番外編 第六話 三人で資料倉庫に閉じ込められる
資料倉庫というのは、たいてい空気が古い。
紙の匂いと埃の匂い、それから蛍光灯が少し熱を持った時の乾いた匂いが混ざっている。真壁彰はその匂いがあまり好きではなかった。事件資料を探すために入ることはあるが、長居したい場所ではない。
その日もそうだった。
古い案件の広報文案と鑑定資料の照合作業のため、倉庫の棚から過去ファイルを引っ張り出す必要があった。本来なら事務職員だけでも回る仕事だが、文言の確認に二階堂、資料の見極めに九条、そして「どうせ力仕事が要る」と言われて真壁が来ている。
「何で俺までだ」
真壁は棚の前でファイル箱を持ち上げながら言った。
「お前が一番役に立つから」
二階堂が即答する。
「雑に褒めるな」
「褒めてる」
「褒め方が雑なんだよ」
九条は隣でラベルを見ながらぼそりと言った。
「力持ちだから」
「お前まで言うな」
倉庫の奥は思ったより狭かった。
背の高い棚が並び、通路は二人すれ違うのがぎりぎりだ。三人いると妙に圧がある。特に真壁が大きく動くと、二階堂が「そこ、資料に当たる」と言い、九条が無言で半歩避ける。
「この年度の会議録、どこだ」
二階堂が言う。
「上」
九条が答える。
「何で分かる」
「並び」
「雑だな」
「でも合ってる」
「それは見れば分かる」
「今見た」
二階堂が軽く舌打ちしそうな顔になる。
真壁は上段の箱を引き下ろした。
「これか」
「それ」
二階堂が受け取る。
「じゃあ次、右の棚」
「お前ら、普通に俺を使うな」
「便利だから」
九条が言った。
「お前まで堀島みたいなこと言うな」
その時、倉庫の扉のほうで、かちゃん、と軽い音がした。
三人とも一瞬だけそちらを見る。
「……今の何だ」
真壁が言う。
二階堂が資料から目を離さないまま、
「誰か外通ったんじゃないか」
と答えた。
「違う気がする」
九条が言う。
真壁が入口へ向かい、ドアノブに手をかける。
回す。
開かない。
「おい」
「どうした」
二階堂が顔を上げる。
「開かん」
「は?」
二階堂が近づいてくる。
「そんなわけ」
「やってみろ」
二階堂がノブを回す。
開かない。
九条も静かに近づいてきた。
「閉じ込められたな」
「いや、そんな軽く言うな」
真壁が言う。
「何でだ」
「古い扉だから」
二階堂が冷静に観察する。
「内側から押し込み気味にしないと開かないタイプか、外で何か引っかかったか」
「最悪じゃねえか」
「最悪ではない。携帯がある」
「そういう問題か」
「そういう問題だろ」
「まあそうだけどな」
二階堂はすぐに端末を取り出したが、倉庫の奥は電波が弱いらしい。
「一本」
「弱いな」
真壁が言う。
「通話は微妙」
「メッセージなら行くかも」
九条が言う。
「お前まで冷静だな」
「閉じ込められたぐらいで慌てても開かない」
「そうだけどな」
二階堂が短いメッセージを打つ。
『資料倉庫の扉が開かない。管理呼んで』
送信。
少し待つ。
既読がつかない。
「だめか」
「たぶんまだ」
「俺が壊していいか」
真壁が言う。
「だめ」
二階堂が即答する。
「施設備品」
「お前、こういう時までそうか」
「こういう時だからだ」
「怪我人増やすな」
九条も言った。
「扉ごと行ったら面倒」
「お前らほんと夢がねえな」
三人は仕方なく、倉庫の中で待つことになった。
とはいえ、じっとしている性格の人間ばかりではない。
真壁はすぐ扉の前をうろうろし始める。
二階堂は手元の資料を見直し始める。
九条は棚の下の脚立に浅く座った。
「何でお前だけ落ち着いてるんだ」
真壁が言う。
「待つしかないから」
「その切り替えの速さが腹立つ」
「お前が落ち着きない」
「俺は閉じ込められるの嫌なんだよ」
「知ってる」
「何でだ」
「今の十分で分かる」
九条は本当に落ち着いていた。
二階堂が資料をめくりながら言う。
「真壁」
「何だ」
「そこ、行ったり来たりすると棚が揺れる」
「細かい」
「倒れたら困る」
「だからって閉じ込められて資料読むやつがあるか」
「待ち時間を無駄にしないだけ」
「そういうとこだぞ」
「お前も人のこと言えない」
「俺は別に読んでない」
「扉の構造ずっと見てる」
九条が指摘した。
「壊せるか考えてるだろ」
「……そうだけどな」
「同じだ」
「違う」
五分ほど経った頃、ようやく二階堂の端末が震えた。
メッセージは堀島からだった。
『管理を呼びました。すぐ行きます』
その一文を見て、真壁が言う。
「何であいつが最初なんだ」
「たまたまだろ」
二階堂が言う。
「たぶん、近くにいた」
「絶対近くで何か見てただろ」
「ありえる」
九条が平然と返す。
その直後、扉の向こうから足音がした。
「中、いらっしゃいますか」
堀島の声だった。
「いる」
真壁が即答する。
「元気ですね」
「閉じ込められてるからな」
「今、管理の方が来ます」
「遅い」
「すみません」
「お前のせいじゃねえ」
扉の外で鍵のあたりをいじる音がして、数十秒後、ようやくドアが開いた。
眩しいくらい普通の廊下の光が差し込んでくる。
管理担当が青ざめていた。
「申し訳ありません! 建てつけが悪くて……!」
「別に」
二階堂が先に言う。
「怪我もないし」
「すみません、本当に……」
真壁が外へ出ながら言った。
「修理してくれたらいい」
「はい……!」
九条は何も言わずに出てくる。
廊下には堀島がいた。
「で、結局一番冷静だったのは」
「九条」
真壁が言う。
「でも一番役に立ったのは」
「管理担当」
九条が言う。
「夢がねえな」
「現実的だろ」
二階堂が返す。
その時、少し離れたところにいた若手職員が、小さくもう一人へ囁いたのが聞こえた。
「三人で閉じ込められてたの……?」
「やばくない?」
「でも全員無傷……」
「むしろ扉のほうが無事でよかった……」
真壁がそちらを見ると、二人は一斉に背筋を伸ばした。
「何だ」
「い、いえ!」
「別に何も!」
去っていく若手を見送りながら、真壁は本気で嫌そうな顔をした。
「絶対変な噂になるだろ」
「なるだろうな」
二階堂が言う。
「面倒だ」
「知ってる」
九条が言った。




