第27話:悪女は推しを守りたい
その夜。
奈落の城に戻ったシグルドは、自室でひとり想いを巡らせていた。
「……また、関わりのない者を巻き込んでしまった」
なにが『王』だ。奈落候だ。
身に巣くう悪魔が周囲の者たちを狂わせてゆくのを、シグルドはこれまで何度も見てきた。
胸に刺すような激痛が走るたび、近くの誰かがおかしくなった。
最初は偶然かと思ったが、これほど何度も起これば分かる。
「悪魔め。壊すなら、俺だけにしてくれ」
シグルドは机に両肘をつき、深くうつむいた。
――確実に、終わりのときが近づいている。
ヴェロニカに救いを求めるつもりだったが、その時間さえなさそうだ。
身体が、軋む。
瞼の重さに耐えきれず、ゆっくりと目を閉じた。
*
ふと気づけば、シグルドは闇の中にいた。
「……ここは?」
雲の上を歩くような踏み心地の、暗闇の世界だ。
『――――――シグルド様!』
ふり返れば、ヴェロニカ・ベルトランがそこにいた。
暗闇の中、おぼろげに浮かび上がったその美貌。
凛とした佇まいは普段通りだが、眼差しはひどく切迫していた。
『わたくしは今、魔導具で通信しています。あまり長くは話せませんが――』
「ヴェロニカ!」
シグルドは、声を張り上げた。
「教えてくれ。悪魔を従わせる方法を!」
しかしヴェロニカは、眉尻を下げて首を振る。
『……存じません』
心の底から、胸を痛めているような表情だった。
『わたくしは、悪魔との契約を拒んだのです』
シグルドは、目を見開いた。
『そして魔力を分け与え、飼いならしている状態です。契約とは、仕組みがまるで違うのですわ』
――なんだ、それは。
言葉が、何も出てこない。
一縷の望みをかけていた……。だがヴェロニカのやり方は、すべてが想定外だったようだ。
「……そうだったのか」
助かるすべは、存在しない。思わず自嘲の笑みがこぼれた。
「ならば、もう迷いはない。これで終わりというのなら、潔く死のう」
『いけません!』
ヴェロニカはシグルドに掴みかかろうとしていた。しかし互いに実体がないらしく、手がすり抜けてしまう。
「俺は命など惜しくない」
『惜しいです!』
ヴェロニカはカッと目を見開いてシグルドを見据えた。
『わたくしは認めません。それに、あなたが死ねばこの街も滅びます』
「どういうことだ」
『悪魔と契約した者は、普通の死を迎えられません。肉体を悪魔に奪われ、瘴気は周囲の人々を暴走させます。昼間の老人たちや、あなたの組織の幹部のように』
そんな話は、初耳だった。
『もちろん、自ら命を絶っても同じです。悪魔は、止まらないのです』
「……っ」
悪魔契約の恐ろしさが、今になって身に迫ってくる。自分の命を差し出すだけでは、まったく足りなかったのか――と。
シグルドは硬く目を閉じた。
「……礼を言う」
『え?』
再び目を開けたシグルドは、わずかに目元を緩ませてヴェロニカを見つめた。
「街を出る。無辜の者たちを巻き込むわけにはいかない」
『早まらないでくださいまし。きっとなにか、方法が――』
「あいにくと、俺はもう限界だ」
『……っ!』
意識が、現実へと引き戻されていく。
『お待ちください、シグルド様。……シグルド様!!』
ヴェロニカの声が、どんどん遠く。
真剣なその響きが、妙に温かく耳に残った――。
*
ぴし、ぴし……とヴェロニカの前の姿見に、大きな亀裂が走っていく。鋭い音を立て、粉々に砕け散ってしまった。
ヴェロニカは、息を切らせてしゃがみ込んだ。
(もう限界? 街を出る? ……死に場所を選ぶつもりなの!?)
そんな展開、認めない。
どこかに助ける手立てはないのか? ……なければ困る、絶対に。
そのとき。
どんっ。どん。という、動物が扉に体当たりをするような音が響いた。
『きゃん! …………ぐるるるる!!!』
また、モルスだ。
「お願いだから、少し静かにして」
寝室の扉を開き、足元のモルスを見据えると――
「……っ。モルス……?」
床に妙な落書きが書かれていた。
『ぐるるるぅ』
仔犬がペンを咥えている。
「お前が書いたのね。これは……」
ヴェロニカは目をすがめた。
「魔法陣?」
犬一匹収まるくらいの大きさの、円と線を組み合わせた図形。
形がぐちゃぐちゃに乱れているが、モルスを召喚するときに描いた魔法陣の中核部分に似ている。
『っきゃん、きゃんきゃん!!』
「書けばいいのね?」
『きゃん!』
ヴェロニカがすばやく床に描くと、モルスはその中に飛び込んだ。
次の瞬間――。
カッ。と黒い光が噴き出し、光に包まれた仔犬のシルエットが縦長に伸びる。成人男性ほどになり、手足が伸びて人型へ――
「モルス!」
悪魔本来の姿に戻ったモルスが、そこには立っていた。
『貴様! この私を、いつまでも犬の姿に留め置くとは何事だ!』








