第6夜 「朝の教室」
今日も少女は夜を歩く。
――その夜へ向かうために、少女は朝を生きる。
通学路には子供達の声が響いていた。
「おはよー!」
「昨日の宿題やった?」
「今日体育あるよなー!」
明るい声が飛び交う。
昨夜まで怪異が彷徨っていた街とは思えないほど平和だった。
宵町カクリはその中を歩いている。
ランドセルを背負い、制服姿で。
ぱっと見れば普通の小学生だ。
けれど、その鞄には喋る鋏が付いている。
そして昨夜も、お化けを切っていた。
九条れいなは前を歩きながら、くるりと振り返った。
「カクリちゃん、眠そう!」
「……ちょっとだけ」
「昨日も遅くまで起きてた?」
カクリは少しだけ言葉に詰まる。
まさか“夜中に怪異退治してた”なんて言えるわけがない。
「……本読んでた」
「えー!また!?カクリちゃん本好きだよねぇ!」
れいなは楽しそうに笑った。
カクリは曖昧に頷く。
嘘は苦手だった。
けれど、本当のことはもっと言えない。
『器用じゃねぇなぁ』
頭の中で、はっちゃんが呆れたように言った。
カクリは表情を変えない。
周囲に聞こえないとはいえ、朝から会話している姿を見られたくなかった。
『しかし、本当に普通のガキ共だな』
はっちゃんが興味深そうに呟く。
『夜のことなんざ、まるで知らねぇ顔して歩いてやがる』
カクリは小さく視線を伏せた。
“知らない”ほうが幸せだ。
夜の裏側なんて、知らなくていい。
お化けも幽世も、関わらずに生きられるなら、そのほうがいいに決まっている。
だからこそ、自分がやる。
そう思っていた。
その時だった。
ふと、道路脇のカーブミラーが目に入る。
鏡面の端。
そこに黒い人影のようなものが映っていた。
カクリの足が一瞬止まる。
だが振り返った時には、もう何もいない。
『……見るな』
はっちゃんが低く言う。
『朝に残ってる連中は厄介だ。今は無視しろ』
「……うん」
小さく返事をする。
れいなが不思議そうに振り返った。
「カクリちゃん?」
「なんでもない」
カクリはすぐに歩き出した。
朝日が街を照らしている。
それなのに、時々“夜の残り香”が混ざっている。
完全には消えない。
強いお化けほど、常世へ深く食い込んでいる。
カクリは無意識に、鞄のキーホルダーへ触れた。
はっちゃんが小さく鳴る。
『……怖ぇか?』
突然の問いだった。
カクリは少し考える。
怖い。
もちろん怖い。
夜道を歩くたびに怖いし、得体の知れない気配に囲まれるたび心臓が跳ねる。
でも。
「……怖くても、行かなきゃ」
『へへっ』
はっちゃんが笑った。
『そういうとこだよ、お前さん』
やがて前方に校門が見えてきた。
古いレンガ塀と、大きな桜の木。
校門の横には、
『市立夕凪小学校』
と書かれたプレートが立っている。
子供達が次々と門をくぐっていく。
先生達が朝の挨拶をしていた。
「おはようございます!」
「はい、おはよう!」
れいなが元気よく手を振る。
「おはようございまーす!」
カクリも小さく頭を下げた。
「……おはようございます」
その瞬間。
校門の上に、一瞬だけ黒い染みのようなものが見えた。
カクリの視線が止まる。
染みはゆらりと揺れ、すぐに消えた。
『学校にもいるか』
はっちゃんの声が少し低くなる。
『まぁ、人が多い場所だからな』
カクリは小さく息を吐いた。
学校。
子供達が集まる場所。
感情も多い。
不安、怒り、悲しみ、嫉妬。
そういうものに、お化けは寄ってくる。
「カクリちゃん?」
れいなが教室棟の前で待っていた。
「行こー!」
「うん」
上履きへ履き替える。
廊下には朝特有の騒がしさが広がっていた。
走る子供。
笑う声。
先生に怒られている男子。
普通の日常。
カクリはその中を歩いていく。
だが、窓ガラスに映る景色の端々に、時々“黒いもの”が混ざっている。
誰も気づいていない。
見えているのは自分だけ。
『……お前、だいぶ視えるようになってんな』
はっちゃんが静かに言った。
『力が馴染んできてる証拠だ』
カクリは少しだけ嫌そうな顔をする。
「嬉しくない」
『だろうな』
階段を上がる。
二階。
三年一組。
教室の前まで来ると、中から賑やかな声が聞こえてきた。
「昨日のゲームさー!」
「えー!?ズルい!」
「プリント見せて!」
れいなが勢いよく扉を開ける。
「おっはよー!」
一気に数人が反応した。
「れいなー!」
「おはよー!」
カクリも静かに入る。
「……おはよう」
窓際の席。
そこがカクリの席だった。
ランドセルを置き、椅子へ座る。
朝日が窓から差し込む。
その光を見ながら、カクリはぼんやりと思った。
あと少ししたら授業が始まる。
そして夜になれば、また歩く。
夜の街を。
怪異の潜む世界を。
少女は今日も、“普通”と“異常”の間で生きていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




