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さっそく所長から聞いた番号へかけてみると、首を傾げたくなるほどのタイムラグがあって、普通に目の前の電話が鳴った。どうにも転送される様子はない。
梅本は通話を切って、ガックリと肩を落とした。
そして視界の端に車を捉えて外へ目をやると、店の前にちょうど、よく見知ったカラーリングの車が停車するところだった。側面にセキュリティ会社の名が入っている。
助手席の一人が降りてきて、ガラス越しに店内を覗いている。電気を点けていないので、明るい外からでは、梅本が見えにくいのかもしれない。
その巨躯の男がドアを引き、店に入ってくるなり、言った。
「おはようございます。陣内ハウジングの方ですか?」
男はタヌキを見ながら喋っている。もちろん、タヌキが従業員だとは思っていないはずだ。
「いえ、違うんですけど……。えっと、梅本といいます。電話で話した通りなんですけど」
男は微かに首を傾げた。
先ほど電話で話した内容が、彼に伝わっていないのかもしれなかった。
「そうですか。何か身分を証明できる物をお持ちではないですかね?」
「えっと、免許証ならありますけど」
「いちおう確認させていただけますか?」
――それが彼の仕事だ。訝しむ気持ちは理解できる。しかし、そのことは電話で説明したし、向こうのオペレーターは、あれで納得したはずだ。
男の口調は丁寧だったが、片手を警棒に添える仕草といい、目付きといい、梅本はだんだんと腹が立ってきた。
そのうちに運転席の男も車から降りてきて、店に入ってきた。この男も耳が潰れている。柔道、もしくはレスリング経験者か。電話をその潰れた耳に当てていた。
「今、こちらに登録されている陣内様と連絡が取れました。梅本様ですね?」
梅本はピクピクとうなずいた。助かったと思った。
「社長さんは今こちらに向かっているそうです。問題はなさそうなので、私どもはこれで失礼いたします」
梅本は立って会釈した。言葉は発しなかった。
最初に入ってきた男のほうは、車に乗るまでずっと目付きが悪かった。元々そんな顔付きというわけではないだろう。誤解が解けてから言うようで情けないが、じつにムカつく奴だ!
セキュリティ会社の車と入れ替わるように、陣内のベンツが同じ場所に停まった。
梅本は機嫌を直して出迎えた。
「べつに、そんなこともなかったぞ。店の階段で一回躓いて、そのときにちょっと手を貸したくらいだ。その後は、一人でスタスタと歩いてたな。あぁ電柱にぶつかってたっけ? それで店のシャッターにも当たって、なんか、シャッターに謝っていたぞ。それから……」
「あぁいえ、もう結構です。勘弁してください」
陣内はゲラゲラと笑う。タヌキを挟んで、二人は来客用のテーブルに着いていた。
「んじゃ、駅前の茶店でモーニングセットでも食っていくか」
そういうのもたまにはいい、と思った。
「はい」
「んで、飯食ったら解散だな。昨夜のアパートの件で業者から連絡があったら、俺もすぐに行かなきゃなんねぇんだ。そのまま電車に乗って行くつもりだから、ここへは戻ってこないしな」
「そうなんですか」
帰りも車で送ってもらえるものだと思っていたので残念だ。
「えっと、サイン伝票な。まぁ目隠しパネルの材質やら、大きさやらの打ち合わせだけだから、昼過ぎには帰ってると思うんだけどよ。もし、大場興業からも立ち合い人が来るとなったら、ちょっと長引くかもしれねぇな。そうなると、何時になるかわかんねぇんだわ」
「こっちは急ぎませんので、来るときに一応ここへ電話します」
「おう、そうしてくれ」
さっそく店から出ようとした梅本を、陣内は呼び止める。
「梅本くーん。タヌキを忘れてるぞ」
梅本は片口をあげて微笑み、陣内もニヤリとした。
日曜の午前中――
タヌキのはく製を抱えて歩いている人は梅本以外にない。
道行く人がもれなくタヌキと梅本を一瞥した。それは駅前のロータリー内にある喫茶店に到着してからも同じで、マスターとバイトらしき女の子も、好奇の目で二度見、三度見してきた。
――バイトの娘が、モーニングセットのロールパンと、コーヒーを運んできたときに言った。
「お客さん、それ可愛いですね」
トレイを胸に押し当てて微笑む彼女の視線は、梅本の隣で鎮座するタヌキに釘づけだ。
「そお? こんなのが?」
彼女はうなずいてから、ニッと笑んだ。
そこへ店のマスターまでやってきた。彼女と並ぶようにして立ち、接客スマイルを見せた。
「ちょうど、この店の雰囲気に合うような置物を探していたところなんですよ。それをうちへ譲ってもらうわけにはいかないでしょうか?」
マスターは小さなオーバルフレームの眼鏡を、マイクロファイバーのクロスで丁寧に拭き、高い鼻に掛けなおした。
梅本は陣内の表情を仰ぎ見る。
せめて県外で……と言っていたはずの陣内が、コクリとうなずいた。
「欲しいと言う人に貰われるほうが、俺もいいと思うんですよ」
――突然、陣内の電話が鳴りだし、梅本の妄想が終わりを告げた。
「あそう、もうか。――誰が来てる? そう……。あいあい、了解。すぐに行くわ。……はーい、ども」
業者が現場に到着して、資材の搬入が始まるという報せだった。
「もう、行かれるんですか?」
「おう。それが面倒くさいことに、大場興業からもやっぱ一人出てきてるらしいわ。あの柳って奴だろうな」
「そうですか」
「何なら、梅本くんも一緒に来るか?」
「いえ、けっこうです」
「ワハハ。んじゃ、そういうことで。俺の分のパンも食っといてくれ」
陣内は立ち上がって背広に袖を通した。
「また仕事があったら、呼んでください」
梅本も立ち上り、会釈して見送った。