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二階堂壮也、炎上を飼う。Again  作者: 綾見 恋太郎


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第三話 広報官、燃える

 会見室の照明は、死体を見る光とは別の種類の冷たさを持っている。

 白い。均一だ。誰の顔も同じ明るさで照らし、同じだけ逃げ場をなくす。現場の街灯みたいに陰を残してくれないぶん、そこで言ったことも言わなかったことも、全部が輪郭を強くしすぎる。

 二階堂壮也は、会見室の机の端に置かれた配布資料へ目を落としていた。

 紙は三種類に分かれている。冒頭説明用の一枚。質疑応答で見失わないための想定問答集。内部向けの注意点メモ。内容は似ているようで違う。似ているからこそ、順番を間違えると終わる。

「一部、差し替えです」

 職員が新しい紙束を持って入ってきた。

 二階堂は受け取り、ホチキスの位置とページ番号を一目で確認した。

「ここ、まだ『確認された被害者数』になってるな」

「え」

「『被害人数は関連事案を含め確認中』へ戻して」

「先ほど直したはずですが」

「三ページ目の要約欄だけ残ってる」

 職員は青ざめた顔で紙束をめくった。

「あ、すみません」

「謝るより差し替えを先に」

「はい」

 二階堂は紙を返し、別の資料へ目を移した。謝罪を責める気はない。だが、謝っている間に進むものが一つもないことも分かっている声だった。

 会見開始まで十五分。会場の後方ではカメラ位置の最終調整が進み、前列の席では記者が名刺を入れたままの手帳を開いている。配信用の回線確認をする担当者が、壁際でイヤホンに触れながら小さく頷いた。フラッシュの試し焚きが二度走り、白い壁に光の残像が滑る。

 その光景を見ながら、二階堂は頭の中で順番をもう一度なぞっていた。

 最初に言うのは現場数。次に遺体確認の事実。ただし数字は断定調にしない。そのあと関連を含め確認中であること。個別の被害者情報、現場詳細、捜査手法については非公表。理由は捜査と確認作業の優先、未通知の遺族対応、模倣や二次被害の防止。その三つ。順番を崩さない。感情を足さない。余計な比喩を入れない。

 言葉は少ないほどいい。

 少ないほど、外した時の傷も小さくなる。

 だが同時に、少なすぎると、聞く側はそこへ勝手に別の意味を足す。

 その危うさは分かっていた。分かっているからこそ、余計な温度を自分から乗せない。感情で埋めた空白は、あとでいちばん悪い形に切り取られる。そういう種類の場だと、二階堂は前から知っていた。

「真壁さん、ここです」

 会見室の入口近くで、案内担当が小声で言った。

 真壁彰は軽く会釈し、最後列寄りの壁際に立った。正面に長机。中央にマイク。左右に配布資料。前列の記者席にはすでに十数人が座り、後ろには立ち見の取材陣が増え始めている。フラッシュを浴びるのが商売の人間たちではあるが、今日の空気は普段と少し違った。待っているのは説明ではない。何かが定まる瞬間を待っている。

 もっと言えば、定まりきらないものが言葉の上でどう無理に定まるか、その綻びを待っている空気だった。

 真壁はそういう場が嫌いだった。現場ではまだ分からないことを、分かったように並べ替えていく手つきがある。死体に対しても、人間に対しても、見たい形へ整えようとする目がある。その手つきが今日は会見室の中へ持ち込まれている気がした。

 二階堂は前方の机の端に立ち、最後の確認をしている。顔色も姿勢も崩れていない。相変わらず整っている。ただ、その整い方が今日は少しだけ硬かった。緊張というより、最悪の盤面に合わせて可動域を狭めている感じに近い。

 真壁はそれを見て、また少しだけ腹が立った。

 ああいう時の二階堂は、自分を一番使いやすい形にしすぎる。感情が邪魔になるなら削り、迷いが邪魔になるなら後回しにする。そういうやり方は、場面によっては強い。だが見ている側には、少しきつい。

 会見室の脇の通路で、九条雅紀が壁にもたれていた。主には出ない。医務院や遺体情報へ視線が集まりすぎるのを避けるためだ。二階堂がそう決めた。九条も異論はなかったらしい。

「見に来たのか」

 真壁が声をかけると、九条は視線だけを向けた。

「一応」

「主役じゃないぞ」

「知っている」

 九条の声はいつも通り低い。昼間より呼吸は落ち着いているように見えた。堀島に吸入器を使わせられたのが効いたのかもしれない。だが完全ではない。呼吸の深さが戻りきっていないことくらいは、真壁にも分かった。

「まだ悪いか」

「平気」

「平気って顔じゃない」

「お前も二階堂みたいなこと言うな」

 真壁は鼻で笑った。

「言い方が悪いんだよ、あいつは」

「本質は外してない」

「分かってる。でも言い方が悪い」

 九条は否定しなかった。否定しないかわりに、会見室のほうへ視線を戻した。

「外し方はしてない」

「お前、庇うわけじゃないんだな」

「庇う必要もない」

 それが九条らしかった。二階堂のやり方が嫌われるだろうことも分かっている。だが、本質がずれていない限り、それを丸めてやる気もない。

 真壁は小さく息を吐いた。三人とも、面倒なやつばかりだと思う。

   *

 定刻の一分前、会見室のざわめきが少しだけ沈んだ。関係者が前へ出て着席する。二階堂は中央。左右には警察側の補助と記録担当が一人ずつ。ただし喋るのは実質、二階堂一人という配置だった。専門職を矢面に出さないため。捜査の詳細を不用意に割らないため。遺体の情報を表の見世物にしないため。全部、理屈は通っている。

 だがその理屈の結果、正面の光を最も強く浴びる位置に座るのもまた二階堂一人だった。

 冒頭説明が始まる。

「本日未明より、都内複数箇所において複数の遺体が確認されております」

 声はよく通る。大きくないのに、会見室の奥まで届く。

「現時点において、現場間の関連を含め確認作業を継続中です。被害人数、個別の被害者情報、現場の詳細につきましては、捜査および確認作業を優先していることから、現段階での公表は差し控えます」

 記者のペン先が一斉に走る。配信カメラの赤いランプが点く。フラッシュはまだ控えめだ。

「なお、ご遺族への通知および関係各所との照合作業が継続しているため、未確定情報の公表は避けます。模倣的行為や二次被害を防ぐ観点からも、一部情報については非公開とします」

 淀みがない。説明としては正しい。余分な一言もない。だからこそ、真壁には少し危うく見えた。感情を抑えすぎると、人は勝手にそこへ「冷たい」という札を貼る。

 冒頭説明が終わると、司会が質疑応答へ移った。

 空気が変わる。

 待っていたものが動き出す気配だった。

「被害者数を明言しない理由は、単に把握できていないからですか。それとも、公表したくない事情があるんですか」

 一人目の記者が手を挙げて問うた。問い方がすでに二択だった。

「把握の工程にある、ということです」

 二階堂が答える。

「複数現場の関連を含め確認中であり、現時点で確定した数字を示せる段階にありません」

「しかし、すでに一部報道では五人、あるいはそれ以上という情報も出ています」

「報道内容へのコメントは差し控えます」

「否定はしない?」

「確認中の情報について、肯定も否定もいたしません」

 フラッシュが少し増えた。記者の一人がすぐに続ける。

「つまり、数字は出せないと」

「出せない、ではなく、今この時点で確定させるべきではない、です」

 二階堂の言い換えは正確だった。だが真壁は、その言い換えの冷たさがそのまま見出しになる絵を、容易に想像できた。

「ご遺族への通知が終わっていないから、ということですか」

 別の記者が訊いた。

「未通知のご遺族がいる以上、先にお渡しする情報ではありません」

 二階堂が答えた瞬間、真壁は内心で舌打ちしたくなった。

 正しい。完全に正しい。だが、その言い回しは悪い。

 会見室の後方で九条が少しだけ目を細めた。表情は変わらない。だが、あの一言がどう切り取られるかは分かっている顔だった。

「お渡しする情報ではない、というのは、報道機関に対して秘密にしているという意味ですか」

 食い下がる声が飛ぶ。

「秘密ではありません」

 二階堂は抑揚を変えない。

「順番の問題です。まず通知されるべき相手がいます」

「しかし市民の不安は高まっています」

「不安を理由に未確定情報を先行させることはしません」

 またペンが走る。真壁には、その場で紙へ書きつけられた言葉が、すでに別の誰かの口調になっているように見えた。

「現場が複数あるにもかかわらず、関連を強く示唆しているのはなぜですか」

 今度は比較的落ち着いた女性記者だった。声の調子からして、画より情報を取りに来ているタイプだと分かる。

 二階堂はその問いには、少しだけ丁寧に向き直った。

「強く示唆はしていません。関連の可能性を含め確認中、と申し上げています」

「では、別件の可能性もある」

「あります」

「その段階で会見を開く必要は?」

「情報の空白が、未確認情報の拡散を招くためです」

 これはいい答えだと真壁は思った。簡潔で、ずれていない。だが同時に、もっと悪い問いが来る気もした。

 案の定、別の席から声が飛ぶ。

「空白が問題なら、人数くらい示すべきでは?」

「人数だけ先に示すと、今度はその数字が独立して走ります」

 二階堂は一拍置いた。

「被害者数を先に競う気はありません」

 その瞬間、会見室の空気がほんのわずかにざわついた。

 真壁は頭を抱えたくなった。

 言っていることは分かる。分かるが、それは言い方が悪い。悪すぎる。

 記者の一人がすかさず噛みつく。

「競う、とは誰がですか。報道機関がそうしていると?」

「そうは言っていません」

「では何を指しているんですか」

「数字が先に流通する状態そのものです」

 二階堂の声は一定だった。

「今回のような事案では、数字だけが切り離されて広がることで、確認中の情報まで確定したものとして扱われやすくなります。そこを避けたいと申し上げています」

 理屈は通っている。だが、今の「被害者数を先に競う気はありません」だけは、もうたぶん切り出される。真壁はそう確信した。

 質疑は続いた。

 遺体の属性は。年齢層は。性別は。凶器は。現場に共通点は。通り魔の可能性は。市民は何に注意すべきか。個別の問いの中に、善意も悪意も混ざっている。本気で不安を減らしたい人間もいる。先を越したい人間もいる。刺激的な一語だけを持ち帰りたい人間もいる。

 二階堂はそれをたぶん見分けていた。同じ温度では答えていない。

 不安を前に出して訊く記者には、必要な範囲で市民への注意喚起を加える。

 数字だけを引き出そうとする記者には、短く切る。

 遺族感情を盾にするような問いには、一層平板な声になる。

 その差配自体は的確だった。だが外から見れば、相手によって態度を変えているようにも映る。

 それがまた悪い。

「現時点で申し上げられるのは、外出自粛を呼びかける段階ではないということです」

「被害者の共通点は確認中です」

「属性情報は、確認作業が被害者本人に収束していないため控えます」

「現場の詳細は模倣防止の観点から非公表です」

「未通知のご遺族がいますので、その点もご理解ください」

 理解ください、という一語を使った時だけ、真壁は少しだけ救われた気がした。だがその程度で流れが変わる場ではない。

 会見時間は三十分の予定だった。だが二十分を過ぎたあたりから、記者の声の飛び方が変わってくる。質問ではなく、確認を装った断定が混ざり始めた。

「つまり、人数も属性も出せないほど混乱している、と」

「その表現は正確ではありません」

「情報管理が追いついていないのでは」

「管理の問題ではなく、確認の工程です」

「それは同じでは?」

「違います」

 短い応酬が何度か続く。会場後方で、配信カメラが少しずつ前へ寄る。二階堂の表情が抜けやすい角度を探しているのが分かった。

 真壁は壁際で腕を組んだまま、どうにも嫌な気分だった。二階堂が外しているとは思わない。むしろ正しい。だが、正しいことをそのまま通すだけでは済まない場所で、あいつは正しいままで立っている。

 それは強いが、損耗も早い。

 九条は会見室の外から、それを静かに見ていた。真壁が小声で言う。

「言い方が悪い」

 九条は視線を前に向けたまま答えた。

「分かる」

「でも外してないって思ってる顔だな」

「外してない」

「庇わないのか」

「庇っても意味がない」

 九条は一拍置いた。

「こういうのは、あとで勝手に決められる」

「何を」

「人柄」

 真壁は少しだけ苦いものを飲み込んだ。ああ、そうだ。会見で決まるのは事実だけではない。喋った人間がどんな人間か、全文を見ていない誰かが勝手に決め始める。

 今回それがいちばん早く起きるのは、たぶん二階堂だ。

   *

 会見が終わったのは予定より七分遅れだった。

 司会が終了を告げても、まだ何人かの記者が声を上げていた。二階堂は椅子を引き、最低限の会釈だけして立ち上がる。表情は変わらない。疲れを見せるでもなく、勝った顔もしない。ただ、もう会見という工程は終わったと判断した人間の顔だった。

 会見室の裏手へ入ると、急に照明の色が変わる。白い表の光から、蛍光灯のくすんだ裏の光へ。そこでようやく空気の硬さが少しだけ解ける。だが緩みではない。表が終わったぶん、次の処理が始まるだけだ。

「どうでした」

 職員が恐る恐る訊いた。

「まだ分からない」

 二階堂は短く答えた。

「要約の出方を見ます」

「記者クラブ側から追加説明の要望が来るかもしれません」

「来たら受ける。ただし数字は増やさない」

「はい」

 別の職員が端末を差し出す。

「配信のクリップがもう出始めています」

 二階堂は受け取った。

 最初に目に入ったのは、会見全体ではなく十数秒に切り取られた動画だった。

 『未通知のご遺族がいる以上、先にお渡しする情報ではありません』

 字幕がそのまま被せられている。前後は切れている。問いかけの文脈もない。返答のあとに続いた説明もない。ただ、その一文と、少し低い声の二階堂の顔だけが残っている。

 二つ目のクリップには、

 『被害者数を先に競う気はありません』

 という字幕が付いていた。

 こちらも同じだ。前後がない。説明もない。そこだけを見ると、報道機関に向かって冷たく言い放った人間に見える。

 二階堂は画面を数秒見てから、ネクタイの結び目へ指先を触れた。

「始まったな」

 言葉はそれだけだった。

 職員は返事に詰まる。真壁は少し遅れて裏通路へ入ってきて、その端末画面を横から見た。まだ一部だ。だが速い。会見室を出て十分も経っていない。もう要約が要約を呼び、短い言葉だけが独立している。

「早すぎるだろ」

 真壁が言う。

「こういうのは早い」

 二階堂は端末を返した。

「全文が出る前に、印象だけ走る」

「分かってて言ったんだろ」

「分かってて言った」

「ならもう少し何とかならなかったのか」

 二階堂はそこで初めて、ほんの少しだけ真壁を見た。

「何とかして、あの二文を消したら別のところが崩れる」

 言い方は静かだった。

「順番を守るなら、あそこは必要です」

「燃えるぞ」

「もう燃えてる」

 そう返されると、真壁もそれ以上は言えなかった。

 九条が少し遅れて裏通路へ来た。表へは出なかったが、終盤の流れは見ていたらしい。

「外したか」

 二階堂が訊く。

 九条は数秒考えたように見えてから答えた。

「外し方はしてない」

「言い方は」

 真壁が横から言う。

「悪い」

 九条は即答した。

 二階堂が鼻で笑う気配だけ見せた。

「お前ら今日はそこだけ一致してるな」

「今日は、じゃない」

 真壁が返す。

「いつもだ」

 九条は端末のクリップ画面をちらりと見た。

「ここだけなら最悪だな」

「だろうな」

 二階堂は否定しない。

「でも、全体を見ても柔らかくはならない」

「知っている」

 九条は淡々と言った。

「だから余計に切りやすい」

 二階堂はそれにも返事をしなかった。

   *

 夕方六時を過ぎる頃には、炎上はもう“兆し”ではなくなっていた。

 最初は短い要約だった。冷たい、感じが悪い、言い方が上からだ。そこへ記者会見の切り抜きが重なり、字幕が付く。さらに、その字幕だけを見た人間が「遺族より報道を下に見た」「被害者数を隠している」「競うなという言い方が酷い」と断定する。断定した言葉がまた別の要約を呼び、会見を一度も見ていない人間が、もう二階堂壮也という男の輪郭を語り始める。

 庁舎内のモニターには情報番組の速報が流れていた。

『冷たい会見? 広報担当の発言に波紋』

『被害者数「競う気はない」発言に批判も』

『情報非開示の背景は』

 見出しだけなら、まだマシな部類だった。もっと雑な断定は、画面の外で進んでいる。

 記者クラブ対応の職員が走り込み、二階堂のいる部屋へメモを渡した。

「追加問い合わせが増えてます。特に『競う気はない』の真意について」

「答えは同じです」

「補足コメントは」

「今は出さない」

「誤解が広がります」

「分かってます」

 二階堂はまた同じことを言う。

「今ここで感情的な補足を足すと、もっと悪くなる」

 その判断が間違っているとは、真壁にも言えなかった。たぶん本当にそうだ。今ここで「誤解です」「冷たい意図はありません」と付け足せば、そこだけがまた別の切り抜きになる。

 だが、間違っていないことと、楽であることは別だ。

 真壁は部屋の端で腕を組み、端末へ流れていく短い投稿を見ていた。要約の要約、そのまた要約。断定の速度だけが異様に速い。

『この広報、被害者を数字扱いしてない?』

『冷静じゃなくて冷酷』

『言い方に人間味がなさすぎる』

『誰だよこの人』

『イケメンなのに顔が怖い』

 最後のあたりになると、もう発言内容と関係がない。

 真壁は舌打ちしそうになり、ぎりぎりでやめた。怒っても仕方がない。だが腹は立つ。全文を読むより先に人間の輪郭だけ定めようとする目は、現場で見た“死体の見え方だけを先に決める手つき”とどこか似ていた。

 その時、捜査側から新しい報告が入った。

 路地の一体目と、新宿の二体のうち一人。被害者の端末に残っていた通知の時刻と、実際の行動ログにずれがあるという。しかも、発見が早かった遺体ほど、身元に繋がる所持品が分かりやすく残されている。逆に後から見つかった遺体ほど、身元確認の入口が少ない。

 真壁はその紙を受け取り、しばらく黙った。

「やっぱりか」

 誰にともなく漏れた声に、九条が反応する。

「何が」

「名前の出方まで弄ってる」

 真壁は紙を差し出した。

「最初に見つかったやつほど、身元へ早く届く。あとで見つかるほうは入口が少ない」

 九条は報告書へ目を落とし、短く息を吐いた。

「死体の順番だけじゃない」

「だろ」

「発見後の速度も揃えている」

「被害者情報の出方まで設計してるとしか思えない」

 九条は数秒黙ったあと、報告書を戻した。

「だから数字が先に燃える」

 その一言で、真壁は会見の切り抜き画面へ目をやった。二階堂の発言が燃えている。だがそれは会見の失敗だけではない。犯人がやっていることそのものと地続きだ。どの数字で社会が事件を認識するか。誰の名前が先に外へ出るか。何が最初に“確定した事実らしく”見えるか。

 会見で燃えたのは、事件の外で起きた事故ではない。

 事件そのものが、そういう燃え方を呼ぶように作られている。

「真壁」

 九条が低く呼ぶ。

「会見のほう、別件じゃない」

「分かってる」

「犯人の盤面の中だ」

「分かってるよ」

 真壁は少しだけ強く返してしまった。苛立ちではない。分かっていることを言葉にされると、余計に腹の底が冷えるからだ。

 二階堂はそのやり取りを聞いていたはずだが、何も言わなかった。ただ、端末の画面を一度閉じ、机上の会見原稿へ視線を落とした。傷ついていないわけではない、と真壁は思う。たぶん傷ついている。だが、その処理を感情として表へ出す前に、全部を工程へ放り込んでいる。

 そういう男だ。

   *

 夜に近づくにつれ、庁舎の中は静かになるどころか、妙にひそやかなざわつきを増していった。表立って騒ぐ人間はいない。だが誰もが端末を見ている。見てはいけないように見えて、やはり見てしまう。会見の切り抜きがどう回っているか、どの見出しが付いたか、何が次に来そうか。それを知っておかないと、次の対応の順を誤るからだ。

 二階堂は休まなかった。会見後の問い合わせ整理、追加説明の取捨選択、警察側との文言すり合わせ、夜の報道番組へ出すコメントの最終確認。机に座っている時間は長いのに、落ち着いているようには見えない。視線の移動だけが速い。

「追加で出すなら、この一文だけです」

 職員へ向けて言う。

「『被害人数その他の個別情報については、確認作業継続中のため現時点での変更はありません』。これ以上は足さない」

「『誤解を招いた』などは」

「入れない」

「批判が強まるかもしれません」

「分かってます」

 またそれだ、と真壁は思う。

 分かっている。全部分かっていて、それでも切る。だから見ている側は余計に嫌な気分になる。

 九条は途中で医務院へ戻った。新しい照合が入ったからだ。帰り際、二階堂に向かって何か言うかと思ったが、何も言わなかった。ただ扉のところで一度だけ振り返り、「外し方はしてない」とだけ置いて行った。

 二階堂は「そうか」とも言わず、ほんのわずかに顎を引いただけだった。

 あれで会話が成立するのだから、不思議な関係だと真壁は思う。

 夜八時過ぎ、ようやく一つの山が引いた。問い合わせの波が少しだけ緩み、部屋の中の人間たちが息を吐く。誰かが紙コップのコーヒーを差し出し、二階堂は受け取ったが、すぐには飲まなかった。

 真壁は壁際の時計を見てから言う。

「終わった感じじゃないな」

「終わってない」

 二階堂が答える。

「始まっただけです」

「よくそんな顔で言えるな」

「どんな顔だ」

「想定内の顔」

 二階堂はそこで初めて少しだけ口元を動かした。笑ったわけではない。

「想定内だよ」

「傷ついてないみたいに聞こえる」

「傷ついてないと都合がいいなら、そう見てくれて構わない」

 真壁は返す言葉に少し詰まった。

「嫌味か」

「事実だ」

 声は低いままだった。

「今は、そう見えるほうが処理しやすい」

 それを聞いて、真壁は腹の底が重くなった。ああ、こいつは本当にそういうやつだ。傷つく前に、傷を仕事の工程へ入れてしまう。だから本人は回る。だが、ずっとそのままでいられるわけがない。

「面倒くさいな、お前」

 真壁が言うと、二階堂はようやくコーヒーへ口をつけた。

「知ってる」

 短い返答だった。

 部屋の端のモニターには、また新しい要約番組の予告が出ていた。二階堂の静かな顔と、字幕の大きな文字が並んでいる。

『被害者数を先に競う気はありません』

 それを見上げながら、真壁は思った。

 燃えている。

 だが燃えているのは二階堂一人ではない。数字も、言葉も、順番も、全部が一緒に燃え始めている。犯人はたぶん、それを最初から見ていた。死体をどう置くかだけではなく、どう見つけさせ、どう数えさせ、どこで誰を燃やすかまで含めて。

 その中で、二階堂は分かっていて前に立った。

 可哀想だとは思わない。そんな形で書く男ではない。

 ただ、最初から燃えると分かっている場所へ、自分で椅子を引いて座った人間の顔をしていると思った。

 廊下へ出ると、庁舎の窓の外はもう完全に夜だった。街の明かりが薄く滲み、ガラスへ自分たちの姿を映している。

 真壁は背後の気配で、二階堂がまだ部屋の中にいることを知った。たぶん端末を見ている。流れていく要約を確認し、次の対応を頭の中で切っているのだろう。

 今夜のうちに火は消えない。

 それどころか、朝にはもっと形を変えて燃えるはずだ。

 そして、その火は事件の外で勝手に起きているのではない。

 事件の中に最初から組み込まれていた。

 真壁はその事実だけを胸の奥へ重く沈めたまま、エレベーターへ向かった。ここから先は、死体の数だけでは済まない。数字の出方も、言葉の順番も、人の見られ方も、全部が捜査の外側で別の事件になっていく。

 その最初の火は、もう十分に燃え上がっていた。


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