37、迷子
課題の時間も終盤になり、薬草も大分集まってきた。今8個集まったところだった。
「あと、どの薬草だったっけ?」
「ええっと……」
イグナルスとラウローリエが薬草と課題を見比べながら、今から探すべきものを話していると、きょろきょろと周りを見渡したアデルバートが呟いた。
「……ねえ、王太子殿下は?」
「え……?」
イグナルスもアデルバートに倣って周囲を見渡す。彼の言う通り。気がつけばヴェルスがいなくなっていた。先ほどまではいたはずなのに。4人で顔を見合わせていると、ラウローリエがぽつりと呟いた。
「迷子、かしら?」
彼女の不安げな表情に、イグナルスははっとした。そういえば、彼女は言っていた。彼女の知るお話では、王太子と聖女が迷子になっていたという。
せっかくラウローリエから聞いていたのだから、もっとヴェルスのことを気にしておくべきだった。イグナルスはぐっと奥歯を噛みしめてから、ふっと息を吐いた。
そんなことを考えている暇はない。今はまだ候補ではあるが聖女になるとされている女性と共にいるのならともかく、1人で道に迷っている可能性だってあるのだ。
ぎゅっと心が掴まれた感覚で、一気に自分の温度が下がった気がする。
ヴェルスは、今。どう思っているのだろうか。イグナルスだったら、1人迷子になってしまったら、不安でいっぱいになるだろう。
心がじわじわと重くなってきた。じっとしていられない気持ちに突き動かされ、イグナルスは駆けだした。
「ぼく、探してくる!」
「え、イグナルス!」
ラウローリエの戸惑った声が聞こえたが、イグナルスは振り返らず走る。
冷静な判断ではないことは頭では分かっていた。正しい判断は、先生に報告をして、待機をしていることだろう。それでも。ここで大人しくしている方が後悔する気がした。
◆
勢いに任せて動き出したイグナルスだったが、具体的な方法が思い浮かんでいたわけではない。きょろきょろと周りを見渡しながら、学校の敷地の奥の方へと足を進めた。
正直なところ、広い敷地内全てを把握しているわけではない。それなのに、イグナルスは迷うことなく歩くことができた。
「……なんで?」
どちらが通っていない道で、どちらが通った道かがなんとなく理解できた。イグナルスは首を傾げる。もしかしたら自分には才能があって、方向感覚に優れているのかもしれない。
そんなことを考えながら、イグナルスは早足で進む。進む方向も決めていたわけではなかったが、やはりどちらに行くべきかの選択は簡単にできた。やはり才能でもあるのか、と考えたイグナルスだが、すぐに苦笑した。自分にそんなもの、あるはずがない。
しばらく進んでいると、ぼんやりと座っている人影を見つけた。授業内の時間であり、薬草もほとんどない場所。そんなところにいる人間など、予想するまでもなかった。
「ヴェルス様。探しましたよ」
「なんで……」
イグナルスの声でこちらの存在に気がついたヴェルスが、驚いた目をこちらに向けた。イグナルスは、そんな彼の隣に腰を下ろした。
ヴェルスに何を言えばいいだろうか。彼はなぜ、ここに1人でいるのか。イグナルスはぐるぐると考えるものの、何を言えばいいか分からない。
それは、当然のことだろう。イグナルスは、ヴェルスのことを知らないのだから。彼が何を言われたくて、何を言われたくないか、予想することしかできない。
「ヴェルス様」
「なんだ?」
「静かなところが好きなんですか?」
問い詰められるとでも思っていたのか、身を強張らせていたヴェルスが、ぽかんと口を開いた。そんな彼を見て、イグナルスは少し頬を緩める。
静寂に包まれたこの場で、1人で時間を過ごしていたと考えられるヴェルス。彼はここのような穏やかな場が好きなのだろうか。
少し考えたヴェルスがゆっくりと首を振った。
「……好きかどうかでいえば嫌いではないが……別に思い入れはない」
「それじゃあ、どんな場所が好きなんですか?」
イグナルスからの質問に、ヴェルスは首を傾げた。じっと固まっていたヴェルスのことを、イグナルスも黙ったまま待つ。
「……人が多い場所」
考え込んだ末にヴェルスが口にしたのは、意外な答えだった。イグナルスはヴェルスの考えを理解しようと考えてみるが、あまり分からない。イグナルスは、人が多い場所は落ち着かない心地になる。
「人が多くて、俺がいることに気がつかれないくらいの場所が好きだ」
そこでようやく気がついた。ヴェルスはきっと、視線を向けられることに疲れている。はっとしたイグナルスは、恐る恐る尋ねた。
「僕たちと一緒にチームで動くの、気まずかったですか?」
「……いや。むしろ逆だ」
すぐに否定したヴェルスだが、言葉を探すようにじっと黙り込んだ。少しの沈黙のあと、彼は静かに話し始める。
「お前達は呼び方こそ『王太子殿下』と言ってくるが、それだけだ。そこに何の感情もない。ただ、事実として扱っている」
「たしかに、そうですね」
彼が王太子ということは知っているし、この国のトップになることが決まっている人間であるとは理解している。
「それが慣れなくて……なんとなく、慣れてはいけない気がした」
彼が慣れない感覚に混乱した末、逃げ出してしまった。それを知っても、イグナルスは何を言えばいいか分からなかった。イグナルスはヴェルスになれないし、恐らく彼を完全に理解することもできない。
こっそりと彼の顔を見る。先ほどよりも穏やかな顔をしているように見える。
「戻りましょう、ヴェルス様」
イグナルスは立ち上がり、ヴェルスに手を伸ばした。それをじっと見つめたヴェルスがゆっくりとイグナルスの手に触れて立ち上がった。
「イグナルス。なんでお前は俺のところに来たんだ?」
「……なんとなく、です」
イグナルスの返事に、金の瞳を大きく見開いたあと、彼は頬を緩めた。ふわりと微笑んだ彼の表情は今まで見たことがなかったため、少しだけ目を奪われてしまった。
普段は表情が少ない彼だけど、笑っている方が親しみやすそうに見える。そんなことを考えながら、イグナルスはヴェルスと共に歩き出した。
◆
元の場所に迷うことなく戻ったイグナルスとヴェルスだが、そんなに時間が経っていなかったものの、友人達は念のため先生に相談していたようだ。それが正しい解決方法だと思う。
勝手な行動はしないように、と先生から注意を受け、イグナルスは素直に頷いた。先生からの注意が短時間で終わったあと、ラウローリエから声をかけられた。
「イグナルス」
振り返ったイグナルスの目に映ったのは、複雑そうな顔をしたラウローリエだった。笑ってはいない。泣いてもいない。それなのに、彼女の中には強い感情があるように思えた。
ゆらりと濃紫の瞳が揺れる。宝石だ、と思った。宝石が光に照らされて煌めいているようだった。
言葉を選びながらのゆっくりとしたラウローリエの声が、イグナルスに届く。
「どうして、王太子殿下を探しにいったの?」
「えっと、なんとなく?」
イグナルスの中に、明確な答えななかった。ただ、行かないと、と思っただけ。口ごもりながらも答えると、ラウローリエは少し口角を上げた。
「そう、よね。あなたはそう」
そのラウローリエの表情から、イグナルスは目を離せなかった。どこか納得したようで、どこか悲しそうで。イグナルスはどうして良いか分からず、彼女を見つめていることしかできなかった。




