第3話
ヴェロニカは、有罪判決を望んでいた。
だから数日後に開かれた法廷で形式ばかりの問いを投げかけられたときも、反論も弁解もしなかった。「セドリック殿下の思し召しのままに」とだけ答えて、微笑するだけだ。
ヴェロニカを庇う者はない。
実父であるベルトラン侯爵も、傍聴席で沈黙している。次期王妃の座からあっさりと転がり落ちた娘など、守るに値しないからだ。むしろヴェロニカの『不始末』が家名に及ぶことをおそれ、火消しに腐心している様子だった。
沈黙が場を埋め尽くし、国王がこう囁いた。
「……修道院送りとするのが妥当か」
せめてもの温情に聞こえるそれは、最初から用意していた結論だったに違いない。
しかしヴェロニカは、きっぱりとそれを拒んだ。
「陛下。わたくしには修道院生活など耐えられません。であればいっそ、追放刑を望みます」
……ざわ。
場がさざ波立ち、国王は息を呑んだ。
「追放刑……だと? しかし、それは――」
傍聴席の貴族たちの「さすがに、そこまでは……」という囁きが、ヴェロニカの耳にも届いた。
追放刑。その意味を知らぬ者などいない。
実質的には、死刑とほとんど同義である。断頭台で首を落とすか、みじめに野垂れ死ぬかの違いだ。
「かまいません。むしろ、わたくしに相応しい終わり方かと存じますわ」
生きることを諦めた令嬢のように儚げな微笑を作って、ヴェロニカは国王を見つめた。
「わたくしに慈悲をくださるのなら、むしろ追放としてくださいませ」
正気とは思えない――国王も貴族たちも、そんな表情でヴェロニカを見つめた。
その沈黙は、どれほどの長さだったろう?
そして、いくつかの答弁の末に下された判決は――。
「ヴェロニカ・ベルトラン。そなたを追放刑に処す」
***
ヴェロニカの追放先となったのは、南部の国境を越えたヘスト=トロニカという都市だ。古語でゴミ溜めを意味するそこは、『罪人の街』とも呼ばれる犯罪者の巣窟である。城壁に囲まれた旧城塞都市を基盤として形成されており、現在はどの国家の支配も及ばない無法都市となっている。
長旅の末、罪人用の馬車がヘスト・トロニカの城壁内部に入って停まった。
扉が開いた瞬間に、乾いた土埃が舞い込んでくる。ヴェロニカは、へスト=トロニカの地に降り立った。
視線を感じる。
崩れかけた家屋の影からこちらを値踏みするような気配が、ちらほらと。
馬車から降りた役人が、書状を広げて読み上げる。
「ヴェロニカ・ベルトラン。聖女アリアへの加害の罪により、これよりこの地において追放刑を執行する。己が罪を悔い、国王陛下のご温情により命あることに感謝し――」
その声を聞きながら、ヴェロニカはさりげなく周囲の様子をうかがっていた。
(……やっぱり、こういう街ね)
無秩序に増築された家々が密集して幾重にも重なる独特の景観は、外の街ではおよそ見られないものだった。高層建築が天を突き、そして地を這うように延々と水平に伸びる様子はさながら迷路だ。細く入り組んだ通路の先は薄暗く、不穏な気配に満ちている。
ちらりと、ヴェロニカは右の手首に輝くターコイズブルーの腕輪に目を落とす。これは『罪人の腕輪』と呼ばれる魔導具だ――この街の外に出ようとすると結界が発動し、逃亡を阻む仕組みとなっている。
それから、自身の手に握る旅行鞄に視線を移した。ヴェロニカの荷物はこれひとつだけで、中身は最低限の金品と食料が5日分ほどだ。
それ以上は必要ない。
尽きる前に、どうせ死ぬのが相場だからだ。追放貴族の末路は野垂れ死ぬか、殺されるか、売られるかの三択だと聞いている。
「――以上。テルマ歴825年4月10日 国王陛下の御名において」
書状を読み終えるや、役人は振り返りもせず馬車へと乗り込んだ。
馬蹄の音が遠ざかり、そして静けさが濃くなっていく。じわじわと、人間の気配が近づいてくるのを感じた。
(ふふ。追放成功……狙い通りね!)
ヴェロニカは、ヘスト=トロニカで暮らすことを望んでいた。
だからこの街の情報はたっぷり仕入れていたし、いわれなき罪を受け入れて追放刑へと誘導したのだ。
(かなり楽に来られて良かったわ。無秩序で誰も頼れないスラム街……上等よ。ていうかむしろご褒美です)
ちなみに原作のヴェロニカは、もっと悲惨な形でヘスト=トロニカに辿り着く。
死刑判決の末に断頭台に上がらされ、魔力を暴走させたヴェロニカは処刑場を火の海にしてこの街へ落ち延びるのだ。けれど悪魔の魔力に完全に呑み込まれてしまい、魂が消滅して人生を終える……。
ネットで「悪女ざまぁ」の書き込みがあふれる中、吉田は推し喪失に泣いた。
……もちろん今世は、そんな鬱展開に身をやつす気はないけれど。
(オタクの知識っていうのは、こういう場所でこそ活きてくるのよ!)
ヘスト=トロニカという街は、中世ヨーロッパ版の『九龍城砦』のような場所だとヴェロニカは解釈している。
――東洋の無法都市。
中華系マフィアの魔窟、九龍城砦。
アニメやゲームの舞台として定番だし、この無秩序感が絶妙にヘキに刺さる。
(風の魔術を応用した消臭テクニックも身に着けておいたんだけど……案外、使わなくても匂いは平気そうね)
本物の九龍城砦は空気が淀んだ劣悪な環境だったというが、この街は予想に反して臭気がほとんど気にならない。ちらりと周囲を伺えば、下水や消臭系の魔導設備がある程度機能しているらしかった。
(――それじゃあ、さっそく行動開始といきますか!)
ほくそ笑みながら、ヴェロニカは薄暗い路地に入っていった。
後ろからコソコソとつけてくる気配は、全部で4人だ。
全員が子どもであることも、魔力を使えば容易に分かる。
気づかぬふりで、進んでいった。歩く速度は速すぎず遅すぎず。
距離を保って――誘うように。
そして。
どんっ
後ろから突っ込んできた小柄な影。ひとりがヴェロニカに体当たりを食らわせ、別のひとりが旅行鞄をひったくる。
「パス!!」
「おう!」
奪われた旅行鞄は、放物線を描いてさらに別の子どもの手に渡った。
「みんな、はやく! こっち!!」
最年少と思しきは、5歳くらいの女の子だ。
ほかの3人の少年たちを手招きし、全員で足早に駆け去っていく。全員がやせ細り、ボロボロの服を着ていた。
「あら」
駆け去っていく4人を見つめて、ヴェロニカは目を細めた。
「魔窟の子ネズミは、ずいぶんと生きがよろしいこと」
***
――ここは弱肉強食の世界だ。
強者が弱者を踏みにじり、弱者は何かしらの価値を示さなければ生き延びることもままならない。4人の子どもたちは息を弾ませて、とある廃墟に駆けこんだ。
廃墟には、酒瓶を傾けながらだらしなく壁にもたれる男がひとり。無精ひげを生やしたその男に、子どもたちは目を輝かせて報告した。
「お頭! やりました!」
「貴族の女です! 荷物、ぬすんできました!」
「お金も食べ物も、たくさん入ってました! ほら!!」
開かれた旅行鞄の中身に、男はちらりと目をやった。次の瞬間、思い切り顔をしかめる。
「ちっ。頭の悪いガキどもが!!」
濁った声に、子供たちはびくっと体をこわばらせた。
「なんで女を連れてこねぇんだ!」
「……ひっ」
男は少年の胸ぐらを掴み、濁った瞳で睨みつけた。
「荷物なんざ、いくらにもならねぇ。貴族の女のほうが、よっぽど値が付くだろうが! その程度も分かんねえのか!」
子どもたちは、青ざめて言葉を失っている。
「親が死んだオメェらを拾ってやったのは、どこの誰だ。あぁ?」
「お、お頭です……」
「だったら俺の役に立て!」
男は、少年を突き飛ばした。
「おにいちゃん!」
泣き出しそうな顔で少年に駆け寄った幼い少女を、男が乱暴に引きずり上げる。
「きゃあ!」
「「「エリィ!」」」
下卑た顔で嗤いながら、男は少年たちに命じた。
「その貴族の女をさらってこい。今すぐだ!」
「さらう……? そんなの……」
「できなきゃ、このチビを売っ払う。どうせ二束三文にもならねぇがな」
「や、やめてください、お頭!」
「エリィを離してください――!」
「ここは悪が正義の街だ! お前らみたいな弱者はなぁ、強者の役に立たなききゃ生きる価値もねぇんだよ!」
彼らの顔に絶望が広がりかけた、その瞬間――。
「あら。お迎えの必要など、ございませんわ」
優雅な声が降ってきた。
全員が見上げれば、壊れた屋根から差す陽光が、梁の上に立つ人影を照らしていた。
――女だ。
こんな美しい女は、見たことがない。
煌びやかな黄金の巻き毛をなびかせて舞い降りてきたその女は、そのままひらりと着地した。スカートを軽くつまんで腰を落とす――貴族など初めて見る彼らでも、それが挨拶だと分かった。
そして頭を上げた女は、冷ややかな笑みを美貌に浮かべた。
「ごきげんよう、弱者の頭領閣下」
男はぽかんとしていたが、侮蔑に気づいて顔を赤くした。
「……テメェ!」
腰に提げていたナイフを引き抜き、ヴェロニカめがけて切りかかる。
けれどヴェロニカは、とても退屈そうだった。
「遅すぎますわ」
ひらりと躱すと、口の中で呪文を唱える――指から放たれた雷撃が男を襲った。
ヒキガエルのような悲鳴を上げて、昏倒したその男。泡を吹き、無様に白目をむいていた。
「その程度の実力で悪を語るなど、笑止千万です。お前のような弱者は、子ネズミを従えるのがせいぜいでしょうね」
スカートの裾を払いながら、ヴェロニカは冷ややかに吐き捨てた。悪役フェチな彼女だが、こんなクズには微塵も萌えない。目に入れるのも厭わしかった。
「「「「………………」」」」
そんなヴェロニカを、子どもたちは瞬きも忘れて見つめていた。
緊張の糸が切れたのか女の子が泣き始め、他の3人が肩を抱く。
「……あ、ありがとう……お姉さん」
おずおずと、最年長の子どもが声を掛けてきた。申し訳なさそうに、盗んだトランクを差し出してくる。
「ええ」
涼やかに微笑して、ヴェロニカは子どもたちを見下ろした。
「もちろん、無償ではありませんけれど」
「……え?」
何をきょとんとしているのだろう。
弱肉強食の世界では、そんなのは常識だろうに。
「対価を払いなさい」
圧倒的な強者の態度で、ヴェロニカは子どもたちに命じた。
「弱者は、強者に対価を差し出して生き延びるものです」
一難去ってまた一難――と言わんばかりに、子どもたちは息を呑んでいる。
「わ、わかり……ました。いくら……払えば……」
「情報を」
ヴェロニカは即答した。
「お前たちに金品など要求する意義がありますか? それよりも、住みよい場所を教えなさい。壁と屋根があり、水が確保できる空き家を」
子どもたちは顔を見合わせた。
誰の縄張りにも属さない家の心当たりなら、いくつかあった。昨日まで住んでいた者がある日突然いなくなる――そんなことも、この街では珍しくないからだ。
少年たちがおずおずと語るのを、ヴェロニカは静かに聞いていた。
「――よろしい」
くるりと踵を返し、ヴェロニカは歩き始める。
部屋の扉から出る直前、ちらりと子どもたちを振り返った。
「分かっているとは思いますが。わたくしの居場所を売ったら――どうなるか」
ヴェロニカの鋭い瞳に、子どもたちが震えあがる。
「……ひっ!」
「分かりますね?」
「は、はい……!!」
満足げに唇を吊り上げると、ヴェロニカは再び前を向いた。ふり返らずに銅貨を4枚、子どもたちに放り投げる。
「情報料です」
――良きである。ハードボイルドで、実に悪役めいている。
ヴェロニカは、にんまりしながら聞き出した廃屋へと向かっていった。
***
子どもたちが提示した物件は、どれもなかなかに良いものだった。
そのうちのひとつを、ヴェロニカはいたく気に入った。
古びているが屋根も床も生きているし、家財もきれいな状態だ。前の住人は魔術の使い手だったらしく、結界魔術を張った痕跡が残っていた。
「ここを当面の住み家にしましょう。追放初日は、上々といったところかしら」
ヴェロニカは満足そうに唇を吊り上げた。




