第4話
『見て見て~。あたしのおべんとうばこ、ヒーローマンなんだ!』
どこからか、幼い子どもの声が響いた。
『わぁ! いいなぁ、ヒーローマン』
『おれ、ヒーローマンだいすき!!』
『わたしも~』
深いまどろみの淵で、ヴェロニカは思い出した……これは、前世の記憶だ。
幼稚園のお友達はみんな、正義の味方が大好きだった。
『それでさ、おれ、バキバキマンはすっげぇキライ! いつもやられて、超だせぇ』
クラスでひときわ元気な男の子が、悪役キャラがやられるポーズをしながら言った。ほかの子たちは大笑いだ。
『あたしもキライ~!』
『バキバキマンがすきな子なんて、いなくない?』
『だよねぇ』
仲良しの女の子が、こちらをふり向き、笑顔で問いかけてきた。
『ねぇ。にこちゃんは、だれがすき?』
『……えっと。わたしも、ヒーローマン』
ごめんね、バキバキマン。
ほんとは私、あなた一筋だったのに。
深い深い夢の中。
吉田は、前世に想いを巡らせた。
――『悪役』に対する、渇きにも似た強い憧れ。幼い頃から、ずっとそう。
だって、悪ってかっこいい。自分の欲に誠実で、清々しいほど正直だから。
独りぼっちでも気にせずに、欲しいものを堂々と取りに行く。そんな生き方が、鮮烈に胸に焼き付いた。
それに正義のヒーローは、キラキラしすぎてなんだか苦手。
だっていつでも正しくて、知らない人のためにでも命を張って戦えるなんて。自分はそんな生き方ムリだな……と、考えるだけで息苦しくなった。
――けれど、吉田は言えなかった。
みんなに『変な子』って言われるのが怖かったから。
みんなと同じ行動を選び続けていたら、『無難な大人』になる方法が身に着いた。
学校でも社会でも他人と衝突することはなく、嫌われもせず、好かれもせずに生きてきた。そして通勤中に貰い事故に遭い人生終了――。
(……でも、もう誰の顔色もうかがわなくていいんだわ!)
だって私は、悪役令嬢ヴェロニカ・ベルトラン。
嫌われ者で上等だ――!
*
「……ん」
朝の気配に、ヴェロニカはゆっくりと瞼を開けた。
「ああ、なんて爽やかな朝なのかしら」
大きく伸びをして、笑った。
――追放生活2日目の朝だ。
「お腹がすいたし、朝食にいたしましょう。それと、お風呂ね」
屋根裏にあった貯水用の雨水樽は、昨日のうちに確認済みだ。水魔術を使って、樽の中の水から無数の水球を作り出す。
両手の指を振るいながら階下に降りると、水球は数珠のように連なってヴェロニカのあとについてきた。
「それではまずは、煮沸から」
台所のコンロの前に立ち、今度は炎の呪文を唱える。ごう、と音を立ててコンロに火柱が噴き上がった。
火柱は強烈な輝きとともに膨れ上がり、今や天井を舐めんばかりだ――しかしヴェロニカが右手をかざすと、おとなしい炎に収束した。
背後に浮いていた水球をひとつ台所の小鍋に移すと、コンロの炎で煮沸した。鍋のお湯で干し肉とハーブを煮込みながら、左手では別の仕事を始める。
「残り水は、お風呂用」
浮遊していた無数の水球が、呪文で一気に沸騰した。追加の魔術で風と氷を重ねがけして、水温をゆっくり落としていく。熱すぎず、ぬる過ぎず――ヴェロニカ好みの温度に落ち着いた水球たちは、ほかほかと湯気を立てながらお風呂場のほうへ向かっていった。
――多属性の同時制御は、王宮魔術師クラスの者がようやくできるかどうかの離れ業だ。だが、ヴェロニカはそれを鼻歌混じりでこなしていた。
前世の記憶を取り戻してから追放までの1年間、使える時間はすべて魔術の精度向上に捧げてきた。
追放生活を楽しむためなら、どんな苦行も耐え抜いた――その甲斐あって、今やお湯の温度を0.1℃間隔で調整するのもお手のものだ。ここまで緻密な出力管理は、きっとヴェロニカしかできない。
コンロの鍋から良い匂いがしてきた。
チーズと塩で味を締め、乾パンは蒸気を含ませしっとりさせておく。
「いただきます。――あら。なかなか美味しくてよ?」
やっぱり自炊のごはんは美味しい。
前世も自炊は好きだったし、職場で配られた期限切れの防災食をアレンジするのも得意だった。
食後のお風呂も快適だ。余った香草を散らして薬湯を作り、のんびりと肩を沈める。
「……完璧ですわ」
お風呂上がりには、髪のお手入れも怠らない。湿った金髪を布帯に巻いて温風を循環させれば、自慢の巻き髪がさらに美しく整った。
「さて。それでは出かけましょう」
ご町内の確認は、引っ越し女性の嗜みである。
*
魔窟に不似合いな美貌の令嬢は、軽やかな足取りで外へ出た。昨日子どもたちから聞き出した情報をもとに、市場や屋台、チンピラの縄張りなどを確かめていく。
「ここが学校。そしてあちらは、礼拝堂ね。……どちらもすでに廃墟ですけれど」
罪人の街――ヘスト・トロニカ。
城壁にぐるりと囲われたこの街は、百年以上前に罪を犯した者の流刑地として建設された。最低限の施設が備わっていたものの、数十年前に野盗に占拠され都市機能が壊滅。その後、周辺諸国の滅亡によって難民や技術者などが流れ込み、今やこの街は混沌のるつぼと化している。
日が高くなったころ、ヴェロニカは市場で昼食を摂った。
(ひどく荒れてはいるけれど。思ったよりも、普通の街ね)
大通り沿いには屋台が並び、買い物をする者たちで賑わっている。子どもが遊ぶ姿も見られ、ヴェロニカ基準で言えば『案外ふつうの下町』だ。
(本当はワルプルギスの夜に参加してみたいんだけど……さすがに今期のは無理かしら。マナーは調べてきたけど、開催場所が分からないし)
ワルプルギスの夜。
半年に一度開催される、禁制品の闇市だ。表社会でお目に掛かれない魔導具や禁書、武器などが多数取引されるらしい。
(開催日は、5月と11月の満月の夜から始まる三日間。ってことは、ちょうど今日からなのよね。行ってみたいなぁ……粘るだけ粘って、それでも見つからなかったら半年後に再チャレンジね)
主催するのは、この街を支配するマフィア組織――『ワルプルギス』。
ボスから末端の構成員に至るまで組織メンバーは右耳に血の色のピアスをしているというが、今のところそういう人物は見かけていない。
ヴェロニカは、ちらりと市場の先に沈む暗がりのほうへ目を馳せた。
(このへんにいないということは……やっぱり、『奥』かしらね)
昨日の子どもたちは、口を揃えて言っていた。
『おねえさん。街の奥には、ぜったい行っちゃダメだよ!』
『奥?』
ヴェロニカが尋ねると、子どもたちは真っ青な顔でうなずいた。
『奥はこのへんよりも、もっともっと危ないんだ!』
『こわい人も、わるいお店もいっぱいなんだって!!』
思い出し、ヴェロニカはにんまり顔をほころばせる。
「……さて。それでは、その『奥』を拝見しましょうか」
歩を進めるにつれて、街の顔が変わっていった。
無秩序な増改築がこれまで以上に際立って、密接し合った高層建築が路面に黒々とした影を落としている。
昼だというのにこの暗さ。
この圧迫感。
ひりついた空気。
「ふふふ。大変そそります」
――そして、複雑怪奇に入り組んだ道を進み続けること1時間。
ヴェロニカは不満そうに唇を尖らせた。
「……まったく。ワルプルギスのメンバーは、いったいどこにいるのかしら? 『こわい人がいっぱい』と聞いていたのに、全然そんな人いませんわ」
「イテテテテテテ!!!」
彼女の声に重ねてそう叫んだのは、太った中年のゴロツキ。野太い腕を、ヴェロニカに捻り上げられている。
襲ってきたのこれで5人目だが、全員ワルプルギスではなかった。
「こ、このアマ――!」
ゴロツキが、反対の拳で殴りかかってくる。
軽く身をよじって躱すと、ヴェロニカはその男に雷撃を叩きこんだ。無様に崩れ落ちていく男を眺め、ヴェロニカは失望の溜息をこぼす。
「まるで情報が得られませんね。この調子では、やはり今期の参加は絶望的かしら――」
――そのとき。
倒れた男の懐から、ひらりと紙片が舞い落ちた。何気なくそれを見つめたヴェロニカが、目を見開く。
「これは――!」
ヘスト・トロニカの地図だ。
細かい路地や地下通路まで、緻密に描き込まれている。
王都で暮らしていた頃も、闇ギルド経由で概略図を見たことはあった。だが、こんなに詳しいものは初めてだ。
同心円状の城塞都市。
その中心部だけが真っ黒に塗りつぶされており――そこには、『奈落』と記されている。
「……見つけた」
ワルプルギスの夜を催すのに、『奈落』ほどふさわしい場所はないだろう。
ヴェロニカは、目を爛々と輝かせた。




