二十皿目・後編『ミレたん、歴史は紡がれる』
「ふぅ……疲れた」
現場を見て回り、執務室へ戻ってきたヴァルグレアは、扉の前で足を止める。
部屋は──元通りになっていた。
叩き割ったはずの机は跡形もなく、新しいものが据えられている。 散乱していた書類も整然と積み上げられ、まるで何事もなかったかのような光景だった。
「お帰りなさいませ、ヴァルグレア様」
振り返ると、お付きのメイドが一礼する。
「……ああ」
短く返し、椅子へと腰を落とす。
背を預け、天井を見上げる。 そのまま目を閉じると、今日一日の出来事が、押し寄せるように脳裏を巡った。
(久しぶりに……波乱な一日だったな……)
神竜。 焉龍。 創世。
一日に受け止めるには、あまりにも重すぎる情報だった。 思考が追いつかない。理解が、追いつかない。
沈みかけた意識の中で──ひとつ、引っかかる言葉が浮かぶ。
(……あの女)
ミレア・ノワール。
(私を“童”呼びしていたな……)
あの時は、ただの無礼だと思っていた。
『わたしが、こんな童如きに、なびくわけないでしょ?』
声が、はっきりと蘇る。
(……舐められている、とばかり思っていたが)
ゆっくりと、息を吐く。
(違うな)
あれは侮蔑ではない。
(“そう見えていた”だけか)
童。
年齢ではない。 在り方だ。
(理想だけを掲げ、その先を見ていない……)
思考が、静かに繋がる。
(子供と、同じか)
自嘲が、喉の奥で滲む。
さらに別の言葉が浮かぶ。
『こんなつまらない国で、何を揃えても価値なんてありはしないわ』
(……つまらない国、か)
目を閉じたまま、思考を巡らせる。
竜王国の収入は、ほぼ鉱山資源に依存している。 他国へ流し、それで成り立つ構造。
特産と呼べるものは乏しい。 せいぜい、チーズの生産が盛んな村がある程度。
(あの村も……)
思い出す。
バジルグロンド出現時、その正体が不明だった為に救援を出さなかった村。
結果として──納品優先度を下げると申し立てられた。
(当然の主張だ)
守らなかったのは、自分だ。
あの村は、国に頼らず冒険者ギルドへ依頼を出した。
(……そして)
報告があった。
調査に向かった冒険者たち。 バジルグロンドと接敵し、全滅を覚悟したと。
だが──
(“謎の配達員”が、討伐した)
そこで──思考が、止まる。
点が、線になる。
「っ……」
瞳が開く。
「ちっ……」
舌打ちが漏れる。
「あの女で間違いないな……」
ミレア・ノワール。
(そういうことか……)
礐壑の言葉が蘇る。
──民の王であるな
──国の王であれ
(内を見ろ……か)
ゆっくりと拳を握る。
王都の外。 領内の村であろうと。
(すべて“国”だ)
そこに住む者は、すべて守るべき民。
(それを……私は見ていなかった)
外敵ばかりを見ていた。
内側を、任せきりにしていた。
「……はっ」
乾いた笑いが漏れる。
「まったく……」
視線を落とす。
「自分の不甲斐なさに、反吐が出る」
だが──そこで、思考が止まる。
ひとつ、違和感が残る。
(……待て)
バジルグロンド。
あの存在は、国を滅ぼす災厄だ。
(なぜ、あの村は壊滅しなかった?)
本来ならば、一日も持たないはず。
それを、数日間も。
(耐えた……?)
理由が分からない。
(どうやって……何が、あった?)
静かに、目を細める。
思考は、まだ止まらない。
(それに、礐壑様はなぜこちらの事情を知っているのだ?)
目覚めてから間もないはず。
神だから全てを知っている。と言われればそれまでだが……。
色々と調査する必要がありそうだ。
村には、謝罪と言う名目で赴くことは出来る。
……だが今は休息が必要だ。
「あぁ……ユリエ、水」
無意識に、名前が零れる。
「はい。どうぞ」
間髪入れず、コップが机に置かれる。
すでに用意されていたかのような速度。
ヴァルグレアはそれを取り、一気に飲み干す。
「……はぁ」
喉を潤し、ようやく一息つく。
「タオルもどうぞ」
「ああ、助かる」
受け取るなり、顔を拭う。
そのとき、
「ところでヴァルグレア様」
柔らかな声。
「誰なんです? その“ユリエ”とかいう女」
笑顔のまま、そう言った。
「っ!」
手が止まる。
「す、すまん……ユリア。少し昔を思い出してな……」
言い直す。
ユリア。それが、彼女の名だ。
「昔? ……昔の女ですか?」
笑顔は変わらない。
だが、その奥にわずかな圧が滲む。
「ち、違う! ユリエはお前の──」
「ああ!」
被せるように、ユリアが声を上げる。
「思い出しました。ユリエって確か、
“竜王国の初代メイド長”の名前でしたよね?」
「……そうだ」
わずかに息を吐く。
「そして──ユリア、お前の先祖でもある」
「そうでした。私の、遠いお祖母様ですね」
納得したように頷く。
「昔はどうでした?」
「うん?」
少しだけ、目の力を抜く。
「……まあ、色々大変だったさ。本当に」
遠い記憶を辿る。
「ふふふ」
ユリアが小さく笑う。
「私、ヴァルグレア様が昔を思い出したときに見せる、その優しい目──大好きです」
その言葉に──ヴァルグレアの脳裏に、別の声が重なる。
『前の優しい目も好きだったけど』
小さな少女の瞳。
『今の細くて鋭い目は、王子様みたいで……かっこよくて、もっと好きです』
ユリエの声。
「……ふっ」
思わず、笑みが漏れる。
「その昔な。鋭い目が好きだと言った子がいてな」
「え〜? 絶対、今の優しい目の方がいいですよー」
ユリアは一瞬、むぅ。とした表情を見せる。
「優しくて……なんだか、ずっと見つめていてほしくなっちゃいます」
「そういうことは、意中の相手にでも言うんだな」
軽く受け流す。
「言ってますけど?」
即答。
「もう一度言った方がよろしいですか?」
「……は?」
間の抜けた声が出る。
ユリアは、一歩前へ出る。
「私、ヴァルグレア様の目が好きです」
まっすぐに。
「ずっと、私を見つめていてほしいです」
一切の迷いなく言い切る。
「……これで、伝わりますか?」
「ちょ、待て待て待て!」
ヴァルグレアは思わず立ち上がる。
「俺は竜で、ユリアは人間だ」
繕う余裕もなく、一人称が崩れる。
「種族の違いなんて、些細な問題です」
即座に返される。
「ぐ……俺は250年生き──」
「人間換算で20代ですよね?」
被せられる。
逃げ場がない。
ユリアは、一歩も引かない。
「ヴァルグレア様が死ぬかもしれない、って思った時」
声が、わずかに柔らかくなる。
「後悔したくないって、そう思ったんです」
目を逸らさない。
「だから、もう迷いません」
胸の内に秘めていたものを、そのまま差し出す。
「ヴァルグレア様」
ゆっくりと、膝をつく。
「っ……」
呼吸が一瞬乱れ、言葉に詰まる。
目を閉じ落ち着かせる。
「ずっと……」
意を決し、言葉を紡ぐ
「ずっと、お慕いしておりました」
見上げるその表情は──恋する者の、それだった。
一瞬だけ、時間が止まったように感じられた。
竜王殿の奥。
最上の屋根の上に、ふたり。
「ふふっ」
ミレアが、楽しそうに笑う。
「人間って、ほんと飽きないわね〜」
視線の先。
「竜に恋する乙女か……。中々に美味しそうね」
くるりと踵を返す。
「さて、と──」
ミレアは、スゥ……と、深く息を吸い込む。
その瞬間、見えないはずのものが、形を持って現れる。
城中に溜まっていた感情が、ゆっくりと引き寄せられてくる。
淡く震える気配。
まとまりきらない揺らぎ。
そして、鋭く尖った圧と、じんわりと滲む温度。
「ふふっ、いっぱいあるわね〜♡」
嬉しそうに両手を広げる。
恐怖が、細かく震えている。
不安が、それに絡みつく。
敵意は、はっきりとした輪郭を持っていた。
恋心は──静かに溢れている。
「じゃあまずは、こっちから」
ミレアは恐怖と不安をすくい上げ、手の中で、くるくると転がす。
押し固めるわけではない。
潰すでもない。
「逃げないで、ちゃんと集まって〜♪」
やさしく、包む。
すると、震えていた感情が少しずつまとまり始める。
だが完全には整わない。
わずかに、揺れている。
「うん、このくらいでいっか」
ぽん、と軽く弾く。
それだけで、丸い形になる。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
「はい、肉団子♡」
ふわりと宙に並ぶ。
次に、敵意へ視線を向ける。
「こっちはちょっと強いわね〜」
指先で触れると、ぴり、とした刺激が返ってくる。
「この詰まった感じ……いいのが出来そうだわ♪」
ぎゅっと掴む。
圧縮。
濃く、重く。
出来上がったのは、しっかり引き締まった、大きな鶏肉。
「んで、こっち」
恋心。
溢れた分だけ、指先で掬う。
「全部はいらな〜い」
さらり、と流す。
「残してあげないと、続かないでしょ?」
くすりと笑う。
敵意へ、恋を落とす。
とろり、と溶ける。
「ま〜ぜまぜ〜♪」
指でなぞる。
ぐるぐると、絡める。
最初は弾く。
だが、やがて溶ける。
ぶつかりながら、ひとつになり、照り焼きソースとなる。
「うん、いい感じ♡」
それを、鶏肉へ。
すっと撫でるだけ。
じゅわ、と音もなく焼きが入る。
表面に、艶が走る。
「は〜い、照り焼きチキンのかんせ〜い♪」
皿が現れると、それぞれが皿の上に落ち、並ぶ。
《恐怖と不安の肉団子》。
《敵意と恋心の照り焼きチキン》。
皿の上で、ふたつの感情が湯気をまとっていた。
ミレアは、肉団子をひとつ取る。
肉団子は、丸いかたちのまま静かに艶を帯びている。
表面には淡い照りがあり、箸を近づけるたびに、
甘辛いあんがわずかに揺れた。
その丸さは、一見すると安心を誘う。
だが、よく見ると輪郭は完璧ではない。
きっちり固められた球ではなく、やわらかな肉の繊維が内側でかろうじて形を支えているような、不安定な丸みだった。
隣の照り焼きチキンは、それとは対照的だった。
濃い。
まず見た目からして濃い。
照りは深く、表面にはタレの厚みがそのまま残っていて、光を受けるたびに黒に近い飴色がぬらりと返る。
持ち上げれば重そうで、噛めば強そうで、触れる前から味の主張だけがこちらへ迫ってくる。
湯気が、ゆっくりと立ち上っていく。
肉の匂い。
甘みを含んだ醤油の香り。
火の上で温められた油の丸い匂い。
それらが黄昏に、薄く、だが確かに場を支配していく。
ミレアは小さく喉を鳴らした。
「ふふ……いただきま〜す♪」
まずは、肉団子。
箸でひとつ摘まむ。
持ち上げた瞬間、重さは軽い。
軽いのに、ただ頼りないわけではない。
表面のあんがとろりと糸を引き、肉の弾力が箸先へ控えめに返ってくる。
ぎゅっと詰めて固めた重みではなく、やわらかさを抱えたまま、崩れずに留まろうとしている重さ。
口元へ。
「あ〜ん♪」
ひと口。
──ほろっ。
噛んだ瞬間、外側が先にほどけた。
弾むのではなく、崩れる。
けれどそれは、弱い崩れ方じゃない。
形を失って散るのではなく、やわらかく解けながら、内側の肉がまだわずかにまとまりを残している。
「ん……♡」
ミレアの頬がふっと緩む。
舌の上で、肉の繊維がほどける。
細かく刻まれた不安が、熱と一緒にじわじわと広がっていくみたいに、口の中のあちこちでやわらかな震えを残す。
「あっ、これ……ほろほろ……♡」
もうひと噛み。
今度は奥まで届く。
表面のあんの甘さが先に触れて、そのあとから肉の旨みが静かに追いかけてくる。
だが、ただ甘いだけでも、ただ旨いだけでもない。
その奥に、落ち着こうとして落ち着ききれない揺れがある。
「この、まとまりきらない感じ……」
ミレアはゆっくり咀嚼する。
舌の上で崩れた肉が、もう一度だけ留まろうとする。
ほどけて、揺れて、それでも逃げずにそこにいる。
「ちゃんと怖がってる♡」
その一言のあと、さらに噛みしめる。
じわり。
味が深くなる。
最初に来たのは恐怖だった。
外側のやわらかさの中で、形を保てず揺れている不安定さ。
けれど噛み進めるほど、そこへ別の感情が滲んでくる。
ただ怯えて崩れるだけじゃない。
崩れながら、散らばりながら、それでもどこかに留まろうとする意志がある。
「ん〜……これ、ただの怖さじゃないのね……」
舌先で転がす。
肉のかけらが、あんをまとって静かにほどける。
「落ち着こうとしてる不安……♡」
逃げ出すほどの恐怖ではない。
取り乱して壊れる恐怖でもない。
怖い。
けれど逃げたくない。
震えているのに、その場に残ろうとしている。
その感情の揺れが、肉団子のやわらかさとぴたりと重なる。
外は先にほどける。
中は少し遅れて崩れる。
そして最後まで、完全には均一にならない。
その不揃いさが、妙に生々しい。
「ふふっ……いいわぁ……♡」
飲み込む直前、喉元に小さな震えが残る。
熱と一緒に落ちていくのに、感情の余韻だけが喉の奥に細く引っかかる。
「最後まで、ちゃんと怖がってるのが最高ね♪」
ミレアは満足げに息を吐いた。
その吐息すら、ほんのり甘い。
箸先を今度は、照り焼きチキンへ向ける。
こちらは摘まんだ瞬間から違った。
重い。
肉の厚みそのものもある。
だが、それ以上に、表面へ絡んだタレの粘度が重い。
持ち上げると、とろりとした照りが引き伸ばされ、皿とのあいだに濃い褐色の糸が生まれる。
その糸は細く長く伸び、途中でようやく切れた。
「こっちは……ふふ、濃いわねぇ♡ 最高っ♪」
指先で表面を軽くなぞる。
熱い。
熱いのに、その熱まで甘辛いタレに包まれていて、刺激というより圧に近い。
触れた箇所に、ぬらりとした艶が残る。
「しっかり混ざってるわ……でも、まだ奥がありそう……」
そのまま、かぶりつく。
「はむっ──」
表面が先に弾けた。
ぱつ、と薄い膜が破れ、閉じ込められていた熱が一気に口の中へ溢れ込む。
続いて来るのはタレ。
醤油の濃さ。砂糖の照り。
焼かれた肉の香ばしさ。
それらが順番ではなく、まとまった塊として舌へ叩きつけられる。
「んっ……♡」
ミレアの目が細くなる。
強い。
最初から強い。
逃げ場がない。
口に入れた瞬間に、味が周囲を塞いでしまう。
薄く入り込んでくる味ではなく、正面から押し込まれる味。
「これが、敵意……♡」
噛む。
肉は、肉団子ほどすぐには崩れない。
繊維がある。厚みがある。
噛むたびに、火を通された肉の弾力が歯へ返ってきて、その反発にタレの濃さがぴたりと張りついてくる。
もう一度、噛む。
そこで初めて、変化が起こる。
じわ、と。
遅れて、甘さが広がる。
「……ぁ、これ♡」
ミレアの口元に、小さな笑みが浮かぶ。
「恋、来た♪」
だが、その甘さは素直じゃない。
やさしく包む甘さではない。
「これは、諦めてない恋……」
強い味の奥に押し込められていたものが、噛みしめられたことでようやく滲み出してきた、遅い甘さだ。
敵意の熱。
恋心の甘さ。
どちらかがどちらかを打ち消してはいない。
むしろ、ぶつかっている。
押し合っている。
残したまま、同じひと口の中に居座っている。
「最高ね……これ……」
ゆっくりと、深く噛む。
表面の照りは、まず敵意として舌を押す。
わかりやすく濃く、強く、前へ出てくる。
けれどその奥、肉の繊維のあいだに残る熱の中から、恋心が遅れて顔を出す。
甘い。
でも、甘やかじゃない。
むしろ刺さる。
敵意があるから、その甘さはひどく切実になる。
優しいだけの恋では出ない濃度を持って、じわじわと舌へ残る。
「消えてない……♡」
ミレアは小さく囁く。
「敵意があるから、恋が甘くなる」
そのまま、もう一口。
今度は深く、中心までかぶりつく。
「はむっ♡」
噛み、解き、また噛む。
繊維がほどける。タレが滲む。熱が抜ける。
そこへ甘さが絡みつく。
それでも完全には混ざりきらない。
敵意は、最後まで少し尖って残る。
恋心は、最後まで少し柔らかく滲む。
その“混ざりきらなさ”こそが、この味の本体だった。
「恋があるから、敵意が美味しくなる……♡」
飲み込む。
喉の奥へ落ちていくのに、照りの甘辛さだけがそこへ貼りつくように残る。
肉の旨みは沈み、香ばしさが鼻の奥へ抜け、そのあとから遅れて、恋心みたいな甘い余韻が追いついてくる。
ミレアは、ふふ、と小さく笑った。
皿の上に残ったタレを指先でそっと掬う。
濃く、ねっとりしている。
けれど舐めれば、その濃さの中に、さっきまで肉に閉じ込められていた感情の名残がまだ生きている。
ぺろり。
舌先で味わう。
「んふ……♡」
敵意だけなら、きっとここまで後を引かない。
恋だけなら、きっとここまで深く刺さらない。
ぶつかって、残って、引き立て合っているからこそ、
こんなにも美味しい。
恐怖と不安の肉団子は、震えながら留まろうとする味。
敵意と恋心の照り焼きチキンは、ぶつかりながら甘くなっていく味。
どちらも、人の感情でしか出せない歪さを、そのまま美味に変えていた。
ミレアはゆっくりと指先を舐め取り、最後の余韻まで確かめるように目を細めた。
「ごちそうさまでしたっ♡」
それは食事の終わりの言葉というより、
美味しい感情へ向けた、満ち足りた賛辞のようだった。
日が沈む。その光は竜王国全体を夕暮色に染め上げていた。
王都の灯りが、揺れ始める。
「ミレア様は、本当に美味しそうに食べられますな」
礐壑が、どこか感心したように言う。
その視線の先。 ミレアは、まだ頬を緩めたまま、満足げに息をついていた。
「だって本当に美味しいんだも〜ん♪」
胸に手を当て、幸せそうに言う。 余韻を味わうように、ゆっくりと目を細める。
「礐壑はなんやかんや面倒見いいよね〜」
くるりと振り返り、にやにやと笑う。
「だから滅多に姿を見せないのに、信徒が多いのよ?」
その言葉には、先ほどのやり取り──ヴァルグレアへ“気付きを与えた”ことへの軽いからかいが含まれていた。
「よしてくだされ……」
礐壑が眉間に皺を寄せ、わずかに顔を逸らす。 露骨にむず痒そうな反応だった。
「神竜の中で、一番どこにいるか分からないのに、敬虔な信者が多いのはなんでだろうね?」
ミレアがさらに追い打ちをかけるように覗き込む。
礐壑は答えない。 ただ、ほんの少しだけ顔を背けたまま、低く息を吐いた。
「……ところで」
話題を切り替える。
「ミレア様は、あの竜をどうするおつもりで?」
横目で、ミレアを見る。
空気が、ほんのわずかに変わる。
「別にどうもしないわ」
軽い声。
そして──
「……今はね」
その一言だけが、わずかに重かった。
「……と言いますと?」
礐壑の声音も、ほんの少しだけ低くなる。
ミレアは、窓の内へと視線を向ける。
その先には、執務室へ戻ったヴァルグレアの気配。
「ヴァルグレア」
名前を、呼ぶ。
「彼はまだ、齢250年程度の竜よ」
「そのようですな」
礐壑が静かに頷く。
「バジルグロンドって呼ばれてたっけ?」
ミレアは思い出すように首を傾げる。
「あの蛇が300年くらいだったのよね〜」
軽く言う。
「だとしたら──」
少しだけ、楽しそうに目を細める。
「あと100年か200年は、熟成させたいわね」
その言葉に、礐壑の瞳がわずかに細くなる。
「……確かあの蛇は」
記憶を辿るように呟く。
「“焉龍の鱗を食わされた蛇”……だったと」
「ええ、そうよ?」
ミレアが即答する。
「実験だったけど、立派に成長したし──あの魂、本当に美味しかったわ♪」
くすり、と笑う。
「だから次に期待してるのよ」
その視線は、まっすぐに──
窓の奥。
ヴァルグレアへ向けられていた。
礐壑は、何も言わない。
ただ、その視線の意味を理解している。
ミレアの口元が、ゆっくりと歪む。
「わたし、煌竜ってまだ──」
ほんの少し、声が落ちる。
「“食べたことない”のよね……♡」
その言葉は、軽い。
だが──内容は、重い。
「どんな味がするのかしら……」
くすり、と笑う。
「楽しみ〜♡」
無邪気な声音。
まるで、新しい菓子を前にした子供のような響き。
礐壑は、静かに視線を落とす。
胸元。 無数に連なるメダル。
それぞれが、過去に存在した国の証。
指先でひとつ、軽く弾く。
乾いた音が、微かに鳴る。
「……やれやれ」
ため息混じりに呟く。
「また1枚──増えそうですな」
二十皿目・後編『ミレたん、歴史は紡がれる』
おしまい




