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情状酌量の余地はある。頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。
梅本はバイクを塀に寄せて停め、歩いて近づいていった。
そして、人垣の最後尾につき、曲がり角の奥を覗いて、一気に肩の力が抜けた。
人垣を作っているのはパトカーと、その前で踏ん張っている警官。その向こうには消防車が停まっていて、アパートへ消火ホースが伸びている。あそこから向こうへは、大型の消防車だと入っていけない。
「なんだ火事かよ……」呟いた。
梅本は少し離れて、塀に背をつけてしゃがみ込んだ。
「梅本さん?」
突然、名を呼ばれて顔を上げる。
見ると一階の端に住む鈴木の婆さんだった。その声に田井中さんが人垣の中から振り返り、梅本に寄ってきた。
梅本は立ち上がって尻を払った。
「どうも。どうしたんですか、これ」
「どうしたもこうしたも……」
田井中をよく見ると、顔や服が煤けている。鈴木さんは寝間着のような着物に小さなブランケットを羽織っていた。
「出掛けてたの?」と田井中。
「はい。今帰ってきたところで」
「もぉ。姿が見えないから、ぐっすり眠ってると思って心配したのよ」
鈴木の婆さんは、このアパートの最古参。町内会費を集めて回ったり、市広報を配ったり、ここの大家のようなことをしている。
「消防隊員が裏のガラス戸を破って入ってったよ」
「え、そうなんですか。いやぁすんません。ご迷惑をお掛けしました」
婆さんの泣き笑いの表情が気になって「他は皆さん、ご無事ですか」と訊いた。
田井中さんは困惑した様子で頭を掻いた。
答えたのは婆さんだ。
「福留さん夫婦だけが見えないのよ」
梅本はスッと息を吸い込む。階段を上がってすぐの部屋。年金暮らしのご夫婦だ。
「火元は?」
それに婆さんは答えず首を振った。
「ここの警報、たまに何でもないときに鳴るだろ」
田井中さんが話題を逸らしたのだと思った。
火災報知器が昼夜を問わず頻発するようになったので、それは管理会社に来てもらって修理したはずだ。梅雨時だったか。
梅本はうなずいた。
「あぁうるせぇ。また鳴ってやがるって、俺も最初は無視してたんだけど、二階がドタドタとやり出したもんだから。それで一応部屋を出てみたら、もう二階に火の手があがってたんだ」
「二階ですか」
「そう。急いで消火器を取って、階段を上がってったんだけど、一本使い切っても焼け石に水って感じでさ」
「階段が落ちたら田井中さんも危ないから、降りて降りてって叫んだの」婆さんは力なく話した。
大事だった。だんだん事の重大さが染み入ってきた。
「全焼……ですか?」
アパートは奥まったところにあるので、ここからでは見えない。
「どうだろう。ここまで下がれって言われたときは、まだ一階は大丈夫そうだったけどね」
――ということは、良くても二階は丸焼けか。
人垣がどよめいたので、何か進展があったのか、と三人は振り返った。
五人がパトカーの前で身振り手振りを大きくして話している。消防隊員と警官と、もう三人は梅本の知らない人だ。
「あの人らは?」
鈴木の婆さんが教えてくれる。
「町内会長さんと防火役員さんと、たぶん不動産屋さんかしら」
「へえ」田井中と梅本がうなずいた。
やがて、その中の二人が人垣をかき分けてやってきた。
「神立ハイツの住民の方は、こちらへお集まりください」
梅本たちは指示に従った。人垣の中からも十人ほどが振り返り、その男を囲んだ。
「西町会館を開けていただきましたので、皆さんは一旦そちらへ行ってください」
アパートはどうなったのか、と声が飛ぶ。
「ほぼ鎮火していますが、朝まで監視して、明るくなりしだい警察と消防で現場検証を行います。ですので、住人の方々は、それが終わるまで帰っていただくことはできません」
不動産屋の毅然とした物言いには反論する余地がなく、輪になっていた住人は、ノロノロと移動し始めた。怒っている人や呆けている人、それぞれに表情は様々だ。地域の催しに参加したことのない住民などは、西町会館がどこにあるのかさえわからない。ただ、ぞろぞろと行進していく。
そんなとき、一人の中年女性が泣き崩れた。鈴木の婆さんがいそいそと寄り添って、その女性の背に手をやった。
梅本はバイクを押してついていく。田井中が横に並んだ。
「家の中に現金を置いていた人は、気が気じゃないだろうなぁ」
あぁ、と梅本は納得してうなずいた。
梅本は、小銭以外は財布に入れてある。それでも家電製品はどうなったか、印鑑や通帳は、サイン伝票は、と考えた。
――逮捕されるよりはマシか。でも、帰る所がなくなるというもの相当だ。
五分ほど歩いた所に、西町会館はある。
二十畳ほどの畳敷きの多目的部屋で、到着するなり各々が壁際に陣取った。男女の区別はない。配られたのは毛布のみだが、寒くはないので、そのまま枕にする者、敷布として使う者、と様々だった。
ボソボソと家財保険の話題があちこちで出ている。神立ハイツでは、それの加入が賃貸契約を結ぶ際の絶対条件なので、未加入の住人はいないと思うのだが……。これから自分たちがどうなるのか。皆の不安はその一点で一致していた。
「明日は、といっても今日ですけど、詳しい説明があるでしょうし、それぞれに忙しくなると思います。ジタバタしてもどうしようもないですから、とにかく今は休みましょうか」
鈴木の婆さんは、普段通りのリーダーシップを発揮した。どこからも反論は起こらないので「それじゃ、暗くしますよ」と言って保安球にした。
カブラギ電気でマラソン大会のような仕事を終えてから、バイク窃盗騒ぎに拳銃のこともある。体は溶けるような怠さをおぼえていた。
「休みの連絡を入れておかないとなぁ」
隣で寝転ぶ田井中がボソリと呟いた。




