第11話:煙突のない製鉄炉
朝の柔らかな木漏れ日が、領主館のテラスに敷かれた白いテーブルクロスを照らしていた。
皿の上には、シルフィア領の大農園で今朝収穫されたばかりの極上小麦を焼き上げたクロワッサンと、常春の世界樹から採れた果実のコンフィチュール。そして、エドガーが修繕した小型熱電保温器から注がれる、淹れたての芳醇なコーヒーが湯気を立てている。
「ふぅ……。セレーナ様、このジャムは絶品ですね。糖度の乗り方がそこらの王宮献上品を遥かに超えています」
「うふふ、エドガーさんにそう言っていただけると嬉しいですわ! 大農園の土壌に流れる地脈の魔力が、エドガーさんの循環調整のおかげで完全に安定した結果です。農民たちも『神様の土だ』って大喜びしていますのよ」
セレーナは陶器のカップを両手で包み、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
だが、エドガーの視線はすでにテラスの向こう――北の地平線にそびえ立つ、赤茶けた険しい山並みへと向けられていた。
「農業の基盤と食料自給はこれでクリアできました。ですが、次の工程表を進めるには、決定的な資材が足りません」
「次の工程表……? 畑の次は、一体何をお作りになるのですか?」
「構造材です。具体的には、高品質な鉄と、魔力伝導率の極めて高い特殊合金――ミスリル鋼ですね。領地の水路網や住宅の電化、送電網を拡張するにも、今の脆い錬鉄では送電損失が大きすぎますし、耐久性も足りません」
エドガーが手帳を取り出すと、セレーナは思い出したように人差し指を口元に当てた。
「鉱物資源なら、初代領主の頃に作られた古い台帳が書斎にあったはずですわ。少々お待ちくださいね」
セレーナが書斎の奥から抱えてきたのは、埃をかぶった重厚な羊皮紙の綴りだった。
革表紙をめくり、虫食いの跡が残る黄ばんだ図面と記録に目を走らせる。エドガーの眉がピクリと動いた。
「……赤岩連峰の第六鉱脈。推定埋蔵量、鉄鉱石数百万トン、高純度ミスリル原石数十万トン。これだけの超巨大複合鉱脈が、なぜ『採掘放棄』と記録されているんですか?」
「あ……その鉱脈、百年以上も前に完全に封鎖されたいわくつきの山なんですの」
セレーナは困ったように眉尻を下げ、当時の記録を指さした。
「鉄鉱石とミスリルが、まるでマーブル模様のように複雑に入り混じって結晶化しているそうなのです。当時の製錬技師たちが木炭溶鉱炉で溶かそうとしたのですが……鉄とミスリルでは熱に耐える融点がまったく違うでしょう? 木炭の火を強めれば鉄が先に酸化してボロボロのクズになり、火を弱めればミスリルが溶けずに石ころのまま残ってしまう。無理に叩いて剣にしても、わずかな衝撃でガラスのように砕け散る『呪われたクズ鉄』しか取れなかったそうです」
「なるほど。鉄の融点は千五百三十八度、対してミスリルは千八百五十度ですからね。しかもミスリルは高温時に大気中の酸素や窒素と激しく反応し、脆化しやすい。木炭を燃やして風を送り込むだけの旧式炉では、温度ムラと酸化被膜の発生を抑えられるはずがありません」
エドガーはさらさらと手帳の白紙ページにペンを走らせ、滑らかな線で幾何学的な図形を描き始めた。
「それに、従来の木炭高炉は極めて環境負荷が高い。鉄を一トン精錬するために、どれほどの木々を切り倒して炭を焼き、どれだけの黒煙と有害な一酸化炭素を大気中に撒き散らすか。そんな野蛮で非効率な旧時代の遺物は、俺の美学に反します」
「で、でも……木炭も石炭も使わずに、どうやって鉱石を千八百度以上の熱で溶かすのですか? 帝国の火炎上級魔導士を何十人も並べて、火炎魔法を浴びせ続けるとか……?」
「そんな燃費の悪い人海戦術、論外ですよ。火も炭も使いません」
エドガーは手帳をくるりと回し、セレーナの前に滑らせた。
そこに描かれていたのは、耐火レンガを積み上げた従来の溶鉱炉とは似ても似つかない、奇妙な二重螺旋の金属チューブが幾重にも巻き付いた円筒形のチャンバーだった。
「木炭も火炎魔石も不要です。――高周波誘導加熱を用います」
「こうしゅうは……ゆうどうかねつ……?」
「ええ。超伝導ミスリルで巻いたコイルに、数十キロヘルツの交流魔力を高密度で通します。すると、コイルの中心に猛烈な勢いで反転を繰り返す交番磁束が発生する。その磁場の中に置かれた金属鉱石は、内部に強烈な渦電流を生じさせ、金属自体の電気抵抗によって内側から瞬間的に自己発熱するんです」
エドガーは指先で二重螺旋の断面をなぞりながら、楽しげに続けた。
「熱源を外から当てるのではなく、金属自身が自分の内側から熱を出す。伝熱のロスがゼロで、煤煙も二酸化炭素も出ない。しかも真空チャンバー内で加熱すれば、酸素に触れることすらありませんから、不純物の混入や酸化被膜も完全に防げます。室温から二千度までの昇温時間は、わずか八秒です」
「は、八秒……!? あの分厚い岩石と鉄が、瞬きする間に溶けるのですか!?」
「ええ。プラスマイナス〇・五度の精度で温度を自在にコントロールできますから、鉄とミスリルの融点の差を利用して、液状化した鉄だけを先に分離抽出し、その後にミスリルを完璧な純度で取り出す連続分留精錬が可能です」
セレーナは口元を手で覆い、目を丸くして手帳の図面を見つめ続けた。
火も煙も出さずに鉄が内側から溶け、しかも瞬時に分離される。帝国最高の錬金術師たちですら夢想だにしなかった技術体系が、目の前の青年の頭の中ではすでに完成しているのだ。
「す、すごすぎます、エドガーさん……! これができれば、我が領地は大陸一の金属生産地になれますわ!」
「理論上の設計は完全に終わっています。ただ――」
エドガーは手帳のペンを置き、テラスの向こうの赤岩連峰を見据えた。
「この高周波炉を実現するためには、炉心を包む耐熱真空チャンバーの超精密な鋳造と、狂いのない対数螺旋を描く超伝導ミスリル配管の叩き出しが必要です。公差は千分の一ミリ以内。金属の結晶粒界を均一に揃えながら叩き上げる神業が求められます。いくら俺が魔力を制御できても、素材を物理的に極限まで加工する『大陸一の鍛冶師』の腕が不可欠なんですよ」
「大陸一の鍛冶職人……」
セレーナは何かを思い出すように胸元に手を当て、ハッと瞳を輝かせた。
「エドガーさん! もしかしたら……あの頑固爺さんなら、できるかもしれません!」
「心当たりがあるんですか?」
「はい! 赤岩連峰の険しい谷底に、十数年前に帝国から追放され、世を捨てて一人で暮らしている老ドワーフが住んでいるのです。かつて帝国宮廷で『神の手を持つ鍛冶棟梁』と讃えられながら、貴族たちの理不尽な命令に怒って宮廷を叩き出された伝説の名工――バガン様です!」
「ドワーフの鍛冶棟梁、バガン……」
エドガーは口元に微かな笑みを浮かべた。
「最高ですね。腕が立ち、権力に媚びず、本物の技術を理解できる職人。早速、そのバガンさんに会いに行きましょう」




