第33話:王国からの書簡
『ねえ! 昨日のヒーローマン、見た?』
どこからか、幼い子どもの声が響いた。
『見た見た! おれ、ヒーローマンだいすき』
『わたしも~』
……ああ、これ夢だ。
雲の上のようにふわふわとした白い世界で、ヴェロニカは子どもたちの声を聞いていた。
景色は次第に鮮明に。
幼稚園の教室の中、女の子がこちらをふり向き、笑顔で問いかけてきた。
『ねえ。にこちゃんは、だれがすき?』
だからヴェロニカは、唇の端をにっこり吊り上げながら答えた。
『――悪役よ。わたくし、昔から大好きだったの』
自分の願いに忠実で。
絶対にあきらめなくて。
ひとりぼっちを恐れずに、自分の欲しい物をなりふり構わず取りに行く。
やっとそういう生き方ができて。
わたくし、とっても嬉しいの――。
*
「……ん」
朝の気配に、ヴェロニカはゆっくりと瞼を開けた。
「ああ、よく眠れた」
とても良い気分だ。
――悪魔騎士を討伐してから、まもなく2週間になる。ヴェロニカはすっかり奈落の城に居ついていた。
今の自分は、ワルプルギスの賓客扱いとなっている。客室をひとつ貰い受け、『自分の部屋にしていい』と先日シグルドから言われた。彼ら兄弟の別宅も好きなときに使っていいそうだ。
(なんという粋な計らい……! シグ×ダルを心おきなく鑑賞できて、お城も街もフリーパス!)
ありがたい。
今後も後方腕組み保護者面で、堂々と彼らの日常を見守るとしよう。
「……ああ、でも今日はただ見るだけでは足りませんわね」
あの二人と大事な約束をしているのだ。朝食を摂ったら、さっそく準備を始めよう。
晴れやかな気分で起き上がると、ヴェロニカは身支度を始めた――。
*
「シグルド様。ダルタニアン様。お待ちしておりました」
城内の庭園に用意されたガーデンテーブル。
ヴェロニカは、現れた兄弟に向かってゆったりカーテシーをした。
「……なるほど。これが王国式か」
丸いガーデンテーブルの中央に置かれた三段スタンドには、色とりどりのお菓子やスコーンが飾られている。席についたシグルドが、「なかなか手が込んでいる」とつぶやいていた。
ダルタニアンも、腰を下ろして物珍しげにしている。
「それでは、まずは紅茶の用意を」
ティーポットを持ったヴェロニカは、それぞれのティーカップに熱い紅茶を注いでゆく。
茶葉の豊かな香りが広がり、自分も椅子に腰を落ち着けた。
「本日はシグルド様の引き続きのご統治を祝して、王国式のお茶会をご用意いたしました。どうぞお楽しみくださいませ」
乾杯代わりの一口の後、ヴェロニカは三段スタンドのスコーンへと手を伸ばした。シグルドとダルタニアンも、彼女の動きに倣って自身の皿へと取り分けている。
(わぁ。ふたりとも私のマネしてる……。なんかカワイイ)
さながら、親鳥に続くカルガモの雛を愛でる心境だ。心の中でニヨニヨしていると、シグルドが語り掛けてきた。
「わざわざ済まんな」
「あら。この程度がお祝いになるなら光栄でしてよ」
先日、シグルドは自身の引退を正式に撤回した。この数か月の間に幹部たちを襲った狂化現象――あれは外部からの攻撃だったと説明し、危機が去ったことを宣言した。狂化現象の被害者だった者たちは全員正気を取り戻し、すでにそれぞれの生活へと戻っている。
ヴェロニカが『なにか続投のお祝いを』と申し出たところ、シグルドは王国式の茶会を希望してきた。それが今だ。
「だが、礼なら本来はお前が受けるべきだ」
引退撤回の折、シグルドは組員たちにヴェロニカを『協力者』として紹介した。彼女は高度な魔術に精通しており、事件解決の功労者である――と。
「お礼でしたら十分に頂いておりますわ」
たとえばシグ×ダル兄弟のティータイムとか!
そう。
原作では決して見られなかった、のんびり日常シーンである。ヴェロニカ自身が空気になりきれば、実質、兄弟ふたりきりだ。
ふと、ダルタニアンが声を掛けてきた。
「ところでヴェロニカ。あの悪魔、今日も書庫に籠っていたぞ」
「モルスですか」
「ああ。なにをやっているんだ、あいつは」
「人間の心理や魔術に興味があるそうです」
「は?」
「わたくしとの契約に漕ぎつけるため、人間研究にいそしんでいるようで」
さらりと言うと、兄弟揃って顔をしかめた。
「……ヴェロニカ。絶対に契約するなよ」
「もちろんですわ」
紅茶を味わいながら、淡く笑った。
ダルタニアンはやれやれと言った様子で肩をすくめ、シグルドはまだ何か言いたげな顔をしている。ふたりとも、じっとこちらを凝視していた。
「(……もう。せっかくのお茶会なんだから、視線も会話も兄弟二人でお願いします! 私は空気か植木で良いので、ふたりの談笑シーンをください!)……まあ、モルスの話はこのあたりでよろしいではありませんか」
ヴェロニカがそう区切ると、シグルドは少し言葉を選ぶようにして問いかけてきた。
「では、話題を変えよう。――ヴェロニカ、お前はアウグスタリア王国に戻りたいと思ったことはあるか?」
……ずいぶん突飛な質問だ。
「思いません。わたくし、この街が気に入っておりますので」
即答すると、兄弟は心底不思議そうな顔をした。
「気に入る?」
「行き場のない『訳あり』だらけのゴミ溜めじゃないか」
「退廃的で大変魅力的かと存じます」
冤罪の追放刑をわざわざ受けるくらいには、ヴェロニカはこの街が気に入っている。
推しカプが住んでいるのが最大の魅力だが、街そのものも良きである。
深く入り組んだ路地。廃墟と化した施設群。スチームパンクめいた謎工房。――未知の街並みを踏破してみたい欲求が、本当はうずうずしている。
「わたくし、心ゆくまでこの街を楽しませていただきますわ」
「罪人扱いを受けたままで、本当に不満はないのか?」
「ええ、別に」
「王国へ戻る道があるとしても?」
いったい、何の話だろう。
「……今日のシグルド様は、ずいぶんと王国の話をなさいますね」
シグルドは無言で紅茶を含んでいたが、静かに口を開いた。
「――ああ。ちょうど昨夜、王国から書簡が届いた」
「書簡?」
「王太子と聖女が、《《この街に来る》》そうだ」
――――はい????
思わず、ティーカップを取り落しそうになった。
ダルタニアンにもこの話は初耳だったようだ。低い声で兄に尋ねていた。
「なんだよ、それ」
「アウグスタリア王家から外交使節派遣の申し入れがあった」
「今さら外交使節? 100年近く不可侵を保ってきたのに、どういう風の吹き回しだ?」
「表向きは、表敬訪問ということになっている」
「……難癖をつけて俺たちに喧嘩を売ろうって算段か。だとしても、どうして聖女まで」
「祈祷を捧げるためと書いてあったが、腹を読むには情報が足りない。引き続き調べさせる」
(あっちゃー……)
兄弟の会話を聞きながら、ヴェロニカは内心狼狽えていた。
(それってきっと、私が『助けに来い』ってアリアに言ったからよね……。でも悪魔騎士はもういないし、今さら来られても面倒くさいだけなのに!)
心の中で、ヴェロニカは盛大な溜息をついた。








