灰被り姫 5
「兎に角、バスを止めてみるッ!」
「う、うん……」
恵介は何とか焦りを抑えつつ、運転席に座った。だが、普通運転免許は持っているが、大型の免許は持っていない。
当然のことながら、バスには普通乗用車にはない様々な機能や計器類が設置されている。だから、とりあえず共通しているところからやるしかない。
(ブレーキを……踏んでるんだけどな……。全然効いてない……)
全力でブレーキを踏み倒すが、バスの速度は一向に遅くならない。常に一定の速度で走っている。では、逆にアクセルを踏んでみるとどうかというと、これも意味はない。速度は一切変化なし。
ギアを変えても、サイドブレーキを引いても、ハンドルを回しても同じ。運転席から何かできることは一切なかった。
その様子を恵美が心配そうな顔で見ている。何も言わなくても、その不安は恵介に伝わってくる。
(なんとかバスを止めないと……)
分かる範囲でバスを止める手段がない。それならと、他のスイッチなどを押してみたりもするが、これも一切反応はない。まるで繋がっていないコントローラーのように何も起こらなった。
(……ッどうなってるんだ……? どうすれば……?)
恵介はもどかしさを覚えながら前方を睨むようにして見た。日が落ちて、周りに街灯やビルもないため、先を見通すことが難しいが、どうやら真っ直ぐに道は続いているようだった。
道路の両端は木々が生い茂っているのに、山道でもなく、ただ真っ直ぐな道路。どこに向かっているかさえも不明。行き先を示す電光掲示板にも何も記されてはいない。
恵介は歯噛みしながらも運転席を立って、すぐ後ろに回る。
そこにあるのは緊急停止ボタン。バスの運転手が何らかの理由で意識を失ったりした場合に使う非常手段だ。
すぐさま緊急停止ボタンを押すが……。
「クッソ……。やっぱり、これもダメか……」
予想通りではあったが、緊急停止ボタンを押しても何も起こらない。バスは一定の速度で走り続けている。
「スマホはッ?」
「ダメッ! 圏外ッ!」
既にスマホで連絡をしようとしていた恵美がすぐさま返事をした。恵介も自分のスマホを確認しみるが、やはり圏外だ。MAPも読み込み中のままで機能していない。
「どこに行くんだろう……?」
恵美が不安気な声を上げている。
「分からない……」
こんな時こそ、父親として頼りになることろを見せないといけないのに、結局何もできないでいることが悔しかった。
「……私、窓が開くかどうか確認してくるね……」
恵美はそう言うやいなや、すぐさま近くにあった窓に手をかけて。だが、窓はピクリともしない。続けて他の窓も同じように開けてみようとするが、結果は同じ。
「ダメ……。全然動かない……」
全ての窓と乗客扉を開けようとしてみたが、まるでダメだった。壁に描かれた扉ではないかと思えるほど固く閉ざされている。
「もう一度、運転席を調べてみる……」
期待はしていないが、他にできることもなく、恵介は再び運転席へと向かった。
「うん……。私もどこか開けられる場所がないか探してみるね……」
こちらも期待は薄いが、何もしないよりはマシだろうという程度。
そうして、同じことを繰り返しやってみたり、何かを同時に操作してみたりなど、試行錯誤を繰り返していくが、結果は同じ。何も変わらない。何をやっても無反応だった。
ただ、闇雲に時間だけが過ぎていき、気力だけが削られていく。
いつしか、恵介も恵美も車内の座席に座っていた。バスが出発してから、既に数時間が経過している。外の景色も一切変わっていない。暗い木々が流れていくだけ。
「……………」
あれだけお喋りだった恵美が黙ったまま恵介の袖を掴んでいる。泣き言の一つでも言いたいだろうが、そこはグッと我慢しているようだった。
「……………」
恵介も黙って恵美の手に触れる。これで少しでも安心してくれたらと。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。バスは急に速度を緩め始めた。
その変化に恵介と恵美は顔を見合わせた。
やがて、バスはゆっくりと停車。プシューっという音を出しながら、降車口が開いた。
「と、止まった……の?」
驚いたような顔で恵美が呟いた。何せ、一向に止まる気配のなかったバスが何の前触れもなく急に止まったのだ。どうなっているか見当もつかない。
「そう……みたいだな……。とりあえず降りよう……。ぐずぐずしてると、また発車するかもだし」
バスの中に残るのも怖いが、降りるのも怖い。どこに着いたのかさえ不明だ。ただ、降りないと、もっと遠くに連れていかれそうな気がしてならない。
「う、うん……。そうだね……」
恵美も恐る恐る承諾する。降りることが正解なのかどうかは分からない。だからと言って、このままバスに乗っていて、元の場所に戻れる保証もない。
バスから降りてみると、そこは廃工場の前だった。人気のない森に囲まれた場所にある。なんでこんな所に廃工場が? と恵介は訝し気な顔で廃工場を見上げた。
廃工場の周りにはぼんやりとだが、街灯が立っていた。廃工場の割れた窓からも薄っすらとだが裸電球の光が漏れている。
「ど、どうしようか……?」
恵介の袖を掴んだまま恵美が聞いてきた。
「あそこに行けってことだと思うけど……」
廃工場を見上げながら呟いやいた。他に行く場所もない。
「やっぱり、ここで降りないといけないってことみたいだね……」
バスの方を見てみると、役目を終えたかのように静まり返っている。完全に停止しているようだった。
「そう……思う……」
バスが来た道に目を向けるが、真っ暗闇だ。何も見通せない。その道を歩いて戻るのはあまりにも危険だろう。そもそも、来た道を戻ったところで、絶対に逃がしてもらえない。それは、経験済みのことだった。
恵介は空を見上げたが、月どころか星も見えない。どこまでも暗い闇があるだけ。野外にいるにも関わらず、息苦しいほどの圧迫感を感じる。
「い、行くんだよね……? あの中に……?」
「手掛かりが他にないから……」
はっきり言って目の前の廃工場の中になんて入りたくはない。絶対に何かヤバいのがいる。それが何なのか、具体的なことは分からないが、ある程度予想はつく。一週間前に恵介を襲ったアレの類だ。
(あんなのが出てきたらどうする……? やっぱり、廃工場の中に入るのは間違いか? いや、引き返すこともできないから、行くしかないのか……。もしもの時は、恵美だけでもなんとか逃がさないと……)
「ねえ……。ここで、助けが来るのを待ってるとかは……?」
廃工場の中に入らずに、外で救助を待ち続けるという案。それも選択肢の内の一つだ。
「確かに、その案もありといえばあり――」
ズゾゾゾゾゾッ――
恵美の提案に乗ろうとした時だった。何か大きな物を引きずるような音がした。音がする方向は、廃工場の入り口とは反対の方角。
その音がする方へと目を向けてみると、そこにはズタ袋を被った巨躯の男がいた。手には錆び付いた大きなノコギリを持っている。身の丈は3メートル近くはあるだろうか。そして、極端な肥満体系。上半身裸で、傷だらけで変色している。下半身はボロボロのズボンに裸足で足を引きずっていた。
「「――ッ!?」」
二人とも悲鳴を上げそうになったが、咄嗟に口を押えて我慢した――が、ズタ袋の大男はこちらを向いている。
「逃げろッ! こっちだッ!」
恵介が叫びながら恵美の手を引いた。急いで廃工場の中へと駆け込んでいく。ズタ袋の大男も追ってきているようだが、あまりにも肥満体型ことと足を引きずっていることから、さほど早く移動はできないようだ。
それでも恵介と恵美は必死で走る。できるだけ距離を離して、ズタ袋の大男から逃げたい。恵介と恵美は急いで一番近くの階段から上の階へと駆け上がる。
廃工場の中は、錆びついた鉄骨やパイプが血管のように張り巡っており、中はかなり広かった。所々崩れており、半分崩壊した大きなタンクなどがそのままの状態で放置されていた。
天井にはポツポツと裸電球が点灯しているため、薄暗いが何とか視界は確保できる。こんな廃工場でも電気はまだ通っているようだが、それはそれで不自然だった。
ある程度距離を稼いだところで、恵介と恵美は大きな柱の陰に身を潜めた。背を低くして周りの様子を伺うが、辺りは静まり返っている。
全力で走ってきたせいか、恵美は肩で息をしている。対して恵介の方は涼しい顔をしていた。
(運動不足の45歳なんだがな……。これもアマテラス因子ってやつ影響か)
そもそも、元のおっさんの体だったらこんなに速く走れない。一週間前に魔障に遭遇した時もすぐに息切れを起こしていた。
「何なの……? 何なのあれ……? もう……、わけ分かんない……。わけ分かんないよ……」
恵美はパニックになりそうになりながらも、何とか堪えているという様子だ。
(恵美は魔障のことも何も知らないんだ……。俺がしっかりしないと……)
恵美は魔障のことはおろか、自分がアマテラス因子なるものを持っており、その力が覚醒しようとしている兆候があることさえ知らない。何も知らずに、普通の人間として今まで生きてきた。美奈子の話では、恵美に覚醒の兆候が現れるのは想定外のことだったとのことだ。
「大丈夫! 大丈夫だから、無理矢理でもなんでもいいから、落ち着け! あいつに見つかったら終わりだ!」
「うッ……。で、でも……、お、落ち着けって言われても……」
「気持ちは分かる。この状況は普通じゃない。パニックになって当然だ。だから、ほら、手を握って!」
恵介は恵美の手をぎゅっと握りしめた。恵美の手は恐怖で震えている。怖くて当然だ。だから、恵介は包み込むようにして手を握りしめた。
しばしの間、そうやって手を握っていると、少しだけ、恵美の震えが収まった。
「少しは落ち着いたか……?」
「うん……。ごめんね……。櫛名田さんだって、怖いのに……。ありがとう……」
「よし、それでいい。――さて、どうやって、元の場所に戻るか……。何か方法を考えないと……」
恵美が少し落ち着いたところを見計らって、恵介が口を開く。
「……でも、どうしたら帰ることができるんだろう……?」
「そこが問題なんだよな……」
これが魔障であることは恵介にも見当がつく。だが、対処方法は何もわからない。今日の夜から初回の訓練が始まる予定だったのだ。現状では魔障の概要しか教えてもらっていない。
「このまま、夜明けまで逃げ切れたら、帰ることができるかな……?」
「ああ、夜明けになったら、こんな怪奇現象は収ま――」
ここまで言って恵介がピタリと止まった。目の焦点が合っていないように瞳孔が動き、冷や汗が出てくる。
「櫛名田さん……? どうしたの……? 凄く顔色が悪いよ?」
急に様子がおかしくなった刹那(恵介)を恵美が心配そうな目で見る。
「い、いや……。だ、大丈夫……。ダイジョウブだから……」
「本当に……? 凄い汗かいてるよ……?」
「ほ、ホントウ……。だい、大丈夫……」
「嘘言わないで! 全然大丈夫そうじゃないよ!」
「も、モンダイない……。ゼッタイに帰れる……から……」
「ねえ、櫛名田さん……。こんなわけ分かんない状況だけどさ、私も頑張るからね……。無理しないで……。大丈夫だよ……。夜明けまで一緒にいてあげるからね」
恵美はそういうと、恵介の頭を優しく抱きしめた。柔らかい感触が恵介の顔を包み込む。
(いや! それがヤバいんだってッ! それがヤバいんだってッ! 夜明けとかの前に0時になったら、お前の父親の姿に戻るんだぞ! 女子高生の制服を着たままでッ!)
ここで恵介は気づいてしまった。自らに課された制約の重さについて。当初は高校生の娘の普段の護衛なら、0時という時間制限は問題にならないと思っていた。学校は部活をしていたとしても夕方には帰宅する。だから、時間には余裕があると思っていた。
だが、娘を何から守るのかということを考えてみれば、そんな簡単な話ではないということくらい分かる。魔に類するもの。即ち悪霊や妖、怪異など、闇に生きる者たち。普通に考えれば夜の方が危険なわけだ。
だからこそ、魂性変異術式が0時で解除されるという制約の意味が大きくなり、術式の力も強力になるということだ。
突然の異常事態に巻き込まれたせいで、そのことを考えている余裕は一切なかったため、今更ながらに自分の置かれた状況の不味さを理解した。
「あ、天津さん……。ダイジョウブだから……。心配してくれて……アリガトウ……」
恵介は歯切れ悪く言う。このまま0時を迎えれば、女子高生姿の父親の姿を実の娘に晒すことになるのだ。そんなことになれば、完全に終わる。口をきいてもらえなくなる程度では済まされない。一生ゴミを見る目で見られる。いや、そもそも二度と会ってはくれないだろう。
そして、恵介は恐る恐る腕時計に目をやった。
時刻は23時半を過ぎている。




