第38話:夜半の庭園
ダルタニアンに導かれ、アリアは庭園に出た。
「……お話って、なんですか?」
「身構えないでいい。ただの雑談だ」
夜半に咲く花々の濃密な香りの中、ダルタニアンはアリアの歩幅に合わせてゆったり進んでいた。その整った横顔を、アリアはちらりと盗み見る――少年期ならではの危うげな美貌が月灯りに揺れていた。
やがて辿り着いたのは、庭園の奥にひっそり佇むガラス張りの東屋だった。
「人払いは済ませてある」
アリアを長椅子に導くと、ダルタニアンは少し距離を開けて腰を下ろした。
「実は、ただ謝りたかっただけなんだ」
――え?
アリアを見つめ、ダルタニアンはバツが悪そうな顔をした。
「茶会の席では、兄が失礼した。……あんなふうに凄まれたら、聖女殿もさぞや怖かっただろう。カタギの女に向けるような態度じゃあなかった」
ましてや、あんたのように高貴な方には――と付け足すと、ダルタニアンは肩をすくめた。
「……うちの兄貴、凄むと怖いだろ? 俺はとっくに見慣れているが」
切れ長の目を細め、苦笑している。
アリアは、どう返事をするべきか分からなかった。
(……この人、本当にダルタニアン? ゲームと性格が違いすぎるわ)
ダルタニアンは、こんなに素直なキャラじゃなかったのに。ツンと取り澄ましていて、なかなか心を開かない攻略対象だった。
(やっぱりこの世界は、原作とはずいぶん変わってしまったのね……?)
街が滅びず、兄を失わなければこんな性格だったのだろうか? 自分のゲーム知識は、もはやまったく使い物にならないらしい……。
「兄貴は邪推しすぎなんだ。聖女殿が手柄をでっちあげるために表敬訪問を利用するなんて、そんなバカげたことをするものか」
「…………はい」
本当は完全に図星だったのだけれど……。
(そもそもなんで悪魔がいなかったのかしら。ヴェロニカが何か細工をしたせい? ……だとしても、おかしいわ。聖女以外に悪魔は祓えないんだから。それに……)
アリアは、じっとダルタニアンを見据えた。ダルタニアンが首を傾げる。
「ねえ、ダルタニアン様。あなたは……10年前……」
「?」
「…………いえ」
なんでもありません、とアリアは首を振った。「10年前まで王子でしたよね? シグルドはその頃に悪魔と契約したんですよね?」なんて、聞けるわけがない。
(どこまでシナリオ通りなのか、全然分からないわ。この世界はもう、わたしの手には負えない……)
「顔色が悪いな、大丈夫か」
気づかわしげに、ダルタニアンが覗き込んできた。
「せめて今ぐらいは気楽に過ごせよ。王国に帰ったら、また大変なんだろう?」
思いがけず優しくされて、じわ……と目頭が熱くなった。
「おい」
ダルタニアンの一言で、ずっと張り詰めていた気持ちが緩んだ。セドリックはずっと余裕を失っていたし、これからどうなってしまうか分からない……。
「……なんでこんなことになっちゃったんだろう」
思わず、本音がこぼれてしまった。
「原作ゲームのシナリオは完璧に覚えていたのに。わたしはちゃんとシナリオ通りにしただけなのに……」
するとダルタニアンが、不思議そうな顔をした。
「ゲーム?」
アリアはハッとして口をつぐんだ。口に出すべき話題じゃなかった。セドリックにすら、ゲームや転生のことは言っていないのに。でも――。
(……なんかもう、全部疲れちゃった)
「この世界はゲームなの」
「……ゲーム? 娯楽のことか」
「そう」
アリアは、やけになっていた。どうせ信じてもらえないなら、吐き出して少しでも楽になりたい。
「この世界で誰がどんなことをして、どうなっていくのか。この世界の筋書きを、わたしは全部知っているはずだった。……こんなこと言ってもどうせ信じないでしょうけれど」
「――いや」
アリアは弾かれたように顔を上げた。ダルタニアンの青い瞳が、まっすぐにアリアを見つめている。
「俺が理解できないことなんて、いくらでもあるからな。世界が娯楽だっていうのは……驚きだが。あんたが言うなら信じる価値はある」
「……!」
初めて理解者を得たような気がした。シナリオのことなんて、一生誰にも打ち明けられないと思っていたのに。
「じゃあもしかして、悪魔の予言もゲームの筋書きだったのか?」
「そうなの!」
思わず立ち上がっていた。
「本当はわたし、悪魔の気配なんてぜんぜん分からないの!! でも、シナリオ通りにすれば今までまったく問題なかった。だから……!」
ダルタニアンの表情には、アリアを非難する色はない。
「あんたも色々抱えていたわけだ。――つらかったな」
「……!」
こんなに荒唐無稽な話を、この人はちゃんと聞いてくれる……。嬉しくて、心が溶けていく気がした。
「――ところで、そのゲームってどんなものなんだ?」
「恋愛ゲームよ」
ダルタニアンが小さく首をかしげている。
「恋愛?」
「攻略対象っていう男の人がたくさんいて、選んで恋を楽しむの」
「へぇ。そんなものがあるのか」
「あるの! ……あなたと恋に落ちるシナリオもあったわ」
「俺と?」
「そう」
驚いて目をしばたたかせる彼の様子がかわいくて、思わず笑みがこぼれた。
「本当は王都で出会うシナリオだったの。街角に分岐があって、左に曲がればあなた。右に曲がればシグルド様――そんなふうに恋愛ルートが分かれるの」
「……」
「でも今なら、迷わず左に曲がるわ。あなたともっと早く出会えたらよかった」
こんなことまで話すなんて、どう考えても冷静ではない。でも、ダルタニアンに話すとすごく気持ちがすっきりする。
「それでね、分岐のあとは――」
「いや、もう充分だ」
なのにダルタニアンに、いきなり遮られてしまった。
「王太子殿下も、たっぷり聞けただろうからな」
――え?
ダルタニアンの視線の先。目で追った瞬間に、アリアの顔色が変わった。
ガラス張りの東屋の外、セドリックと使節の一行がこちらを見つめていた――。
***
東屋の外のガラス越しに、セドリックと使節一行が立っている。外側からは東屋の中の様子がよく見えるが、内側からはこちらが見えない鏡のような造りになっていた。
彼らを誘導してきたのはシグルドだ。遠巻きに、シグルドとヴェロニカもまた一部始終を見守っていた。
(……うわぁ)
ヴェロニカは、思わず心で呻いていた。
蒼白な顔でよろめくセドリックが、なんだか不憫に見えてくる。
「セディさま!?」
アリアが悲鳴のように叫んだ。
「ち、違うの――これは……!」
騒然とする彼らをしり目に、疲れ切った顔のダルタニアンが東屋を出た。ガラスの面を回り込み、シグルドとヴェロニカのほうにやってくる。
「軽く揺さぶれば口を割るかと思っていたが……想像以上にヤバかった」
「ご苦労だった、ダルタニアン」
ヴェロニカは、この場の狙いをあらかじめシグルドから聞いていた。アリアに鎌を掛ければ、悪魔の予言が根拠のない物だったと自ら口を滑らせるかもしれない――そういう計画だったらしいが。
ダルタニアンが顔を引きつらせている。
「おい、ヴェロニカ。なんだその目は」
「……ダルタニアン様には人たらしの才能がおありのようで」
「やめてくれ」
シグルドが、セドリックたちに冷ややかな声を投じた。
「とんだ茶番だったな。明朝引き取り願いたい。此度の経緯については私から貴国の王へ正式に書面で報告しよう」
(どうするのかしら、セドリック殿下は。……まあ、知らないけど)
あきれ顔で、ヴェロニカは小さな溜息を洩らした。






