灰被り姫 2
「はあァッ!?」
恵介は素っ頓狂な声を上げた。年の頃は15、6歳といったところか。大人びた雰囲気があるが、少女らしい顔つきでもある。どう見ても45歳の中年おっさんではない。
「やっぱり、夢……か……。このセリフを自分で言う時が来るとはな……」
夢であると結論付けた恵介は何とか落ち着きを取り戻すが……。
「夢じゃないわよ。あなたも分かってるでしょ?」
美奈子がすぐさま反論する。
「いや、でも、どう考えてもおかしいだろ! 俺がこんな姿の筈がない! それはお前だってよく分かってるだろ! そもそも、どうしてお前は俺だって分かるんだよ? 絶対に違うだろ?」
「まあまあ、落ち着いてください。混乱するのもよく分かります」
そこに入ってきたは美奈子についてきたもう一人の人間。ロン毛の優男だ。年齢は恵介と同い年くらいの中年か。ただ、恵介と違って、体は締まっているようだった。
「いや、こんな状況で落ち着けと言われましても……。えっと、あなたも何か知ってるんですか?」
「ああ、申し遅れました。私は天津課長の部下で山祇と申します。一応、柳さんと課長の関係は簡単に伺っています」
山祇と名乗った男性は少しだけ気まずそうに言った。それもそのはず。
「ということは、私と美奈子が離婚したことも知っているということでよろしいですか……?」
「ええ、まあ、そういったことは聞いております」
「そうですか……。それはこっちの話なので、特に気にされることはありませんが……。それより、美奈子。どうなってるんだよ、これ! 夢じゃないってことは分かるけど、夢じゃなかったらどういう状況なんだよ!?」
少しだけ落ち着いたかのように見えた恵介だが、すぐに分からないことだらけであることに気が付くと捲くし立てるようにして言った。
「だから、ちょっとは落ち着いて! まずは私の話を聞いて! 冷静にならないと何も話ができないでしょう!」
美奈子も負けじと捲し立ててくる。
「冷静になるも何も、状況がおかしすぎるだろ! お前は分かってるのかもしれないけど、こっちは意味不明なんだよ!」
「分かってるわよそれくらい! だから、説明するって言ってるでしょ? 少しは落ち着いてもらわないとこっちも話ができないでしょう!」
「だから、俺は落ち着くも何も、こんな状況なんだよ! 少しは俺の気持ちも考えてくれって言ってるんだよ! それを、お前は自分のことしか考えずに、正論しか言わないから、話が進まないんだろうが!」
「あなたが、落ち着かないから、私が説明できないんでしょうが! いい加減人のせいにするのは止めてもらえない?」
「人のせいにしてのるのお前――」
「まあ、まあ、まあ、二人とも落ち着いて。私から見たら、課長も冷静じゃないですよ。本題からどんどんズレていってます。そんなことを話に来たわけじゃないですよね?」
山祇が落ち着いた声で二人を宥める。このわずかなやり取りだけで、この二人が離婚した理由が分かった。
「……すみません、お見苦しいところを……」
恵介はバツの悪そうな顔で山祇に謝罪する。美奈子は黙ったままだが、一旦は引くようだった。
「いえいえ、こんな状況です。冷静でいられるのは非常に困難でしょう」
「はい……。すみません……説明をお願いします」
他人に、元が付くが夫婦喧嘩を見られたことに気恥ずかしさを覚えて、恵介は大人しく山祇の説明を聞くことにした。
「まずは、我々の所属から説明しますね。私たちは防衛省特殊自然災害対策室の職員です」
「防衛省……特殊自然……?」
いきなり聞いたことのない部署の名前が出てきて、恵介が疑問符を浮かべる。
「防衛省特殊自然災害対策室ですね。一般的には公開されていない部署です。身分としては一般の公務員ですけどね」
「ああ……、確かに美奈子は防衛相の国家公務員って言ってましたが……。事務職と聞いてたんですが……?」
「そうですね。採用枠は事務職で採用されていますし、国家公務員試験も受けています。まあ、表向きの話ですがね」
「は、はあ……。そうですか……」
話の内容としては理解できるが、今一つ現実味がなくて、ピンと来ない。
「で、本題なんですが、1週間前の夜のことです。柳さんを襲った中級の魔障種のことですね。今の柳さんの状態はその魔障種に襲われたことが原因となっています」
「一週間前ッ!? えっと、マ、マショウ……? マショウジョ? に襲われて……?」
一週間前という思っていたよりも前のことと、聞きなれない単語に恵介は再び頭が混乱し始める。
「魔障種よ。一言でいえば、妖や悪魔、悪霊とかそういった非科学的な存在が引き起こす障害を魔障。魔障を引き起こす種族を魔障種と呼んでいるわ」
山祇の説明を聞いていた美奈子が堪らず口を挟むが、すぐさま黙りこむ。それを見た山祇が説明を続けた。
「柳さんを襲った魔障種は、我々が討伐したんですが……。柳さんは、その魔障によって、魂を汚染された状態になってしまったんですね。襲った魔障種にもよるんですが、こちらのカテゴリーでは中級の魔障種に襲われてしまいまして、普通の人間なら助からない状態になっていました……」
山祇は申し訳なさそうに説明をした。
「でも、助かったんですよね……? 私は……?」
「はい。その助ける方法というのが、かなり特殊でして……。魂性変異術式というもので、魔障種の汚染に耐えうる魂と体に作り替えて対抗しようというものなんです」
「……えっと……コンセイジュツ……?」
またもや聞きなれない単語に恵介が戸惑う。
「魂性変異術式よ。山祇が言ったように、恵介さんを魔障種の汚染に対抗できる存在に変えたということ。それが今の姿よ。その姿が、あなたにとって一番霊的な抵抗力が強い姿ってことよ」
ここでも美奈子が口を挟んできた。何だかんだで恵介のことを案じている。
「これが俺にとって一番抵抗できる体ってことか……? どうして、元の姿のままじゃないんだ?」
「訓練を受けていない普通の人間では、まず呪詛に対する抵抗力がない。だから、恵介さんの体のままだと、抵抗力がなくて、数時間後に死んでいたのよ」
「だからって、どうしてこんな少女の体になる必要があるんだ? 他にもあるだろう?」
恵介の疑問はもっともだった。魔障種の汚染に対抗するのにどうして少女の姿でないといけないのか。
「恵介さんにとって、他の姿にはなり得ないのよ。魔障種の汚染に対抗することができる唯一の姿がそれよ」
「だから、どうして?」
「アマテラス因子があるからよ」
「アマテラス……何?」
次々と聞いたことのない言葉が出てくる。それを一つずつ確認しないといけない。
「あなたの中にある、天照大神の力を借りることができる因子のことよ。天照大神は女神でしょ? だから、その因子を最大限に発揮して変性させた結果、少女の姿になったわけよ」
「天照大神の力……? 神話の? 俺に……? 何言ってんだお前? んな訳ないだろ……」
「それがあるのよ」
「俺はそんな大袈裟な物、持ってないが……?」
「私が、そのアマテラス因子を持っていたからよ」
美奈子はとんでもないことをサラッと言った。自分が神話の神の力を行使できる因子を持っていると。
「はァ……? 美奈子が!? いや、仮にお前がそんな因子だかなんだを持ってたとして、尚更俺には関係ない話だろ? 俺は一般人だぞ?」
「そうね、あなたは確かに一般人だけど、アマテラス因子を持つきっかけがあるのよ」
「きっかけって言われてもな……。お前と結婚したことか? いや、でも、あれは法律行為だから……」
唯一心当たりがあるきっかけといえば結婚だが、これといって特別な儀式はしていない。普通の結婚式プランだ。婚姻届けも普通に書いただけ。
「アマテラス因子を持つ女が、最初に交わった男があなたなんだから、アマテラス因子を持つことになったのよ」
美奈子は伏し目がちに言った。横で山祇に聞かれているので、この話は少し気まずい。
「最初に……。ああ、うん……。まあ、そうだったな……」
もう十数年も前の話だが、今更そのことを思い出して、恵介も少し気まずくなる。
「そういうことよ……」
「で、そのアマテラス因子だったか? なんでもお前がそんな物を持ってるんだよ?」
出会った頃から今まで、恵介は美奈子からそんな話は一言も聞いていない。聞いたところで信じるわけもないが。
「ことの発端は大昔の話よ。それこそ1000年以上も前の話。魔障っていうのは、太古から存在していたものなの。それは、大体想像できるでしょ?」
「ああ……。そうだな。昔話だと鬼とか出てくるし、そういうものなんだろう」
「ええ、そうね。そういう魔に類する存在っていうのは昔からいて、人々を苦しめてきた。当然、人もそれに対抗するための手段を求めたの。その一つが神話の神の力を行使すること。そして、私の祖先は、この国を守護する者として、天照大神の力を行使する権限を授けれたっていうことよ」
「その権限を持ってる証がアマテラス因子てことか……」
「証っていうか、鍵みたいなものね。代々この因子を引き継いできたの。それが天津家よ」
「恵美はそのことを知っているのか……?」
「いいえ、あの子は何も知らないわ。アマテラス因子のことも、天津家が国を守護する家系だということも何も知らずに生きてきた……。あの子には普通の人生を歩んでほしかったから、私が天津家から遠ざけていたからなんだけど。言ったところで信じられないでしょ?」
「うん……、それは、そうだな……」
恵介も半信半疑といったところ。話のスケールが大き過ぎて、頭の整理がつかない。
「というわけで、天津課長の持つアマテラス因子を柳さんが宿すことになったわけなんですが、そのおかげで命は助かったということですね。正直、最初に魂性変異術式をやると聞いたときは正気を疑いもしましたが、理由を聞いて納得しました。特別な何かを持っていない限り、魂性変異術式が成功することなんてあり得ませんから」
流れを切るようにして山祇が説明を続けた。少し話が脱線しそうだったので、ここで本題へと戻した。
「なるほど……。というか、ほとんど理解はしていませんが……。あの化け物に襲われて、汚染された私が助かるためにこの少女の姿になったと……。まるで魔法ですね……」
恵介は改めて自分の体を見ながら言った。説明を受けたからといって、とてもじゃないが信じることができない。だが、現実にこの体になっている。
「魔法よ」
「んあ?」
美奈子が発した一言に恵介が間の抜けた声を出した。
「これは魔法なのよ。魔法の力で恵介さんが少女の姿になって、命を繋ぎとめたのよ」
「おいおい、まさか本気で魔法とか言っていないよな……?」
この短時間で信じられないようなことばかり聞かされてきたが、流石に魔法とは、飛躍が過ぎる。
「正確には、魔道技術による特異事象干渉法ですね。我々はこれを略して“魔法”と呼んでいます」
山祇が補足説明を入れた。だが、恵介はまだ分かっていないというような顔をしている。
「所属や流派、地域や国によってこれらの言い方は変わるけど、呪術や法術、白魔術や黒魔術といったものも私たちは大きな括りとしては同じものと考えているわ。単にアプローチの仕方が違うという認識ね」
美奈子も補足説明を入れる。かなり専門的な知識が必要な分野なので、一般人の恵介に理解してもらうのは骨が折れる。
「ははは、もう分けが分かんねえな……」
案の定、恵介の理解は追いついてない。あまりのも非現実的すぎる。
「もっと言えば、科学や物理の範疇の外にある力で、世界に何らかの影響を与える技術よ。魔力とかチャクラとか法力とかそういった類の、科学では説明できない分野を扱うものだと思ってもえばいいわ」
「なんでもありだな……。まあ、それで俺が助かったわけだから、文句を言うのは筋違いだけど……。元の姿には戻るんだろうな……?」
ここで恵介に一つの疑問が浮かぶ。いや、正確にはもっと前からこの疑問はあった。だが、もしも戻ることができないと言われたら。それが怖くて、質問を後回しにしていた。
「……そこが問題なのよね……」
深刻な顔で美奈子が答える。
「え……!? お、おい!? まさか、このまま……なのか……!?」
最悪の答えを想像する。もう、元の姿には戻れないのかもしれないと。
「いえ、元には戻れるわ……。ただ……」
「ただ……?」
「0時になったら強制的に元の姿に戻るの」
神妙な面持ちで美奈子が答える。
「0時に……? 何で……0時? シンデレラか、俺は?」
意味が分からず、恵介が聞き返す。
「魔法っていうのはね、恵介さんが思っているような、何でも叶う万能の力じゃないの。あくまで技術。人が今までに積み上げてきた科学や物理以外の知識と技術体系なの。そして、魂性変異術式というのは、かなり高度な魔法で、その効力をより安定的かつ強いものにするために制約をかける必要があったのよ」
「制約があると、魔法が強くなるのか……?」
「ええ、端的に言えばそうね。細かい説明は省くけど、魂性変異術式における最大限の制約が、時間の制約。1日の起点となる0時という特殊な時間に制約をかけることで、魂性変異術式が最も強固なものになったというわけ」
「それじゃあ、俺はこの一週間の間に、0時には元の姿に戻ってたっていうことか……」
「そういうことになるわね。今の姿になるには日の出が必要になる。魔障の汚染を浄化するために、朝が来るたび、魂性変異術式でその姿にしていたというわけよ」
「深夜から夜明けの間だけ、俺は元の姿に戻れるってわけか……。いや、まてよ、俺の中の汚染っていうのは、まだ残ってるのか?」
ここで一つの希望が出てきた。魂性変異術式は0時には一度切れる。日が昇ればまた魂性変異術式によって少女の姿になることができる。それは、恵介が魔障により汚染されていたから、魂性変異術式を使ったわけだが、汚染が消えていたとしたら、もう少女の姿になる必要はないはずだ。
「安心して。汚染は完全に消えてるわ」
「そうか、だったら今夜0時に元の姿に戻れば、もう少女の姿になることはないんだな」
美奈子の回答に、恵介はほっと胸をなでおろした。
「そうも言ってられないのよ……」
だが、美奈子がそれを否定する。
「そうも言ってられないって……どういうことだ? もう俺は大丈夫なんだろう?」
恵介は訝し気な表情で聞き返した。もうこの姿になる必要はないはずなのにと。
「さっきも説明したけど、魂性変異術式は非常に強力な魔法よ。今の恵介さんのその姿は、対魔障種に特化した特殊兵器みたいなもの。この力を手にすることができる人材なんて、滅多なことでは巡り合えない」
「おい、まさか、お前……俺に……」
嫌な予感がしてくる。というかほとんど答えを聞いているようなものだ。
「ええ、恵介さんが思っている通りよ。これからは恵介さんにも魔障種と戦ってもらう」
美奈子は何の感情もないような顔で答えた。酷く残酷なことを言っている自覚はあるが、それでも、努めて無表情でいた。
「無理に決まってるだろ! あんな化け物とどうやって戦うっていうんだよ! こっちは素人どころの話じゃないんだぞ! 45年間、まったく別の世界で生きてきたんだ、あんなのと戦えるわけがないだろう!」
恵介にとって魂性変異術式がどれほどのものかは知らない。美奈子が言うように、もの凄い技術なのだろう。だが、当の本人である恵介には今の姿がそれほど強力なものには思えない。
「当然、戦い方を教えるし、訓練も受けてもらうわ」
「そういう問題じゃない! どれだけの力があるかは知らないが、無理なものは無理なんだ!」
「いいえ、無理でも戦ってもらうわ! あなたにもその理由がある」
美奈子は表情を崩さないまま、ピシャリと言い切った。
「俺に戦う理由……?」
恵介には何も思い当たることがない。つい最近までブラック企業で社畜として勤めていただけだ。この不公平な社会に対する方が戦う理由がある。
「ここからが本題なんだけど。恵介さんが魔障種に襲われた理由……。それが問題なの……」
美奈子が伏し目がちに言う。さっきとは打って変わって弱気な顔だ。こういう弱気な態度は、恵介もあまり見たことがない。
「俺が襲われた理由……?」
「ええ……。1週間前に恵介さんを襲った魔障種は、こちらの推測では、恵介さんが狙いではないのよ」
「いや、現に俺は襲われたんだが?」
今でもあの夜の恐怖は覚えている。体験したことのない異様な恐怖だった。思い出しただけでも背中に冷や汗が流れる。
「恵介さん……。アマテラス因子のことはさっき説明したわよね……」
「ああ、美奈子の祖先が天照大神の力を何とかっていうやつな……。魔障種に対する特殊兵器みたいなものって……」
「そう……。アマテラス因子はそれだけでも魔障種の脅威になりうる。だから、自らの脅威を排除しようとした魔障種に恵介さんが襲われたわけなんだけど……、恵介さんの持つアマテラス因子は本体じゃないの。いわば分体。でも、私はもうアマテラス因子を持っていないの……」
「じゃあ、誰にアマテラス因子が……」
ここまで言って恵介の顔から血の気が引いていく。候補は一人しかいない。
「アマテラス因子の本体は恵美に引き継がれた……。そして、恵美はアマテラス因子の力が覚醒する兆候が見られる……。まさか、あの子に覚醒の兆しが現れるなんて思いもしなかった。私は覚醒しなかったから、あの子も大丈夫だと思ってたんだけど……。恵介さんを襲った魔障種は、恵美の覚醒に呼応し始めたアマテラス因子を狙って襲ってきたの……」
「俺と恵美を間違えて襲って来たってことか……?」
恐る恐る恵介が尋ねる。
「ええ、そういうことよ……。だから、アマテラス因子の活性化に成功した恵介さんに、今後、襲い来るであろう魔障種から恵美を守ってもらいたい……」
「あの化け物が、恵美を……」
美奈子の話を聞いて、恵介は背筋が凍る思いだった。あの夜の恐怖を、襲われた時の絶望を、思い出しただけでも心臓が抉られるような思いだ。そんなものが娘に襲い掛かるかもしれない。
「恵美は確実に魔障種の標的になるわ。だから、もう一度言うわね。あなたに恵美を守ってほしい」
「俺には、その力があるんだな……?」
恵介が美奈子の目をじっと見て尋ねた。
「あるわ。何よりも強い力が、あなたにはある」
美奈子が迷いなく即答した。
「分かった……。恵美のためなら、なんだってやる!」
恵介も迷いなく答えた。
「ありがとう……。恵介さんならそう言ってもらえると思ったわ」
「娘のためだ。これでも父親だからな」
フッと笑って恵介が答える。少しばかりかっこつけすぎたか。そんなことを思っていると――
「じゃあ、早速だけど、明日から恵美の通う学校の生徒になって、護衛をしてちょうだい」
美奈子はサラッとそんなことを言ってきた。
「えッ……!? 明日? って、え? いや、恵美は確か、この春から……」
「女子高に通うことになってるわ。明日がその入学式。あなたも明日から女子高生よ」




