第22話:悪女、毒婦ではない
ダルタニアンが、部屋の入り口で立ち尽くしている。
視線の先にいるのはソファの上で胸元を大きく開かれたヴェロニカと、組み伏せているシグルドだ。
……もしかしなくても、濡れ場展開にしか見えない。
(ぶぎゃぁあああああ!!!!)
ヴェロニカは、心の中で悲鳴を上げた。一方のシグルドは、呆然としたまま微動だにしない。
(ちょっと! どいて、シグルド!! これ絶対誤解されるやつ――!)
力が緩んだその隙に、ヴェロニカはシグルドの腕を振りほどいた。
襟のリボンを結び直してから、渾身の力でシグルドを押しのける。シグルドは、なおもソファの前で凍り付いていた。
そのとき、ダルタニアンが一歩よろめいた。
血の気の失せた顔のまま、何も言わずに踵を返す。一言も発さずに、家の外へと出ていった。
「お待ちになってダルたーにゃん!」
焦りが過ぎて語尾が乱れた。ダルタニアンを追いかけて、ヴェロニカも家を飛び出す。
(あぁ、なんでこんなことに――!? 推しカプの間に挟まる女ポジって、それ絶対ウザイやつ!!)
シグルドとダルタニアンには、いつも互いを想い合って仲よくしていてほしい。
だから当て馬女子なんて、本当にいらない。
ましてや自分がそのポジションに収まるなんて……!
(……あ! いた、ダルタニアン!)
ふらつき気味に歩く少年の背を見つけ、ヴェロニカは声を投じた。
「お待ちください、ダルたー……ニアン様」
引き留めようと手を伸ばしたが、容赦なく叩き落とされてしまう。
「触れるな!!」
ダルタニアンの肩が小刻みに震えている。
汚らわしいモノを見る目つきで、ダルタニアンは引き攣った声を上げた。
「よくも兄貴をたぶらかしたな! この毒婦が!」
(ほら、完全に誤解されちゃった)
魔女呼ばわりから毒婦へ降格……ヴェロニカは、内心泣きたい気分だった。
「兄貴の姿が朝から見えないから、まさかと思って来てみれば……こんな茶番を見せつけられるとはな!!」
これぞまさに修羅場展開……。
しかしどんなに動揺しても、ほとんど顔に出ないのがヴェロニカだ。
「ダルタニアン様。どうか取り乱されませんよう」
「うるさい! 余裕ぶりやがって!!」
「誤解でしてよ? シグルド様にも、何かお考えがあったに違いありませんわ」
「お前がかどわかしたんだろう!! でなきゃ兄貴は、あんなこと……!」
今すぐ首を絞めてきそうなくらい、ダルタニアンが怒っている。
「……(ああっ。ダメだわ、むしろ火に油!)」
ダルタニアンが素直に言うことを聞くのは、シグルドに対してだけだ。ヴェロニカに耳を貸すとは思えなかった。
(なのにどうして来ませんかね、シグルドは!)
ヴェロニカが困り切っていると――。
「あれまぁ……! 懐かしい坊がおるでないの!」
という、間延びした皺枯れ声が響いた。
ヴェロニカが振り向くと、背中の曲がった老婆が杖を突きながら、ゆっくり歩み寄ってくる。
「懐かしいねぇ。ほんに、懐かしい!」
嬉しそうにニコニコ笑って、老婆はダルタニアンのすぐそばまでやってきた。
「何年ぶりかねぇ、坊。兄さんのほうは、一緒でねえの?」
言いながら、ダルタニアンの背中をぽんぽん叩いている。街を牛耳るマフィアの若頭に向かって、なかなかの肝っ玉である。
「……おい、やめろ」
「ずいぶん背が伸びたねぇ。こんなに男前になって」
老婆とダルタニアンのやり取りを、ヴェロニカは見つめていた。
(このお婆さん、ダルタニアンがマフィアだと知らないみたいね)
今のダルタニアンは私服姿だし、どうやら昔の知り合いのようだ。ダルタニアンは気まずそうな顔だが、老婆を振り払う様子はない。
「それで、坊。こっちは、あんたの彼女さん?」
などと言って、老婆はヴェロニカのほうを振り向いた。次の瞬間、ぎょっと目を剥く。
「こ、こりゃあ、魔女様!?」
どうやら、ヴェロニカだと気づいていなかったらしい。申し訳なさそうに、ぺこぺこ頭を下げてきた。
「魔女様は、この坊とお知り合いで?」
「ええ」
「この子は、ちょっと生意気だけんど、根はいい子なんでねぇ。どうか、悪いようにせんでください」
老婆と話していると、ぞろぞろと他の年寄まで顔を出してきた。
「おや。見覚えがある顔だ」
「あの兄弟の弟のほうじゃねえか!」
「何年ぶりだぁ?」
「いつのまにか引っ越しちまって、心配したんだぞ」
年寄りたちは、ダルタニアンに親しげに話しかけていた。
「……ああ」
ダルタニアンは曖昧な相槌で受け流しているが、どことなく表情が柔らかくなっている。
「坊が来た頃と比べて、この街もずいぶん住みやすくなったなぁ」
「そうそう。昔はヨソ者同士で、毎日殺し合いだった」
「おれらみてぇに、ここ生まれの者ぁ、巻き添え食うばっかでよぉ……」
「んだが、最近は殺しも盗みもめっきり減った」
老人たちは、口々に語り掛けてくる。
「街の親玉が変わってから、組のえらい衆が見回りさ来るようになったからなぁ」
ダルタニアンは黙って彼らの話を聞いていたが、
「………………そうか」
ぽつりと、そう言った。素っ気ない顔をしているが、耳がほんのり赤く染まっている。
ヴェロニカは、目を輝かせながら見守っていた。
(……尊い!!)
なんと尊い光景だろう。
街を牛耳る闇組織が、実は弱者を支えていた――実にハードボイルドだ。
しかも今の会話によれば、シグルドがボスになった頃から治安がよくなってきたらしい。シグルド・ダルタニアン兄弟の、解釈が捗る名エピソードではないか……!
気恥ずかしそうに視線をさまよわせていたダルタニアンが、ふと顔を上げた。
「……兄貴!」
通りの向こうから、シグルドがこちらに歩いてくる。ヴェロニカは、少しホッとした気分になった。
(やっと来てくれたわね、シグルド)
……でも、どこか変だ。
いつもはもっと機敏なのに、今の歩き方はどこかぎこちない。
ふと見やれば、ダルタニアンも怪訝そうに眉をひそめていた。兄の挙動に、不自然さを感じているようだ。
――そのとき。
シグルドが不意に足をもつれさせた。苦悶の表情を刻み、胸を押さえ付けて膝をつく。
「……兄貴!?」
「シグルド様?」
ダルタニアンとヴェロニカが同時に声を上げた、そのとき。
――からん。
と、乾いた音が地面を打った。
ヴェロニカが音のしたほうに振り向くと、老婆が杖を取り落していた。
「……う、ぐぅ……」
老婆がうめき声を漏らし、胸を押さえてうずくまる。
老婆だけでない。
そばにいた老人たちがあとふたり、同じように苦しんでいた。
苦しむ三人を囲んで、異変のない者たちが戸惑っている。
「おまえら、急にどうしただ……!?」
「いきなりどうしちまったよ! おい!」
ヴェロニカは、咄嗟にシグルドのほうを見た。
シグルドは胸を押さえたまま、悲痛な表情で老人たちを凝視している。その瞳には驚愕と絶望が色濃く浮かんでいた。
「ぅ、……あ”あ”あ”あ”!!」
魔獣の呻きを思わせる、老婆の絶叫。それはワルプルギスの夜に聞いた男の咆哮と酷似していた。








