第28話:「あいにく、解釈不一致よ」
漆黒の王冠を戴いたような悪魔の角と、深紅が滲む長い黒髪。
闇色の貴族服を纏う貴公子――悪魔侯爵モルスが、ヴェロニカの前に立っている。
『貴様! この私を、いつまでも犬の姿に留め置くとは何事だ!』
「……こちらのセリフだわ。なぜいつまでも犬だったの?」
『貴様が魔法陣を描き直さなかったからだ!』
モルスは気炎を噴き上げている。
『肉体の限界が迫ったとき、消費の少ない姿で回復を待つ――それが悪魔だ。しかし人界では、元の姿に戻るにも魔法陣の助けがいるようだ。貴様がさっさと描けばよかったものを!』
ヴェロニカは、目をしばたたかせた。
(スリープ解除の電源ボタンみたいな……?)
などと突っ込む暇はない。
「モルス。お前はシグルドの瘴気に気付いていたのね?」
『当然だ! 闇市で、下等な悪魔の匂いがしていた。何度も言ったではないか』
……言っていただろうか?
そういえば、モルスはずっと不機嫌だった。
「シグルドを救いたいの。悪魔を止める手立てを知らない?」
悪魔に悪魔の止め方を聞くなんて、なんとも皮肉だ――。しかし、
『簡単なことではないか』
取るに足らないような顔で、モルスが言う。
『喰らえばいい』
ヴェロニカは、思わず顔をしかめた。
「……倒すということ? 簡単に言わないでちょうだい。悪魔を消滅させられるのは、聖女だけよ」
原作だって、そうだった。
悪魔の苗床と化したヴェロニカを迎え討つ、攻略対象キャラと聖女――男性陣はヴェロニカの体力を削りはするが、とどめを刺せるのは浄化魔術を使える聖女アリアだけだ。
『人間の事情など知らん。だが悪魔同士の粛清など、珍しくもない』
血の色をしたモルスの瞳が、ゆるりと細まる。
『私ならばできる』
「――!」
心の中に、一条の光明を得た気がした。
『匂いから察するに、契約相手はせいぜい騎士階級の下等悪魔だ。下等悪魔が力を増すなど、虫唾が走る。身の程知らずを喰らい殺すに、何の躊躇があろうか』
「本当なの……?」
『当然だ』
モルスの唇が、薄く開いて吊り上がる。赤い舌が、ちらりと覗いた。
『そうか、ヴェロニカ。貴様はそんなにもあの男を救いたいのか』
「ええ」
『ならばその願い、叶えてやろう』
ヴェロニカは、思わず一歩踏み出そうとした。
『だが――』
モルスが、誘うように嗤う。
『もちろん、対価は必要だ』
ヴェロニカは、ぴたりとその場で止まった。
『私と契約しろ、ヴェロニカ』
甘やかな声で、モルスが囁く。
『未契約では満足に戦えん。貴様を依り代にすれば、私は力を取り戻せる。そして貴様の望みは叶う』
返事をしないヴェロニカに、モルスはゆるりと手を差し伸べる。
『対価を支払え、ヴェロニカ・ベルトラン』
まさに悪魔の誘惑だ。
その長い指が、ヴェロニカの頬へと伸びてゆく。
頬に触れそうになったその瞬間。
――ぱしっ。
乾いた音が、小さく響いた。
叩き落された指先が、触れる相手を失って彷徨う。
「あいにく、解釈不一致よ」
ヴェロニカはモルスを見据えた。
息を呑むモルスの脇を、ヴェロニカがすり抜けてゆく。
駆け足で玄関から飛び出した。
***
(悪魔は頼れない。聖女は役に立たない。……私が、なんとかするしかない)
シグルドに会いに行かなければ。
息を切らせて、城門に向かう。
街を出るつもりなら、きっとそこを目指すだろう。
(私がモルスと契約したら、シグルドは助かるかもしれない。でも、代わりに私が苗床になって、結局街を滅ぼしてしまう。そんなのはダメ)
そんな結末、絶対に要らない。ヴェロニカは全部欲しいのだ。
シグルドとダルタニアンの日常も。この街も。ヴェロニカ自身も。どれひとつ悪魔に渡してなるものか。
(――考えなさい。考えるのよ。なにか見逃してることはない!?)
あきらめるものか。
しつこくて強欲で、欲しいモノをなりふり構わず取りに行く――それが自分の憧れた『悪役』だ。
だが、不意に――
空気がビキリ、と軋んだ気がした。異様な気配に、空間そのものが震えている。
「!?」
空を仰げば、月が血の色に染まっていた。
(なに、これは)
全身が、総毛立つ。おのずと呼吸が浅くなった。
「……まさか」
まさかもう、苗床に……?
自分には、悪魔を止める能力はない。
聖女みたいな浄化の力も、悪魔同士の殺し合いもできない。それでも。
「渡さない」
――だって私は、悪役令嬢なのだから。








