灰被り姫 4
1
学校生活初日は午前で終了。入学式の後のクラスでのホームルームもこれからの学校生活の説明と自己紹介等の簡単なレクリエーションだけだった。
なので、恵介は早々に帰り支度を始める。正直に言うと、おっさんが女子高生として紛れているというのは想像以上に居心地が悪いのだが、ここで一瞬手が止まった。この後の恵美の護衛はどうするのかと。具体的な護衛プランなど用意する余裕は全くなかった。行き当たりばったりで今この場所にいる。
そんなことを考えていると隣の恵美から声がかけられた。
「ねえ、櫛名田さん、この後何か用事はある? クラブ見学とか」
「いや、別に。入りたい部活とかもないから」
娘の護衛のために入った女子高だ。部活をしている余裕はない。ただ、恵美が何かしらの部活に入るとしたら話は変わってくる。
「だったらさ、これからお昼食べに行こうよ。近くに最近できたばかりのショッピングモールもあるから、そこに行ってみよう? 買い物もしたいしさ」
恵美は楽しそうに誘ってきた。これは恵介にとっても都合が良い。
「うん、いいよ(お前、この前会ったとき、好きなもの買ってやるから買い物に行こうって言っても、『いらない』って言って、来なかっただろうがッ!)」
恵介は笑顔で答えつつも、この差はなんだと複雑な心境になっていた。
「やったぁ! じゃあさ、すぐに行こうよ。多分、他にも行く人いると思うからさ、混む前に。ね?」
恵美は食い気味に言ってきた。
「あ、ああ、うん。そうだね」
積極的な娘に対して、若干動揺しつつも、恵介は急いで帰り支度をする。こんな姿になってはいるが、年頃の娘と買い物に行くなんてことは半ば諦めていたことだから、嬉しいことには違いなかった。
「そうそう。早く行こ」
「ああ、うん。分かった、分かったから(今日の訓練は確か夜からだったよな。だったら、娘と買い物に行く時間くらいあるか)」
若干強引な気もするが、恵介は恵美に引っ張られるような形で学校を後にすることになった。
2
やってきたのはショッピングモール内にあるファミレス。手ごろな値段と豊富なメニューで人気のファミレスだ。高校生の小遣いでも問題なく利用できる。まあ、恵介は社会人なので金銭面では全く問題はない。むしろここは父親としてもっと良い店に連れて行ってもいいくらいだ。
とはいえ、今は同じ高校の同級生。社会人の財力を見せるというわけにもいかない。
「腹減ってた?」
早々に注文を決めた恵介に対し、まだメニュー表とにらめっこをしている恵美に問いかけた。
「ん? 別に普通だけど、どうして?」
突然の質問に恵美が疑問符を浮かべる。
「いや、急いで昼を食べたそうだったからさ。腹減ってるんだろうなって」
「ああー、そういうこと……。やっぱり櫛名田さんって、女子との絡みが少ないよね」
なんとなく得心したような顔で恵美が応えた。
「そう? なんか変なこと言ったかな?」
「もしかして天然だったりする? その見た目で天然っていうのも、それはそれで良いかもだけど。そういうことじゃないんだよなぁ」
「天然って……。いや、そんなにおかしなこと聞いたかな?」
当然、年頃の娘に対して『腹減った?』はデリカシーのないことではある。恵介の姿でそれを言っていたら、恵美は嫌な顔をしただろう。櫛名田刹那の姿だから、何も咎められないだけである。だが、本題はそこではない。
「櫛名田さんが噂になるくらい綺麗だっていう話したよね?」
「ああ、そんな話してたな」
「だからさ、他の子に声をかけられる前に私が搔っ攫ったっていうことなの。言わせないでよ……」
少し照れた顔で恵美が答える。これくらいのことは聞かなくても理解していてほしいことだ。
「えっと……。ああ、そうなんだ……」
何とも言えない微妙な空気が流れる。要するに恵介というか刹那を独り占めしたかったということだ。
「ちょっとぉー、変な空気にしないでよー! 本当にこいうの慣れてないんだね」
「ああ、その……。ごめん……」
「謝らなくていいからー!」
恵美は余計に顔を赤らめている。なんだかこの空気に耐えられないといった様子。
「ま、まあ、それなら、さっさと注文して、買い物にでも行こうか……」
恵介としても、この甘ったるいような、むず痒いよな空気感は何とかしたい。45年間こんな空気になったことなど一度もないので、どうしていいか分からない。
「そうだね、買い物したいっていうのは本当だし。あ、これ美味しそう。私これにするね」
恵美がほとんど強引に空気を変えるようにして、注文を決めた。それからは、出てきた料理も美味しかったこともあって、普通に会話が終わってファミレスを出た。
その後は予定通り買い物をする流れになった。大きなショッピングモールで有名ブランドも多数入っている。
まずは春物の服を見て回る。何回か試着をしたり、あれが良いだの、これが似合いそうだの。恵美は途切れることなく会話をしている。
雑貨屋にも立ち寄り、色々な小物を見て回った。恵介には何に使うのかよく分からない小物が多い。質問をしたら、また不思議そうな顔をされそうで、黙っていることにした。
そこで恵介が思ったことは一つ――
(長いなぁ~。女の買い物長いな~)
思えば美奈子の買い物に付き合うのも長かった。何が長いって、買わない物もじっくり見るし、店の隅々まで見るから、一軒にかかる時間がやたらと長い。それで、買うかというと、買うわけでもない。
そんな感じで途中にカフェで休憩を入れたり、また店を回ったりで、ショッピングモールを出たのは夕方になってから。日もかなり傾いて、夕日が影を大きく伸ばしていた。
「ふうー。楽しかったねー」
帰りのバスを待ちながら、恵美は大きく伸びをしていた。その表情を見るに、どうやら満足したようだ。
結局買ったものは、部屋に飾る小物と紅茶の葉だけ。服などは買っていない。
「そうだね。これだけ店を回ったのは久々かもしれない」
少々疲れ気味の恵介だが、娘が満足しているのであれば、それでよい。父親として会っている時だとこうはいかないから。
「ごめんね、長いこと付き合わせちゃって。櫛名田さん疲れてない?」
「ああ、全然、大丈夫だから」
「そう、なら良かった」
そうこうしている内に帰りのバスがやってきた。
もう夕方なので、帰宅する人で混雑しているかと思いきや、意外と空いている。前の方の席は埋まっていたので、恵介と恵美は後ろの方の二人掛けの椅子に座って出発を待つ。
「空いてて良かったね」
隣で恵美が微笑みながら言った。本当に今日は楽しかったのだろう。中学校の友達もいない高校で、不安だったところに新しい友達ができて嬉しいといった感じが漏れ出している。
帰りのバスはすぐに発車した。エンジン音とともに軽い振動が伝わってくる。恵美は西から差し込む夕日が眩しくて遮光カーテンを下した。
バスが走り出してからも恵美の話は止まらない。本当によく喋る子だ。中学校の頃はどんな部活をしていただとか、今日買った紅茶の葉はどんなお菓子に合うだとか。そんな他愛のない会話だ。
「今日はありがとうね。初対面なのに、こんなに長い時間付き合わせちゃって……」
恵美は改めてお礼を言った。
「いや、気にしなくていいよ。それより、天津さんは帰りの時間は大丈夫? 遅くなりそうだけど?」
美奈子はどちかというと教育は厳しい方だ。もっと緩くてもいいんじゃないかという恵介とはよく意見がぶつかっていた。高校初日に夕方まで遊んでいたら、美奈子は怒るのではないかという心配があった。
「時間? まだ7時前だよ。小学生じゃあるまいし、それくらいで怒られたりしないよ」
恵美は笑いながら答えた。どうやら、昔と違って門限は緩くなっているようだ。まあ、高校生なのだから、未だに門限6時とか言ったら、流石にやり過ぎだろう。
「そ、そうだよね……。流石に高校生にもなればそうだよね……」
「櫛名田さんは大丈夫だよね?」
「ああ、うん。うちは問題ない。門限なんてないようなもんだし」
中年男性の一人暮らしに門限などあるはずがない。いつも残業して深夜帰宅だ。
「そうなの? 両親は何も言わないの?」
「あ、ああー、うん。大丈夫。そのあたりは放任主義だから」
「へえ、そうなんだ。櫛名田さんはしっかりしてそうだしね。そういうところ信用されてるんだね。うちはお母さんが結構うるさいかな、そういうところ」
「お母さんが……。そうなんだ」
やっぱりか、と思いながら恵介は話を聞いていた。
「私の家、片親だからね……。お母さんも心配してるんだと思う……」
この言葉に恵介の心臓がドキッと跳ね上がった。
「そ、そうなんだ……。お、お父さんとは……、そ、その……どう……なの?」
恐る恐る恵介が尋ねる。何と答えられるのか、怖いが聞きたい。聞きたいが怖いから聞きたくない。そんな葛藤が脳内を乱すように駆け巡る。
「お父さんか……。あんまり会ってないかな。仕事忙しそうだし……」
恵美の声のトーンが少しだけ下がったような気がした。あまり父親のことは話したくないのだろうか。そんな不安が過る。
「たまには……会ったりしてるんだよね……? そ、その時は、どんな……感じ……?」
どこまで触れていいものなのか、あまり深く聞かない方がいいかもしれない。だが、気になる。どうしても気になるから、質問してしまう。
「あまり話はしないかな。お父さんと話すこともないし」
「えっと……、お父さんのこと……苦手だったり……する?」
「苦手とかではないかな。ただ、お父さんの方が私に気を使ってるっていうかさ、お母さんと別れたことで私に負い目を感じてるんだよね。それがさ、会話の節々から伝わってくるのよ……。親子なのに、私を何とか喜ばせようとかして、無理するんだけど、お父さんって不器用だから、ずっと空回りしてさ……」
「それじゃあ、お父さんには、もっと堂々としてほしいっていうか、威厳のある感じでいてほしいとか?」
「それはウザいから嫌。余計に話しないと思う」
「そ、そうなのか……」
どうしろっていうんだよッ! と恵介は心の中で叫ぶ。気を使ってもダメだし、気を使わなくてもダメ。詰んでいる状態ではないのか。
「お父さんとは話合わないから、どうしたって無理なんだけどね」
「き、嫌ってるとかじゃ……ないよね……?」
恵介は勇気を出して聞いてみた。嫌ってると言われたら、今後生きていく自信がなくなる。
「嫌うわけないよ……。これでも感謝してるんだよ。小さい頃から、お父さんが遊んでくれた記憶はほとんどないけど、毎日遅くまで仕事してるのは知ってるしさ……。それって、私のために自分の人生を擦り減らして頑張ってくれてるってことでしょ……。でも、会うとなんか、イライラしてしまうっていうか。ほっといて欲しいって思ったりして……。で、そういうこと思うとやっぱり後で罪悪感っていうかな……。なんか申し訳ない気持ちになるんだけど、お父さんと顔を合わせるとやっぱり鬱陶しいなって……。なんなんだろうね、こういの。思春期?」
恵美は苦笑いを浮かべながら語る。父へ思うところはあるが、気持ちとは裏腹にどうしても合わないところがある。恵美なりに葛藤していることがあったのだ。
「――ッ!?」
そんな話を聞いて、恵介は泣きそうになり、思わず顔を背けた。小さい頃はよく公園や遊園地に連れて行ってやったことを全く覚えていないのは悲しかったが、それ以上に娘から感謝されていることが嬉しくて堪らなかった。
「ん? どうしたの? あれぇ、まさか感動しちゃったとか~?」
恵美は揶揄うようにして恵介の顔を覗き込もうとした。今の顔を見られるのは相当まずい。そのため、恵介は上体を反らして必死に耐えようとするが――
「もしかして、櫛名田さんって、こういう話に弱いの~?」
恵美はなおも面白がるようにして恵介の顔を覗き込もうとする。そのため、座席から大きく乗り出すような体勢になる。
「ちょッ!? ま、待て、やめ、そんなことしたら周りに迷惑――」
恵介がそこまで言った時だった。違和感を感じて言葉が止まる。
「櫛名田さん? どうかした?」
急に動きを止めたことに恵美が不思議に思い尋ねる。
「な、なあ……。他の客……いつの間に降りたんだ? いや、それ以前にこのバス……、今までに一度でも停車したか……?」
二人はずっと話をしていたため、その違和感に気が付かずにいたが、それなりに長い時間話をしていたと思う。時計を見ると19時過ぎだ。だが、その間に一度たりともバスは止まっていない。止まっていないのに、乗客は恵介と恵美の二人だけになっている。
「えッ……? あれ……? 確かに……いたよね? 他に乗ってた人、私たち以外にもいた……よね?」
恵美はバスの前方の席に目を向けた。バスに乗り込んだ時には前の方の席が埋まっていたから、後ろ側の二人掛けの席に座ったのだ。
「ああ、確かにいた……。それにもう1時間くらい走ってるのに、一度でも停車するバス停のアナウンスあったか? なかなか目的の駅に着かないなとは思ってたんだけど……。これは明らかに変だ……」
「うん……。言われてみれば……。アナウンスは一度も聞いてないかも……」
「それに……、クソッ……どこだよここ……? どこを走ってんだ、このバスは……?」
恵介がバスの外に目を向ける。日が落ちて薄暗い景色になっているが、それ以上に道の両側に生える木々が鬱蒼としていて、周りが見通せない。バスに乗り込んだ場所も、目的地も都会の真ん中だ。本来ならビルや店、信号や街灯の光に囲まれている場所に行き着くはずだ。
「えッ……? どこ……ここ? ね、ねえ! 全然知らない場所を走ってるんだけど!?」
恵美も違和感が確信に変わる。どう考えてもおかしい状況にある。
「バスの運転手……。運転手はッ?」
恵介は叫ぶように声を上げると、すぐさま運転席の方へと向かった。だが、そこには……。
「嘘だろ……。誰も……。どうやって動いてるんだ……このバス……?」
バスの運転席には誰もいなかった。ハンドルも動いていない。速度メーターも0キロを指している。他の計器類も何もかもが停止している状態だった。それでも、バスは走り続けている。
「ね、ねえ……、どういうこと……なの……? なんで、このバス……」
後方から運転席の様子を見に来た恵美の不安な声が聞こえてきた。
(多分、これが魔障なんだろうけど……)
恵介には確証があった。一週間前にも遭遇した怪異現象だ。防衛相特殊自然災害対策室の言葉を借りれば、“魔障”なのだろう。




