たがわ
時刻は零時、寸前。
繁華街通りに軒を連ねている店舗は、そろそろ閉店というところ。二人を今から歓迎してくれるような店はない。
そうなると、行く所は自然と決まってくる。
この通りには中央付近にちょっとした広場があって、わらわらとワンボックスカーが集ってくる。そして広場を囲んで屋台村のようになるのだ。それぞれが独自の改造を施した車で、主にジャンクフードの店を展開していた。
公衆トイレがあり、水道があり、街灯が広場中央を照らす。
各店舗から追い出された客たちが、ちょっとつまんで帰るには良い場所だった。
梅本はてっきりそこへ行くものだと思って、歩いていた。
「梅本くんところには、すげぇいい女がいるんだな。あんな子から仕事を回されたら、なかなか断れないだろ」
「あの容姿ですから、まぁ派遣スタッフには人気がありますね」
花川のことを正確に伝えるのは難しい。
元々詳しくないうえに、梅本自身あまり良い印象を持っていないので、ともすれば悪口になってしまうきらいがある。それで梅本は当たり障りなくてきとうに答えた。
「あれは、梅本くんに気があるんじゃねぇか? あの子の仕草とか、何ていうか……距離っていうか。見ててそんな感じがしたな」
いやいや、と梅本は薄く笑って否定した。
「そこがまた落とし穴みたいなもで、彼女は誰にでもああなんですよ。その穴に落っこちた奴が、しつこく言い寄ったってこともあったくらいですから」
「へえ、何だそうなのか。それも考えものだな。あ、どのみち梅本くんには、コンビニの彼女がいるしな」
一瞬、誰のことかと思った。笹尾のことを言っているのか。
「いやぁ、あの子は別に、その……」
じつはどちらも仕事上の関係であり、お知り合い程度なので、一歩前へ踏み出し背中に哀愁を漂わせて表現するしかない。
「おぅ、ここだ」
陣内は地下への階段を指差した。梅本が意外に思って振り向いた。
「あれ、広場に行くんじゃなかったんですか?」
「あんな所、小便ビールしかないし、食い物も今から腹に入れるには重たい物ばっかだろ」
「まぁ、そうです、かね」
組長宅を辞したくらいから、ずっと空腹を感じている。晩飯が菓子パン一つだったので、当然と言えば当然だ。今はすぐに食えるなら何でもいい感じだった。
二十時頃時点で、梅本はなぜか腹が空いていなかった。それでも、とりあえず食っておくということを、彼は誘われでもしない限り、しない。そして、よく後悔することがある。
「ここよ、うちの妹夫婦がやってんだ。少々融通がきくし、こんな時間からでも、簡単な物なら食わせてくれるんだ。何といってもタダだ。今からだったら貸切だし、ゆっくりできるぞ」
「へえ」
階段を下りきったところに左右一枚ずつの扉があって、陣内は左手にある(たがわ)という店の扉を開けた。
入ってすぐの、目隠しになる衝立から顔を覗かせるや否や、
「お~い、余り物でいいから何か食わせてくれ」
モップ掛けしていた女性が、ハッと顔を上げて、陣内を睨みつけた。
「もぉ! いつも言ってるでしょ……」
陣内はニヤリとして梅本の肩を抱き、前へ押し出した。
「どうも、こんばんは」
梅本が申し訳なさそうにぺこっと会釈すると、女性はハンッと息を吐いて奥へ行ってしまった。
店内はカウンター席の他に、テーブル席が六つ。奥に向かって細長い。すでに椅子が逆さになってテーブルの上に載っている。とっくに閉店しているのだ。
陣内は気にするふうでもなく、カウンターの端に重ねてあった灰皿を取って、煙草をくわえた。
「適当に座るといいぞ」カウンター席のほぼ中央を差している。
「陣内さん、連絡とかしてないんですか?」
「気にするな。あいつはいつも怒ってるんだ」
――へえ、いつも怒らせているんだ。
厨房の奥へと消えた女性は、陣内の実の妹で美咲というらしい。結婚して今は田川姓になっている。何のひねりもなく、店の名前は同じだ。
陣内の煙草が半分灰になったくらいに、美咲さんが戻ってきて、ラップのかかった中鉢を三品並べた。小皿と箸がそれぞれの前に用意され、コップがトンッ、トンッと強めに置かれた。それから美咲さんはスッと後ろを向き、酒の棚を前に腕組みをして、首を傾げた。
「美咲、そこの(黒龍)がいいな」
「うるさい!」
ぴしゃりと美咲さんが言って、陣内は首を竦めた。梅本と目を交わすが、言葉はなかった。
美咲さんは迷った挙句(純米吟醸)の一升瓶を取って振り向いた。栓を抜き、梅本へ傾ける。
――すきっ腹に日本酒を冷やで、か……。
梅本は慌ててコップを手にして迎えた。
「遅くまでご苦労様です」と、美咲さんは接客スマイルを取り戻していた。
彼女は目の周りがほんのりと赤い。客が勧めてくる盃も売り上げに計上されるので、断れないのだろう。
「お兄さん、こんなてきとうに生きてる兄貴なんかに付いてたら、そのうち酷い目に遭うわよ」
どういう意味だろうか? きっちり不動産屋の仕事をこなしているように見えるのだが……。
梅本は、はぁ、いや、まぁ、と返答に困って恐縮する。
陣内が軽く舌打ちしつつもコップを差し出すと、
「自分でやってよ。――あたし、もう帰るから、ちゃんと戸締りしてってよね」と言って、彼女はさっさと出ていってしまった。
陣内はまた舌打ちした後、バツが悪そうに笑った。
梅本が中腰になって、代わりにお酌する。どちらからともなくコップを寄せ合って鳴らした。
この店は銀行からの借入なしに営業している。それというのも陣内が開業資金を半分負担したということだ。その見返りとして、毎月経常利益の五分の一程度が、陣内の口座へ振り込まれるのだそうで、融通がきくというのは、血縁関係にあるというよりも共同出資者であることのほうが、大きいのかもしれなかった。
と、梅本が、まともに陣内の話を聞いていたのは、この(たがわ)が軌道に乗るまでの苦労話……その途中までで、
「あのアパートは、佐伯組が持ってる風俗店の女の子たちを住まわせて、管理するために買った」とか、
「興味があるなら住所を教えてやってもいいけど、知ったからって、アパートの周りをウロチョロしたりするなよ」とか……そんな台詞が、実際に陣内の口から語られたのかどうかも曖昧だった。
陣内が酒の棚にへばり付き、何やらゴソゴソと漁っていたのは覚えている。
その次の記憶は、どこかの店のシャッターにぶち当たったときの音と痛み。
とにかく、梅本が目覚めたのは夜が明けてからで、陣内ハウジングのベッドの上だった。