プロローグ
夜の底で、姉は消えた
夜は、ただ暗いだけではない。
それは静かで、やさしくて、そして時々――人を飲み込む。
その日も、町はいつも通りの夜だった。
街灯は淡く点り、遠くの道路を車が流れていく。
どこにでもある、平凡な夜。
――そのはずだった。
「……お姉ちゃん?」
宵町カクリは、玄関の前で足を止めた。
家の中は静かすぎるほど静かだった。
テレビの音もしない。足音もない。呼吸の気配すらない。
ただ、廊下の奥にあるはずの姉の部屋から、
かすかに“紙を引き裂くような音”がした。
ぴり、ぴりり……
最初は気のせいだと思った。
けれど、その音は確かに“繰り返されている”。
「お姉ちゃん、入るよ」
返事はない。
扉を開けた瞬間、空気が変わった。
部屋の明かりはついているのに、光が届いていないように暗い。
カーテンは揺れていないのに、どこか風が吹いている気配がある。
そして――
姉がいた。
だが、それは“姉の形”をしていただけだった。
机の前に座ったまま、微動だにしない背中。
その肩から、細い影のようなものが絡みついている。
ぴり、ぴりり……
音はその影からしていた。
まるで、何かを“裂いている”ような。
「……お姉ちゃん?」
呼びかけた瞬間、姉の首がゆっくりとこちらを向いた。
顔は、ちゃんと姉のままだった。
ただ――目だけが、そこに“いなかった”。
次の瞬間。
部屋の奥で、何かが笑った。
人の声に似ていて、人の声ではない。
影が揺れた。
そして、宵町カクリは見てしまう。
それが“お化け”と呼ばれる存在だと、まだ知らないまま。
ただ一つだけ理解した。
――この夜は、もう戻らない。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回もお楽しみに




