抱くようなその様は、確かに娘のメーナとよく似ている。
しかし、より野心に満ちているかのように鋭く見えた。
『この世界に蔓延る害虫を、私が駆除すると』




