第八話 炎上を飼う
朝の光は、回復の印にはならない。
病院の控室に差し込む薄い白さは、夜が明けたことだけを知らせていた。人が休めたかどうか、頭の中の熱が下がったかどうか、そういうこととは無関係に、窓の外の輪郭だけを少しずつ戻していく。
二階堂壮也は、長椅子に半身を起こしたまま、その白さを見ていた。
眠っていたのは二時間あるかないかだ。身体は重い。頭の奥も鈍い。だが、熱に浮かされたような焦りは、昨夜のあの瞬間を境に少しだけ引いていた。
倒れた。
人前で。
あの会見室で、いちばん倒れてはいけないやり方で。
その事実は不快だったし、取り消したかった。だが、取り消せない事実ほど、思考を変える材料になることもある。
もう無理だ、とは思っていない。
自分は向いていない、とも思っていない。
そこではなかった。
問題は、いままでのやり方では盤面全体を持てない、という一点だった。
自分が前に立ち、自分が燃え、自分が全部の傷を引き受ける。そのやり方で守れるものはある。実際、これまでもそうやって守ってきた。
だが今回、それだけでは足りなかった。
足りないどころか、盤面を狭くしていた。自分一人で捌ける範囲に合わせて、全体の組み方まで小さくしていたのだと、ようやく理解し始めていた。
一人でやれることしかできないなら、お前は普通だろ。
昨夜、九条が言った言葉が、起きた今も頭のどこかに刺さっている。あれは慰めではない。叱責でもない。もっと厄介なものだった。事実だ。
普通の広報官で終わるなって言ってる。
あの言い方が、腹立たしいほど九条らしかった。
扉が開き、堀島岳斗が入ってきた。静かな足音で、手には水と栄養ゼリー、それから数枚のプリントアウトがある。
「起きてましたか」
「いま」
「必要かと思って」
そう言って机の上へ一つずつ置く。水、ゼリー、最新の報道一覧、対策本部の朝会メモ、九条から回された所見要約。過不足がない。堀島のやることはいつも過不足がない。
二階堂はゼリーへ手を伸ばした。昨夜なら後でと言ったかもしれない。だが、いまは躊躇しなかった。そのことに、自分でも少しだけ驚いた。
「珍しいですね」
堀島が言う。
「何が」
「すぐ手をつけたので」
二階堂は包装を開けながら、わずかに鼻で笑った。
「倒れると面倒だからな」
「はい」
堀島はまっすぐ答えた。
「面倒です」
二階堂はその返事に少しだけ救われる。哀れましさも、過剰な気遣いもない。ただ、倒れると困るから倒れないでほしいという程度の現実だけがある。そういう温度が、今はありがたかった。
「九条は」
「記録室です」
「真壁は」
「捜査本部です」
「分かった」
堀島はうなずき、出ていこうとしてから振り返った。
「会見の切り抜き、まだ回ってます」
「知ってる」
「必要なら、今朝の分だけ整理します」
二階堂は少し考えた。
「整理して」
「はい」
「でも消すためじゃなく、流れを見るために」
堀島は表情を変えなかったが、理解した顔でうなずいた。
「必要かと思って、分類だけ先にやっておきます」
扉が閉まると、控室にまた静けさが戻る。
二階堂は水を飲み、紙へ目を落とした。
誤解、批判、嘲笑、断定、誤情報、職歴の誤認、顔つきへの言及。もう発言内容だけではない。人間の輪郭が勝手に決められている。
だが、その全部を消そうとするのは無理だ。無理だし、今はやるべきでもない。
燃えるものは燃える。
問題は、どこまで燃やすかだった。
*
真壁彰は、朝一番の捜査本部で資料の束を机へ広げていた。
現場の見取り図、発見時刻、通報記録、被害者端末の解析、移動履歴、搬送経路、防犯カメラの時間ずれ。どれも単体では断片だ。だが、昨日までに掴んだ線を一本ずつ重ねていくと、ようやく輪郭が浮かび始めている。
犯人は、死体を置いただけではない。
誰が先に見つかるか。
何人で見つかったように見えるか。
誰の身元が先に割れるか。
どの情報が最初に“意味のあるもの”として読まれるか。
そこまで含めて作っている。
真壁はホワイトボードへ現場名を書き、その下に発見時刻ではなく、発見が社会へ乗った順を書き出した。最初の路地の三体、新宿の二体、文京区の二体+一体。数字だけ見れば増え方の印象はばらばらだ。だが印象がばらばらになるように並べられていると見ると、急に筋が通る。
さらに被害者端末の履歴を横へ貼る。コインパーキング検索、病院予約メール、削除されず残された通話履歴、意味ありげに見える位置情報。どれも、発見直後に見つかれば“その人物が事件の中心に見える”ような材料ばかりだった。
真壁は腕を組み、少し離れて全体を見た。
人を殺す。
それは当然、この事件の中心にある。
だが犯人が壊したかったのは、殺人の結果だけではない。社会が事件をどう最初に理解するか、その入口を破壊したかったのだ。
数字。
見出し。
断片。
誰かが勝手に決めた輪郭。
被害者たちの過去にあった炎上や誤報も、全部そこへ繋がっている。
「やっぱりそうか」
真壁は低く言った。
「殺すことより、読ませ方だ」
近くにいた捜査員が顔を上げる。
「何か見えましたか」
「見えた」
真壁は資料から一枚抜いた。
「被害者の過去の炎上被害歴、時系列に並べろ。事件の発見順と横へ置け」
「犯人の動機ですか」
「まだ断定するな」
真壁は言った。
「でも、社会に食われた履歴を持つやつばかりだ。偶然にしては出来すぎてる」
捜査員は黙ってうなずき、資料を取りに走った。
そこへ九条雅紀が入ってきた。医務院からそのまま来たらしく、目の下の疲れは薄く残っている。それでも歩き方は一定だ。倒れないほうの限界で保っている顔だった。
「どうだ」
真壁が訊くと、九条はホワイトボードを一瞥してから答えた。
「同時大量殺人に見せているだけだ」
「やっぱりか」
「死亡順も、移送順も、発見順も揃わない」
九条は壁の現場図へ近づいた。
「死後の処置も統一されてない。統一する気がない」
「何でだ」
「揃えると一件に見えるから」
九条は淡々としている。
「この犯人は、一件にしたくない。増え方が綺麗だと、社会が安心して数える」
「安心して数える、か」
「うん」
九条は短く言った。
「数えにくくしたいんだよ。どこまでが一件で、どこからが別なのか、最初に読む頭を壊したい」
真壁はその言葉を聞いて、昨日までの違和感がやっと言葉になった気がした。
社会に正確な被害者数を扱わせない。
見出しと断定だけで人を消費する仕組みそのものへ、犯人は殴り返している。
「死体に詳しいんじゃない」
九条が昨日と同じように言う。
「死体の読まれ方に詳しい」
「情報の読まれ方とも繋がるな」
「そうだな」
九条はホワイトボードから視線を外した。
「で、二階堂は」
「起きた」
真壁が答える。
「また出る気でいる顔だろうな」
「だろうな」
「面倒くさい」
「知っている」
二人とも同じような返しをして、少しだけ口元を緩めた。こういう時にしか出ない種類の一致だった。
*
二階堂が対策本部へ戻ったのは、午前十時前だった。
顔色は落ちていない。落ちていないように整えてある。だが昨夜までと違うのは、部屋へ入ってすぐ自分の机へ一直線に向かわなかったことだった。まず全体を見た。誰がどこで何を抱えているか、誰の画面に何が出ているか、何が滞っているか。その確認に数秒使う。
それから自席へ座り、資料の束を広げる。
真壁は離れた位置からその動きを見ていた。何かが変わった、とまでは言わない。だが、変えようとしている感じはある。
二階堂はまず、自分の前へメモ用紙を三枚置いた。一枚目に「真壁」、二枚目に「九条」、三枚目に「被害者対応」と見出しを書く。字は小さいが迷いがない。
そこへ、今日の会見で誰にどこを喋らせるか、順番を書き始めた。
真壁には現場と時系列。発見導線、端末履歴、なぜ被害者数の認識が揺れたか。物理と順番の話。
九条には死亡順、死後移送、遺体の成立と発見単位のズレ。死体の読みの話。
被害者対応担当には、遺族への通知と連絡の順、生存者や関係者の保護、非公表の理由。
自分は、その接続。順番。言葉の継ぎ目。公開範囲の管理。必要なところだけを受け持つ。
真壁はそのメモを見て、少し黙った。
前なら、全部自分で持とうとしただろう。説明も、防御も、境界の固定も。だが今、二階堂は自分用ではなく、他人のための説明順を作っている。
それは後退ではなかった。むしろ、盤面を自分一人のサイズから外へ広げ始めたように見えた。
「珍しいことしてるな」
真壁が声をかけると、二階堂は顔を上げた。
「何が」
「人に喋らせる気になったのか」
「必要だから」
「昨日までと違う理由だな」
二階堂は一瞬だけ沈黙し、それからメモへ視線を戻した。
「昨日までのやり方だと、途中で盤面が切れる」
言い方は相変わらず冷静だった。
「私が全部持てば済む範囲じゃなくなってる」
「やっと認めたか」
「認めたくはない」
「そうだろうな」
真壁は少しだけ口元を歪めた。
「でも、認めないとまた倒れる」
二階堂は否定しなかった。
そこへ九条が入ってくる。手には所見要約の紙が数枚。
「これ」
二階堂がメモを一枚差し出した。
「お前の説明順」
九条は受け取り、ざっと目を通した。
「ちゃんとしてるな」
「失礼だな」
「褒めている」
九条は紙を折らずに机へ置いた。
「今日は全部喋らないのか」
「喋らない」
「そうか」
「不満か」
「別に」
九条は淡々と返す。
「普通の広報官じゃなくなるなら、そのほうがいい」
二階堂は何も言わなかったが、その一言だけは確実に受け取った顔だった。
*
最終会見は、前回までとは空気が違っていた。
もちろん、善意に満ちていたわけではない。記者たちは相変わらず鋭いし、切り抜きを狙う目もある。二階堂の名前を見て身を乗り出す記者もいる。会見室の外では、いまだに彼への批判も流れている。
だが、今回は盤面の置き方が違った。
中央に二階堂。左右に真壁と九条。さらに少し離れた位置に被害者対応の担当者。広報責任者が全部を抱えている形ではない。最初から、説明の単位が分けて置かれている。
それだけで、切り抜きの力は少し弱くなる。
誰が何を説明するかが明確なら、一人の人格へ全部を押し込めにくい。
会見開始前、二階堂はマイクの前で一度だけ資料を確認し、ネクタイの結び目へ指先を触れた。癖は相変わらずだ。だが、そのあと視線を左右へ流し、真壁と九条にごく小さくうなずいた。
それが合図だった。
「本日は、一連の事案について、確認できた事実を順番を分けて説明します」
二階堂が言う。
「まずお伝えするのは、なぜ被害者数の認識が現場ごとに揺れたのか。その物理的な要因です。続いて、遺体の成立順と発見単位が一致しなかった理由。最後に、非公表としてきた情報の範囲と、その理由を説明します」
前回までの会見なら、ここで一人の説明が長く続いたはずだ。だが今日は違う。
「説明責任は、早く喋ることではありません」
二階堂は一拍置いて言った。
「間違った順番で傷を広げないことです」
会見室が静かになる。
その一言は、前の二階堂なら言えなかった種類の言葉だった。同じ冷たさはある。だが、冷たさの向きが変わっている。相手を切るためではなく、順番を守るための言葉になっている。
最初に真壁が前へ出た。
現場の導線、発見位置、通報時刻、防犯カメラのズレ、被害者端末の履歴。被害者数が増えたのではなく、「どう増えて見えるか」が設計されていたことを、物理と時系列の側から説明する。
「最初の通報時点で二人に見え、後から三人になるように置かれていた」
「別件か関連か分からない一体が数十分ずれて加わるよう、導線が分けられていた」
「一部の被害者には、発見直後に意味ありげに読まれる履歴が意図的に残されていた」
真壁の言葉は飾りがない。だが、そのぶんだけ強い。現場に立って見たものだけで線を引く人間の声だった。
記者席から質問が飛ぶ。
「つまり犯人は、警察発表の混乱まで織り込んでいた?」
「織り込んでいた可能性が高い」
真壁は答える。
「被害者数を正確に数えにくくするだけじゃない。誰の死が先に目立つか、どう見出しになるかまで触ってる」
そこで二階堂が短く引き取る。
「次に、遺体の読みの側から説明します」
この引き継ぎがあるだけで、会見の流れは不思議と安定する。一人の人格に全圧が集まらない。構造として説明が並ぶ。
九条はマイクの前に出ても、ほとんど表情を変えなかった。
「一緒に見つかった遺体が、一緒に死んだ単位とは限らない」
第一声がそれだった。
「今回の事案では、死亡時刻、死後の移送、付着環境、処置の痕が揃っていない。つまり、“同時大量殺人”に見せかけながら、実際には死の順と発見の順が崩されています」
「医療知識がある犯人ということですか」
記者が問う。
九条は少しだけ考えてから答えた。
「死体に詳しいんじゃない」
一拍。
「死体の読まれ方に詳しい」
会見室の空気が、また少し変わる。
その言葉は、事件の核心を短く示していた。医療知識を誇示したいのではない。死体がどう見えるか、どう読まれるか、どう意味づけられるか。そこへ執着している犯人だということが、専門的すぎない言葉で伝わる。
記者席の何人かは、初めて本質の輪郭に触れた顔をしていた。
九条はそれ以上広げない。必要なことだけを言って引く。いつもの九条だった。
最後に被害者対応担当が、遺族通知と非公表の理由を説明する。誰を守るために、どこまでを伏せていたのか。病院の導線制限は隠蔽ではなく、未通知の関係者と一般患者を守るためだったこと。生存者や関係者の生活圏をこれ以上傷つけないための措置だったこと。
そこまで来て初めて、二階堂はまた前に出た。
「事実を出すことと、傷を増やすことは同じではありません」
低い声で言う。
「今日は、その順番を間違えないために、この形を取りました」
前回の会見なら、ここへ皮肉に聞こえる冷たさが乗ったかもしれない。だが今日は違う。冷たいままなのに、切っ先が人へ向いていない。構造へ向いている。
それが変化だった。
質疑応答に入っても、二階堂は全部を一人で抱えなかった。
現場の順序を問う質問は真壁へ振る。
遺体の成立順を問うものは九条へ渡す。
遺族対応の範囲は担当者へ繋ぐ。
自分は接続だけを担う。質問の流れを切らず、しかし不必要な延焼を起こさない順に並べ替える。
「ご質問のうち、現場配置の部分は真壁から」
「その点は九条が説明したほうが正確です」
「個別事情に踏み込みますので、ここから先は差し控えます。ただし理由は担当から」
それは後退ではなく、明らかに前より大きな仕事だった。誰を前へ出し、どこで切り、何を残すか。その設計を一人でやっている。
九条の言葉が、ここでようやく形になっていた。
一人でやれることしかできないなら普通だろ。
つまり、人を使え、ではなく、盤面ごと持て、ということだったのだろう。
もちろん、炎上が完全に消えたわけではない。
記者の中には依然として、二階堂の過去発言や前回会見の責任へ話を戻そうとする者がいる。
「前回の発言について、謝罪は」
その問いに対し、二階堂はわずかに視線を上げた。
「必要な見直しはしています」
そこで切る。
「ただし、今回優先するのは、事実と順番の整理です」
謝罪で終わらせない。感情の処理で事件を小さくもしない。その線引きもまた、前よりはっきりしていた。
燃えるものは燃える。
だが、どこまで燃やすかは選べる。
そのことを、二階堂はようやく使えるようになり始めていた。
*
会見後、庁舎の裏手へ回ると、空気はまだ少し熱を持っていた。配信機材の撤収、記者の立ち話、広報職員の小走り。だが前回のような壊れ方ではない。流れは荒れていても、どこで何を言ったかが明確なので、一人の人格へ全部を押し込めにくい。
堀島がすでに端末を見ていた。
「切り抜き、出始めてます」
二階堂が受け取る。
真壁が横から覗くと、前回のような“冷たい一言”だけを強調したものは少ない。あるにはある。だが、真壁の説明や九条の言葉、被害者対応の説明も同時に並んでいる。燃え方が分散しているというより、燃えられる形が限定されている感じだった。
「まだ見るのか」
真壁が言う。
二階堂は端末から目を離さない。
「飼い慣らすなら、癖を知る」
「気色悪い言い方だな」
「今さらだろ」
その返しに、真壁は少しだけ口元を緩めた。
九条が遅れて出てきた。会見中は持ちこたえていたが、終わった途端に小さく咳をした。真壁は無言で自販機の水を一本投げるように渡す。
九条が受け取り、少し眉を上げた。
「珍しいな」
「うるさい」
「ありがとう」
素直に礼を言うところが、こういう時だけ少し腹立たしいと真壁は思う。
そこへ堀島が、また当然のような顔で栄養ゼリーを差し出した。
「栄養ゼリーあります。必要かと思って」
二階堂は半笑いに近い顔をした。
「お前、本当にそういうとこだよな」
「便利なので」
堀島は平然としている。
九条が水を飲みながら言う。
「今日は倒れなかったな」
「おかげさまで」
二階堂が返す。
「礼を言う相手、違うだろ」
真壁が言うと、二階堂は端末をポケットへしまい、少しだけ肩をすくめた。
「じゃあ、お前にも」
「気持ち悪い」
「知ってる」
その短いやりとりに、ようやく終わりの体温が戻ってくる。湿っぽくない。大げさでもない。ただ、ひとつの夜とひとつの会見を越えた人間たちの、少しだけ緩んだ空気だった。
*
事件の核心が公式に固まったのは、その翌日だった。
犯人は被害者の一人の旧知であり、過去に集団的な断罪と誤報で家族を失った経歴を持っていた。社会は事実より先に見出しを信じる。人数に酔い、断片に飛びつき、誰かの輪郭を勝手に決める。その雑な認識そのものに復讐したかったのだと、供述の断片にも、現場の設計にも、被害者の選び方にも一致が見えた。
人を殺したかったのではない。
正確に数えられず、正確に読めず、正確に責任の置き場を持てない社会そのものを壊したかった。
そのために、死体の発見順、身元確認順、情報流通順をいじった。
人は死ぬだけでなく、雑な断定によっても社会的に殺される。
それが、この事件のいちばん冷たい核だった。
夕方、対策本部の解散前に、真壁は窓際でそれを思い返していた。犯人を憎まないわけではない。だが、犯人が殴りつけようとした相手の輪郭だけは、嫌になるほど分かる。自分たちもまた、その雑な断定を止めきれる側ではないからだ。
「何考えてる」
横から二階堂が声をかけた。
真壁は窓の外を見たまま答える。
「面倒な事件だったな」
「終わっても面倒だけどな」
「だろうな」
二階堂の端末には、まだ炎上の残り火がある。完全に消えたわけではない。これからもしばらくは、切り抜きも、雑な人格確定も残るだろう。
だが、それでももう前とは違う。
前の二階堂は、燃やされる側でしかなかった。今の二階堂は、どこが燃えていて、どこへ延焼させてはいけないかを見ている。火を消しきるのではなく、暴れさせる範囲を決めている。
その違いは大きかった。
「まだ見るのか」
真壁がもう一度、二階堂の端末を見て言う。
「見る」
「飽きないな」
「燃え方を忘れると、次に同じ場所を焼かれる」
真壁は少しだけ呆れた。
「本当に、お前はそういう言い方しかできないな」
「今さらだろ」
そこへ九条と堀島が合流した。九条はまだ少し咳が残っている。堀島は当然のように水とゼリーを持っている。
「必要かと思って」
真壁は思わず笑いそうになった。
「お前、それ万能か」
「便利なので」
堀島が答える。
九条は水を受け取りながら、二階堂へ視線を向けた。
「普通の広報官じゃなくなったな」
二階堂は一瞬だけ黙り、それから端末を閉じた。
「褒めてるのか」
「一応」
「気持ち悪いな」
「知っている」
真壁が横で鼻を鳴らす。
「お前ら、そればっかりだな」
「便利なんだよ」
九条が淡々と返す。
二階堂は小さく笑った。ほんの少しだけだったが、その笑いは、前までみたいな自己防衛の平板さとは違って見えた。
外では、まだ何本かのニュース速報が流れている。事件は解決した。だが、炎上の残り火は完全には消えていない。雑な断定も、切り抜きも、これから先もなくならないだろう。
それでも、もう二階堂はその火へ無防備な燃料として立ってはいない。
火の性質を知り、燃える場所と燃やしてはいけない場所を分け、必要なら自分も前へ出る。だが、全部を一人で抱え込んで、自分ごと焼き切るやり方はもう選ばない。
それは優しさではない。
冷たさの更新だった。
そして、その冷たさこそが、たぶんこの男にいちばん似合っている。




