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陣内の分のパンもきっちりと平らげ、時折外へ目をやりコーヒーを啜る。穏やかだと思った。
梅本は、仕事の決まっていない日の朝は、ゆっくりと寝ていることが多い。急な夜勤の依頼に対応できるように寝溜めしておく、というつもりはまったくないが、自然とそうなってしまった。なので、午前中に喫茶店にいることじたいが新鮮で、不思議な感覚をおぼえた。これが平日ならば、もっとだったのかもしれない。
梅本はトイレを借りた後、財布を手にしてレジへ行った。
すると、バイトの娘がスッとカウンターから出てきて言った。
「陣内さんのチケットから、もういただいてますよ」
「チケット?」
彼女はピッと指を立てて、レジ横の壁を差した。
壁にチケットの綴りがぶら下げてあって、その束の中に陣内の名前を見つけた。
「なんか悪いな。これくらい自分で払うのに」
「一人のときも、誰かと来るときも、だいたいこれで払っていかれますよ」
「へえ、そうなの」
陣内はほぼ毎日、ここへ顔を出しているらしい。
「これ私の手作りなんですよ。お客さんもひと束どうですか? 二十枚綴りを購入していただくと、なんと、コーヒーが一杯無料になります」
彼女の口調ほどのお得感はしない。梅本は失笑して言った。
「今回はやめとくよ。ごちそうさまでした」
営業を絡めてくるところなんて、この娘はなかなかちゃんとしている。以前の梅本なら、きっとマスターに「言え」と言われているのだ、と思っただけだったろう。
梅本は一旦席に戻って、背広とタヌキを抱えた。
もう一度レジ前を通るときに、両手が塞がった梅本を気遣って、彼女がドアを開けてくれた。
「一応で訊いてみるけど、このタヌキ……欲しいと思わない?」
鼻で吹いた彼女は、チャーミングな八重歯を見せた。
「えっ、そんなのいらないですよ」
冗談だと思われたらしい。(そんなの)呼ばわりだ。
「そうだろうね……」
マスターにも訊いてみようかと一瞬考えたが、梅本は一瞥しただけで、そのまま店を出た。
ロータリーを抜け、梅本は昨夜の店の通りに向かっている。アパートへ帰るには少し方角が違うが、それはカンネスサービスの事務所へ寄っていこうとしているからである。新しいサイン伝票を貰うため、というのがメインの用事だった。他にも、休息地点があればいいという気持ちがあった。
ここからだと、アパートまでは約四十分。派遣事務所からだと三十分。その差はたった十分。しかし、歩き続けるのと、事務所で一旦座ってから帰るのとでは、疲労物質の溜まり具合が違う。
先ほどの電話を所長が気にしているようなら、無事に連絡がついた、と報告するものいい。もしかして、このタヌキを事務所で引き取ってくれかもしれない……とそんな思惑があった。
――まぁそれは、ないか。
タヌキが抱えている丸々とした徳利は陶製で、しっかりとくっついているといっても、落とせばたぶん割れる。いろんな持ち方を試してみたが、徳利の首を持つのが、一番バランスが取れているような感じがした。何にせよ、とにかくずっと持って歩くには重いのだ。右手に左手にと、頻繁に持ち替えながら五分も行くと、彼の額に汗が滲んできた。
この感じで家までたどりつくのは厳しいと思った。
真っ先に考えついたのは、背負うためのロープだ。が、見てくれを想像し、頭を振って却下する。一度、赤ちゃん抱っこにしてみた。すると、ウィンドウに映る自分は、まるで我子の死を受け入れられない若い父親が、精神を病んでしまって、タヌキを我子だと思い込み慈しんでいるようだった。
そんな想像をして梅本を憐れむほど、通行人も暇ではない。しかし、それで梅本が恥ずかしいと感じるのも自由だ。タクシーなんてものは元々選択外で、梅本は今来た道を引き返すことにした。
先ほどの喫茶店の対岸に見ながら、交番の前を通過して駅に着いた。用があったのは、駅の階段を上る直前にあるコインロッカーだ。だいぶ以前、繁華街で飲んで帰るときに、手荷物をあずけたことがある。
そのロッカー群を覆い隠すコンクリートの壁には、タイルで模様が描かれている。備え付けられたロッカーは向かって左から特大、大、中、小と四種類で、それぞれに値段が違った。特大はゴルフバックが入るサイズなのに、大と中はさほど変わらないように見えるから不思議だ。それで百円も値段が違うのだから、やっぱりちょっとおかしい、と梅本は心の中で苦情を言った。
梅本は、やはり(中)の扉を開き、タヌキを寝かせて押し込んでみた。しかし、おしいところで扉が閉まらない。しかたなく百円高い(大)に入れた。
とにかく、これでやっと上着を脱ぐことができる。
身軽になった梅本は、あらためて派遣事務所へ向かった。




