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2. 最高の偶像



 アネッロ市国はガリアン大陸の南東に位置するイーリス共和国に囲まれた、世界で最も土地面積が小さい国である。

 人口は約二千人程度で、大国の一都市よりもはるかに少ない。

 それでも、イドラ教の総本山であり、尚且つ市国全体が聖地として信仰の場になっているため、文化的にも社会的にも世界に対する影響力はかなり高い。


 信徒約三十億人を抱える宗教の中心地なだけあって、市国の運営はほとんど信徒からの寄付で成り立っている。中でも市国内にあるユスティマ神学院の卒業生は皆、その後も有名なアーティストや芸能人になることが多く、彼らからは毎年多額の寄付金が送られてくる。


 イドラ教の根本は偶像(アイドル)である。

 偶像(アイドル)とは、神イドラを顕現、降臨、詠唱する者であり、イドラ教の象徴として信徒三十億人の頂点に君臨する存在。


 偶像(アイドル)に求められるのは深い信仰と、それを表現する力。

 歌、踊り、詩、劇など、偶像(アイドル)の行う表現の仕方は聖典の解釈によって異なっており、そのためユスティマ神学院では芸能に関する様々な分野の学問が学べるようになっている。

 また、どの学科も二千年に渡って蓄積された資料と最先端の研究機関を有しており、ここで学びたいがためにイドラ教の信徒になる者さえ存在する。

 それゆえに、ユスティマ神学院は候補者(メイデン)を育成し、偶像(アイドル)を誕生させるだけでなく、世界最古にして世界最高の芸能学府として、人類全体の文化的活動を牽引する役割も担っている。


 そんな権威ある学院に通っている生徒たちは、アネッロ市国内にある学生寮に住み、ここアネッロ中央広場を横切って学院へと向かっている。


 中央広場は百本以上の石柱に支えられた回廊によって囲まれており、その真ん中には光沢のある巨大な鉄柱が鎮座している。鉄で作られているのにも関わらず、市国の樹立から現代に至るまで、錆びつくことなく輝いている。


 少女は鉄柱の前でお姉ちゃんと待ち合わせをしている。荷物はすでに市国内の宿泊施設に預けていて、今は厚手のコートを着ながら肩掛けの小さいバッグを身につけている。また、少女の手首には細長い認可書が巻き付けられており、これがないと市国内に立ち入ることはできない。


 広場を行き交う人々は、少女と同じく認可書を身につけて、家族で写真を撮ったり広場を散策したりして少し興奮した様子だった。なかでも同い年くらいの女の子が瞳を輝かせながら辺りを見渡し、両親に笑いかける姿は、少女にとっては共感を呼び起こすのと同時に、少しだけ、羨ましかった。


「どうしたの?」

「ふへっ!?」


 背後から急に話しかけられた少女は、間抜けな声を出しながら瞬時に振り返る。

 そこには黒いキャップを被り、地味なパーカーを着たお姉ちゃんの姿があった。

 

「お姉ちゃん!」

「ふふっ、久しぶり。待った?」

「ううん、大丈夫! お姉ちゃんの演奏会(ライブ)、全部見てたよ! すっごく良かった! 特にツアーの最後の表情とかもう——」

「はーい、ストップ。ここだと目立つから、お話はカフェテリアで、ね?」


 お姉ちゃんは少女の唇に人差し指を当てて、ニコリと笑いかける。

 少女は湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして、こくりと頷いた。



 少女とお姉ちゃんは美術館の近くにあるカフェテリアで早めの昼食を食べることにした。アネッロ市国内にはあまり飲食店がないため、カフェテリアにはいつも人が殺到している。ただし、今日は正午から十二の女中による一次選抜演奏会(ライブ)が始まるからか、普段よりは空席が目立つ。


 二人は端のほうの目立たない席に座り、注文した料理のトレイを置く。


「お姉ちゃん、時間は大丈夫? もうすぐお姉ちゃんの演奏会(ライブ)でしょ?」

「大丈夫。わたしはいつだって準備万端。それに、可愛い妹の顔を拝むためならいつでも時間を作るよ」


 お姉ちゃんはそう言って、少女の頭を撫でる。


「えへへ、ありがとう、お姉ちゃん。……私、お姉ちゃんなら絶対に偶像(アイドル)になれるって、信じてるよ。だって、お姉ちゃんは可愛くて、優しくて、かっこよくて、みんなに愛されてて、みんなの憧れなんだから。私も、お姉ちゃんの演奏会(ライブ)を最前列で応援するから。だから……絶対大丈夫」

「……もしかして、心配してくれてるの?」

「……うん。だってお姉ちゃん、今年でもう……」

「……そうだね。わたしはもう三年生。今年が、偶像(アイドル)になれる最後のチャンス。だけど、不安なんてない。わたしには、応援してくれる信徒(ファン)がいる。ずっとずっと、わたしの信仰に寄り添ってきてくれた、最高の仲間たち。イドラ様ならきっと、わたしたちの信仰に応えてくれる。そう、信じてるから」


 お姉ちゃんの表情に、曇りなんて一切ない。

 太陽のように眩しい笑顔。


(ああ、やっぱり、お姉ちゃんは——)


「お姉ちゃんは、最高の偶像(アイドル)になれる」


 少女は右手の拳を左手で包み込み、祈りを捧げる。


「ふふっ、わたしじゃなくて、イドラ様に祈ってね。『ただ、イドラのために』だよ」

「わかってるよ。……けど、私にとってお姉ちゃんは……」


——ブブッ


 少女が口ごもっていると、お姉ちゃんの携帯がテーブルの上で僅かに震える。お姉ちゃんは携帯をタッチして着信内容を確認する。


「『なにしてる。早く来い』。……はぁ、せっかちだなぁ。うちの司祭(プリースト)は。それじゃあ、わたしはそろそろ行くね」

「う、うん! 頑張ってね! お姉ちゃん!」


 少女はお姉ちゃんを見送って自分の席に戻ると、まだ昼食を一口も食べていないことに気がついた。しかし、お姉ちゃんのお皿にはナイフとフォークが綺麗に並べられていて、添えられていた付け合わせすらも無くなっていた。


「さすがお姉ちゃん、昔から食べるの早いよね」


 少女にとっては、お姉ちゃんが唯一の家族で、母親のような存在だった。

 幼少期の頃、心臓に持病を抱えていた少女をつききっりで看病して、病気が治り始めてからも、学校が終わるとすぐに家に帰ってきて、学校に通えない少女のために勉強を教えていた。


 少女はお姉ちゃんを縛り付けている状況に、ずっと罪悪感を覚えていた。だから病気が完全に良くなってからは、少女は自分一人でも生きていけることを必死にアピールした。


 少女が家事や勉強をそつなくこなせるようになって、いつしかお姉ちゃんに一人の時間ができるようになると、夜な夜なお姉ちゃんの部屋から音楽と床が軋む音が聞こえてくるようになった。


 物心ついたときからイドラ教の教えにどっぷりと浸かっていた少女には、お姉ちゃんが偶像(アイドル)を目指していることなんてすぐに分かった。だから——


『お姉ちゃん! ユスティマ神学院への出願書、もう出しといたよ!』

『……へ?』


 なかなか踏ん切りがついていなかったお姉ちゃんの背中を、少女は半ば強引に押した。

 そして、お姉ちゃんは見事ユスティマ神学院への入学を果たし、少しずつ、着実に自分の信徒(ファン)を集めていき、三年生、最後の生誕祭で、ついに十二の女中に選ばれた。


 少女にとって、お姉ちゃんの幸せよりも大切なものなどない。そして、お姉ちゃんが誰よりも少女を大切に思ってくれているということを、目の前の綺麗なお皿が物語っている。


「……ありがとう。お姉ちゃん」


 そう言って、少女はもう一度、静かに祈りを捧げた。

 


 ○○○



 昼食を食べ終えた少女は、演奏会(ライブ)が行われる"イコンの遺跡"へと向かう。その場所はかつて救世主イコンがイドラを顕現、降臨、詠唱した古代遺跡であり、イドラ教において最も神聖で重要な儀式の場でもある。

 しかし、遺跡としての風貌がそのまま遺されているわけではなく、時代に応じて客席が拡張されたり設備が追加されたりして、今ではありとあらゆる演奏会(ライブ)表現に対応した最古にして最先端の"ステージ"になっている。


 そこで繰り広げられる候補者(メイデン)たちの演奏会(ライブ)は、まさに圧巻だった。


 誰もがステージの上で輝き、信徒(ファン)を魅了する演出を完璧に表現している。


 演奏会(ライブ)はネット、テレビで生中継されるため、彼女たちを見つめる無数のカメラにも気を使う必要がある。

 しかし、このステージに立つ選ばれし十二人にとって、そんなことは造作もなくこなせることだ。


 カメラによって撮られた映像が正面の巨大なモニターに映し出される。

 小さな白いリボンを添えた長い黒髪に、白を基調とした神聖でありかつ可愛らしさも兼ね備えた衣装を身に纏う、このステージの主人公。


 誰もが彼女から目を離さない。

 誰もが彼女に注目している。


 自信に満ちた表情で、自分こそが偶像(アイドル)だと、つま先から頭のてっぺんまで、彼女の何もかもがそう訴えかけてくる。


 ワクワクせずにはいられない。

 感動せずにはいられない。


 信徒(ファン)と積み重ねてきた三年間、その集大成(クライマックス)



「お姉ちゃんが、偶像(アイドル)だ」



 そう、誰もが信じて疑わなかった。

 あの、演奏会(ライブ)までは。

 

 

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