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心が濡れる、雨の中 ~2~

 確かに、ひとりでの外出を許していないユウリにしてみれば、いつも見送るばかりではあるけれど、一緒に暮らしているのに、いまさら「ばいばい」なんて玄関先で別れても、楽しいことなんてひとつもないだろうに。


 いまいちユウリの望みが理解できなくて、首をひねりながらのそのそと歩くハルトの背を、ユウリが急かすように押す。部屋を出たハルトは、楽しそうにしているユウリを見つつ「まぁ、いいか」と諦めることにした。所詮(しょせん)ユウリの考えることなんて、わかりっこないのだから。


「ここやないで。下までいかんと」

 独り言みたいに言って、ユウリはエレベーター横の非常階段のドアを開け、とてとてと小走りで階段を降りて行く。

 エレベーターが苦手なユウリに付き合って、同じように階段を降りはじめたハルトを、階段の区切りごとに見上げては、嬉しそうに笑う。


 非常階段を降り切る頃、優しかった雨は少しだけ強くなっていた。

「小雨やと思うとったんに、これ、傘もってこなあかんやん」

 言いながら、部屋に戻るためにエレベーターのボタンを押すハルトに、「こんくらいやったら平気や」とユウリが笑う。

「ほな、やろか」


 硝子戸に雨が吹きつけはじめたエントランスに人影はなく、銀色のポストの羅列がまわりの空気に妙な冷たさを残している。間接照明の柔らかな橙色が、ふたりの影を絡ませている。


「ハルトはさっきの女の子役な」

「俺? 女役?」

「うん、俺が「ばいばーい」って出ていくから」

「雨、降ってるで?」

「ええって」

 妙にやる気なユウリが不意と真剣な顔をするから、ハルトは黙ってそれに従うことにする。


「俺、そろそろ行くね」

 ユウリが、普段とは違う標準語で、少し冷めたような声音で言う。


 その声に、すっと胸底を、冷たい指先でなぞられたような感覚がした。

 それでも、こんな大人びたユウリは、多分これからも、めったに見ることはないような気がして、ハルトは続きのセリフを口にする。


「もう、行くんか?」

 女役と言われても、そんな芝居ができっこないハルトのいつも通りの口調に、ユウリは頷いてじっとハルトを見つめる。そして、すっとハルトに近づくと、ハルトの胸に手を添えて背伸びするようにしてハルトに唇を寄せる。


 ユウリからのキスは、いつもとても幼くて、むず痒いような何かがハルトの心臓の隅っこを引っ掻く。雨の音が、耳の奥で響いている。

 そっと離れたユウリが、ふっと一息吐いて、濡れた唇のまま無理に笑って、ハルトに手を振る。


「ハルト。ばいばい」


 その一言に、

 全部が演技だと言うことを充分に知っているはずなのに、ハルトの胸が千切られるように痛んだ。

 ユウリは、密かに眉根を寄せたハルトに気づくこともなく、(きびす)を返してエントランスの外へと、ためらいなく飛び出していく。

 その先は、雨だというのに。


「……!」

 ハルトが、慌てたように硝子戸へと駆け寄る。水飛沫(みずしぶき)が、ユウリの足元で遊ぶように弾けて、ユウリの背中が見る見る遠ざかっていく。


 演技だった。

 ただ、ユウリがやってみたいというから、付き合っただけの演技だった。

 だけど。

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