第25話:一方、聖女は……③
――民衆の空気の変化を、聖女アリアは敏感に感じ取っていた。
ここは、神殿前広場。
今日は月に一度の、人々に神の祝福を授ける祈祷の日だというのに。
前より人の数が減った気がする。アリアが壇上に上がったときの歓声も、前ほどではないと思った。少し前までは、アリアの姿が見えた瞬間にみんな熱狂していたのに。
(どうしてこんな空気なの?)
いつも通りの笑顔を浮かべ、けれど胸のざわつきが止まらない。
(……もしかして、わたしを疑い始めたんじゃあ)
そんなことを考えながら、両手いっぱいの回復魔術の光を天に散らそうとした矢先――。
「「「――聖女様!」」」
民衆の一角に、悲痛な声で叫ぶ者たちがいた。
「聖女様、予言の災厄はいつ来るんですか――!?」
「もとの暮らしには、いつ戻れますか……?」
アリアは笑顔を貼り付けたまま、立ち尽くしてしまった。
「税の負担が増えて、このままだと暮らせません!」
「なんとかしてください、どうか……!」
警備兵が、声の主たちをなだめようとしている。
――いつも通りにきれいな笑顔を浮かべられていただろうか? アリアは全然、自信がなかった。
*
「……なんなのよ。もう」
祈祷の時間を終えて、王宮に戻る馬車の中。
ひとりきりで座っていたアリアは、必死に心をなだめていた。
「ちょっぴり時期がズレているだけじゃない。……きっと、そうよ」
――そう。
シナリオの時期から2か月くらい過ぎてしまったけれど……。
さすがにもうすぐ、ヘスト・トロニカは滅ぶはず。
もうすぐ。
もうすぐ……。
「って、もうすぐっていつよ!?」
こらえきれなくなって、馬車の壁を殴りつけた。
「このままじゃ、どんどん立場が悪くなっちゃう……!」
アリアの予言を信じた王家の判断で、全国各地から食料と兵士が王都に集められて久しい。無意味な戦時体制に、各地で不満や疲弊の声が日に日に広がっているようだ。
最近では「この戦時体制はいつまで続くのか」「予言は本当に当たるのか」と囁かれることも増えてきた。
(セディさま……。わたしのこと、嫌いにならないよね……?)
馬車が王宮に到着した。
不安でたまらなくなりながら、アリアは王太子セドリックの執務室へと向かう。
ノックの後に入室すれば、いつものようにセドリックと側近の令息たちが迎えてくれた。しかし空気は重たくて、全員が疲弊しきっている。
「……ああ、アリア。お帰り」
作業の手を止めたセドリックが、覇気のない笑みを向けてくる。
「セディさま……」
端正な顔に、暗い影が落ちていた。目の下のクマも、昨日より濃いように感じる。
アリアはごくりと息を呑んだ。
(……やっぱり、そろそろ言ったほうがいいわよね)
本当は、シナリオにない発言なんてしたくない。相手がどう動くか分からないし、原作のシナリオから外れてしまったら困る。
――でも。待つばかりではマズいと、アリアもさすがに感じていた。
「あの。セディさま。お願いがあります」
「ん?」
セドリックが、小首をかしげる。
「南の国境線を越えた街――ヘスト・トロニカを、調べてもらえませんか」
セドリックの肩が、ぴくりと強張った。
「……ヘスト・トロニカ?」
ドキドキと騒ぐ自分の心臓の音を聞きながら、アリアは続けた。
「嫌な予感がするんです。だからどうか、あの街に調査団を派遣してください。――お願いします、セディさま」
緊張に声が上ずった。
(でも、調査さえすればきっと異変が見つかるはずよ……そうすれば、わたしの予言が正しかったと信じてもらえる)
セドリックなら、絶対にお願いを聞いてくれると思った。
――けれど。
「……アリア。調べるとは、どういうことだい?」
(え?)
セドリックの声は、これまで聞いたことのないほど硬かった。
3人の令息たちも、気まずそうな顔をしている。
「ヘスト・トロニカですか……」
「よりにもよって、どうしてあの街を」
口にするのも忌まわしい、と言わんばかりの表情でつぶやいている。
「あそこは軽々しく口に出してはいけない場所だ。……《《わかるだろう》》? アリア」
「……?」
アリアが返事に困っていると、セドリックは戸惑いの表情を浮かべた。
「……もしかして、アリアはあの街のことを知らないのか?」
(え……なんの話?)
ハリソンが、フォローするように口を開いた。
「無理もありません、殿下。貴族には常識ですが、アリア様は……」
ハリソンは許可を求めるようにセドリックに目配せをした。セドリックが頷いたのを確認するや、アリアへと向き直る。
「我が国にとって、ヘスト・トロニカは火薬庫です」
「……火薬庫?」
「あの街はかつて我が国の領土でしたが、今は違います。高い軍事技術を要するあの街は、マフィアに支配された事実上の独立都市です。潰すに潰せず不可侵条約を結んでいるのが実情なのですよ」
我が国の汚点であると言わんばかりの表情を、令息たちもセドリックも浮かべている。
アリアは言葉を失った。
(そんな街だったの……? 知らないわよ、そんなこと。 だって原作は、『ヴェロニカが滅ぼした』っていう話しかなかったもの)
「分かったね、アリア。あの街に踏み入るなど、もってのほかだ」
「……でも!」
アリアは、必死に食い下がった。
「わたしが感じた悪魔の匂い、その源はきっとあの街です。危機が迫っているはずです……きちんと突き止めてください」
――悪魔が。
民を憂える聖女の表情で、アリアが訴えた瞬間。セドリックたちの表情が凍った。
「悪魔が、ヘスト・トロニカに?」
「はい!」
「本当なのか……?」
「……確かです」
鉛よりも重い沈黙が、室内に落ちた。
「……殿下。それが真実であれば、看過できません」
やがて、セドリックは苦虫を嚙み潰したような顔で応えた。
「…………分かっている。だが、精査が必要だ」
セドリックは、ふとアリアを見つめた。気遣うような口調でこう付け足す。
「アリアの話はもちろん、信じたい。だが、さすがにヘスト・トロニカとなると迂闊には踏み込めないんだ。先の予言の件もあり、慎重にならざるを得ない。今後の対応は、いったん預からせてくれ」
*
その夜。
(……やっぱり嫌われ始めてる気がする)
王宮内の自室で、アリアはベッドに突っ伏していた。先ほどのセドリックの煮え切らない態度が、気掛かりでたまらなかった。
前の予言をしたときは、セドリックは即座に信じてくれたのに。「世界中が敵に回っても、自分だけはアリアを信じる」と。「責任はすべて自分が背負う」とまで言ってくれた。
なのに今回は、精査が必要……?
(場所が場所だとしても、前のセディさまならきっとすぐに信じてくれたわ。それに、さっきの顔……)
ヘスト・トロニカを知らずにいたアリアへの戸惑いの表情。「その程度の常識を……?」とでもいうのが本音だったのだろう……。
面白くない。
なにもかも、面白くない。
この世界は、いつからこんなクソゲーになってしまったのだろう?
アリアは枕に顔をうずめた。
とても腹が立っているのに、瞼が重くてたまらない。最近、全然熟睡できなかったから……。
いつのまにやら、意識が闇へと沈んでいった。
――。
――――さま。
――――――アリア様。
足元も見えない暗闇の世界に、アリアはひとりで立っていた。
「なに……この夢」
真っ暗で、気持ち悪い。誰かが遠くで呼んでいる。
「なんなの……」
女の声だ。しかも、どこかで聞き覚えがある。
『――アリア様』
背後ではっきりと聞こえ、アリアはびくりと振り返った。
「誰!?」
『ごきげんよう』
アリアは目を剥いた。
あり得ないと思った。
だって、そこに立っていたのは――。
水面に映る姿のように、輪郭が揺らぐその女。金の巻き毛を優雅なびかせ、落ち着き払った様子でカーテシーをするその女は――。
「あんた……、ヴェ、ヴェロニカ・ベルトラン!?」
『うまく通信がつながって、良かったですわ』
女王の如き風格で、ヴェロニカが佇んでいた。








