第2話
嘲るような笑みの下、ヴェロニカは心の中でスキップしながら万歳三唱していた。
(良き! 良き良きの良きよヴェロニカ。解釈一致で理想の悪! 推せる、マジ推せるヴェロニカしか勝たん!)
オタク構文で興奮しつつ、圧倒的な女王の風格を崩さぬ侯爵令嬢ヴェロニカ・ベルトラン。
彼女は、転生者であった。
――前世の名前は、吉田にこ。
ごくありふれた二十代の会社員女性で、実はちょっと癖の細かいオタクだった。……オタ属性については、生涯を通して必死で隠し通したつもりだ。
(まさか私が悪役令嬢に生まれ変われるなんてね! 前世で善行、積みすぎちゃったかなー!?)
自分が乙女ゲーム『Sweetie Lovers:スイラバ』と思しき世界に転生していたことに気づいたのが、およそ1年前だった。
禁忌の契約に手を染めて、最終的には悪魔に肉体を乗っ取られて死ぬ悪女――そんなモノに転生して喜ぶ者など、どこにいるだろうか?
――いる。
ここにいる。
吉田にこは、嬉しさに振り切れて危うく尊死しそうになった。
え、今日が命日とか待って無理しんどすぎる――そんな一心で、一命を取り留めたのである。
(もし転生先がタップで選べる仕様だったとしても、私は絶対ヴェロニカを選んだわ。愛され系キラキラ聖女も、モブ令嬢もお断りよ。私の嫁はヴェロニカ!)
吉田にこは、悪役フェチ。つまり、悪役に萌える性癖の持ち主だ。
――イイぞ。悪はイイぞ。
自分の欲望に忠実で、バイタリティに溢れている。
世に数多いる悪女キャラの中で、吉田の最推しがこのヴェロニカ・ベルトランだった。
まず、顔が良い。絵師もCVもドハマりだった。
王太子の愛に縋るような女ではなく、自らの理想を叶えるためにどこまでも自分を高めようとした――その潔い狂気が、どうしようもなく美しかった。
名作の影に、名悪役あり。
世のユーザーがヒロインと攻略対象たちのラブロマンスに萌える中、自分だけがヴェロニカの闇堕ち心理を考察しつつ世界観を深彫りするというストイックな尊みに没頭できることが、彼女の誇りであった。
そんな吉田にとって、この人生はご褒美だ。
(……あ。そういえば私、いま断罪されてるんだっけ)
ふと、我に返った。
このままニマニマしていても状況が動かないし、うっかり原作準拠で投獄されても面倒だ。
だから吉田は、会社員風にぺこりと頭を下げてから「では発言させていただきます」と述べた。
……いや。
本人の脳内イメージはたしかにそうだが、実際の体の動きは違っている。
ボリュームのあるスカートに、自然と両手が伸びていく。軽くつまみ上げ、片足を後ろに引いて優雅に腰を落としていた。女王然とした見事なカーテシーである。
それからゆるりと顔を上げ、不敵な笑みを美貌に刻んだ。
「セドリック殿下。申し開きの機会を賜り、心より感謝申し上げますわ」
前世の自分のつもりで動くと、なぜか良い具合に高圧的な出力になる。実に悪女めいていて、良きである。
「わたくしは、断じて悪魔と契約などしておりません。何を根拠にそのようなことをおっしゃるのでしょう?」
セドリックは蔑みの目でヴェロニカを見据えた。
「聖女アリアが、私にすべてを教えてくれた」
「ですかアリア様がわたくしを疑う根拠をお伺いしても?」
セドリックは、アリアに気遣うような視線を向けた。
「アリア。話せるかい?」
「……はい」
か弱く震えていたアリアが、勇気を振り絞るように一歩前へと進み出る。
「ヴェロニカ様から、悪魔の匂いがするんです」
「まぁ、匂いですって?」
ヴェロニカは、抑揚をつけて声を裏返らせた。原作でもこのセリフ、そのまんまあったな……などと思いながら。
そして「鼻がいいんですね」とつぶやいたつもりが、実際に口から出たのはホホホホホ――と顎をそらせながらの高笑い。からの、
「平民聖女様は、ずいぶんと嗅覚に自信がおありなのですね? まるで、小汚いドブネズミのよう!」
という強火の出力だった。
「……っ! ヴェロニカ貴様、聖女を侮辱するつもりか!?」
声を荒げるセドリックをなだめてから、アリアは悲しげな瞳でヴェロニカに向き直った。
「本当はわたし、ずっと前から気になっていたんです。……でも、言えなかったの。まだ確証がなかったし、セディさまの婚約者を疑うようなマネをするのが……こわくて」
「アリア、君って子は……!」
「……セディさま!」
頬を染めて寄り添い合うアリアとセドリック。茶番が過ぎて草である。
そしてアリアは、周囲のみんなに呼びかけた。
「みなさんもご存じのように、聖女の役目は悪魔を退けて人々を幸せにすることです。だからわたしには、悪魔の匂いが分かります!」
一同の熱い視線を浴びて、澄んだ声を響かせるアリアはまるで学芸会の主人公だ。
「ヴェロニカさまの悪魔の匂いは、以前とは比べ物にならないくらい濃くなっています! それは、契約した悪魔がヴェロニカさまの魂の深くまで侵食しつつあるということ……」
切々と訴えるアリアを、ヴェロニカは静かに見つめていた。
「悪魔と契約した者は、左胸に薔薇の花弁のような赤い痣が現れます! それが動かぬ証拠です――」
――しゅるり。
衣擦れの音。
ヴェロニカは嗤いながらドレスの襟をくつろげて、大きく胸元を晒した。
「「「「「「……!?」」」」」」
一同が、目を瞠る。
ヴェロニカの胸元には、悪魔の痣など見られない。
白磁の肌には一点の穢れもなかった。
「ふふ。なんらかの『手違い』があったようですわね、聖女様? お気の済むまでお調べいただいて、かまいませんのよ?」
ホールに鉛の沈黙が落ちる。
セドリックは動揺を隠せず、アリアは目を白黒させて戸惑っていた。
「そ、そんな……! で、でも、確かにヴェロニカさまから悪魔の匂いが……」
(……原作では、そうだったわよね)
ヴェロニカは、肩をすくめてみせた。
(たしかに、本当に危ないところだったのよね。あと一瞬でも遅かったらと思うと、ぞっとする)
ヴェロニカが前世を思い出したのは、悪魔との契約に至る直前のことだった。
絶対的な力を求めて古文書を紐解き、悪魔を召喚するという超難易度の業を成し遂げたそのとき。雷撃に撃たれたがごとく、前世の記憶を取り戻したのだ。
そして悪魔を拒絶したため、ギリギリセーフの未契約である。
(処刑されるのは『悪魔との契約』だもの。召喚だけなら悪魔のアザは肌に刻まれないし、裁く法律も存在しない。……まあ、呼ぶだけ呼んで未契約なんて、レストランで水だけ飲んで帰るみたいなものだけど)
本来であれば、召喚だけして未契約なんてあり得ない。
悪魔の力を求める人間は狂気の沙汰で召喚を果たし、そのまま契約に至るからだ。ヴェロニカは、前代未聞の希少事例と言えた。
「くっ」
セドリックが、想定外の流れに顔を赤くしている。
「セ、セディさま……わ、わたし…………」
負け犬の顔で歯を食いしばっていたセドリックは、泣き出しそうなアリアの声にハッとした。
「……仮に、悪魔との契約の件が誤りだったとしても。アリアへの加害の罪は、消えはしないぞ!」
どうやらこの男、悪魔の件はいったん取り下げて争点を加害に戻すつもりらしい。
(でもそれ全部、捏造なのよね)
盗みや暴行なんて、本当にひとつもしていない。
原作シナリオでも、法的な加害行為に及ぶのは悪魔契約の後だった。
(……前世を思い出す前の嫌がらせは、罪に問われるレベルではなかったはずよ?)
鋭い言葉で、釘を刺したりはした。侯爵令嬢の権力と社交を駆使して、身のほどを分からせようとしたことも、なかったとは言わない。だが、婚約者にちょっかいを出す女を牽制するのは当然でもある。
罪を犯さずに卒業パーティを迎えたヴェロニカだが、それでも結局断罪された。まわりがコソコソ悪だくみをしていることには気づいていたが、《《敢えて静観》》したのである。
「ふん。返す言葉もないか? 国の宝である聖女を貶めた貴様に、未来の王妃となる資格などない! 王太子セドリック=ミュラ・アウグスタリアの名において、侯爵令嬢ヴェロニカ・ベルトランとの婚約を、今このときを以て破棄とする!!」
苦し紛れの力押しね……と、ヴェロニカは内心呆れた。
けれど反論せず、恭しく頭を垂れてみせる。
「承りました」
あっさりと承諾したヴェロニカに、セドリックもアリアも肩透かしを食らったようだ。
「………………ずいぶんと、素直だな。国王陛下より、追って裁きを受けるがよい。……衛兵。この者を引っ立てよ!」
セドリックの命令に、衛兵たちがヴェロニカへと迫る。
それをヴェロニカが冷ややかな視線で刺すと、衛兵たちは威圧されてびくり、と足を止めた。
「その粗野な手でわたくしに触れるおつもり? 乱暴なエスコートなど、無用ですわ」
ヴェロニカは、婚約破棄を不服とするつもりはない。
むしろ内心では、この断罪を待ちわびていたのだ。
「それでは皆さま、ごきげんよう」
ゆるりとカーテシーをして、ヴェロニカはパーティ会場から去っていった。




