第31話:解釈一致
『貴様が死んだら私まで死ぬからだ、この愚か者が!』
悪態をつきながら庇い立つモルスの背中を、ヴェロニカは見上げていた。
「モルス……」
ダルタニアンもまた、困惑を隠せぬ顔でモルスを凝視している。
「……あのときの悪魔か」
モルスは眉間にしわを寄せながら、ヴェロニカに声を投じた。
『報酬は後払いだ。いずれ必ず、貴様の方から『契約したい』と泣きつかせてやる』
それは絶対ないと思ったが、今のモルスは何だかとても頼もしい。
次の瞬間、モルスに槍の雨が降る。軽やかにそれを掻き消すと、モルスは嘲るように嗤った。
『貴様はそれしか能がないのか? この下級種め』
シグルドの肩が、びくりと跳ねた。まるで中の悪魔が、天敵に怯えているかのように。
『悪魔騎士の分際で、苗床を得たからといって調子に乗るな。――身のほどを分からせてやる』
長い裾を翻し、モルスは一陣の風のごとくシグルドに迫った。抵抗の隙を与えず、シグルドの喉首を掴む。そのまま強く締めつけて、勢いに任せてシグルドを押し倒した。
シグルドの顔に動揺が走る。
モルスは舌なめずりをして、目を爛々と輝かせた。
『〝共食い〟は久しぶりだ』
モルスの影が膨れ上がる。生き物のようにうごめいて、影は巨大な口を開けた――その内側には鋭い牙がずらりと並んでいる。
「シグルド!!」
悲鳴のようにダルタニアンが叫ぶ。
だが、その牙が噛み砕こうとしたのはシグルドではなかった。シグルドの胸元に滲む、黒い靄へと食らいつく。
――ずるり。
シグルドの胸元で、何かがうごめいた。身体の線がぶれて見え、まるで引きずり出されるように、わずかに黒い甲冑が覗いた。
だが、それは一瞬のこと。
甲冑は再びシグルドに沈み、剣山のように噴き上がる無数の穂先がモルスを襲う。
『……ちっ』
モルスは締めあげていた喉を手放し、忌々しげに舌を打った。
大きく飛びのくと、一足飛びにヴェロニカのもとに戻ってくる。
「どうしたの、モルス!」
『私の牙が通らん。奴め、苗床の奥深くに潜り込んだ』
モルスの額に青筋が浮いていた。
『契約を得た下級種と、それを持たない私。階級を越える力をもたらすのが、人間との契約だ』
だから契約しろ――と迫ってくるかと思ったが、モルスの要求は違った。
『だから剥がせ』
「……剥がす?」
『苗床の奥にいる悪魔騎士を、しっかりと引きずり出せと言っている。そうすれば、私の牙も届こう』
「どうやって……」
『知るか』
モルスの話は抽象的でいろいろ足りない。シグルドの身体を操る悪魔を外に出す? そんなこと――。
ヴェロニカは、はた、と思い出した。
(……さっき、一瞬外に出た)
ダルタニアンが間近で呼びかけたあのとき。シグルドの動きが止まり、直後に悪魔が上半身を覗かせた。
さっきみたいにシグルドの自我を呼び覚ませば、悪魔を外に出せるのでは……?
(でも、ほんの一瞬だったわ。すぐに潜ってしまったもの)
足らない。
モルスの牙が届くよう、しっかり『剥がす』ためには……何が?
(原作ゲームは、どうだった……?)
ミニキャラが動くだけの戦闘画面だ。分かることなんて……。
――いや。
(原作では、悪魔にとどめを刺せるのは聖女だけ。でもその前に攻略対象たちが攻撃して、悪魔を弱らせなければいけなかった)
HPが減るにつれ、悪魔の靄が濃くなった。ゲームでは簡易的なエフェクトだったが、あれが苗床から引きずり出された悪魔を意味するものだとしたら――?
聖女のように完全消滅させるのは無理でも、引きずり出すところまでならきっと――。
(きっと、できるわ)
やるしかない。ヴェロニカは、ダルタニアンに声を掛けた。
「ダルタニアン様。もう一度シグルド様に呼びかけてください」
「……どうすればいい」
「間近で呼びかけ、ふたたび自我を揺さぶるのです。主導権を取り戻そうとした悪魔が姿を見せた瞬間、わたくしが全力で叩きます」
「分かった」
「ですが今度の魔術は詠唱に時間がかかります。わたくしはそちらに専念しなければ」
それから、まっすぐにモルスを見据える。
「だから詠唱が終わるまで、モルスはダルタニアン様とわたくしを守りなさい」
モルスは、思いきり顔をしかめた。
「そしてわたくしが悪魔騎士を引きずり出したら、喰らってちょうだい。聖女の替わりよ」
『聖女の替わりだと? ふざけるにも程が――』
「モルス!」
ヴェロニカは、二人を見つめた。ダルタニアンは大きくうなずき、モルスは鼻を鳴らして肩をすくめる。
「――行きましょう。ダルタニアン様、モルス」
三人が、同時に動いた。
ダルタニアンが疾駆する。彼の進路を切り開くようにモルスが、槍の障壁を朽ちさせてゆく。ふたりの様子を確認するや、ヴェロニカは魔術の詠唱を始めた。
ダルタニアンは止まらない。
四方八方から迫る攻撃を風が薙ぎ、結界が弾くその隙に距離を詰めていく。
「シグルド!!」
剣を捨て、真正面から飛び込んでシグルドの両腕を押さえ込んだ。
「シグルド、出てこい!!」
シグルドは不快そうに唇を歪めた。見慣れた兄の顔ではない。
「――返せ!!」
ダルタニアンは、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
「私の兄だ! 奪わせるものか!」
シグルドの手元から、ぶしゃ、と射出音を立てて槍がほとばしった。しがみつくダルタニアンを刺突しようとするが、後方のモルスがそれを腐らせる。
ダルタニアンは、さらに幾度も名を呼んだ。
シグルドの肩が震え出し、その表情に苦悶が浮かぶ。――直後にふたたび憎悪に染まり、しかし直後にまた揺らぐ。
ヴェロニカは、彼らの様子を食い入るように見つめながら呪文の詠唱を続けていた。
(あと少し――)
あと少し。もう少しだ。
ヴェロニカが今、組んでいるのは極めて緻密な魔術調整の術式。最大火力の爆炎と雷撃を編み込んで、ごく一点に収束させる。同時に結界魔術も作動させ、シグルド本体には被害が及ばないよう設計している。
狙うのは、引きずり出された悪魔騎士――その一点。
(この街で暮らす日のために、私はずっと備えてきたの)
誰より早く密やかに、複雑な多属性魔術を組み上げる技術。
ごくごく微細な出力調整。
湯の温度まで0.1℃単位で操り続けた一年間。人並外れたそれらの鍛錬は、今この瞬間のために――。
そのとき。
「あ……あぁ……!」
シグルドが、胸を押さえて苦しみだした。内側から抗うように、身を折り曲げて喘ぐ。瞬間、その背に黒い靄が噴き出した。
すかさずモルスが飛び掛かる。靄の中に腕を突き込み、力いっぱい引きずり出した――。
ずるり。
甲冑の肩がシグルドの背から微かに覗く。モルスは甲冑を掴みながら、ヴェロニカに声を張り上げた。
「やれ、ヴェロニカ!」
――今。
「穿て!!」
爆炎が、悪魔騎士の肩口に炸裂した。
雷撃が甲冑を穿ち、結界がシグルドを守る。悪魔騎士だけを押し出すように、閃光がほとばしる。
悪魔騎士は暴れて身をよじり、シグルドに沈み込もうとした。
(――させない)
逃げ場なんて与えるものか。
全部、全部だ。一滴残らず、自分の魔力を全部ぶつける。――消えてしまえ!
金属が擦れ合うような、不快な高音が響き渡った。
その瞬間、ヴェロニカはがくりと膝をついた。
――魔力切れだ。
霞む視界の向こうに、ヴェロニカは見た。悪魔騎士の全身が、シグルドの身体から離れる瞬間を。
ずるり。と黒い糸を引きながら、悪魔騎士が滑り出す。
裂帛の気合と共にモルスが動いた。生き物のように踊り出した影が、巨大な口を開く――悪魔騎士をひと吞みにする。
ヴェロニカは、ただ見守った。
噛み砕くような音とともに、影の内部で暴れていたモノが勢いを失っていくのを。
やがて影は、モルスの足元へと帰っていった。
――場に、静寂が戻る。
シグルドがその場に崩れた。支えきれずに、ダルタニアンも膝をつく。
「シグルド」
ダルタニアンは、シグルドを見上げた。
「分かるか?」
シグルドが、小さくうなずく。
「……殿下」
わずかに力を込めて、『弟』の腕を握り返す。
ダルタニアンは泣きながら強く抱きしめた。
――よかった。
どっちも、生きてる。
「……ようやく、解釈一致でしてよ」
ぷつり。
張り詰めていた糸が切れ、ヴェロニカは意識を手放した。








