第8話:ワルプルギスの夜
見目麗しき一組の男女が、夜更けの辺獄を歩いている。
フードの付いた地味な外套を羽織っていても、彼らの足運びには気品が滲みだしていた。だがその高貴な外見に似合わず、互いに悪態をつきまくっている。
「冗談ではない。まったくもって、冗談ではない……! 悪魔侯爵たるこの私が、なぜ人間の真似事など!」
「お黙りなさい」
わなわなと屈辱に震えるモルスを、ヴェロニカが肘で小突いた。
「お前はまるで、きゃんきゃん吠える仔犬ね」
「なんだと?」
悪魔の角を消した彼は、どこをどう見ても完全な人間だ。赤い瞳も血色を帯びた黒髪も、今は艶やかな黒一色。口さえ閉じていれば、退廃的な貴公子にしか見えない。
――そう。口さえ閉じていれば。
「ちっ、離れろ。人間臭い」
と吐き捨てた直後。モルスの膝が、かっくん。と崩れた。
「……おい。貴様、魔力の量を絞っただろう」
「あら。気のせいではなくて?」
ヴェロニカは涼しい顔で首をかしげる。
この悪魔は、今やヴェロニカの魔力供給で命をつないでいる状態だ。生殺与奪を握られたモルスは、恨みがましい顔で歯を軋ませていた。
「今に寝首をかいてやる」
「まあ、怖い。わたくしが死んだら、お前も一緒に消滅ね」
「くっ……!」
夜の街は、昼よりさらに危うげだ。
酒場や娼館から漏れるのは、赤々とした灯りと喧騒、嬌声――景色を視界の端に流しつつ、二人は奈落を目指して進み続けた。
やがて見えてきたのは、奈落の内外を隔てる魔法城壁だ。結界魔術を帯びた黒紫色の石壁は、さながら異界の門である。
途中で誰かに絡まれるかと思っていたが、今回は一度も止められなかった。鋭い視線は感じるものの、仕掛けてくる者はいない。
「ヴェロニカ。貴様、ずいぶんな嫌われようだな」
視線を感じ取ったモルスが、嘲るように囁いた。
「うふふ、怖がられているの。悪女冥利に尽きるわね」
ヴェロニカは悪びれもせずに笑う。
ふたりはやがて、壁の前まで到達した。その壁に沿って歩きつつ、ヴェロニカが語り掛ける。
「ワルプルギスの夜は、半年に一度の『宴』なの」
「宴?」
「ええ。この街で最大の闇市場よ。武器に禁制魔導具、禁術指定の闇魔法――表に出せない色々なモノが、全部そこに集まるの」
ヴェロニカは、目を爛々と輝かせている。
「その宴には、この街を束ねるマフィアのボスや幹部たちが現れるの。わたくし、ある人物に会いたくて」
「ふん。そのマフィアとやらを利用して王家に復讐するつもりか」
ヴェロニカは答えない。
その沈黙を、モルスは勝手に肯定と受け取ったらしい。
「……私と契約すれば早いものを」
壁沿いを進んでいたふたりは、同時にはた、と立ち止まった。
「そこが入り口のようね」
一見すると連続した壁だが、微妙に魔力が揺らいでいる。目を凝らせば、その一角だけ水面のようにさざ波立って見えた。
「ほぅ。貴様、感じ取れるのか」
「この程度、当たり前でしょう?」
モルスは鼻で笑いながら、揺れている箇所の前に立った。
「認識阻害か。くだらん。悪魔には何の意味もない」
言いながら、無造作に壁に向かって手を突き出す。
――石壁が、小刻みに波打った。
まるで水の中に沈めるように、モルスの腕が石壁の中に呑み込まれていく。そのまま彼は、当然のように歩を進め――
「お待ちなさい」
ヴェロニカにローブの裾を引っ張られた。
「へぐっ」
勢い余ってモルスが転ぶ。上半身が壁にめり込み、足だけ飛び出したような珍妙な姿になっている。
「き。貴様! 何を!」
壁から顔を出して怒声を上げたモルスを、ヴェロニカはあきれ顔で見つめた。
「人間らしく入りなさいと言っているの」
「は?」
「何秒か立ち止まって、解呪の演技をして頂戴。詠唱もしないでいきなり入るなんて、人間としておかしくてよ? あと、人間の紳士は女性をエスコートするものだわ」
「知るか、人間の文化など!」
打ち付けた鼻を押さえるモルスを見て、ヴェロニカが目を細めた。
「何度も教えたはずよ? 今のお前は人間で、わたくしのパートナーなの。よろしくお願いいたしますわね、あ・な・た」
ゾワっとおぞけが走った顔をして、モルスはあんぐりと口を開いた。
「ふふ」
この悪魔、実にいじり甲斐がある。
ゲーム内ではビジュアルがなく、苗床となったヴェロニカの肉体を操る黒いモヤモヤとして描かれていた存在だった。でも、残念イケメン枠でビジュを付けてあげても良かったのではなかろうか?
「という訳で、お願いね」
「……今に必ず、お前のほうから契約したいと言わせてやる」
今はそのときではないと諦めたらしく、モルスは呪文詠唱の演技を始めた。たっぷり数秒待ってから、ヴェロニカとともに壁の中へと進んでいく。
――中に入った瞬間に、目の前の景色が変わった。
ふたりが立っているのは、薄暗いレンガ造りの回廊だ。アーチ天井の下、等間隔に掛けられた松明が頼りなく壁を照らしている。
奥へと進む。
壁の厚みをとっくに超えているはずだが、出口は見えない。
(……空間が捻じ曲がっているみたい。魔術の心得がなければ、通り抜けられないわね)
――と、前触れもなく視界が開けた。
目の前に広がるのは、見渡す限りの庭園だ。
「……まぁ」
本当に罪人の街の最奥部なのか――白亜の石畳が連なる優美な庭園を前にして、そう思わずにはいられなかった。
無数の魔光灯は天の星々よりも明るく、庭園の中央に鎮座する噴水が水滴を輝かせている。
庭園の向こうには、壮麗な宮殿がそびえ立っていた。
左右に大きな翼塔を擁するそれは、貴族の邸宅どころではない。
――王の城だ。
(スラムの奥にこんなお城があるとかっ!)
良きである。
実に良き良きの良きである。
「招待状を拝見します」
カラスのような仮面をつけた執事服の男が現れた。男はモルスに頭を垂れて、招待状を検めようとする仕草を見せた。
ちらり、とヴェロニカがモルスを見やる。モルスは一瞬めんどうくさそうな顔をしたが、すぐにカラス面の男に向き直った。
「〝あいにく、持ってきていない〟」
「……ほう?」
男の声に、不穏な凄みが加わる。しかし――
「〝魔女の篝火にくべてしまった〟」
モルスがそのように言い足すと、仮面の奥の瞳が細まった。カラス面の男は、深々と礼をしてから唇を吊り上げる。
「――なるほど、なるほど。魔女は炎を好むものです」
これが、正しい合言葉である。
ヴェロニカは、王都にいた頃に闇ギルドから聞き出していた。ここに来る前に、モルスに何度も練習させておいたのだ。
カラス面の男は、モルスとヴェロニカに外套を脱ぐよう身振りで示した。ふたりの外套を受け取ると、交換で仮面を手渡す。目鼻を隠すマスカレードの仮面だ。
「今宵はワルプルギスの夜。どうかお愉しみください」
宮殿に向かう道すがら、モルスは呆れたように呟いた。
「……人間はくだらん遊びが好きらしい」
「そういうしきたりなの。ほら、モルスも仮面をつけて」
宮殿の中には、すでに大勢の『客』の姿があった。黒い礼服を纏う男がほとんどで、皆が同じ仮面をしている。王城の謁見の間にも匹敵する広大な広間に集められた彼らは、声を落としてめいめいに言葉を交わしていた。壁際には、ワルプルギスのメンバーと思しき赤ピアスの者たちが無言で控えている。
――やがて。
ざわめきがぴたりと止み、広間の奥へと一同の目が集まる。視線の先、銀髪の男が数名の幹部を従えて現れた。
年のころは20代後半、うなじで束ねた長髪を背中に垂らしている。
屈強な体躯を包む深褐色の外套は金刺繍で縁どられ、宮廷貴族を思わせた。だが布地には無数の鋲が打ち込まれ、軍人めいた意匠でもある。
その長い裾が翻るたび、内側に吊られた暗器が危うい輝きを見せた。
男は壇の中央に立ち、銀色の狼が狩場を見渡すように広間を一瞥した。
「よくぞ参った、お客人」
腹の底に響くような、低い声。鋭い美貌に一切の表情を宿さず、彼は続けた。
「此度の宴に無事辿り着けた貴兄らを、歓迎しよう。――ワルプルギスの夜を、存分に楽しまれよ」
それだけ告げると、広間から立ち去ってゆく。
来客たちが、コソコソと声を立てていた。
「あれが、ワルプルギスの『王』か」
「間違いない。奈落候シグルド・ドゥ……!」
シグルド・ドゥの立ち去った扉を、ヴェロニカはじっと見つめていた。
(……見つけた)
仮面の奥の瞳を爛々と輝かせ、彼女はまるで獲物を見つけた猛禽類のようだった――。








