第16話:大陸商工ギルドの平伏と独占供給契約
アフロ頭の帝国特使が情けなく逃げ帰った翌週。
シルフィア領の中央広場に、見慣れない巨大な隊商が到着した。
引いているのは痩せた馬ではなく、分厚い毛並みを持つ巨漢の駄獣たち。豪奢な絹張りの幌馬車には、黄金の天秤を模した紋章が掲げられていた。
大陸全土の流通を牛耳る超巨大複合商業組織――【ゴールドハイム商業連合】のシンボルマークだった。
「ひ、ひえぇぇ……! ゴールドハイムの総帥自らのお越しですって!?」
領主館の執務室で報告を受けたセレーナが、紅茶のカップをカタカタと鳴らしながら立ち上がった。
「ゴールドハイム商業連合といえば、帝国の国家予算に匹敵する財力を誇り、皇帝ですら無礼な真似はできないという大陸最大の経済怪物ですわ! 一体なぜそんな大物が、こんな辺境に……!?」
「セレーナ様、落ち着いてください。商人が動く理由はいつだって一つしかありませんよ」
エドガーは穏やかに笑い、書類から顔を上げた。
「『そこに圧倒的な利益と、新しい世界の覇権があるから』です」
応接間に通されたのは、仕立てのいい濃紺のフロックコートに身を包んだ、恰幅のいい白髪の紳士だった。
首筋に巻かれた最高級の絹スカーフ、手元にはミスリルの装飾が施されたステッキ。
ゴールドハイム商業連合の最高総帥――ヴェルナー・フォン・ゴールドハイム。
だが、その男はエドガーとセレーナの姿を認めるや否や、護衛の制止も聞かずにステッキを放り出し、深々と腰を折って最敬礼した。
「セレーナ辺境伯代理閣下、そして……エドガー技師長殿。突然の無礼な訪問をお許しいただきたい。このヴェルナー、這いつくばってでもお二方にお目にかかりたく、帝都から不眠不休で馬車を走らせてまいりました」
「えっ、そ、総帥閣下……!? どうぞお顔をお上げになってください!」
セレーナが狼狽する中、ヴェルナーは顔を上げ、その鋭い商人の双眸をエドガーに向けた。
「エドガー殿。単刀直入に申し上げます。――いま、帝国は死にかけております」
「停電の影響ですね」
「ええ、その通りです。ただの停電ではありません。『文明の完全な壊死』です」
ヴェルナーは苦渋に満ちた表情で首を横に振った。
「帝都の冷蔵魔導倉庫がすべて停止したことで、数万トンにおよぶ生鮮食料が腐敗し、異臭を放って廃棄されました。街道の魔力揚水ポンプが止まり、物流を支える中継拠点は壊滅。魔導車も魔導船もただの鉄屑となり、大陸中の物流網は百年前の馬車時代に逆戻りしました。紙幣の信用は地に堕ち、インフレ率は三千パーセントを突破。貴族どもは飢えに怯え、民衆はパンを求めて暴動を起こしております」
ヴェルナーは懐から、一粒の水晶を取り出してテーブルに置いた。
それは、シルフィア領の市場で流通し始めた【小型超伝導ミスリル蓄魔セル】だった。
「ですが……このシルフィア領から流れてきたこの小さな魔導電池を手にした瞬間、私は全身に鳥肌が立ちました。旧来の魔石と違い、充放電のロスがほぼゼロ。どれだけ魔力を出し入れしても結晶が劣化せず、手のひらサイズで馬車の照明を三ヶ月点灯させ続けることができる。さらに、貴殿が開発された『高周波精錬ミスリル鋼』は、純度九九・九九パーセントを超え、帝国の名匠たちが束になっても造れぬ至高の神鉄……!」
ヴェルナーは身を乗り出し、両手を握りしめて懇願した。
「エドガー殿! どうか、シルフィア領で生産されるミスリル鋼、蓄魔セル、そして世界樹の豊潤な農作物の【大陸全土への独占販売権】を、我がゴールドハイム商業連合に預けてはいただけませんか!? 利益の八割をシルフィア領にお納めします! 帝国の差し押さえや横槍は、我が連合の私兵艦隊と経済制裁網を総動員して、命がけでブロックしてみせます!!」
八割という常識外れの利益配分に、セレーナは息を呑んだ。商人が自らの利益を二割に削ってまで契約を欲しがるなど、前代未聞だった。
だが、エドガーは静かに首を横に振った。
「ヴェルナー総帥。利益の分配率は、六対四で構いません。あなたの取り分は四割で結構です」
「えっ……!? よ、四割もいただけるのですか!?」
「ええ。その代わり、条件が三つあります」
エドガーは指を一本ずつ立てた。
「第一に、シルフィア領が独自に発行する新通貨【シルフィア金貨・銀貨】を、ゴールドハイム連合の全加盟都市で完全な法定通貨として通用させること。
第二に、蓄魔セルやミスリル製品の転売価格に上限を設け、飢えた民衆や困窮した地方都市へ適正価格で供給すること。投機的な買い占めは一切認めません。
第三に――これが最も重要ですが、帝国宮廷および軍部への【技術および高機能製品の禁輸措置】を徹底すること。武器転用可能な部品は、一本のボルトたりとも帝都へ渡してはなりません」
ヴェルナーは目を見張り、そして深く息を吐き出した。
エドガーの提案は、目先の小銭を稼ぐことではなく、帝国を中心とした古い旧世界の経済秩序を解体し、シルフィア領を中心とした『新たな共存共栄の経済圏』を構築することを意味していた。
「……恐れ入りました。商人としての浅ましさを恥じ入るばかりです。エドガー殿、あなた様は単なる技術者ではない。真の変革者であられる」
ヴェルナーは立ち上がり、右手を胸に当てて深々と頭を垂れた。
「ゴールドハイム商業連合の総力を挙げ、あなた様の条件を完遂することを誓います。これより、我らはシルフィア領の忠実なる商業の盾となりましょう」
こうして、世界最強の商人ギルドがシルフィア領の傘下に下り、帝国の孤立は経済的にも決定的なものとなった。




