Phase4-8:誰が為の断罪
耳鳴りと共に、視界に入る全てが分裂して見えた。
うつ伏せで倒れているために低い視界。人間離れの巨体がゆっくりと近づいてくる。
アングは敗北した。
皮肉にも、自分を育ててくれた親同然の人物に止められたのだ。周囲一帯の地面、壁、電灯など。飛び散った炎による引火が、至る所で目に見えている。
流石にあの爆発。近辺の建物にいた人々は声を上げ、続々と外へと飛び出していく。
完全に倒壊した建物はないというのが不幸中の幸い。
しかし、アング個人の結果としては、最悪であった。
ダンがある程度まで近づき、自身の腰に手を当てながら見下ろす。
『やれやれ。学校でのお前の正義心には、胸震えるものがあったが、イレギュラーとなれば話が変わってしまうのが世の常だな』
そう。
例えどのような善行を積もうが関係ない。イレギュラーだと分かったその時点で、これまでの努力は跡形もなく崩れ去る。
今の境遇も、改心も、誰も真なる部分を見てくれない。見ようともしない。
背後から、パトカーのサイレン音が近づく。水を弾く足音もだ。
「ダン捜査官……ですか?」
『おう、そうだ! 悪いが、その男を連れて行ってくれ。外部から、アーマードの装着を解除する方法は?』
「装着者自身の脳波コントロール……しか知りませんよ。それか、もっと効果的な一撃を与えるか」
話を聞きながら、アングは、ギギッ……と爪を、地面に突き立てた。
終わる。
世界をあるべき姿に戻すための戦いが、こんなところで。
許されないのか。
諦めるしか、ないのか。
友の呼びかける声も、遠くに聞こえる。
消え入りそうな意識に、瞼が勝手に呼応する。
意気込みとは裏腹に、アングの世界が、闇へ落ちた。
*
何も見えない。
生きているという実感も……そこには、まるでない。
「――グ!」
だがゆえに、自分の名を呼ぶその声だけは。
「アング!!」
ハッキリと聞こえた。
アングは目を開く。
正確には、アングの精神だ。
現実と同じくうつ伏せで倒れ込み、黒い水面が波紋を打つ、真っ暗闇な世界。
アングの肩に手を当てていたのは、死んだ時と同じ、胸が血に染まったカウボーイ姿のユージーン。
「……アレを見ろ」
彼はアングが目覚めたのを確認すると、正面へ視線を向けた。
アングも上体を起こし、そちらを見る。
これまでは認識できていなかった。
数え切れないほどの多くの人々が、まばらな列を作ってそこに立っている。
しかし、明らかに異質な外見だ。
全員が不気味な笑顔の仮面を被る……。それは、スタジアムで見た幻覚と同様の状態。
あの時は死体だったのが、今は二つの足で立ち、こちらを一点に見つめる。
首より下には色が無く、魂だけが残った証明として、白い輪郭線のみが残る。
あとは透明。今にも消え入りそうであり、誰も、言葉を発さない。
ただ、最前列の真ん中に立つ人物……。
爪先まで付こうかかという程に大きな、黒のゴシックドレス。
不服だろうにこの格好をさせられた男性は、アングの担任だった、バーンズ・カモフだ。
悪しき存在にその身を弄られ、生徒を襲う怪物として一生を終えた。
彼の命を奪ったのはアングだ。
言葉は無く、表情も読み取れないが、自分の正面に立っている。
やがて、彼らの後方からだ。
炎が立つはずのない黒い水面が燃え始め、こちらにまで伸びてくる。
彼らは、見えない足元でその火柱を直に受けようとも、微動だにせず佇んでいた。
ユージーンは顔を歪め、口を押さえた。
「代弁してやろうとも思ったけど……こいつら、てんでバラバラなことを言ってるぞ」
同じ魂だけの存在として、彼には、言葉を発さずとも理解できるらしい。
ならば十分、という理由にはならなかった。
「教えろ」
これは義務だ。枷だ。
自分には、いま彼らが何を望み、何を訴えようとしているのか、知る必要があった。
ユージーンはしばしこちらを見てから、また彼らを見据える。
小さく息をついた後に述べた。
「逃げろ、殺せ、熱い、まだよ、立て、撃て、終わらせて、やめろ、全部破壊しろ……」
それは、断続的な指令の数々。
方向性は定まっていない。ゴードンという小者には殺意で一致していたが、今は状況が違う。
一つ確かなこと。
彼らには無念がある。
それぞれには別の想いがあり、そして、ここに魂として、在り続けているということは……。
理解し、半開きだった口を閉ざす。
半ば倒れ込んでいたその身を、立ち上がらせる。
同じ目線となった者たちへ、アングは、宣言した。
「勘違いするな。俺は、お前たちの言いなりじゃない。お前たちの為に戦うわけでもない。ただ……」
向けられる視線をまた噛みしめる。
本物の世界は、どこもかしこも偽りだらけ。欠落した感情が常識として溢れる。
ここにいる、苦しみ、死んでいった者たちが本物だ。この手の中にあることが唯一の証明なのだ。
「その感情、俺に使わせろ」
半開きにさせた掌を彼らに向ける。
「居場所を失くしたお前たちに、最期の生き様を与えてやる」
一切の変化がなかった魂たちの身体が、溶ける粘土のように崩れ始めた。
握った手に、放つ言葉に、熱が宿っていく。
「俺はこの世界を燃やし尽くす。例えこの手が血に染まろうとも、世界から忌み嫌われようとも……!」
彼らの姿を看取るよりも早く、水面の炎が、アングの横を通過する。
見開いた瞳が灼熱に照らされる。
「地獄に堕ちようともだッ!!」
*
それは、現実の世界にて不意に現れた。
『ん……?』
異変に気づいたダンが振り向き、壁際を見た。
地面に炎が引火していたことは事実だ。しかし、全く気づいていなかった。
あまりにもよく見知った輪郭。人間……。
倒れているそれを燃やし尽くすかの如く、熱気が舞い上がっていることに。
『しまった……! まさか今の爆発で!』
いま第一に優先すべきは、市民の救助である。慌ててダンが駆け寄る。
アーマードの装甲ならば、火傷せずに触れられるとして、手を伸ばす。
……空を切った。
現実には、炎だけが撫でたということだが、その炎すらも風と同一化するようだった。
ダンは地面を見下ろす。
そこにはもう、何もない。
人はおろか、残りカスすら存在しなかった。
「ダ、ダン捜査官!」
到着した警察官も驚いていたが、それは、消えた重症者に対してではなかった。
パトカーを停めた方とは逆側。細い道の軌道線をまっすぐ見ている。
ダンもそちらを見て……。
思わず、足元が覚束なくなった。
路地の両サイド。
荒廃した細道に、倒れた人型の炎たちが二本の列を作り、彩ってみせていた。
隊列だけ見れば、まるでホテルや博物館の入口を照らす、グランドライトのよう。
しかし、そんな安定した光ではない。
豪雨と強風に煽られ、今にも消え入りそうな姿が、逆に目に焼き付いてしまう。
ゆえに、気づくのが遅れた。
パシャッ、という水たまりを踏みつける音。
ダンが向き直る。
歪なライトに釣られている間に、レッド・アーマードが、猫背の姿勢で立ち上がったのだ。
『レッド……。まさかお前が?』
ダンの問いかけには答えず。
代わりに、彼の装甲に変化が生じる。
マスクガードが下り、牙が剥き出しとなる。
小刻みに震える全身に合わせて、その口から、あらゆる結合部から、炎が湧き出る。
『その挙動は……頷きと見ていいんだなァッ!!』
両拳を突き合わせてから、ダンは、再び彼に一撃をかまそうと走り始める。
しかし、更なる異変。
ダンは足を止め、その新たなる事態を見上げた。
あれは、レッドの僧帽筋あたりからだ。
ボコボコと。
二本、四本と、うねりを見せる炎の折れた束だ。
空まで向かおうかという具合にせり上がっていくそれが、こちらを見下さんと姿を現した。
直後。
ブゥンッ!!
急に根本から折れ曲がり、横に薙ぎ払う勢いでダンへ襲いかかってきた。
ダンは、急所さえ防御できればと、首、心臓部へ手をやる。
炎というものは気体の変容。実体があるとは言い難い。
しかし、この炎の鞭は。
明らかに質量を兼ね備えている。ダンの肉に揺れが伝わる。
装甲に明らかな衝撃を与えた。
接触した部分の炎の中心に見える赤は……刺々しい金属の芯だ。
装甲内部から伸びた炎ということは、自らその一部を分離し、武器として利用しているのか。
それを証明するかの如く、彼は、太腿の突き出た黒い部分を、左手で引っこ抜いた。
装着時と同様に黒の金属が変形。長い棒状かつ、先端には三角の尖り……。
槍だ。
その鋭利な武器全体に、ゴウッ……と炎が纏わりついた。
防御に集中しているダン目掛けて、突きが繰り出される。
だが、それが何だというのか。
旧時代の武器を模し、ただ熱くしただけではないか。
いっそ握り潰してしまおうと考え、ダンは右掌を前へ。
槍先を掴んだ。
あとは握力と少しの捻りのみ。
しかし、すぐに違和感を覚え……。
『ぬぅっ!?』
パッと手を離し、跳び退いた。
受け止めるために使っていた掌を直視する。
貫通していたわけではないが、ウジリウジリとだ。
手の装甲部分に、融解するような感覚が発生した。
そのうえ、ちょうどダンには見えていた。
乗り移った炎が網目のような模様を作り、消えていくのをだ。
レッドの体勢が俯き気味なことに変わりはないが、今度は彼の右手。
その周囲を囲むように、また炎が形成されていく。
ただ拳に炎を纏わせているわけではない。
もっと広く、複雑な形を作ろうとしている。
その歪な輪郭から、ダンは、ある資料写真と、拡散された動画を思い出した。
スタジアムを襲撃した強化イレギュラー。
頭が巨大な銃の形で、引き金は歯の形だった。
まさにそれだ。
向けられる大円の空洞。まるで自らの右手に、それを宿したかのよう。
レッドは、下げていた右手を持ち上げ……。
炎の牙が噛み締めた。
空洞を突き抜け、先ほどよりも二回りは大きい炎弾を発射した。
情報どおりであれば……まずい。
しゃがめば回避はできるが、ダンは即座に走り出し、背後の壁から距離を取る。
着弾したのはまさにその壁であり……瞬間。
ドゴォォォォッ!!
耳が弾け飛びそうな轟音だ。
火炎は増幅。勢いも倍増し、十字型の爆炎を作った。
これにより、建物のレンガはほとんどが剥がれ落ちる。抉り削られる。
ダンの読みは当たっていた。
スタジアムで、強化イレギュラーが多くの人々を亡き者とした攻撃と同じ。
思えば、先ほどの槍や、鞭のような攻撃もそうだ。
同日に出現した植物型のイレギュラー。その目撃情報と一致している。
ゆえにダンの推察は、レッドは倒した強化イレギュラーの能力を奪っている、というところまで到達する。
ならば、あの列を作っている、燃え盛る人々のシルエットは……?
考える間もなく、次なる展開が発生する。
レッドの背後からだ。
ブオオオオオウ!!
パトカーが、車体を大きく反らすほどの急発進。
振り返ってすぐのレッドを、ボンネットの上へと乗り上げさせた。
勇敢だが、これは致命的な打撃とは言えず、レッドは縁にしがみついている状態。
警察官が窓から顔を出し、呼びかける。
「ダン捜査官! 何かまずいです! 逃げましょう!!」
すると、またしてもだ。
レッドの背後から、亡霊が如く次なる炎が発生する。
あれは……頭の無い、馬だ。
炎で象られた馬脚が姿を現し、前脚を上げた。
「うおわあああ!!」
警察官が、声を上げながら飛び出す。
次なる行動を予測するのは容易である。
彼がある程度離れてから、振り上げられた脚は勢いをつけて下ろされ、ボンネットへの一撃となった。
パトカーのメッキは捲れ上がり、エンジンにまで損傷が及ぶ。
大破。
赤黒い炎が雲として上がり、車体も大きく揺れた。
警察官は、間一髪のところで爆風から逃れる。
レッドは手で炎を吸収し、衝撃を和らげていた。
彼が引きつけてくれたおかげで、大きな隙が生まれた。
『レッドォォォォォ!!』
完全に背を向けたレッドへ、ダンが殴りかかろうと跳ぶ。
即座に振り向いたのはレッドであり……。
待ち構えるように、炎の槍を置いていた。
『しまっ……!?』
肩裏のジェットを逆噴射するが、手遅れだ。
右脇付近に槍先が触れた。
たったそれだけの接触で炎は這い上がり、脇から胸元。
そして、そこより上へと辿っていく。
植物型の強化イレギュラーによって殺された二人の一般人。そのうちの一人は、死因が毒による影響だったとされている。
毒の代替として、蝕むような熱……。内側から焼き尽くそうというのか。
殺意の動きとは対照的に、レッドが言葉を発する。
『アーマードを脱げ……!!』
まるで、敵に情けをかけているかのようだった。
先ほどよりも明らかに火力は高く、事実、このままでは致命傷になりかねない。
『解除……。解除だ!!』
脳波で脱衣は可能とされているが、ついダンは声を上げる。
一瞬でダンの身体から装甲が外れ、元のキューブ状に戻った。
しかし、その立方体からは火花と電流が散り……。
銃声のような一発。
衝撃と共に軽く舞い上がり、白い煙を漂わせる始末となった。修理に出さなければ、また装着はできないだろう。
あっという間に形勢を逆転させたレッドだが、先ほどのダメージゆえか、よろめく。
すると、頭の無い馬の炎が、身を沈めた。
レッドは、その背にもたれかかるようにして乗る。
よく見れば、蹄と鞍。その二点だけを、装甲の一部分による転用で固体化させ、必要最低限の存在として成り立たせているのだ。
彼を乗せた炎馬は、燃え上がるパトカーを踏みつけ、疾走。戦線から逃れた。
ダンはいよいよもって、彼のことが全く分からなくなった。
イレギュラーである以上は処罰対象。しかし、この腹の底に生じる違和感は何なのか。
並んでいた炎の亡霊たちは、いつの間にか姿を消していた。
*
「……ああ。そうか。了解した」
耳元に指を当てていたフランが、通話を終えた。
統括官のファーストレディが化け物に変えられていたという、異常時での連絡。ゼオンは、アーマード部隊の派遣に関する連絡でも来たのかと思った。
しかしそれならば、こちらにも言葉の一つはかけるものではないか。
彼は受け取った連絡を呑み込み、直立するだけだった。
すると、二台のパトカーがやってきた。
派遣を要請していた、SAUのアーマード部隊だ。四名の装着者が車から降りる。
統括官がイレギュラーであった以上、彼が命じる制限や認可は、全て存在自体が無意味なものとなる。
ゼオンは、射撃と近接の役割を、それぞれ二名ずつ分け与える。
ゴードンは自ら、彼女の弱点を曝していた。
例え自爆しない強化イレギュラーであろうと、市民の安全を脅かす癌は、警察という立場上、取り除かなければならない。
コンテナの両側面に、電磁警棒を持った二人が回り込む。
その硬い箱の角を狙い、警棒の側面を当てた。
これは、双璧を外すための行動である。雨の中での電気兵器の使用は危険だが、アーマード越しという状況から身の安全は保障されている。
カッターを紙で切るかの如く、高圧の熱で、繋ぎ目を伝って裂いていく。
正面から完全な真後ろまで到達すれば、天井ごと外れてしまうため、計算して半分の位置で下ろす。
切った部分の壁は外れた。
ここまで一点のみだった外気の侵入口は、それにより、側面まで大きく広がることとなった。
「ぐぎゃあああああああああああ!!」
中にいる強化イレギュラーが、突如絶叫する。
ゴードン曰く、外気に触れれば、彼女の身体は塵になるということだった。
彼女を生かすための呼びかけだったのだろうが、逆効果だ。
元に戻る見込みのないファーストレディなど、誰も必要としない。
ただ、そう簡単に葬られるはずもなく、彼女の背から伸びていたタコの触手が蠢き始める。
当然ガード・アーマード達を狙う。驚いた彼らを不意に薙ぎ払う。
そこで射撃部隊が、遠距離から、マシンガンによる発砲を開始。
柔い肌を鉛玉が貫き、背面の鉄壁に、緑色の血が付着する。
「があああああああああああああ!!」
触手は大きく振り上げられるが、それは、苦しみによるものだ。
被弾という物理的被害もあったためだろう。彼女の足先、手先から、肉体が粒状に分離。
空気に呑まれ、飛散し、より根本へと風化が進む。
「あばがああああ、あばがああああああああああ!!」
言葉となっていない叫びを散らし、やがて、喉元まで粒子と化す。
最期は静かだった。
元からそこにいなかったかのように、怪物はこの世から消えた。
ゼオンの隣に立っているハルは、この異様な光景に、口をあんぐりとさせたままだ。
彼女は、運転でゼオン達を運んでくれたが、ここに来てからは何も仕事を果たしていない。
ちょうど、薙ぎ倒された警察官たちが起き上がり、手を取り合っているところだ。
彼女に役割を与えることとする。
「ハル捜査官」
言葉が聞こえていないのかとも思ったが、二度見の後にようやく返答が来た。
「え? 捜査官?」
「このチームに来た以上はそう呼ばせてもらう。中に何が残っているか、見てくるんだ」
「あ、ああ……」
チラッとコンテナの方を見てから、向こうを指差した。
「生き返ったり……しないですよね?」
引きつった笑みを浮かべる彼女に対し、ゼオンは、顎で指示した。
彼女は自身の後頭部を撫でつつ、コンテナの中へ。
鼻を摘んだ。海洋独特の臭いと、血生臭さにやられている。
すると彼女は何かを見つけ、しゃがみ込み、手に取った。
異臭から逃げたいという気持ちもあったのだろうが、走って戻ってきた。
「ゼオン本部長!! こ、これ……!」
それは、彼女の掌の上に載っていた。
緑色の液体がへばりついていることから、あの怪物の体内から出てきたのだと誰にでも推理できる。
アーマードの物と同じく、ルービックキューブのようにそれぞれの四角が凝縮された存在。
中央のみが銀に輝く、茶色のキューブだ。




