灰被り姫 7
恵介の顔に焦りの色が見え始める。0時になれば、強制的に元の中年の体に戻る。そうなれば今のように素早い動きも鋭い攻撃もできなくなる。ズタ袋の大男を倒すどころか、恵美を守ることすら困難になってしまう。
「もっと……。もっと、本気でッ!」
恵介はさらに力を入れて突進した。今できる限界の力でズタ袋の大男を攻撃する。
それでも、ズタ袋の大男はよろけることすらない。分厚い皮と脂肪によって阻まれてしまう。
「クソッ……」
攻撃が効いていないと判断すると、恵介はすぐに距離をとった。こちらの攻撃は何発入れても効いている様子はないが、相手の攻撃を食らえばアウトだ。
アンフェアな戦いに歯噛みしつつも、恵介はズタ袋の大男の動きに注視する。
(どこかに弱点は……?)
ズタ袋の大男は極端な肥満体型だ。それ自体が弱点と言えなくもないが、あと数分で倒しきれるような明確な弱点がないか。恵介は必死になってズタ袋の大男の体を見る。
だが、それらしいものは見つからない。もしかしたら垂れ下がった脂肪の下に何かしらの弱点のような場所があるかもしれないが、相手が大人しく身体検査を受けてくれるとも思えない。
ズタ袋の大男は、恵介の焦りなど関係なく、大振りに巨大ノコギリを振り回してくる。
当然、これを避けてから反撃の一撃を入れるが、状況は変わらない。やはり、効いている様子が見えない。
そんな中、ズタ袋の大男は急に動きを止めた。
恵介は警戒しながら様子を伺っていると、ズタ袋の大男の体が突然ドロドロと溶け出した。溶けたズタ袋の大男の体は、そのまま廃工場の床に染み込んでいき、姿が見えなくなる。
「……やったのか?」
何の手ごたえもないまま、いきなり相手の体が溶け出した。倒したようにも見えるが、倒したという実感は何もない。
警戒を解かないまま、恵介は周りを見渡すが、何もない。廃材やら鉄パイプやらが散乱した廃工場の床があるだけだ。
すると、突然、頭上から大きな影が覆いかぶさってきた。
恵介は咄嗟に上を向くと、そこには落下してきたズタ袋の大男がいた。
「――ッ!?」
ズタ袋の大男は自重とともに巨大なノコギリを振り下ろしてくる。寸でのところで恵介はこれを回避するも、大きく体勢を崩してしまう。
転がるようにして移動し、何とか距離を取る。
(な、なんだ……? 上から降ってきたッ!?)
突然のことに恵介の頭が混乱する。ズタ袋の大男の体が溶けたと思ったら、いきなり上から降ってきたのだ。驚きを隠せないでいた。
だが、これで一つの謎が解けた。
(俺たちに追いついて来たのも、後ろから奇襲を仕掛けてきたのも、この能力か……)
廃工場の床や壁などに潜りこんで移動できる能力。ズタ袋の大男は動きこそ遅いが、この能力があれば移動距離を大幅に短縮することができる。しかも、気づかれることなく背後に回ることも可能だ。図体のデカさに反して非常にステルス機能が高い。
(……相手の能力が分かったとしても……、倒す方法が分かったわけじゃない……。時間が……、時間がない……。どうにかして、あいつを倒さないと……)
戦況の有利不利は変わっていない。相手の手札が1枚分かったが、状況を打破するだけの情報ではない。不利な状況が余計に不利になったということが分かっただけだ。
そして、ズタ袋の大男は再び自身の体をドロドロに溶かして、床に沈んでいく。
今度はどこから出てくるのか、まったく予想が付かない。
(止まってたらマズイ! 動いて的を絞らせないようにしないとッ)
恵介は走りだした。止まっていては、後ろから強襲される恐れがある。ただ、この作戦は、今の状況では非常にマズイことがある。
(……あまり遠くに逃げたら恵美の方へ行かれる可能性がある……。どこかで、あいつを誘き出さないと……。それに、逃げてても時間が無くなるだけだし……)
問題点は二つ。標的を恵介から恵美に変えられる恐れがあることと、0時が迫っているということ。
ほぼ致命的な問題であることに気づき、恵介は足を止めざるを得なかった。
深呼吸をして、冷静さを保つ。相手がどこにいるのか、気配があるのか、どういう思考で攻撃してこようとするのか、意識を集中させた。
フゥーと息を吐いた時、恵介の後ろから圧迫感を感じた。
反射的に振り替えると、ズタ袋の大男が巨大ノコギリを振り上げているところだった。
勢いよく振り下ろされた巨大ノコギリを何とか回避することに成功。
いったん距離が開くと、ズタ袋の大男は再び体をドロドロに溶かしていった。
「させるかッ!」
ズタ袋の大男の体が溶けている最中、恵介は思いっきりバールを振りぬいた。だが、溶けた体の一部が飛び散るだけで、さっきと同じように、ズタ袋の大男は廃工場の床に消えていく。
「これでもダメかッ……」
一縷の望みをかけて、溶けている最中への攻撃を慣行したが、手応えはなし。ズタ袋の大男は完全に姿を消している。
恵介は再度意識を集中させる。だが、思ったように集中することができないでいた。早く決着をつけないと、もう時間がないという焦りが、否応なしに意識を乱す。
バールを構えたまま、恵介が一歩後ずさりした時だった。急に何か大きなものに足を掴まれた。
「なッ――!?」
咄嗟に足を見ると、床からズタ袋の大男の手だけが出て、恵介の足を掴んでいた。
そのまま、ズタ袋の大男は床から全身を這い出してきて、恵介の足を掴んだ手を大きく振り被った。
そして、恵介の体ごと勢いよく壁へと投げつけた。
「ぐはッ!?」
廃工場の壁に叩き付けられた恵介が苦悶の声を上げる。
ズタ袋の大男は恵介に止めを刺さんとばかりに歩みを進めてきた。
壁に叩きつけられたことで、背中を強打し、呼吸がままならない。それでも、まだ体は動くことができそうなのは、アマテラス因子の影響だろう。
恵介はバールを拾い上げて、何とか立ち上がろうとした時だった。上の方で何かが動いているのが見えた。
「櫛名田さんを傷つけるなァーッ!!」
それは逃がしたはずの恵美だった。どこかからか鉄パイプを持ってきて、廃工場のキャットウォークの上から飛び降りてきた。
落下の勢いを乗せて、恵美がズタ袋の大男の頭に鉄パイプを叩きつけた。
強打を受けたズタ袋の大男は意識を恵美に向ける。一方で、恵美の方は落下の勢いで完全に体勢を崩している。おそらく落下の影響でどこかしら負傷しているかもしれない。
「何やってんだーッ!」
思わず恵介が怒鳴り声を上げた。
「逃げてるだけなんて嫌ッ! 櫛名田さんばかりに戦わせるわけにはいかないッ! 一緒にいるって約束したッ!」
恵美は決意のこもった目で返してきた。そこには強い信念が宿っている。だが、気持ちだけではズタ袋の大男は倒せない。キャットウォークから飛び降りての強打も効果はないようだった。
ズタ袋の大男は近くに倒れこんでいる恵美に目掛けて、巨大ノコギリを思いっきり振り上げた。
「ッ!?」
恵美は両手で頭を庇うようにして振り上げ、ぎゅっと目を閉じた。
「恵美ーッ!?」
恵介が悲痛の叫び声を上げた。
今まさに娘の命が奪われようとしている。ここ数年は父親として碌に会話もできなかったと思う。嫌がられないように、憎まれないように、疎まれないように。そればかり考えていた数年間だった。
自分は間違っているのではないか。離婚したことは早計だったのではないか。娘に辛い思いをさせているのではないか。“離婚しても親子であることは変わらない”、そんな安直な考えを後悔し続けていた。
そんな中、バスの中で聞いた恵美の本音。『嫌いなわけがない』『感謝している』。この言葉がどれほど心を満たしてくれたか。どれほど娘を愛おしい存在であると認識させてくれたか。この言葉だけで、今までの辛かったことが全て吹き飛んだ。
そんな、大切な存在に――
ズタ袋の大男が巨大ノコギリを振り下ろす。
ガキンッ――という嫌な金属音が響き渡る。
「く、櫛名田さんッ!?」
恵美との距離を一瞬の内に詰めてきた恵介が、バールで巨大ノコギリを受け止めていた。
ギリギリと鍔迫り合いをする中、恵介の中で何かが開いたような気がした。何がどう開いたのかは、恵介本人にも分からない。胸の奥の方で詰まっていた何かが解き放たれたような気がした。
「大丈夫だ。こいつは俺が何とかする」
「な、何とかするって、無茶だよ! お願い、櫛名田さんだけでも逃げてッ!」
恵美の必死の叫び声が上がる。
「心配するな恵美。お前だけは命に代えても守る!」
力が溢れてくる。限界という言葉が意味をなさないほどに、全身から力が噴出していく。先ほどまでの戦いとは全くの別次元に辿り着いたような感覚だった。
「櫛名田さん……?」
恵美も不思議な感覚を覚えていた。今日会ったばかりの少女だが、絶対に自分を守ってくれる存在だと確信できる。今までの恐怖はもうどこにもない。
「恵美を襲ったこと、後悔しろよ!」
恵介は、受け止めていた巨大ノコギリを振り払うと、ズタ袋の大男を思いっきり蹴飛ばした。
蹴りを受けたズタ袋の大男は、ボールのように盛大に吹き飛んで、壁に激突する。
「――ッ!?」
その様子に恵美が驚愕する。ズタ袋の大男は見た目だけでも1トン前後、もしかしたらそれ以上あるかもしれない相手が、簡単に吹き飛んでいた。
恵介は倒れこんだズタ袋の大男へと向かって悠々と歩き出す。
吹き飛ばされたズタ袋の大男はすぐに立ち上がって、恵介へと突進してくる。今までの見せてこなかった俊敏な動きだ。この状況で隠し玉を出してきた。そして、反撃の一撃を入れようと巨大ノコギリを振り下ろしてきた。
恵介はほとんど動かず、バールを振り上げるだけ。その動きだけで、巨大ノコギリごとズタ袋の大男の腕は吹き飛んだ。
ズタ袋の大男は腕を吹き飛ばされた勢いでよろめく。それでも何とか足を踏ん張って耐え、またもや自身の体をドロドロに溶かし始めた。
どんどん廃工場の床の中に大きな体が染み込んでいくが――
恵介は沈み込んでいくズタ袋の大男を無造作に掴むと、強引に引き摺り出した。
「終わりだ」
恵介は振り上げたバールを一閃。無理やり引きずり出されたズタ袋の大男を袈裟斬りに両断した。
あれほど攻撃を加えてもビクともしなったズタ袋の大男は、まるでバターを切るように簡単に切断され、力なく崩れ落ちた。
ズタ袋の大男が倒れると、周りの景色が熱せられたチョコレートのように溶け出した。廃工場だった場所も形を維持することができなくなり、天井から壁から、見る見るうちに溶け出していく。
恵介は冷静に腕時計を見た。
時刻は23時58分から59分になったところ。
(さてと、どうやって説明するかな――)
0時になると魔法が解けて元の中年に戻る。この格好のままで。娘と同じ女子高の制服を着たままで。
「突入ーッ!」
そんなことを考え始めたところだった。唐突に大きな号令が聞こえてきた。
声の方を見やると、特殊部隊の戦闘服を着た十数名の隊員が、アサルトライフルを手に雪崩れ込んで来た。
「魔障種完全に崩壊!」
「異界化解除されます!」
「負傷者の確保! 急げーッ!」
隊員たちは慌ただしく声を張り上げると、数人が恵介を取り囲み、両腕を掴んで連行していった。あれよあれよという間に恵介は連れていかれ、護送車の中へと運び込まれる。その間わずか30秒。
「櫛名田さんッ! 待って! 友達なの! どこに連れて行くの? 待って! 櫛名田さんを連れて行かないで!」
突然の状況に恵美がパニックになりながら声を上げる。何が起こっているのかさっぱり分からない状況で、友達だけが連れ去れてしまった。
「落ち着きなさい、恵美」
そこに一人の女性が現れる。他の隊員と同じように戦闘服を来ているが、ヘルメットは外しているため、顔が確認できた。30代半ばの女性だ。
「えッ!? お、お母さん……ッ!? えッ!? なんで……ッ!?」
現れたのは天津 美奈子。恵美の母であり、恵介の元妻。
「事情はこの後説明するわ。今はまず身の安全を優先して」
「後で説明するって……。ちょっと、どういう状況なの? 櫛名田さんをどこに連れて行くのッ!?」
母親の登場に、恵美はさらに混乱したように声を上げた。
「大丈夫だから、まずは落ち着いて、私の言うとおりにして」
「言う通りにって……。何なのこれ? 落ち着けって言われても、そんな……、状況も分からないし――櫛名田さんはッ!? 連れていかれた子は大丈夫なの? 友達なの!」
「だから、まずは落ち着きなさい。後で説明をするから、まずはここを離れるわよ」
「お母さんは分かってるかもしれないけど、私は全然分かんないんだよッ! その気持ちも考えてよ!」
恵美は捲し立てるようにして言った。
「彼女は大丈夫よ。それは心配ない。信用して」
(どうして、こういうところは恵介さんに似たのかしらね……)と心の中で美奈子は呟く。
「それなら……、分かった。ちゃんと説明してよ……」
友達の安全は母が保証してくれるというのであれば、渋々ながらに恵美は了承し、隊員に連れられて恵介とは別の護送車に乗り込んでいった。




