第36話:奈落で聖女を『おもてなし』
――出立の10日後。
王太子セドリックの率いる使節が、ヘスト・トロニカに到着しようとしていた。
「そろそろだよ、アリア」
街をぐるりと囲む城壁が見えてきた頃、セドリックが声を落としてアリアに語りかけた。
「最終確認をしよう。今日の目的は、奈落候の身に悪魔が潜んでいると突き止めることだ。確証さえ持てれば、今後改めて協議へ持ち込むことができる。だが、相手は無法者の頭領だ。決して悪魔契約者と断じるような言動をしてはいけないよ」
「わかりました」
城門の外で、軍装を纏った屈強そうな男たちが待機していた。……どう見ても堅気ではない。
男たちは「ワルプルギス」の構成員を名乗った。騎乗した彼らに先導されて、使節の一団も街の中へと入っていった。
アリアは、馬車の窓越しに流れる街並みに目を馳せた。
(なんなの、このごちゃごちゃした街……まともな人間が住む場所じゃないわね)
王都の華やかさとはまるで違う、鬱蒼とした光景だった。ぼろぼろで閑散としていて、いかにも治安が悪そうだ。違法建築めいた高層の建物が、窮屈そうにひしめき合っている。
シナリオ通りにさっさと滅びれば良かったのに……とアリアは心の中で毒づいた。
進むほどに道は複雑怪奇に曲がりくねり、さらに混沌としていった。
街の連中は物珍しげにこちらを見ている。これだけの護衛が同行しているからか、襲いかかってくる者はいなかった。
表情を曇らせながら車窓を見つめるアリアを、セドリックが気遣った。
「アリア。大丈夫かい」
「……ええ、セディ様」
視界の先に長大な壁が見えてきたそのとき、先導していたマフィアの男が馬車を止めさせた。
「ここから先は馬車では進めない」
「このような場所で下りろと?」
盗人や暴漢がいつ襲ってきてもおかしくない、そんな不穏な路地裏だった。
「どのみち、奈落候の城には馬車は入れん」
「……やむをえんな」
セドリックは苦々しくうなずくと、従者や書記官の乗る後続の馬車にも下車の指示を送った。それから自身が先に下り、アリアへと手をさしのべた。
「おいで、アリア」
「はい」
セドリックのエスコートでタラップを下りながらも、アリアは内心辟易していた。
奈落候シグルドは、街の深奥部を仕切る壁の内側にいるらしい。その壁の前まで来ると、先導していた男が壁に手をかざした。
呪文を唱えたその瞬間――壁がひとりでに開いた。男に促されるまま、一行は中へと足を踏み入れた。煉瓦作りの長い回廊の先は――。
(……わぁ)
アリアは息を呑んだ。
視界いっぱいに広がる壮麗な庭園と、その先にそびえる優美な城。
先ほどまでの混沌とした街並みとは、まるで別世界だった。
(すごい……。シグルドとダルタニアンは、こんなところで暮らしていたのね)
胸がおのずと高鳴っていった。
原作になかった展開への不安は尽きないが、ここから未知の恋愛シナリオが始まるというのなら案外悪くないかもしれない……。
アリアはセドリックらとともに、城の中へと導かれた。
謁見の間と思しき大広間の中央に座す、その男は――。
(……シグルド・ドゥ!)
アリアは密かに目を輝かせた。銀毛の狼を思わせる鋭い美貌も軍装も、原作の姿そのままだ。シグルドの周囲には上級幹部らしき男たちが控え、ダルタニアン・ドゥの姿もある。
「王太子一行よ、よくぞ参られた」
王太子がその場で一礼し、アリアたち一同もそれに倣った。
「アウグスタリア王家とこうして関わるのは、実に百年ぶりのことだ。良き隣人となれば幸いに思う」
シグルドの堂々とした口振りは、とても無法者とは思えない。知性と品性をたたえた瞳には、王族にも引けを取らない威厳が滲み出ている。アリアの期待が、いっそう膨らんでいった。
(こんなに堂々と振る舞っているけれど……本当は悪魔に侵されて、限界が近いのよね?)
通信時に、ヴェロニカがそう言っていた。
苦しくないはずがないのに、表情ひとつ変えないとは大したものだ。そういえば原作でも苗床と化す直前まで、彼は苦痛をおくびにも出さなかった。
(大丈夫、わたしが助けてあげるから。……助けたら、シグルドの恋愛フラグが立つかしら?)
だったら素敵だ。
上手くいけば『弟』のダルタニアンだって狙えるかもしれない。すでに原作シナリオとは違うのだから、兄弟キャラを両取りできる可能性だって……。
アリアが夢想しているうちに、謁見の挨拶が終わった。
シグルドが立ち上がり、セドリックに向けて声を投じた。
「心よりもてなそう。歓迎の席を整えてあるので、王太子殿下と聖女殿には別館にお越し願いたい」
通された別館では、テーブルに香り豊かな紅茶と菓子が並べられていた。着席するや、季節のことや道中の様子など、当たり障りのない会話がしばし交わされた。
「――それにしても。王太子殿下が御自ら訪問なさるとは、思いもよらぬことだった」
ゆったりと紅茶を口にしつつ、シグルドは薄く笑った。
「殿下のように尊き立場の御方には、縁のない場所であろう。ここは行き場のない者たちの吹き溜まりだ」
「いや」
セドリックもまた、鷹揚な態度で応じる。
「この街が担ってきた役割を、私とて理解している。長き隔たりはあれど、かような機会を持てたことを嬉しく思う」
如才なく言葉を交わしあう二人を横目に、アリアは考えを巡らせていた――。
(そろそろセディさまが切り出してくるはずよ。そうしたら、わたしがシグルドに浄化魔術を……)
浄化魔術は契約者に巣食う悪魔を揺さぶり、身体の外に引きずり出す魔術だ。
原作では出てきた悪魔を攻略対象たちが弱らせ、最終的には聖女アリアが消滅させるシステムだった。
だが、今日の目的は戦いではない。出力をごくごく弱く抑えた浄化魔術を浴びせ、悪魔がいるのを確かめる手筈になっている。
「奈落候。せっかくの縁だ、聖女の祈祷を授けたい」
――来た。
セドリックが、切り出してきた。シグルドに拒む様子はない。
「ほう。ありがたく頂戴しよう」
いよいよ、自分の出番だ。
アリアは静かに席を立ち、シグルドの前でカーテシーをした。
「奈落候閣下。それでは、失礼いたします」
その胸の前に手をかざし、浄化魔術の呪文を唱える。浄化魔術を浴びせれば、契約者の身に潜む悪魔の気配が揺らぐはず――。
ところが。
(……あれ?)
「いかがされた、聖女殿」
浄化魔術を発動したのに、シグルドにはなんの変化も見られなかった。
「…………」
アリアの顔から、すっと血の気が引いた。
セドリックもまた、表情を押し殺したままアリアの様子を伺っている。
「……もう一度、失礼します」
さきほどよりも出力を強め、再び浄化魔術を発動。それでも悪魔の気配は微塵も感じられなかった。
(どういうこと!? なんで悪魔の反応がないの!? うそでしょ……、だってヴェロニカが言ってたのに!)
こんなの、まったく想定していない。
シグルドはスッと目を細め、アリアを覗き込みながら問いかけた。
「いかがなされた、聖女殿? 顔色が優れぬようだ」
「……いえ」
なんで!? どうして? どうしたら……!?
「やはりこのように無骨な場所では、くつろげぬだろうか?」
「い、いえ。そ、そのような……ことは……」
完全にしどろもどろになってしまった。
セドリックがアリアに声を掛けようとするのを遮り、シグルドが不穏なくらい穏やかな声を発した。
「だが心配はいらない。聖女殿の心が休まるよう、女性をひとり呼んである。ちょうど到着したようだ」
シグルドは部屋の入口に視線を向けた。ダルタニアンにエスコートされて入室してきたその令嬢は――。
「……っ!?」
アリアとセドリックは、揃って言葉を失った。
令嬢はつんと澄ました表情で室内の顔ぶれを見渡している。
上質な漆黒のドレスを纏い、女王然とした風格を漂わせる美貌の持ち主。黄金の巻き毛が黒い布地の上に流れてまばゆく輝いている。
「ヴェロニカ・ベルトラン……!?」
セドリックの上ずった声を聴きながら、アリアは内心、激しく狼狽えていた。
(なんでこの女がここに――!?)








