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心が濡れる、雨の中 ~3~

 ユウリは、怒ってしまうかもしれない。


 そう思いながら、ハルトはドアを開け、雨の中へと走り出す。ユウリがそれに気づいて、足を止めてハルトを振り返る。追いかけてくるハルトを、きょとんと見つめて「え?」という顔をする。


 ユウリの乳白色の肌が、真っ白に見えた。蒼白く灯った街灯が、雨を銀色の線のように映し続けている。追いついて、ハルトがユウリの腕を取る。


「あかんよ」

 見つめるユウリの、前髪を伝って落ちる水滴が、涙のように零れていく。

「ハルト?」

「おまえ、そんな簡単に、「ばいばい」なんて言うて、出て行ったらあかん」

「……」

「もう帰ろ。冷えてもぉた」


 掴んだ腕は冷たい。元々機械だから、そんなことはきっと関係ないのだろうけれども、初めてみる雨に濡れたユウリはなんだか可哀想で、早く部屋に連れて帰りたかった。

 慣れ親しんだ、ふたりだけの部屋に。


「……ハルト」

「なん? もう満足したやろ? 「ばいばい」ってしたし」

「ちゃうねん、ハルト」

「なにが」

「ハルト、映画のつづき、知っとる?」

「え?」


 (いぶか)しげな表情をするハルトを見つめて、少しだけ首をかしげると、ユウリは雨に濡れたままふわりと笑った。


「あの後な、男は女の人のとこに、戻るんよ。女の人が家に帰ってもぉて、でも男は結局立ち去れずに戻るんよ」

 ユウリの言葉に、ハルトは記憶の底に眠っている洋画のストーリーをいまさらながら辿って、そう言えばハッピーエンドだったと、そんなことを思った。


「でな、ハルト。俺がやりたかったんは、ほんまはそこやねん」

「……戻ってくるとこまで、やりたかったん?」

「戻ってくるとこ、や」

 念を押すように言って、にっこりと笑う。


「男が戻ってきて、呼び鈴押せんで、悩んでるん。そしたら、パァってドアが開いて、女の人が言うてくれんの」

「なんて?」

「あんな、「おかえりなさい」言うて、ぎゅってな、抱きしめてくれんねん」


 ユウリが、雨に濡れた自分の前髪についと触りつつ、恥ずかしそうに笑う。


「俺、それがやりたかってん」

 小首を傾げてハルトを見上げて、ユウリが続ける。

「やって俺、いつもハルトに「おかえりなさい」って言うてばっかで、言うてもらったことあらへんもん。「おかえりなさい」って、なんかいいやん。此処が君の場所だよって、言うてもらってるみたいやん」


 にこにこと笑いながら、ちょっと照れたように喋り続けるユウリを見つめて、ハルトは「はぁ」と、胸全部の空気をぬくみたいに大きくため息する。そして、落とした視線の先にあるユウリの腕を引き寄せて胸に抱きしめる。


「濡れるで、ハルト」

「もう、濡れとるわ。おまえは、ほんまにぃ」


 ため息交じりに言って胸元を見下ろせば、淡い碧の瞳を潤ませて、じっとハルトを見上げるユウリが「なに?」と心配そうな顔をする。自分の声音が不機嫌そうに聞こえたんだろうと察したハルトが、安心させるように優しく笑って「ちゃうよ」と頭を撫でてから、ユウリの耳元でそっと囁く。


「おかえり」

「今ちゃうもん。部屋に入ったらやもん」

「今も後も、いっしょやろ」

「ちゃーう!」



 その頃、父の研究室ではカタカタと映写機が回る音が響いていた。

「にゃ~ん」

 ちりんちりんと鈴を鳴らして、ちっちゃな三毛猫がハルトの父の足元にすり寄ってくる。

「あぁ、タマも観たいのかい? おいで」

 優しく抱き上げられた腕の中で、タマがじーっとスクリーンを見つめている。


 大きなスクリーンには、雨の中、手を繋いでマンションに戻るハルトとユウリが映っていた。

 この監視カメラが、マンションのエントランスばかりではなくハルトの部屋にも取り付けられていることを、ハルトとユウリは知らない。


 穏やかに笑いあうふたりを、ハルトの父は複雑な思いで見つめていた。

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