Phase5-1:碧く滲む、置き去りの影
現時刻、十月十六日、日曜。午前六時五十五分。
拷問の執行まで残り九時間を切った。
カナ・ブラウン。
フェニックス・フィールドを襲撃した強化イレギュラーの共犯者である可能性が高く、自ら警察へ投降した、まだ年端もいかない少女。所持していた名刺からその名を割り出した。
結局、当時の動向どころか、言葉一つ発さぬまま、この部屋に入れられてもうすぐ一週間が経過しようとしていた。
睡眠時を除けば、表情もフリーズしたかのように変わらず、いまだ唇が笑みを描いている。
彼女は、中央警察署の一番高い階、十五階にある特別隔離室に入れられている。
全面が防弾仕様のガラス張り。独房というよりは巨大な展示ケースに近く、中には椅子しかない。
彼女がただそこに座る様子を、L字型の狭いフリーエリアから、武装した警察官が交代で監視するという状況。用を足したくなった時にだけ彼女は立ち上がる。
つい先日、女性の警察官が三人がかりで彼女にシャワーを浴びせた。内二人は、反抗できないよう銃を構える役だ。
食事は極めて簡素で、魚肉や果物、野菜をペースト状にしただけの白い粘り気のある流動食。そのスプーン五掬い分だけを、一日に五回食べさせている。
眠たくなった際には、彼女は座りながら俯き、コクリコクリと意識を落とす。
もはや、この状況をくつろぐために使っているような様相だった。
一人の警察官がフリーエリアへと入る。
「早起きだね。今日はどんな良い夢見れたのかな可愛い子ちゃん」
安い言葉に、彼女は視線一つ動かさず、何もない一点を真っ直ぐ見つめる。
シフトに従っての交代だが、彼にはもう一つ、監視以外の役割があった。
手に持っているのは、同じく強靭なガラスの四角い容器に入れられた、これまた青い四角。
彼女が脱ぎ捨てたブルー・キューブだ。
隔離部屋に移送されてから、一日に一度は必ずこの確認作業が行われる。
彼が最初に行った際には、命を落とされるのではと身構えていたが、今となっては手慣れたものだった。コンクリート壁の端にある長い机に、その容器を置く。
すると、すぐに反応があった。
まるで局所的な地震でも起きているかのように、容器の中のキューブが、ガタガタと震え始めたのだ。
普段はルービックキューブと同等の物体として静かに君臨しているが、ひとたび彼女に近づければこうだ。
しかし今日は、いつにも増して激しく、ガラスの面に高い音を打ち付けているように思えた。
振り向き、彼女の位置を確認するが、相変わらず椅子に座ったまま、動く素振りもない。
視線を目の前の物体へと戻す。容器の上部には細いディスプレイが付けられており、十秒の間に何度の振動が発生したか、どれほどの強度かを示してくれる。
その十秒が経過。数値が出た。
前回の記録と見比べていくうちに……。
思わず目を細めた。
やはり強度の数値は上がっている。ここまでは彼の予想通り。
問題だったのは、振動数が、前回と全く同じ数値を叩き出していた点だ。
これはつまり、勢いをつけて無理矢理というわけではなく、平常通りの動きで衝撃だけを強めたということ。
まるで、慣れてきているかのよう……。それとも今までが手加減だったのか。
しかしガラスの硬度も負けてはおらず、未だに打ち破られる気配はないため、安心して見ていられる。表示された数値をデータ上でまとめ、証拠の写真も撮影しておく。
軽く息をついてから、なんとなしに少女がいる隔離室の方を向いてみる。
認識が違う。
立っている。
視界の中心に、鼻の先端が付こうかという距離に。
濁った黄色の、瞳がある。
「うおわああああ!?」
想定せぬ状況に尻もちをついた。
足音を聞いていなかった。いつの間に、という混乱。
しかし彼女は、こちらを見下ろすでもなく、やはり真っ直ぐに。
青の立方体に、虚ろな視線を注いでいた。
*
ジリリリリ!! ピピッ! ビー!!
朝を知らせる個性的なベルが、四方八方から鳴り響く。
それは無意識の警戒。彼女は毛布を額まで被せ、端を両手で握っていた。
右へ手を伸ばす。
手触りだけで、ボタンとスライドレバーの位置を探り、押すのと下げるのを同時に実行する。
一つ目。
左の、ベッドフレームより下へ手を伸ばす。
これはまず手で掴み、胸元まで引き寄せてから、同じ要領で行う。
二つ目。
次に、足の爪先の向こうにある棚へ向けて、両脚を上げた。
寝る時にも着用している銀のブーツ。その爪先のナイフをシャキッと出す。
設置したのは自分だが、後からこうすればいいんだと閃いた。面で叩くようにして振り下ろす。
スライドレバーは後で下ろせばいい。
三つ目、四つ目。
最後に、窓側とは真逆の方向に置いた遠い時計だ。
床に置いておいたワイヤー射出装置のボタンを、足の指で押す。
鉤で引っ掛けた時計を引き寄せ、手元へ。
そうしてカザミは、ようやく上体を起こした。
まだ瞼が重い。指でゴシゴシと目を擦る。
こうでもしなければ、朝の遠のきそうな意識は覚醒しない。あくびをしながら、最後のアラームを解除した。
徐々に、いつもの散々な光景が視界に宿る。
面倒だからとこの寝室に放っておいた、段ボール箱や紙類、使わなくなった家電といった、服以外のあらゆる物体……。
いや、違う。一週間ほど前に急遽この拠点へ人を招いたため、リビングに脱ぎ散らかしたままだった衣服や下着も大慌てでこの部屋へ押し付けたのだ。
その名残が、箱の中から見え隠れしてしまっている。
今日は帰宅したら、あれだけでも片づけておこう――。
決意してからカザミは立ち上がり、洗面所へと向かってさっさと歯磨きを済ませる。
パジャマとその下の物をポイポイと脱ぎ捨て、タイルの床を踏みしめ、鼻歌交じりに目覚めの温水を浴びる。
履いている銀色が水滴を弾く。
朝食は、底の深い皿にシリアルと牛乳を入れれば完成する。
黒のスポーツブラと白ショーツのみという簡易装備を雑に身に着けたまま、カフでネットサーフィンしながら頬張る。
気分が悪くなりそうなトピックは避け、犬のあやし方の動画でも見ておく。
あとは、外へ出る前の準備のみ。
寝室の姿見と対面しながら、左髪に跳ねを意識した結び目を作り、緑のヘアゴムで固定。
首の防具を装着し、白と橙のライダースジャケットを、あえて肩まで通さない程度にだらりと着こなす。
白寄りの灰ジーンズは、ブーツの爪先や金具が入口に引っかかるため、いつも履くのに手こずる。
膝下までの丈であり、なるべく境目の肌が見えないよう気を使ってもいる。
あとはベルトやロープを通し、カザミが常日頃から身に纏う姿となった。
銀のブーツはさておき、橙のラインやへそ出しルックなど、人の目を引きすぎる要点は幾つもあるが、ファッションへのこだわりは譲れない。
出勤時間まではまだ余裕があり過ぎるのだが、今日はもう出ようと、ワイヤー装置を肩に背負って家の出入り口へ。
「それじゃ、バーイ」
『カザミ様! 今週分のメンテナンスの時間デス』
カザミは、うぐっ、と顔を引きつらせた。
別に一日くらいなら……と躊躇していたが、旧式のロボットとはいえ見事な記憶力だ。やはり逃してはくれなかった。
こうなると彼は強情なため、おとなしくカザミは従い、ソファに座って両足を突き出した。
まず膝下の裏に、痛み止めの注射が刺される。
この処置が施されていなければ、メンテナンスという名目であるのに、死のリスクが発生する。
次に、正面上端と、足首裏側に存在するネジを、パッチの細い指が器用に緩める。
このネジは、針と直結しており……。
カザミの体内へ常に侵入している接続端子でもある。
計八本を、なるべくサッと抜き取っていく。
「っ……」
この時点で、骨まで削られるような鋭い衝撃が下半身全体に行き渡り、カザミは片目を閉じることで堪える。
神経接続が絶たれたこのタイミングで、一週間ぶりにブーツが外れる。
足全体に巻かれた、気休め程度の包帯をシュルシュルと巻き取られ……。
直視したくない現実。
紫色の変色。足首と呼ぶには物足りない、アキレス腱を含む後ろ側の肉がV字に抉られた、グロテスクな惨状がお目見えとなった。
カザミのブーツ……正式名称、アルクス・ブーツには、武器として以外にもう一つの役割がある。
失った肉、神経を補うための補助装置だ。針と特殊な伝導液体を用い、強力な電気刺激で強引に筋肉を収縮。
ブーツ内に細かく張り巡らされた人工筋肉と、カザミの体内に残った神経を繋ぐことで、機能している間は脳からの信号伝達も蘇り、脚を動かすことができるようになる。
生じる衝撃は、この銀鉄がなるべくカバーしてくれる仕様となっている。
電気刺激の影響により、本来なら崖のように掬われた欠損部分も、内側を埋めるように再生してはいた。
だが、完全なるものとは程遠い。負傷部分の所々にある斑の火傷痕は、この刺激が原因でもある。
消毒液を噴きかけた綿を使い、パッチが優しく、アキレス腱があったはずの部分を撫でる。
『腐敗の進行度は……許容範囲内。とはいえ、コノ頻度で動イテ、アト二年と持つかドウカ』
分かりきっていることを再三と伝えてくる。
拳を唇にあてがいながら窓の外を眺めていると、パッチが、より露骨に本題を出す。
『ナイゲールから最新鋭の義足ガ発表サレテイマシタガ、見マシタカ?』
「興味ない。っ……」
まず、右足からブーツの再装着が始まった。
カザミは両目をつむった。足首から生じる激痛。
四本の針の侵入が、痛み止めを摂取してもなお伝わる鈍痛として押し寄せる。
例えるならば、ナイフを刺しているその上から金槌で叩かれ、更に炎で焼かれているかのよう。
「くぅっ……! ふ、ぅ……!」
カザミはメンテナンスの度にこの痛みに襲われ、大声を出さまいと、現存の神経全てを高ぶらせている。
痛みのピークが過ぎ去ったところで、パッチの四角い顔面である画面に、笑顔にホロホロ涙な顔文字が映し出される。
『いずれ、全てが終わった後ナラバ、拡張義体部門デノ出場モ果たせるデショウシ』
「だから……今は高跳びのことなんて――あぁぁッ!?」
不意の衝撃。
特に、利き足でない左はより痛みを拾いやすい。カザミは右腕を使い、自分の目元を覆う。
涙を溢れさせないためだ。
「考え……ッ、ぅぅ……られ、ない……ッ!!」
発言に苦しみの色が被さってしまう。
全てのネジが締まり、それでもまだ、筋肉の内部を駆け巡る暴れは治まらない。
ソファに身を預け、どうにか安静まで持っていこうと、少しでも気を紛らわせるために視界を必死に動かす。
伏せている写真立てが目に入る。
少しだけ、思考が止まった。
噛み締めるようにして精神を復帰させた後、パッチの提案に対して、返答とも言い切れない希望的観測を述べる。
「あと二年の間にさ……この脚のまま、元に戻れる技術なんかができたりしたら」
『技術停滞の百年がナケレバ、現実的考察ダッタカモしれませんね』
ロボットには、未来を夢見る純情が伝わらない。深く息をつく。
「ポジティブに考えたほうがいいってこと。分かってるよ」
少しまだ痺れるが、両の脚で感覚を確かめつつ、立ち上がる。
そもそもこの脚は、戦う理由を維持する為の呪いであり、ブーツも大切な人から授かった物。簡単に手放す気はないとカザミは意気込んでいる。
『本日のご予定は?』
「配達行ってー。んぅー! その後にココちゃんのところ」
伸びをしていると、お手伝いロボットが、マニピュレーターの人差し指を立てた。
『ア。バイタル・グリスのリソースが一週間分ヲ切リマシタノデ、ナルベク早くブルー・クーラントの補充ヲ』
バイタル・グリスとは、ブーツに投入する伝導液体の名称。店で売っているわけではなく、パッチが自ら違法な調合で制作する。
ネットショッピングでも買える高濃度電解質溶液をベースとするが、もう一つ、ブルー・クーラントという、ロボットや社会インフラの冷却システムとして用いられる液体も素材とする。
後者はAGEFという会社の独占技術であり、正規の手段で手に入れることはできない。
「たまにはパッチが調達しなよ」
『旧型のロボットに人権は無いと分かっているデショウ』
「今更ー? あたしはこの前の騒動で、顔が割れちゃったかもなんですけどー?」
『割れたのは仮面の上でだけデショウ』
「はぁー。人使いの荒いお手伝いロボット」
溜息をつきつつも洗面所へ向かい、ブルー・クーラントを入れるための赤いバケツを手に取る。
廊下へ戻り、そのモニター状の笑顔な顔文字を見ながら、首を傾げた。
「じゃあご褒美として、今日はちゃんとしたディナー、用意してよね」




