番外編 第七話 「誰が一番モテるか」で若手が揉める日
庁舎の自販機前スペースは、休憩所というには狭く、立ち話には都合がよかった。
壁際に丸テーブルが二つ、プラスチックの椅子が四脚。自販機が二台。昼時を外せば比較的人も少なく、若手職員がちょっと息を抜くにはちょうどいい。
その日、真壁彰、二階堂壮也、九条雅紀の三人がそこに揃っていたのは、完全に偶然だった。
現場から戻った真壁がコーヒーを買い、二階堂は午後会議前の短い空き時間に水を取りに来て、九条は記録室へ戻る前にただ座った。それだけだ。
それだけのはずだった。
テーブルに紙コップを置いた直後、廊下の向こうから若い女の子たちの声が近づいてきた。
しかも、妙に楽しそうだ。
「いや、だから私は絶対二階堂さん派なんだって」
「えー、でも真壁さんも捨てがたいですよ」
「私は九条先生かなあ……」
「分かれる!」
三人とも、ぴたりと動きを止めた。
真壁が最初に小声で言う。
「またか……帰るか」
「遅い」
二階堂が即答する。
「今立ったら不自然だ」
「座ってるほうが不自然だろ」
「いや、もう遅い」
九条が言う。
「聞こえてる」
若手女子たちは、自販機前スペースのすぐ手前、廊下の角を曲がったところで立ち止まったらしい。姿は見えない。だが声ははっきり聞こえる。
しかも、微妙に近い。
「だって二階堂さん、今日もめちゃくちゃ顔よかったじゃん」
「顔よかった、は意味分かんない」
「分かるでしょ。朝の会議の時、ネクタイちょっと緩めてたの見た?」
「見た! あれずるい!」
「仕事できるうえにおしゃれで、しかもあの感じでたまに笑うのずるい」
「ファンがいるの分かるもん」
「たまに郵送で差し入れ届くのも分かる」
「やっぱりあれ本当なんだ!」
二階堂が無言で水を一口飲んだ。
真壁は横目でその顔を見る。
「お前、人気だな」
「うるさい」
「今のは否定しないんだ」
「したところで止まらないだろ」
「確かに」
声はまだ続く。
「でも私は真壁さんだなあ」
「分かる!」
「え、そっち?」
「いやだって、最初めちゃくちゃ怖いじゃん」
「うん、声でかいし」
「でかい」
「しかも空手強いんでしょ?」
「強いらしい」
「真壁さんが上司だと安心感ある」
「面倒見いいよね」
「そう! あの人、絶対ちゃんと見てる」
「怖いのに、具合悪い人とか若手にすごい気づく」
「あとたまに雑に優しい」
「雑に優しいって何」
「分かるじゃん!」
今度は真壁がコーヒーを飲む手を止めた。
「……何だそれ」
「評価されてるな」
二階堂が小声で言う。
「うるせえ」
「照れてる」
九条がぼそりと足した。
「違う」
「そういうとこじゃないか」
「お前黙れ」
廊下の向こうでは、まだ盛り上がっている。
「でも九条先生もすごいんだって」
「分かる、私は九条先生派」
「きれいすぎてびっくりする」
「初見で全員見るよね」
「見る。あれは見る」
「なのに本人全然気にしてなさそうなのがまたやばい」
「あと、冷たそうに見えるのに別に機嫌悪いわけじゃないのがいい」
「そうそう、あれ素なんだよね」
「マイペースなだけっぽい」
「でも何考えてるか分かんない」
「二階堂さんと会話するときだけなんかスイッチ入るのも可愛い」
「分かる、空中戦」
「周りみんな置いてかれてる」
「止められるの真壁さんだけ」
「それもまたいい」
「あっちこっちの医学部からスカウト来てるって聞いた」
「え、そんなレベルなの」
「らしいよ」
九条は少しだけ目を伏せた。
表情はほとんど変わらないが、真壁には分かる。居心地が悪いのだ。
「お前」
真壁が言う。
「帰るか」
「今さらだろ」
二階堂が小さく言う。
「立った瞬間終わる」
「もう終わってるだろ」
「まだ向こうはこっちに気づいてない」
「それも嫌だな」
「知ってる」
九条が言う。
さらに声が弾む。
「で、結局誰派なの?」
「私は二階堂さん!」
「私は真壁さん!」
「九条先生!」
「うわ割れた」
「でも分かるよね」
「タイプ違いすぎるし」
「真壁さんはでっかい犬っぽい」
「分かる!」
「二階堂さんは小型犬っぽい」
「分かる!」
「九条先生は……猫?」
「いや猫よりもっと……何?」
「分かんないけど九条先生」
真壁はとうとう吹き出しかけた。
「何だそれ」
「でっかい犬」
二階堂が小声で言う。
「似合ってる」
「お前も犬らしいぞ」
「嬉しくない」
「九条は九条」
「それはそう」
九条が妙に素直に認めた。
その時、廊下の向こうで一人が言った。
「でもさ、もし付き合うなら誰?」
「やば」
「それは難しい」
「真壁さんはちゃんと大事にしてくれそう」
「分かる」
「二階堂さんはめちゃくちゃ丁寧だけど仕事優先されそう」
「分かる〜!」
「九条先生はそもそも付き合うところまでいける気がしない」
「分かる!!」
九条が静かに言った。
「帰る」
「待て」
真壁が止める。
「今出ると死ぬ」
「もう死んでるようなものだ」
「落ち着け」
「お前が落ち着け」
二階堂まで少し肩を震わせている。笑っているらしい。
「お前、笑ってるだろ」
九条が低く言う。
「少し」
「感じ悪いな」
「今さらだろ」
その時だった。
さらに別の女子が合流したらしく、声が増えた。
「何してるの?」
「誰派か話してた」
「え、私も混ざる」
「誰派?」
「真壁さん」
「強っ」
「だって絶対優しいじゃん」
「分かる」
「あとあの人、本人無自覚っぽいのがずるい」
「二階堂さんは?」
「顔がいい」
「雑」
「でも事実」
「九条先生は?」
「見てるだけでいい」
「分かる〜!」
三人とも、もう完全に席を立つタイミングを失っていた。
「……地獄だな」
真壁が言う。
「そうだな」
二階堂が言う。
「地味に傷つく」
九条が大きめの声で言った。
「そろそろ通ってもいいですか」
数秒の沈黙。
そして恐る恐る、女子職員たちが角から顔を出した。
三人と、ついでに堀島まで、自販機前に揃っている。
「…………」
「…………」
「…………」
真壁が一番先に口を開いた。
「仕事戻れ」
声がでかい。
「は、はいっ!!」
女子たちは一斉に散った。
足音が遠ざかっていく。
静かになった自販機前で、真壁は本気で疲れた顔をした。
「最悪だ」




