番外編 第五話 二階堂の私物が妙にセンスいい
昼を少し過ぎた頃、広報室の空気はだいたい紙とコーヒーの匂いがする。
朝の慌ただしさはひと段落しているはずなのに、午後の仕事がもうそこまで来ているから、誰も気を抜ききれない。呼吸だけ浅く整えたような空気の中で、二階堂壮也はいつも通り机に向かっていた。
その机の上は、いかにも二階堂らしく整っていた。
資料はサイズごとに揃えられ、端末は角度まで一定で、ペンも使ったものと未使用が自然に分かれている。だが今日、真壁彰の目についたのはそこではなかった。
「お前、それ新しいのか」
二階堂が書類へ赤を入れている手元を見て、真壁が言う。
指先にある万年筆は、黒地に金の細いラインが入った上品なものだった。派手ではない。だが明らかに安物でもない。
二階堂は顔を上げずに答えた。
「そうだけど」
「また無駄にいいの使ってんな」
「無駄ではない」
「書ければ何でも同じだろ」
「同じじゃない」
二階堂はさらりと言った。
「重さと持ち手の太さで疲れ方が変わる」
「出たよ」
真壁が呆れたように言う。
「そういうとこだぞ」
「合理的だ」
「絶対ちょっと違うだろ」
そのやりとりを、少し離れた席から九条雅紀が見ていた。
今日の九条は記録確認のため広報室まで来ている。手元には紙コップのコーヒー。椅子の背にもたれず、浅く座る癖は相変わらずだった。
「ペンだけじゃない」
九条が言う。
「手帳も新しい」
二階堂がようやく顔を上げた。
「よく見てるな」
「目立つ」
「別に派手じゃないだろ」
「派手じゃないから目立つ」
九条の返しはいつも意味が分かるようで少し腹が立つ。
真壁は机の端に置かれた革の手帳を見た。
濃いグレーに近い深い色で、金具も主張しない。いかにも二階堂らしい、ちゃんとしているのに嫌味ではない選び方だ。
「こういうの、どこで見つけるんだ」
真壁が聞く。
「普通に店で」
「普通にって何だよ」
「普通に見て、普通に買う」
「嘘つけ。そういうの探してる時間あるのか」
「ある」
「ほんとかよ」
「お前が休みの日に寝てる間に」
「感じ悪いな」
「今さらだろ」
九条が紙コップを口元へ寄せながら、小さく言った。
「ハンカチも」
「見すぎだろ」
二階堂が珍しく少しだけ嫌そうな顔をする。
「ポケットから見えてる」
「だからってそこまで見るか?」
「見えるものは見る」
九条は平然としていた。
真壁は思わず吹き出しかけた。
「お前ら、何なんだよ」
その時、広報室の入口近くで若手の女子職員二人が資料を抱えたまま、小さく固まっているのに真壁は気づいた。明らかに入りづらそうな顔をしている。
三人の視線が一斉にそちらへ向いた。
「何だ」
真壁が言うと、二人はびくっと肩を揺らした。
「い、いえ、あの……この資料の確認を……」
「見せて」
真壁が言う。
「はいっ」
二人はおそるおそる近づいてくる。
だが書類を差し出す時、そのうちの一人の視線が二階堂の手帳に吸い寄せられていた。二階堂はそれに気づいているくせに何も言わない。そういうところがまた妙に自然で腹立たしい。
「ここ、確認お願いします」
女子職員が言う。
二階堂は書類を受け取り、目を通す。万年筆を持つ指先まで無駄がない。
「この一文だけ順番を変えて」
「はい」
「あと表現を少し柔らかくしたい。ここだと強い」
「分かりました」
その言い方はいつも通り穏やかだった。フランクで、感じも悪くない。
だからこそ、横で見ている真壁は思う。外向きだけ聞けばこいつが一番まともだ。
書類を受け取った女子職員は、それでも帰り際に小さく、
「……やっぱり素敵」
と呟いた。
「聞こえてるよ」
二階堂が言うと、二人は真っ赤になった。
「す、すみません!」
「謝らなくても」
二階堂は視線を戻した。
「はい……!」
二人が慌てて出ていく。扉が閉まったあと、真壁はにやにやしたまま二階堂を見た。
「人気者だな」
「別に」
「別に、じゃねえだろ。今の見ただろ」
「見た」
「郵送でチョコ来るって本当なんだな」
真壁が雑に言うと、二階堂はほんの少しだけ眉を寄せた。
「別にちょうだいって言っているわけじゃない」
「受け取ってるんじゃねえか」
「返すと失礼だろ」
「ファンいるらしいな」
「いない」
「お前そういうとこ、いちいち感じ悪いな」
「そうかもな」
九条がそこで、書類から目を上げた。
「でもまあ、分かる」
二階堂が視線を向ける。
「何が」
「見た目は」
九条は淡々と答えた。
「分かりやすく整っている」
真壁は吹き出した。
「言い方」
「褒めている」
「褒め方が冷たい」
「事実だろ」
「そうだけどな」
二階堂は少しだけ呆れた顔でペンを置いた。
「じゃあお前らはどうなんだ」
「何が」
真壁が言う。
「私物」
二階堂は九条を見る。
「お前も人のこと言えないだろ」
九条は小さく首を傾げた。
「別に」
「腕時計」
「普通だ」
「普通じゃない」
二階堂が即答する。
「あと万年筆。前に使ってただろ」
「たまに」
「お前も十分いいもの持ってる」
「使いやすいから」
「ほら見ろ」
真壁がすかさず言う。
「結局お前ら一緒じゃねえか」
「一緒ではない」
「何が違う」
「九条は無頓着に見せてる」
二階堂が言う。
「俺はちゃんと選んでる」
「どっちでも面倒だな」
真壁がまとめる。
「真壁は?」
九条がふいに聞いた。
「俺?」
「何でもいい派なんだろ」
「そうだよ」
真壁は胸を張った。
「使えりゃいい」
「でも財布はちゃんとしてる」
二階堂が言う。
真壁が眉をひそめる。
「何で知ってんだ」
「前に会計の時見えた」
「見すぎだろ」
「お前が雑に置くからだ」
九条もぼそりと続けた。
「あと靴も」
「靴?」
「手入れはしてる」
「それは普通だろ」
「してない人間は多い」
二階堂が言う。
「見た目は一番雑なのに、妙にちゃんとしてるんだよな」
真壁は心底不本意そうな顔になった。
「やめろ。そういう評価いらん」
「照れてるのか」
「違う」
「そういうところが」
「黙れ」
「で、結論は」
「何の」
真壁が言う。
「誰が一番趣味がいいか」
「知るかよ」
「二階堂だろ」
九条が言う。
「分かりやすい」
「うれしくない言い方だな」
二階堂が返す。
「じゃあ九条」
「それも違う」
「真壁は?」
「ない」
二階堂と九条が同時に言った。
真壁は本気で嫌そうな顔をした。
「お前らほんと感じ悪いな」
「今さらだろ」
また二人同時だった。




