第23話:帝国崩壊の足音と物乞いになった元英雄
帝都ルミナスの崩壊は、もはや誰の目にも覆いようのない現実となっていた。
かつて栄華を誇った白亜の宮殿の門は暴徒化した群衆によって押し破られ、逃げ遅れた貴族たちは屋敷の門を家具で塞ぎ、銃を構えて怯えていた。
街中には氷点下十五度の猛烈な吹雪が吹き荒れ、魔導暖房の息絶えた石造りの家々は、まるで巨大な氷の棺桶と化していた。燃料の薪すら尽き果てた市民たちは、街路樹を切り倒し、歴代の英雄たちの木像を引き倒しては焚き火にくべていた。
そんな吹き溜まりの裏路地、凍りついた生ゴミの山の陰に、薄汚れた襤褸切れをまとった一人の男がうずくまっていた。
「く、くれ……誰か……一切れのパンの耳でいい……恵んでくれ……」
ひび割れ、血の滲んだ唇から、掠れた声を絞り出す男。
右肩は寒さに耐えかねた野良犬に噛み裂かれた傷が化膿して悪臭を放ち、自慢だった輝く金髪は泥と油で固まり、かつての面影は欠片も残っていない。
――元・帝国最強の勇者にして、エドガーを追放した張本人、ギルバートだった。
「おい、邪魔だぞ乞食野郎!」
通りかかった市民が、ギルバートのみぞおちをブーツで蹴り飛ばした。
「ぐぼぉっ……! な、何をする! 俺はギルバートだぞ! 国宝の聖剣を持つ、選ばれし勇者様なんだぞ……!」
「ハッ、勇者だぁ? 笑わせるな!」
市民は唾を吐きかけた。
「エドガー様を追い出して、この街を地獄に変えた大罪人が何を寝言言ってやがる! お前がエドガー様を追い出さなけりゃ、俺の母親だって凍え死なずに済んだんだ! お前なんざ勇者どころか、世界一の疫病神だ! とっとと雪の下で野垂れ死に晒せ!」
投げつけられた凍った土塊が、ギルバートの額を割り、生温かい血が視界を赤く染めた。
ギルバートは雪の上に這いつくばり、泥水をすするしかなかった。
腰に差した聖剣『レーヴァテイン』は、魔力の供給が完全に途絶えたことで刀身が黒く錆びつき、もはや豚の肉すら切れないただの重い鉄屑と化していた。
「な、なぜだ……どうしてこんなことに……! 俺は勇者だったはずだ……世界を救う英雄だったはずなのに……! なぜあの平民のゴミクズが、神のように持て囃されているんだぁぁぁっ……!」
悔しさと惨めさに血の涙を流すギルバートの耳に、通りの向こうの大衆酒場の裏口から、けたたましい怒号と悲鳴が響いてきた。
「おい、エレナ! また皿を割りやがったなこのグズ女が!」
「ご、ごめんなさい! 手が凍えて感覚がなくて……ひぃっ、叩かないでぇぇっ!」
太った料理長にモップの柄で滅多打ちにされていたのは、かつての聖女エレナだった。
豪奢を極めた純白の聖職服は、いまや油と汚水まみれの雑巾となり、透き通るようだった白い肌はあかぎれと霜焼けでボロボロに腫れ上がっていた。
魔導バッテリーの切れた聖杖は奇跡の光を失い、回復魔法すら使えなくなった彼女は、日銭を稼ぐために冷たい泥水で客の残飯皿を洗い続けるだけの最底辺の雑用婦に身をやつしていた。
「あぁ……エドガー様……どうしてあの時、あなたに縋り付かなかったの……! 戻ってきて……私をこの地獄から助け出してぇぇっ……!」
かつてエドガーを嘲笑い、給料を着服して贅沢三昧に耽っていた女の悲痛な叫びは、猛吹雪の風音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
その時だった。
ゴオオオオオオオオオオッ……!!
突如として、南の地平線の彼方から、大地そのものが唸りを上げるような重低音が轟いた。
帝都中の市民たちが驚愕して足を止め、雪空を見上げる。
「な、なんだあの音は……!? 地割れか!? 山崩れか!?」
「ち、違うぞ……! 見ろ、南の荒野の地平線を!」
吹雪の白銀のカーテンを切り裂いて現れたのは――銀色に輝く、見たこともない巨大な巨体だった。




