Phase5-3:碧く滲む、置き去りの影
半眼と、固く結ばれた不機嫌な唇。
カザミの表情から離れぬまま、三十分以上が経過した。
それを阻止するかの如く、上から伸びてきた小さな手により、頬を左右にむにぃと引っ張られる。
カザミが肩車で楽しませていた女の子、ココ・ミルブリスに何度も同じようにされる。
「おねーちゃん、なにかあったのー?」
視線も変えずにカザミは低く述べる。
「さっきいけ好かない奴らに出くわしたり、まるであたしが意気地なしみたいに言われたりねッ。あたしは常に自信に満ち溢れてるってぇの!」
「こらココ! お姉ちゃんになんてことしてるんだい!」
彼女の母親が、キッチンから、オレンジジュース二つをトレイに載せて持ってきた。
この場所はミルブリス家のリビング。木製の家具で統一された、清潔感溢れる室内だ。
ミルブリス家とカザミに関係性が生まれたのは、約一週間前に遡る。
植物型の強化イレギュラーと対峙した際、その状況を撮影するために屯していた彼女らを避難させるため、カザミは共に逃げた。
自分の戦う姿が世間に見られたら面倒だという理由で、ココに写真を消すよう要求した。
しかし、彼女はこう返したのだ。
「カクサンされたくなかったら、あそんでー」
この巧みな交渉に応じるしかなかったカザミは、今日が三度目の訪問である。
ココの母親がしゃがみ、ジュースの入ったコップをローテーブルに置く。
「でも自信がなけりゃ、あんな気色悪い化け物と戦えないだろう?」
肩の上のココが、満面の笑みで全身を揺らす。
「つよくてかっこいい! ヒーロー!」
「まあ、適当にあしらって、逃げただけですけどね」
更に彼女は前のめりになり、カザミの表情を上から覗き込んでくる。
「ケーサツからも逃げられるよ」
鋭すぎる指摘に、苦笑いを浮かべざるを得ない。
「ココちゃんは傷口を抉るのが上手いなぁ」
ゴードン失踪事件の最中、彼をどうにか連れて行こうとしてしたがために、警察に存在を目撃された。レッドやゴードンほどではないが、テレビやネット記事で報じられることとなった。
いずれも狐面が前提かつ、ぼやけた写真であったために、すぐさま追い詰められるようなことはないだろう。
この一家に関しては、あの時助けてくれた恩もあるということで、今のところは好意的に受け入れてくれている。
「ちゃんと話せば分かってくれるんじゃないかい?」
「あいつらは点数稼ぎ重視で、真実なんてどうでもいいんですよ。適当な組織なんですー!」
うりゃー、と勢い任せにココを持ち上げる。
ココは両腕を広げてはしゃいでくれた。
笑顔の裏で、重い懸念は反響している。
今は目撃情報を求めている段階だが、もし狐面の女に、懸賞金がかけられることになったら?
この世界における人々の『単純な感情』から察して、優しい家族だろうと簡単に裏切ってくるだろう。
ゆえに警戒は怠らない。ただ考えていて、心に苦みが過ぎるようだった。
完全に他者を信じきれないという事実により、今の自分が如何に欠落しているかを、マジマジと思い知らされる。
すると、点いたままのテレビから聞こえてきた、特集が耳に入った。
レッド・アーマードが、ワシントン内のとある施設に侵入したことのニュースについて……。
だったが、速報が出たとして切り替わった。
フェニックス・フィールドでのテロ事件について、一週間と少しという長い期間を経て、ようやく死亡者の詳細が出たとのことだ。
カザミは、ココを膝の上に乗せるかたちで、傍らのソファに腰を下ろす。
『こちらが死亡者の名前一覧です』
画面下の半分に、白い文字が、横スクロールの見えない速度で駆け抜けていく。
『ちょっと速くないですか? 見つけられるといいですね』
『いちおうアルファベット順です』
千四百人以上の名前を一斉に報じるには、これが一番手っ取り早い手段なのだろう。
消費されていく名前はとてつもない規模の数だ。思わぬところで余波が出ていてもおかしくはない。
「ココちゃんの知り合いは、このテロ……」
つい聞いてしまう。
ココは質問の意味を察し、躊躇わずに答えてくれた。
「クラスメートの男子がしんじゃった」
カザミの息が震える。
考えられるうえで最悪の関連。問いかけた自分に対する苛立ちのようなものを覚え、少し唇を噛んだ。
ココの頭を撫でる。
「寂しいね」
「ううん。しゃべったことなかったから別にー」
感覚のズレから、思わず気の抜けた声が漏れそうになる。
「そ、そっか」
これはこの世界の住人にとっては自然な感覚だ。変に追求してはいけないのだ。
すると、ローテーブルで頬杖をついていたココの母親が、二人の様子をニヤけ顔で見てきた。
「ココ、アタシより懐いてるんじゃないか? いっそホントに我が家の長女にならないかい? なーんてな、はは!」
思わず、唇を僅かに開いた。
突然現れた自分のことを歓迎し、このような冗談まで言ってくれる。その温かさが染み渡る。
ただ、それに同調することは、脳裏から一生消えることのない影に対する、裏切りとなってしまう。
カザミはどうにか笑みを繕う。
「ごめんなさい、それは……」
すると、幸いにも、この話題を断ち切るようなタイミングだった。
ココの父親が、家の出入り口から入ってきたのだ。
カザミは安堵しつつ、彼に声をかける。
「あ。お邪魔してます」
「ああ、うん」
とにかく人当たりの良い、優しい父親だが、今日は返事が素っ気ない。
すぐさま彼は、ココの母親の方を向く。
「ママ、やっぱり今日もいるよ。遊具の中に」
「ええ? まーじかよ」
母親の方は、頭を抱えて天井を仰いだ。かなり大きめの反応だ。
気にするなというほうが無理がある。
「どうしたんですか?」
「いや、近くの公園でなんだけどね。多分男性で、ここ二日間……いや、もしかしたらもっと前にいたのかも? 不審者が屯してて」
心に、黒いモヤが侵食してくる。
不可解だ。自分が訪れた場所に都合よく、そんな人物が現れるなど。
まさか、私を狙って――?
偶然でもなんでもなく、その可能性が高いとカザミの勘が告げた。
膝の上のココを横に座らせ、カザミは立ち上がる。
「あの。あたしがガツンと言ってきてあげましょうか?」
*
赤の力を手にした彼が悩んでいたことが、現実となって出てきたかのようだ。
戦うことで、周囲の人々に危害が及ぶ……。今のカザミにそんな対象はいないと思っていたが、こうしてできてしまった。
本当に何らかの組織の刺客だとしたら、関わった時間の浅い者だろうが関係ないということか。
「ほら、あそこ……。なんか、常に誰かと話してるみたいで妙なんですよ」
ココの父親と共に、彼らの家の傍にある公園までやってきた。
彼が指差す先にあるのは、赤い山なりの形をしたプラスチック製の遊具。中心の空洞には、人が座って入れるだけのスペースがある。
細目で見ると、確かに人影らしきものが一つ、身を隠しているように見える。
「通話相手がいるんじゃなくて?」
「だとしても、充電が持たないと思うんですよね」
そんなに長い時間、言葉を発しているのか。
カザミは不審を募らせつつ、ジャケットのポケットに両手を入れながら遊具へと近づいていく。
もし話が通じなさそうな相手ならば、処理も必要になるかもしれない。カザミは鋭い刃のように気を張る。
「ストレスっていうんだってなあ? それで集中力が切れてたからだ! 同じようにできると思うな!!」
耳を澄まさずとも分かる、大声量が聞こえてきた。
しかもこの声の唸った様子は、明らかにイレギュラー。
「今度また高いレストランに行こうものなら、あの世に行っても後悔することになるぞ」
ただ、一体何の話をしているのか。
殺意の高い言葉選びとは裏腹に、気の抜けた単語も見え隠れしている。
カザミは前のめりになり、いまだこちらの存在に気づかない男の横顔を直視する。
赤黒い髪色。一部分だけ束となって存在する白髪。
「具体的に? 偉そうに言えた立場――!」
彼は、近づいてきた影にようやく気づき……。
お互いに、だ。
ひん剥いた目同士がぶつかり合うこととなった。
半仲違いのような状態にあった人物、アング・リーが、何故か不審者として目の前にいる。
つい今まで饒舌だった彼だが、完全に言葉を失っている。
「何してんのここで……」
心の底からの疑問を投げかけるが、彼は頬を赤らめて気まずそうに顔を背けた。
カザミは自身の顔に手を当て、溜息をつく。
実際カザミは、一度彼の状態を気にかけ、フルーレ邸や学校を見に行った。それらで彼の存在は確認できず、どこに潜んでいるのかいずれは見つけ出さねばとは思っていた。
それが、このような形でとは予想だにしていなかったが。
「もうちょっと会わない予定でいたんだけど……」
「会いに来たのはお前のほうだ」
「ホームレスなら溜まり場がいくらでもあるでしょうが……。近隣の人たちに迷惑」
「じゃあその溜まり場は安心安全な存在か? そうじゃないだろ」
「スポットが一つ増えることが問題だって言ってるの! ここは綺麗さが売りな住宅街なんだし」
何がおかしいのか。カザミの発言に対し、アングは鼻で笑った。
「犯罪行為を何も働かない、人格者の言葉ならまともに聞いてやる」
「うっ」
実際、そう言われると苦しいものがある。この後のスケジュールにも関わってくることだからだ。
しかし、先ほどの罵倒の数々……。
あれを長時間、一人で言い続けているのだとしたら、怪しまれてもおかしくはない。精神状態に問題があるのか。
カザミは、ここら一帯の住民たちに心底同情した。
折角なのでと、カザミは話題を切り出す。
「さっきテレビでも流れてたけど、中央のサーバー管理センターに侵入したって話……」
その施設は主に、ワシントン及びその他周辺地域のID認証を管理する施設だ。
インターネットの二段階認証や決済システム、そして警察の逆探知システムも同様にこのサーバーを通過してから実行される。
そこにレッド・アーマードが侵入したと、監視カメラの映像付きで報じられていた。
「見た感じ収穫は無さそうよね。いったい何が目的だったわけ?」
「お前には関係ない」
「あーそうですか。別に仲間ってわけじゃないですからね、あたしは」
最初は適当に受け流すだけで済ませようと思ったが、真っ先に繰り出された拒絶の態度が気に入らない。
ゆえに、偉そうな彼の心持ちを引っ掻いてやりたくなった。
「いっそあの施設を破壊してたら、一時的にだけど警察のセキュリティはグレードダウンして、ダンさんのPCからも容易にアクセスできたのに」
目を見開いたのが何よりの証拠である。
彼はそこまで考えていなかった。どこからアクセスしたのかが発覚することが問題であるならば、そのシステムを断ち切ってしまえばいい。
もっとも、パスワードと職員番号の両方が分かっていないのであれば、その行動も無駄に終わるが。
アングは無言で振り向き、カザミを睨んだ。
「あっ。知らなかった? 今やったって無意味なタイミングだけど、君は暴れ回るだけで頭使わないもんね~」
クスクスと笑っていくうちに、彼の顔中に深いシワが寄っていく。
ぷいっと正面へ向き直ってしまった。
カザミの視点からは、彼の横顔が見える状態だ。
この角度だからか、より鮮明に気づけた。
唇の血色が、以前見た時よりも明らかに悪い。白ずんでいる。
滑舌や身体の動きから察して、すぐには衰弱死を迎えないだろうが、このままの状態が続けば……。
「ちゃんと三食食べてるの?」
「朝に食べれば十分だ」
カザミは大きくため息をついた。
働かぬ学生の手持ち金などたかが知れている。地図アプリで、周囲に何か店がないか探す。
ドラッグストアを見つけたため、カザミはすぐにそこへ足を運んだ。
これでいいかと適当に選んだ冷凍のコーンドッグ。ソーセージにトウモロコシの粉をたっぷりまぶし、油で揚げた一品。
これを、店に備え付けの電子レンジで温める。
アングの拠点へと持ち帰り、彼に差し出した。
「はい」
彼はしばし、湯気の立ち込める茶色い衣を見つめる。
また顔をそむけた。
「いらない」
一瞬真顔になったカザミだが、すぐにふふんと後ろ髪を撫で下ろす。
「心配しなくても大丈夫。これあたしの奢りだから。後で返さなくてもいいよ?」
「誰が買ってきてくれって頼んだ?」
ぷちっ。
平静を装っていたはずの彼女の脳裏で、何かが切れた。
そこからはメラメラと燃え上がる……衝動である。
屈んで遊具の中に入り込み、彼の身体を強引に捻らせる。
棒状の衣を口内へ突っ込ませた。
「ごぶっ!? ぶうううぅッ!!」
「女の子が親切してるんでしょうが! ちょっとは受け入れなさいよ、おバカ!!」
「どど、どうしたの、カザミちゃん。揉めてるみたいだけど」
ココの父親が、遊具の外から心配そうに様子を見に来た。
カザミはハッと我に返る。
とにかくこの薄情者に食わせてやる、という意地が前面に出過ぎた。コーンドッグから手を離して両手を上げる。
少し顔が熱くなる。目を瞑り、咳払いしてから、声に落ち着きを取り戻させる。
「移動しないのなら、夜にあたしが何かしら持ってきてあげる。ココちゃん達には、別に悪い奴じゃないって話しとくから。いいよね?」
アングは、突っ込まれた食べ物をモゴモゴと動かし、少し面積を減らす。
一度飲み込んでから、木の棒を摘んで口から抜いた。
「とんだお節介焼きだな」
「んな……!?」
お節介焼き。ピクピク。
一番言われたくない言葉だ。額に血管が浮き出かける。
カザミは、肩を前に出して怒鳴った。
「あー言えばこー言う……! ほんっと君と話してるとイライラする!!」
すると彼は、遂に座る体勢をやめ、不貞寝の状態となった。
カザミの苛立ちが臨界点を越えようとしている。君の健康を想ってやったのに、お節介ですって……!?
親切心は対抗心に代わり、どうしてやろうかと歯ぎしりを立てた。
こうなればとカザミは動き出し……。
また同じドラッグストアへ向かった。
目についた、好きな味だけども買い控えている商品を、手当たり次第カゴに放り込む。
そうして持ち帰った商品を、彼の背後で盛大にぶちまけてやった。
アングは振り返り、流石に目を丸くして仰天した。
菓子パンにあらゆるスナック菓子。バターにジャムに生肉。ささやかな豆の缶詰だけ添えて、偏った栄養であることが丸分かりなラインナップを見せつけた。
彼の目線までしゃがみ、ジト目を浮かべたまま吠えた。
「レッドの装着者として……! 君に死なれちゃ困るの! ただそれだけッ!!」
立ち上がって背を向け、耳元の蚊を振り払うかの如く二度手を振ってみせた。
「ぶくぶくに太っちゃえ! バーカ!!」
ぷんすか去ろうとするが、ふと気になることが脳裏に浮かび、立ち止まる。
再び彼を見下ろした。
背を向けている彼の身体の傍に、脂ぎったツヤがこびりついた木の棒が、ちょこんと置かれている。
口ではああ言っておきながら、しっかりと……。
食いかけの物をそこらに捨てるよりはマシだと思い、カザミは、少しの温情を与えることにした。
「メーナちゃん、君から返事がなくって心配してたよ」
少し、彼の身体がピクリと動いた気がした。
彼とも関わりの深い人物。気にならないはずがない。
また深く内にこもるように、彼はその身を丸めた。
「俺とは関わらないほうがいい」
想定していた通りの返答だったため、カザミは特に何も感じなかった。
しかし、曇った空を見上げて思う。
聞けば否定から入る。気取った口調で物を言う。
――こんなののどこがいいんだか。
……いや。イレギュラーになったから、こんなに捻くれ者になっちゃったのかな――。




