第5話
地図を片手に、ヴェロニカはさらに奥へと進んでいった。
(知らなかった……ヘスト・トロニカが、3層構造の街だったなんて)
黒塗りの最深部が『奈落』。
今、歩いているあたりは中層部の『辺獄』だ。ちなみにヴェロニカの仮住まいや市場などがある最外殻エリアは、『俗界』と名付けられているらしい。
(それにしても『俗界』、『辺獄』、『奈落』って。なんてステキな命名なのかしら!)
厨二ゴコロを絶妙にくすぐる、実に良き良きな命名だ。
(この街はもっとシナリオに絡めて登場させるべきだったと思うの。だってマフィアが牛耳る罪の街よ? どう転んでも妄想がはかどる……)
原作では悪役令嬢の逃亡先として軽く触れられる程度だったし、ヒロインや攻略対象がこの街に来る描写はない。だが、実際に訪れてみれば圧巻だ――深く潜るほど魔窟感が増してゆく。
今いるあたりは民家が途絶え、怪しげな武器屋や宿屋、スチームパンクめいた風情の鍛冶屋が軒を連ねている。この退廃的なビジュアル感……まさに性癖ど真ん中である。
(尊い! 尊いが過ぎて文化財……! この空気だけで白飯三杯いただけますけど。住みたい街ランキング永年1位獲得ですけど!?)
脳内で喜びを吐き散らかしていたヴェロニカは、はた、と足を止めた。
路地の切れ間から、遠くに巨大な壁が見えたのだ。手元の地図と見比べてみると、どうやら『辺獄』と『奈落』の境界上にあるらしい。
(最深部は壁で区切られてるってこと?)
良きである。実に探求心をそそる仕様だ。
枝分かれする路地を抜け、ヴェロニカはようやく壁の前に辿り着いた。
(高さ2、30メートルってところかしら……なかなかに壮観ね)
切れ目の見えない長大な壁は、やはり『奈落』をぐるりと囲っていた。石材が黒紫色の輝きを帯びているのは、破壊や侵入を阻む結界魔術が付与されているためだろう。
(このあたりには、入り口はなさそうね)
門を探して、壁沿いに歩いてみようか――などと考えていた矢先。
「お嬢さん。こんな場所に何用かね」
しわがれた声が響いた。
ふり向けば、身なりの良い商人風の老人がそこに立っている。老人の周囲には、用心棒らしき屈強な男たちがずらりと十数人。
……本当は、つけられているのは気配でずっと知っていた。
ヴェロニカは、ゆるやかに唇を吊り上げた。その老人の右耳に、血の色のピアスが輝いていたからだ。
(ようやく会えたわ……ワルプルギスの構成員!)
「ごきげんよう。紳士の皆様」
品よくカーテシーをしてみせると、老人は笑みの形に目を細めた。
「その先は地獄の釜だ。物見遊山で近寄るような場所ではないぞ」
ヴェロニカは、老人と用心棒たちの姿を伺った。全員が魔導具で武装している。
「ただの冷やかしではなくてよ。わたくし、ワルプルギスの夜に参加したいの」
「はっ。なんだって?」
侮蔑の色を隠さずに、老人は大笑いを始めた。周囲の男達も追従笑いをしている。
「何がおかしいのかしら? 『作法と才を備えし者は、すべからく今宵の客人である』というのがワルプルギスの夜のルールだと聞いたけれど」
「お前さんには資格がないと言っているんだ」
猛禽のように鋭い瞳で、老人はヴェロニカを見据えた。値踏みする視線が、ヴェロニカの手首に嵌る『追放刑の証』の腕輪に注がれる。
「追放された小娘風情が、身の程を弁えろ。……だが、それを分からせてやるのも、わしらワルプルギスの仕事だ――」
にたりと歪んだ唇の奥で、金歯が不吉にぎらりと光った。
「――殺れ」
男たちが一斉にヴェロニカに襲い掛かる。
一人が放った雷撃がヴェロニカへと一直線に迫り、また別の一人が繰り出した火球がヴェロニカの影を捕えた。――影だけを。
「何!?」
大きく跳躍したヴェロニカは、中空で身をひるがえしながら爆風の魔術を放った。直撃を受けた者たちが、勢いよく壁に叩き付けられる。
(……ダンジョンで魔物の群れに飛び込んだときのことを思い出すわ)
追放までの一年間、ヴェロニカは自らを高めるために危険なダンジョンを単独踏破し続けた。誰より早く密やかに魔術を発動できるよう、早口言葉や腹話術も鍛えた。
「な、なんだ、この女!」
「早ぇ……! ぐあぁ!!」
ひとり。
またひとり。
確実に敵を仕留めていく。
(この程度、造作もないわ)
『力なき正義は無力』だと、前世の誰かが言っていた。けれどヴェロニカは、むしろ思う――『力なき悪は無力』だと。脆弱なハズレ者なんて、踏みにじられて終わるだけ。
とびきり自由で楽しい悪役ライフを送るには、努力と強さが不可欠だ――。
「さて」
玉座の女王めいた風格で、ヴェロニカはゆるりと足を組んだ。気絶した男達を踏み台にして、悠然と腰を下ろしている。
手勢を壊滅させられた老人は、言葉を失いわなわなと立ち尽くしていた。
「ねえ? これでダンスは終わりかしら」
「ひぃ!!」
からかうような声で問われて、老人は声を上ずらせた。
「もう一度言うわね。わたくし、ワルプルギスの夜に参加したいの。今晩、この壁の中で催されるのでしょう?」
老人が顔をこわばらせた――この反応は、やはり当たりだ。
だが老人は、ぶんぶんと首を振った。
「む、無理だ! あんたには絶対、参加できん!!」
「まあ、ひどい」
ヴェロニカがゆったりと手を掲げると、老人は再び無様な悲鳴を上げた。
「ほ、本当なんだ……! 招待客は男だけだ!」
……その情報は、初耳だった。
「ワルプルギスの宴は男同士の取引だ。所有物や商品として連れ込まれることはあっても、女に参加権はない」
「だったら、あなたに同伴させてくださらない?」
「…………それも無理だ」
冷ややかな目で見据えると、老人は気まずそうに口を開いた。
「わしは末端の構成員に過ぎん。奈落の『門』の中に入る資格を……持っていないんだ」
「……」
ヴェロニカの視線に促され、老人はさらに続けた。
「門は高度な魔術で隠されている。それを暴く能力がなければ、入れない」
「あらあら」
どうやら、ワルプルギスのメンバーなら誰でも出入りできるという代物でもないらしい。
「仕方ありませんね。それでは、出直すとしましょう」
踏み台にしていた男たちから飛び降りると、ヴェロニカはあっさりと踵を返した。
帰りは、尾行除けの魔術を使っておいた。気配を散らして意識がこちらに向きにくくなる魔術の一種――お忍びの貴族が使う、ごくありふれた手法である。
俗界まで戻ったヴェロニカは、ため息交じりにつぶやいた。
「まったく。男手が必要だなんて」
もちろん、頼める男などいない。
享年イコール彼氏いない歴だった前世から、親しい男なんていたためしがなかった。
「でも、いないなら作ればよいだけのことですわね――『男』を」
唇を三日月のように吊り上げると、ヴェロニカは礼拝堂へと向かっていった。




