Phase4-9:誰が為の断罪
頭の向きが百八十度曲がった遺体が、鉄製の床に落ちた。
命じられた二つの任務が完了した。
――タロウ・サキヤマを誘導せよ。
不要となったトカゲの尻尾を排除せよ――。
後者に関しては、空港に対して行われたハッキングの痕跡から位置を導き出した。
所在がバレないようにという工夫は為されていたが、無意味である。予め特定されていたレジスタンスの拠点と照らし合わせれば、容易に結びつけることができた。
ワシントン南西部に建つ廃工場……。その暗がりの中にターゲットはいた。
侵入した人物を見るや否や、彼は、喉が渇いたと飲料物を要求してきた。
首を両手で捻れば、全てが事足りた。
雷鳴が照らす。
移送用のトラックが間もなく到着する。
緑の装甲は、ただ静かに、動かなくなった生物を見下ろしていた。
*
もはや車両と変わらぬ速度で駆け抜ける炎の姿を、カザミは、高所から追跡していた。
徐々に距離は突き放されるが、赤く揺らめく残像は上から見ると目立ち、見失うというほどではない。
しかし、彼がいま進んでいるのは、北東のビル街。深夜とはいえ、目撃者も多いだろう。
すると、一点に強い火力が見えた直後。
別の色による変化が生じた。
白だ。
辺り一面を、徐々に濃くなる白い気体が、塗りたくり始めた。
高所からの視界も悪いが、地上では本当に何も見えないだろうという、それほどに濃い霧。
この豪雨と熱気を上手い具合に利用し、蒸発で発生させたか。
代わりに、追跡していた赤の色は、見えなくなっていた。
この霧隠れに紛れて、人に見られにくい場所へ逃げ込んだのだろうとカザミは推理する。
カザミは、被っているお面の縁を触り、熱源探知モードに切り替えた。
霧は水の粒の集合体であるため、熱源探知の能力を鈍らせるが、使わないよりはマシだと判断した。
ただ、遠距離からは乱反射で何も見えなくなる。あえて霧の中に侵入。
電灯のポールに掴まり、辺りを見回すこととする。
……見つけた。
霧の端がかかった路地裏に、明らかに足取りの悪い人物が奥へ向かおうとしている。
カザミはすぐさま飛び降り、一度ワイヤーを使って前へスイング。ちょうど霧から抜け出せるというポイントで着地した。
視線の奥に見えるのは、アング・リーの黒いパーカー。
その後ろ姿で間違いないが、彼から、こちらを見ようという気配は見られない。
「待って!」
ともかく呼びかけてみると、彼の足は止まった。
そこは素直に受け止めるのか。予想できていなかったために困惑しつつ、話題を出す。
「伝えておくけど……ゴードン・ルッツは、逃した」
「そうか」
「状況わかってる? 君の行動が世界中に拡散されて、嘲笑の的になってる」
「当然だ。俺の正体が、イレギュラーだと分かったんだからな」
カザミは仮面の下で、思わず目を見開いた。
「もしかして、わざと……!?」
統括官の裏の顔が暴かれたのはいいことだ。
しかしこの男は、彼に重症を負わせ、殺そうというところまでいった。
いや、殺すだけなら……。
良くはないが、この世界の基準では、強化イレギュラーをけしかけた者への断罪として、正当な行動として受け入れられる。
あのように声を荒げなければ。
わざわざカメラを回させなければ。拷問めいた行動を取らなければ。
湧いては消える仮定を浮かべるも、当の本人は、鼻で笑った。
「気味が悪かったのは今までのほうだ。これで良かったんだ」
聞いている内に、空から落ちてくる雨と、熱を基準にした赤と青の視界に対してもだ。
鬱陶しく思えて、仮面を乱暴に外した。
どこか苦笑いの彼の表情が、鮮明に見えるようになる。
カザミは、皮肉を投げかけた。
「満足してよかったね。おかげで、レジスタンスとか、他の怯えながら暮らしているイレギュラーのみんなが、一斉に排除されかねないくらいには生きづらくなった」
アングの肩が、ピクッと動いた。
彼を追ってまで話したかったのは、この世界に対する身の在り方。どう動くべきかをちゃんと伝えたかったからである。
しかし、鼻で笑ってやりたいのはこちらのほうだ。
全てが承知の上でというのなら、大きく話が変わる。
「そうなることについて考えでもした? してないよね!? 君みたいな危険人物がもっと大勢いるって、思われかねないんだよ!」
「だったら……そう忠告しておくべきだったろう、偉そうに言うなッ!!」
声に怒気は宿り始めたが、アングは一向に顔を向けてこない。
それは逃げだ、とカザミは思った。
もっと彼の気に障りそうなテーマをぶつける。
「友達のタロウ君だっけ? 何で自分からあの子を巻き込んだの?」
彼の身体が僅かに震え、手が開いたり閉じたりを始める。
苦い心境を慮りつつも、カザミは、冷ややかな眼差しのままに言う。
「つい衝動的に……って感じだね。君がやったことは、大勢の人を余計に駆り立てて、今後の被害を増やすだけの迷惑に過ぎない!!」
彼の背がひどく小さく見える。
この程度の罵倒で揺らぐくらいならば、もうやめたほうがいい。
「イレギュラーになったばかりで、正常な判断がつかない状態なのはもちろん分かってる。けど、自己満足のヒーローごっこならやめて!!」
彼の危うさを正すためには、強い言葉が必要だった。
しかし。
この言葉が引き金だと、カザミは思っていなかった。
彼は勢いよく振り向き、血走った目でこちらを睨みつけてきた。
「二度と俺をヒーローと呼ぶなッ!!」
それは、対象を刺さんと言う程に。
誰だろうと容赦しないという鋭さを持った、決死の叫びだった。
彼は、身体もこちらへ向ける。
「レジスタンス連中と知り合いなのなら言ってやれ。お前たちが何も変えられなかった現実を、俺が変えてやる」
最後に、はぐれものの代表としてか。
カザミを指差してきた。
「そこで指を咥えてジッと見ていろとな!!」
――ダメだ。
先ほどの忠告はもう、耳から耳へと通り抜けていったのか。カザミは、自身の唇を軽く噛む。
今の彼とは、どうやっても話の反りが合わない。
だからカザミは、唇を震わせながらも、決して視線を逸らさず。
言葉を発した。
「断る」
拒絶を受けたアングが、軽く目を見開く。
カザミは、ズボンのポケットに両手を突っ込んだ。
初めて彼と会った時のような、どこか相手を舐めるような口調を選ぶ。
「君のことは本当にかわいそうだと思ってたよ。リリアンさんのお世話になったよしみとしてね」
名前に反応して、アングの眉間にシワが寄る。
「でも、それとこれとじゃ、全然話が違う」
一転して、カザミは声色を低くした。
「ビジネスパートナーとしては時々一緒に動いてあげてもいい。けど、もしもあたしにとって、君が何の利益にもならないって判断したら、容赦なく切り捨てる」
雨は激しく落ち続けている。音は気にならない。
同じ師を持った同い年として、常に協力し合える関係になるかもと心のどこかでは思っていた。
その可能性に蓋を閉めるため、冷徹にならんとしているからだ。
「その時まではよろしくね。弟く……」
言いかけ、一度息を呑む。
あえて見下すように、ゆっくりと顎を上げた。
「いいや。アング・リー君」
*
ゴードンが四階の窓から目撃したのは、よく見知った茶色い公用車だった。
この騒動の陰に隠れるように停まり、カチカチッ、と二度フロントライトを明滅。
右ウィンカーにも同様の動きを取り、Uターンで離れていった。
これは、緊急時の際にはと予め決められていた、サインの一つだ。
ゆえにゴードンには、勝算があった。
これまで助けてくれた狐の少女を突き飛ばすという、自己中心的な判断に至らせた。
公用車の乗り手を信じた結果、近くにいたパトカーは爆発し、ウイニングロードが開いた。
あとは、染みる靴裏を気にせず、全ての力を振り絞り、駆けるのみである。
細い道の向こう。
横向きに停車する、公用車の姿が見え始める。
「ひぃ……。ふぅ、ふぅ……!」
もう少し。
肉付きの良い笑みが自然とこぼれる。自分は、この死地を乗り切ったのだ。
運転席の扉が開かれる。
今日もそこにいてくれた。
ゴードンの優秀な秘書である、ジョリント……。彼が出迎えてくれている。
「あぁ……! よかった……。やはり貴様が……」
ゴードンは左腕を大きく広げ、もはやハグすら辞さないという勢いだった。
代わりに銃口を向けられた。
刺さる音と共に、ゴードンの意識は唐突に途絶えた。
*
混濁する頭の重さ。
それに釣られ、目覚めた視界はまだ揺らぎ続ける。
必死に瞼を押し上げていくと、自分の視界が、真横に傾いていることに気がついた。
白く埃っぽいコンクリートの床。それに頬が付着している。
続けて、自分を広く取り囲んでいるのが、黒い金属の線だとも認識する。
鉄格子だ。つまりここは、牢獄。
本来なら闇の空間を、天井からの眩く白い照明が一点に照らし、見世物として仕立て上げている。
その証として、鉄柵の向こうには、人が立っていた。
光の当たり具合のせいか、より一層、蔑むような見下ろしに見える。
自分を救出してくれるはずだった男、ジョリントだ。
そしてゴードンは、現状に気づく。
両の手も、足も、縄で縛られ、動けない。
特に右腕は、レッドに折られたばかりである。現在の無理な体勢から、遅れて痛覚が宿る。
嫌な汗が滲み始める中、これがどういった状況なのか、ゴードンは必死に推理しようとする。
やがて思いついた。
「そ、そうか。ここは秘密の隠れ家か、セーフハウス……! 私にすら場所を悟られぬよう、運んでくれたのだな?」
ジョリントは、顔の筋肉一つ動かさない。
「いやはや確かにな。思わず言葉で漏らしかねないからな。ふふふ……」
笑って紛らわせるという、そんな手段の一つも、彼には何の影響も及ぼさない。何の言葉も発さない。
理不尽。
被害を受けているのはこちらだというのに。遂に痺れを切らす。
ゴードンは声を荒げた。
「やはり罠だったのだな……? この私を、最初から陥れようと――!!」
背後の闇から新たな声。
「では逆に問おう、ゴードン・ルッツ」
低く年季がありながら、大いなる品格をも漂わせる、女性のもの。
ゴードンにとっては、通信越しによく聞いていた声でもあった。
よく見れば、照明の範囲外である、闇の向こう。
薄く輪郭が見える。椅子に脚を組んで座り、優雅にティーカップを口につけ、皿に置く。
まるでゴードンを、特上の一品として味わっているかのように。
「貴殿は『ケイオス』にとっての残滓という立場でありながら、妻であるヨナ・ルッツの現状況を世界中へ言いふらし、あまつさえレッド・アーマードの逃走を許した」
彼女は、食器をサイドテーブルに置くと、女性の中でも長い身長を立ち上がらせた。
「ここまでの失態を犯しておきながら、まだ自分には、責任所在の選択権がある……。本気でそう思っていたのか?」
ヒールが床を叩く、耳触りの良い足音。
しなやかな脚の伸び。シャープな腰つき。それらが近づいてくる。
彼女は、ジョリントのすぐ横である、闇側の境界線。
ちょうど光が顔を照らさない地点で足を止めた。
腹部には金の飾緒。横へと広がる白いネクタイには赤の紋様があり、まるで返り血のように飛び散って見える。
何より首から肩、そして膝付近までを覆う長大なマントだ。
横へと尖りを見せる襟や、黒い表地と紫の裏地の配色が相極まり、威厳と高潔さを醸し出す。
足音の反響が消えるのを待ち、ジョリントは口を開く。
「ご紹介します。彼女こそ、私が真に仕え、覇道を突き進まんとするお方。マリウス・マキシロード様です」
「マリウス・マキシ……」
その名から全てが繋がった。
「まさか……M――!?」
彼女は否定せず、ゴードンに対する追求を続けた。
「貴殿には、特に致命的な失態がある。強化イレギュラーの使用権があるのをいいことに、我がワシントンに建つ、一つの学び舎を襲撃した。結果的に僅か一名の死者に留まったが、もっと多くの被害が出かねない事態だった。これは許し難い蛮行だ」
ゴードン自身も、これは危険な賭けだと自覚していた。
だが、そうした行動に及ばざるを得なくなった原因がどこにあるのか。
ゴードンは喉を絞るようにして言い放つ。
「レッドを手に入れろと……! 唯一の救済の道だと、貴様は……!!」
「そんなものは最初から存在しない」
あっさりと。
彼女が提示したはずの、元の順調な人生を取り戻すための条件は、存在自体を否定された。
「妻という人質を取られた時点で、貴殿が、我々と対等にいられる状況は潰えていたのだ。統括官という肩書を存分に扱える駒でしかなかった」
歯を食い縛る。
普段ならば、悔しさだけで押し留まっていたところだ。
今はどう足掻こうとも、打開の道筋がない。
目尻から水滴が伝った。
絶望の涙と呼ぶにふさわしかった。
「だが良い舞台装置ではあった、ゴードン・ルッツ。今日までの労を称え、貴殿には……」
彼女が、一歩分のみこちらへ近づく。
闇の陰よりも前に。
モニター越しでも見えることがなかったその顔が、ようやくお目見えとなる。
ゴードンは、揺れる瞳で捉えようとする。
その胸中に潜む企みの内容から、彼女もイレギュラーであるという可能性は少なからずあった。
どんな苛立った顔つきを見せているのか、拝んでやりたかった。
しかし、彼女は。
この瞬間までの全てが掌の上だったと、そう言いたげに。
歳不相応と思われるほどの美貌で、ただほくそ笑んでいた。
「最期の花道を設けてやろう」
(つづく)




