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激昂のイレギュラー  作者: 亜空獅堂
Phase6:戴冠の序曲――爪痕
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Phase6-5:戴冠の序曲――爪痕

 ナイゲール本社ビルの前を通り過ぎることは頻繁にあったが、ここまで多くの車が停車しては人を降ろしていく光景を見るのは初めてだ。

 珍しいとカザミは思いつつ、ビルとは対面の歩道にて、手鏡を片手に髪のセット作業を装いながら状況を観察していた。

 衣服も着替えている。これより向かうオフィスという環境に合わせ、普段ではあり得ない紺一色のスーツに身を包んだ。

 急いで購入してきた弊害もある。足の裾以外は、普段よりも身体のラインに張り付くようでどこか落ち着かない。暑苦しい。もう家でのシャワーが恋しくなる。


 だが、本当に帰るわけにはいかない。

 ここに妹の真実について記された情報があるかもしれない。無くとも、ナイゲールという会社への疑惑についてだ。



 手が震える。

 完全なる無自覚の現象だった。カザミは慌てて、手首の動脈を強く押さえる。

 目に見えた異変だけではない。鼓動も早い間隔で揺れている。意識するほど加速する。


 一抹の不安があった。

 もし妹の情報を得ることができたとして、それが、自分の望まぬものだったら?

 クローンなのは昨日会った方で、本物のカナはもう……。

 あるいはクローンでもなんでもなく、単なる似た人物。


 光と血の情景が脳裏で反復する。

 どちらへ傾くかの境界線に立っている。

「だいじょうぶだいじょうぶ……。きっとなんとかなる……」

 自分に言い聞かせるように呟く。


 カナの姿を監視カメラの映像で見つけてから、しばらく考えた。

 今後、もっとハッキリとした敵対関係に陥ろうが、妹が生きていることは真実だとしたら?

 自分が奇跡として望んだことそのもの。そして彼女を取り戻す手段など、いくらでもやりようがある。

 ゆえにポジティブに考えることにした。なにより、彼女を取り戻すことは、最大の目標としてきた『復讐』に直接繋がる可能性が高い。

 もう前に進むしかないのだ。


 そのためには、『あちらさん』の到着が済んでから動き出したいのだが……。

「ようやく来たか。安全運転ですこと」

 アングとメーナを乗せているであろう黒塗りのリムジン。会社入口の車寄せで停車し、後部ドアが開く。


 もしパッチとの通話が繋がっていれば、彼はこう指摘してきただろう。


『今の不安定な精神状態を穴埋めスルため、強く言える人物ガ現場に欲シカッタ。ソレを求めてアング・リーに会イに行った。独りだと心細カッタ』


 ツンッと唇を尖らせ、カザミは手鏡をしまう。

「別にそんなことないけどね……。ふんっ」

 囮役に、いざという時の切り札。実に理にかなっているではないか。

 腰に右手を当てながら彼らの降車を待つ。


 アング、メーナの順に降りると、ビル入口の自動扉が開き、黒服の高齢男性が出迎える。

 ここからの距離では、カザミの耳にまで声が届かない。しかし、男性の細い目でアングを見つめる動作から、明らかに怪しまれていると分かる。

 メーナが何も知らせずにここまで連れてきたのだとしたら、この反応は必然……。


 真に驚いたのは、その後のメーナの対応だった。

 アングとは一歩分離れていたが、急にステップするように距離を詰め……。



 彼の腕にしがみつくようにして両手を絡めたのだ。

 更に、豊満な胸元へと引き寄せる。

「ええっ!?」

 一部始終を見ていたカザミが思わず声を上げる。

 食らった本人もたじろぎ、飛び出そうなまでに目を見開き、メーナを見下ろした。


 確かにこうも親しげに振る舞ってしまえば、黒服も通さざるを得ない。しかもこれは同時に、アングへの猛烈アタックにもなる。

 彼は耳まで赤くなってしまった。何を意識しているのか。


「うわぁ。うっっわぁぁ~~~……」

 気味の悪いものを見てしまったようにカザミは顔をしかめる。

 興奮している彼を咎める気はない。どちらかと言えば彼女がやり手だ。

 カザミも、アングと話すために彼の家を訪問し、意味深な関係を装ったことはあった。ただ身体的接触までする気など起きない。

 手段を問わない逞しさという点だけは共感を覚えるが、絶対に友達にはなれないなと思った。

 やがて、そのままの密着状態を保ったまま、二人はビルの中へと消えていった。


 いったい今見たものは何だったのか。たまらず咳払いをする。

 余計な緊張がほぐれただけ良し、と思い込もう。都合よく捉えたカザミは、上着のポケットに入れていたサングラスを取り出し、目元に装着。

 狐面の女としては警察にマークされている。あの仮面を被るような真似は当然しないが、なるべく顔の露出は避ける。

「よし……」

 潜入の時間だ。カザミは、一番近くの横断歩道まで歩みを進めようとする。



 ブルルル、ブルルル――。

 ……ズボンの右ポケットが揺れた。

 バイブレーションが発生した為であり、一気にカザミのやる気を削ぐ。

 揺れが止まらないということはつまり……。


 古代の携帯電話『スマホ』が、着信を受信したということだ。

 早い。あまりにも早すぎる。

 人には見られないようにと忠告したはずだ。カザミはぷるぷると震えながらも、小走りで路地裏へ逃げ込む。

 しゃがみ込み、端末の画面に表示された緑色の受話ボタンを強くタップする。


 耳に当ててすぐに怒鳴り散らかした。

「ちゃんとこっそり使ってるんでしょうね!?」

『当たり前だ、喚くな……!』

 長方形の形状に物理的な画面が付いている物体など、今の時代では、ホログラムを採用していない携帯ゲーム機くらいだ。見つかれば厄介。

 だからこそ細心の注意が必要なのだが、やはりアングはまだロビーにいる。

 彼の声とは別に、多数のざわめきが消え入るように聞こえてくるからだ。


 しばし、二人の間で沈黙が流れる。

 彼は罰が悪そうに息を吐いてから、電話をかけてきた理由を述べた。

『会議場への道はロビーから直通だ。だがその入口で、手作業だが持ち物検査が実施されてる』

「持ち物検査、って……」


 カザミも声を止め、一旦考える。

 企業が主催の、しかも会場が大きいわけでもないサミット。それにしては過剰な警備な気がする。

 いや、著名な人も来席するのなら普通か――?

 社会の常識というものには疎いため、判別できない。


 すると辛抱たまらなくなったのだろう。アングが焦りの声を滲ませる。

『このまま進みでもしたら、レッド・キューブが見つかって――』

「ねえ。人には当たる割に、随分不用意に口走るんだね!?」

 見た目だけならまだルービックキューブだと誤魔化せる可能性はある。彼が電話をかけてまで報告してきた一番の理由であるはずだが、名称を述べるのは良くない。

「で? あたしにどうして欲しいわけ?」

『うっ、ぬぅ……』

 詰まったような唸りが聞こえてきた。


 日に日に彼のことが格好悪く思えてくる。

 だが、このまま無抵抗で行かせてしまうほうが危険。『キューブ状の物体はアーマードである』という通説が広まりつつある上に、赤色なのだ。

「待ってて。そこから動かないでよね!!」

 こちらから通話を切る。

 カザミは立ち上がり、急ぎ、横断歩道の方へと走り出した。





 一方的に会話を切られ、アングの身には増す不安のみが残った。

 会場の入口前に設置された急造の検問。来場者たちのカバンが開けられ、中身を隅々までチェックされている。


 それを認識してすぐ、アングは元来た道を引き返した。

 メーナに怪しまれようとも気にしない。待合エリアで整列する観葉植物に隠れては、スマートフォンを起動。

 自分ではどうすることもできないという不甲斐なさが、胸中を蝕む。


「アング君」

 離れた場所で立ち止まってくれていたメーナだが、遂にこちらへ近づき、様子を窺ってきた。

「そろそろ並びましょう?」

 ロビーはそれなりに広い空間だが、殺風景で何もない。この植物たちと、付近にあるソファ、ガラスのテーブルくらいだ。

 あとは正面の受付カウンターと、入って左手が展示ブース用エレベーターと社員用通路。右に会議場へと続く通路のみ。


 アングは彼女にバレぬよう、古代の端末をパーカー裏のポケットに隠す。

 冷や汗を流しながら急いで振り返る。

「……母親への挨拶はいいのか」

「もう間に合わないわよ。サミットの後に時間を作るって連絡しておいたから」

 つまり、このまま会議場へと入る流れである。

 だが一度入ってしまえば、カザミと接触して、キューブを渡すことが困難となる。



 そもそも、こうも思えてきた。

 わざわざ自分がサミットに参加する必要はあるのか。

 囮役としてならば、このロビー内をうろついているだけでもいいのではないか。


 思い立ってからの行動は、自分でも驚くほどに早かった。

 アングは、提案を持ちかける。

「俺はもう……ここで待っていようと思う」

「参加していないと、お母様に話題を振られた時に答えられないわよ?」

「終わったら内容を教えろよ。それに……」


 やはり一言だけでは説得できない。

 なんとか言い訳を繕おうと後頭部を擦る。

「もうすぐトイレに行きたくなる気がして……」

「また? それともやっぱり乗り物酔い?」

 車内でそんなやり取りもあった。

 アングはすっかり忘れていたが、乗っかることとする。引きつった笑みを浮かべた。

「そ、そう、なんだよな。はは……」

「嘘ね」


 あまりにもあっさりと断言される。

 このやり方は彼女に通用しなかった。するわけがなかった。

「私の発言に合わせようという魂胆が見え見え」

 逆に彼女の眉を狭める格好となってしまう。

 アングは気まずさで俯き、直立の姿勢を崩しながら目を逸らす。


 メーナは少し深く息をついてから、下向きな視線のまま口を開く。

「お母様はサミットでのスピーチを、私と、私が大切だと思う人にも聞いて欲しいと言っていたから」

 それは、演技ではない。

 心からの願いとして述べているように聞こえた。

 アングはすぐには答えない。流されないよう、わざとよそ見をする。


 この一週間、自分の周りの人間との接触を避けてきた。彼らを危険に巻き込まないようにだ。

 にも関わらず、メーナの強引さと、カザミとの利害一致。これらをいいことにホイホイとついて来てしまった。

 そもそも、マイライズでメーナを巻き込んだのも自分のせいだった。


 だというのに彼女は、自分を求めてくれている。

 レッドの正体が誰なのか知らないせいだ。

 全て、自分が招いた流れである。



「……話がある」

 こんなにも自分を信頼してくれている。それに甘えてはいけない。

 ケジメをつけなければ。

「誰かに聞かれたくない。人の流れが落ち着いてから、外で話さないか?」

 仮に拒絶されようとも、それが、彼女の身の安全を保障することになる。離れる口実になる。


 宣言を聞いたメーナは、目を丸くする。

 少し顔を赤くしつつも、アングのようにたじろいだりはしない。

 むしろ嬉しそうに頬をほころばせた。

「じゃあ、お母様が登壇する時だけ、中に入って聞きましょう」

 アングの脈拍が激しく動く。

 彼女の期待を裏切ることとなるかもしれない。だがこれでいいのだ。そう自分に言い聞かせることで心を落ち着かせようとする。


「……あら?」

 ふとメーナが、ビル出入口の方を見て声を上げた。

 アングも気になり、そちらを見る。


 思わず顎が外れかかった。

「タロウ……!?」

 つい彼の名を呼んでしまい、黒フレーム眼鏡をかけた彼はこちらへと振り向いた。

 アングは観葉植物の陰に隠れる。なんとか気づかれずに済んだ。


 彼の存在に気づいたものの、妙だと感じた。葉の隙間から覗き込む。

 タロウの格好自体はいつものラフな私服だが、同じく、特に正装しているわけではない大人に囲まれているのだ。

 その殆どが、高そうなカメラを首から下げたり、両手で持ったりしている。

「あいつ、何をしにここへ……」

 メーナは腰の後ろで手を組み、アングのソワソワした挙動を見つめる。

 すると、いったい何を思ったのか。


 彼女一人で、タロウを含んだ集団の方へ歩いていった。

「なっ!? おい……!」

 息混じりの声で制止するも、止まらず。


 やがてタロウが、その接近に気づく。

 短髪すら逆立つような勢いで跳び上がった。

「どえええ!? メメ、メーナちゃん……?」

「ハーイ。あなたは確かアング君の……」

 しかし、超が付くほどの有名人であるメーナだ。

 親しげに手を振っての彼女の来訪に、周りの大人たちは自慢のレンズを向けては、フラッシュの嵐を浴びせた。


 メーナは平然と右手を挙げる。

「あっ。プライベートですので、撮影は控えてくださらない?」

 要望を無視すれば、法律上の問題に関わる。大人たちはすごすごとカメラを下ろした。


 それをいいことに彼女は、ぐいっと前傾姿勢になり、タロウへ顔を寄せる。

「そうそう、タロウ・サキヤマ君よね? こんなところで何してるの?」

 対してタロウは顔を赤くし、どぎまぎと一歩下がってしまう。


 遠くから見ていたアングは、メーナの小悪魔のような動きに対して、少し複雑な気分になった。

「(誰に対してもああなのか……?)」

 胸中に湧き上がった疑念。しかし過剰な先入観だと自戒し、首を横に振る。

 タロウは何か喋っているが、あまりにもボソボソ声すぎて聞き取れない。もっとよく声を聞き取ろうと、パーカーのフードで顔を隠しながら前のめりになってみる。


 すると、アングの尻に何かがぶつかった。

 僅かな弾力によって更に押しつけられる。

「あっ、ごめんなさい……」

 女性の声がして、その顔を見てみようと背筋を戻し、振り向いた。

 紺色のパンツスーツという正装。しかし左側にだけ跳ねた髪の結びや、アンバランスな後ろ髪の長さからは、相応のこだわりが見られる。


 サングラスとマスクで顔を隠しているが……間違いなくカザミであった。

 思わず声を出しそうになる。いつの間にか彼女がいたからというだけではない。

 文字通り背中合わせという状況。偶然を装っての密着だろうが、アングには刺激が強すぎる。


 当の彼女は、全く気にしていなさそうだ。

 ちょうど二人の身体の間へ手を出し、人差し指から薬指をクイックイッと折り曲げてみせた。

 アングはそのジェスチャーを、しばし、唇を湿らせながら見つめる。

「君が呼んだんでしょ……! ほら、キューブ!」

「あ、ああ……」


 荷物検査で起きる最悪の想定は共通認識である。一旦彼女に回収してもらう。

 懐からレッド・キューブを取り出した、その時だ。

『なんだと!? ダメだアング!!』

 脳に、ユージーンの大声が響いた。

 この赤い四角を差し出せば、彼との接続も一時的に絶たれるだろう。

『奇襲をかけられたら丸腰なんだぞ!! この間に攻められたらどうする!』

 その危惧はアングも考えた。だがかといって、レッド・キューブを警備員へ差し出すのはリスクがある。


 しかも、カザミの準備が良かった。

 懐から取り出した、薄い長方形の物体をアングの手にそっと渡す。

「代わりにこれ。電ノコカードリーダー。中央のボタンを押したらエグいのが飛び出すから」

 聞いただけで身の毛がよだつ代物だ。恐る恐るポケットの中へしまう。


 荷物検査に関して、アングにはもう一つ不安があった。スマートフォンを取り出して彼女に見せる。

「この古い電話は」

「言われてもゲーム機だって押し通して! 連絡できないのは致命的! そっちの音ずっと聞きたいから、会場に入ったら通話かけてよ」

「プライバシーの侵害だ……!」

「何かあった時、助けに行ってあげられないでしょ……! 次に合流したらレッドは返すから!」


 互いに背中をくっつけ、後ろを見ながら。小声でという異様な会話ゆえか。

 荷物検査の列に並ぶ、長いコートを着た美形の男性がこちらを見ていた。

「も……もう離れろ……!」

 これ以上は他の人間からも怪しまれる。ゆえにカザミを突っぱねる。


 彼女はムスッ……と唇を尖らせ、顔を背けた。

 知らぬ存ぜぬを装うためだろう。わざわざガラス張りの壁に沿い、建物内を見回すような動きで離れていく。

 ユージーンの耳障りな声も聞こえなくなった。


「外に何かあるの?」

 入れ違いのようにメーナが近づいてくる。

「いや。……タロウは?」

「サミットに参加するわけでも、展示会を見に来たわけでもないみたい。配信がきっかけで雑誌社から連絡が来て、ウチのホープにならないかって」


 間違いなく、レッドがゴードンを追求する、あの生配信のことだ。

 裏の当事者であるアングは、不服に顔を歪める。

「調子に乗ってるな……」

 紙を使ってのメディアなど今の時代では寂れているが、報道の基礎を作ったという歴史もある。少しは興味があるのだろう。

「著名な方々も多く集まるから、スクープを狙ってだと思うわ。まあそれはそれとして……」


 するとメーナは、先ほどタロウにやったものよりも、更にあざとくだ。

 覗き込むように顔を近づけてきた。

「少しは役に立ったかしら」


 実際、今タロウと出くわしても、何を話せばいいのか分からなかった。乗り切れたのは彼女の功績。

「あ、ああ。まあ……」

 しかしアングは、恥ずかしさから、曖昧な礼しか言えない。

 だというのに彼女は、白い歯を見せて笑んだ。


 この少女、まさか単に男をからかうのが好きなだけなのでは。

 彼女とどう向き合えばいいのか、改めて悩み始める。

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