トオルの受難、ふたたび ~1~
「とんでもキス事件」から一週間後、それこそビクビクでマンションの鍵を開けたトオルは、リビングを覗きこんで特段変わったところのないふたりの様子に、なんだかげっそりと疲れてしまう。
―― 犬も喰わないってヤツか?
ふぅっとひとつ溜息をして、この一週間の苦悩の時間を返してほしいなんて、誰に言ったらいいのかもわからない文句を胸の中で転がしながら、でも、仲良く笑っているふたりはやっぱり見ているだけで幸せで「まっ、いいか」と諦める。
「あっ、トオル!」
そそくさと図書室に逃げ込むつもりが目聡いユウリに見つかってしまって、思わず身構えてしまったトオルだったけれど、おいでおいでと手招くユウリのその無邪気さに逆らえなくて、背中を丸めてリビングに入っていく。
「おはよう」
そう挨拶するハルトの表情は穏やかで、トオルは少しだけほっとする。とてとてと近づいてきたユウリはちょこんと小首を傾げて、「なぁなぁ、本、選んで?」といつものように訊いてくる。
「あっ、あぁ。前の、読み終わったん?」
「うん。ちゃんと覚えたよ! パパさんにも、知識が増えたねって褒められたんよ!」
メンテナンスから帰ったばかりらしいユウリが、「えっへん」と胸を張る。
「今度は、どんなんが知りたいん?」
問いかけると「うーん」と可愛らしく悩んで、「俺、あとなに覚えなあかんのやろ?」とちろりとハルトに視線を移す。
ハルトはと言うと、銀色のトレイにグラスを置いて麦茶を注ぎながら、ユウリの質問には応えないで「ユウリ」と呼びかける。
「俺な、今日、トオルに勉強教えてもらたいんやけど、その間におまえに頼みごとしてええか?」
頼みごとをされるのが嬉しくてしょうがない時期に入っているらしいユウリは、自分の質問を後回しにされてしまったことも忘れて、きらきらと瞳を輝かせる。
「なん? なん?」
トオルと二人きりになることさえ不安になると言ったユウリの気持ちを思って、ハルトはユウリが寂しくならないように、「俺らに美味しいランチ、作ってくれん?」と、お願いする。
「ランチ? 俺の料理、食べたいんか?」
「うん。ユウリの、……そうやな、パンケーキ、作ってくれん?」
ちょっと前に、甘いのが好きなハルトのためにレシピ本とにらめっこして作ってくれたスフレケーキみたいなパンケーキをリクエストすると、見るからに嬉しそうに笑顔が弾ける。
「あれ! あれか? こないだと、おんなじヤツ?」
「うん」
「ええよ! もっちろんや! ふわっふわのパンケーキ、作っちゃる!」
言うが早いかハルトを押しのけて、キッチン横にかかっているエプロンを身につける。
「ランチやから、サラダかスープも、あったほうがええなぁ」
「わかっとるよ。豪勢なん、作ったるわ! 出来たら声かけるから、楽しみにしててや」
腕まくりするユウリにひらひらと手を振るハルトは優しい笑顔なのに、くるんとトオルを振り返った途端、笑顔が消えてしまうものだからトオルはビクリとしてしまう。
ハルトの表情が真剣すぎて、なんだか怖い。




