第19話:一方、聖女は……②
――遅い。遅い、遅すぎる!! なんで罪人の街の知らせが届かないの!?
聖堂で祈りを捧げる素振りをしつつ、聖女アリアの心は激しく波立っていた。
(原作ゲームでは、とっくにヘスト・トロニカは壊滅している頃なのに……)
処刑を逃れてあの街に潜伏していたヴェロニカが、とうとう精神の限界を迎えて壊れる――そしてヴェロニカの身体から溢れる瘴気を浴びて、住民たちが暴れ出す。悪魔に肉体を奪われたヴェロニカによって、跡形もなく破壊される街。そこに住まう犯罪者と正気を失くした住人たちが流出し、国は未曾有の混沌に……!
――という展開を心待ちにしているアリアだが、なぜか一向に連絡が来ない。
(あの街、今どうなっているの? まだ滅びてない……? それとも、情報網まで壊れて知らせが届かないのかしら)
こんな想定外、どうしたらいいか分からない。
聖女アリアとしてこの世に生を受けて以来、原作シナリオを根本から揺るがすようなハプニングなんて初めてだ。
(ともかく、連絡が届いてくれなきゃ困るのよ!)
なぜならアリアは、すでに壊滅を見越した行動を取ってしまったのだから。
王侯貴族と国民が集う式典の場で、決定的な予言をしてしまった。
――『いまだかつてないほど、濃密な悪魔の気配がする』と訴え、これから我が国が災難に見舞われるのだと。被害はとくに王都に集中するため、徹底的に王都の守りを固めるべきだ、とも。
(……だって、原作ではこの時期に、そういう予言をしていたんだもん)
聖女のみが嗅ぎ取れるという悪魔の匂いも、実はさっぱり分からない。だがそれでも、原作シナリオをなぞっていれば大きな問題はなかった。
アリアの訴えを全面的に信じた王家の采配により、すでに平時を大幅に上回る食料と兵士が王都に集結しつつある。
食料と兵士の追加徴収を命じられ、重い臨時課税まで強いられた各地の貴族たちは、すっかり戦時体制だ。
貴族からは反発の声も上がっていたが、王太子セドリックは反対派の当主たちを自ら説得して回った――「それでも従わないのなら、災厄発生時に王家の庇護を約束しかねる」と示唆しながら。最終的には国王もその判断を支持したため、徴収と臨時課税は正式な王命として全国に発令された。
原作では予言の直後にヘスト・トロニカ壊滅の知らせが届き、アリアは王侯貴族や民衆からますます崇められるのだ。にもかかわらず、待てど暮らせど連絡がない。
……さすがに心配になってきた。もし本当に街が滅びなかったら、アリアはただの虚言者だ。セドリックに、もしも愛想を尽かされたら――?
(いいえ、ありえないわ。セディさまが、わたしを嫌うなんて絶対にない)
だってセドリックは、アリアに言ってくれたのだから――「アリアは何も心配しなくていい。たとえ世界中が君に異論を唱えようと、私だけは君の味方だ。責任なら、すべて私が背負う」と。
聖堂での祈りの時間を終え、アリアは控え室でひとり想いを巡らせていた。
――絶対に、セドリックは自分の味方だ。
だから安心すればいいのに、どうしても平静ではいられない。
可憐で清楚で皆の憧れ、聖女アリア・クラエス……そんな自分でいなければならないのに。
口の中が鉄臭くなり、アリアはハッとした。
いつのまにやら、がりがりと爪を噛んでいたのだ。薄桃色の爪は無残に欠けて、血が滲んでしまっている。
……なんて汚い爪。
聖女アリアは、こんな汚い爪ではダメだ。頭のてっぺんからつま先まで、いつでもキレイでいなければ。
アリアは回復魔術を自分に施し、爪を元通りにした。
(……わたしったら、落ち着いて。大丈夫、何も心配いらないわ)
鏡の前に立ち、口角を吊り上げてみた。
ほら、こんなにかわいい。だから自分は、大丈夫。
侍女に身支度をさせて、聖女の法衣から宮廷用のドレスに着替えた。外に出ると、王家の紋章入りの馬車が待機していた。
神殿で祈りをささげた後、その馬車で王宮へ帰るのがアリアの日常である。
馬車の窓に映り込んだアリアの髪には、銀細工の髪飾りが輝いていた。真珠やダイヤをふんだんにあしらったそれは、先日セドリックが愛の言葉とともに贈ってくれたものだ。
(……早くセディさまに会いたい)
こんな不安、彼の顔を見れば一瞬で吹き飛ぶに違いない。
王宮に着いたアリアは、急ぎ足でセドリックの執務室へ向かった。
(セディさま……)
扉をノックしようとした、次の瞬間。
「セドリック殿下、どうか考え直してください……! こんな重税を課されては、僕の家は持ちこたえられません」
室内から、悲痛な声が響いた。
この声は攻略対象の一人、天才魔術師クリストファー・スミス伯爵令息の声だ。
アリアはその場で聞き耳を立てた。
「みなまで言うな、クリストファー。私とて、臣民に痛みを強いる決断だと理解している。だが、これは必要な采配だ」
セドリックがそう応えると、他の攻略対象たちの声が続いた。
「殿下の言う通りだぞ、クリストファー。苦しいのはどの領地も、同じだ」
「こんな状況だからこそ、俺たちは結束すべきだ!」
しかし、クリストファーの返事は暗い。
「……そんな悠長なことを言えるのは、みなさんの家が名門だからですよ。うちは歴史も浅いし、そこまで裕福じゃありません。徴兵に応じるだけでも大変なんです。このまま兵を差し出し続けたら、秋の収穫にも支障が出てしまう……うちの領民は冬を越せません」
(クリストファーが、こんなに食い下がるなんて。いつもニコニコしていて、癒し系キャラなのに)
攻略対象たちが揉める場面なんて、これまで一度もなかった。アリアを巡る嫉妬は日常茶飯事だけれど、こんな深刻な言い争いは――。
アリアが呆然としていると、別の攻略対象の声が響いた。宰相の令息、ハリソン・ヴァレンティアだ。
「軽はずみな発言は控えろ、クリストファー。我々が一枚岩でないと、ベルトラン侯爵家に付け入る隙を与えることになる」
(……ベルトラン侯爵家ですって!?)
アリアは目を見開いた。なんで今さら、悪役令嬢の実家の話が出てくるのだろう。
「ヴェロニカ嬢の件で失脚したベルトラン侯爵家が、王家に反発する貴族たちに裏で働きかけているようだ」
ハリソンがそう続けると、騎士団長の令息であるジェイク・バークレーが声を荒立てた。
「なんだと!? ベルトラン侯爵家め、反対派を束ねて返り咲こうというのか!」
「そのようだな。それにヴェロニカの罪を証言した貴族たちの不祥事が、次々と表沙汰になっている。ベルトラン侯爵家が水面下で動いていると見て間違いない」
アリアの全身から血の気が引いた。
意味が分からない……。表舞台から退場したヴェロニカは、罪人の街を壊滅させる配役だというのに――何で今さら、冤罪の話に戻るのだろう?
長居沈黙のあと、セドリックが苦々しげな声を絞り出した。
「……やはり、ヴェロニカを冤罪で追放したのはムリがあったか」
(セディさま!? ちょっと……なによそれ。待ってよ……)
アリアがよろめいたそのとき、贈り物の髪飾りが髪から滑り落ちた。
かしゃ――ん!! と、銀細工に埋め込まれた宝石が床にぶつかり、甲高い音を立てる。
「誰かいるのか!」
鋭い声とともに、目の前の扉が開け放たれた。
険しい顔をしたセドリックと、鉢合わせしてしまう。
「……あの……わ、わたし……」
どんな顔をすればいいのか、アリアはさっぱり分からなかった。
「ごめ……なさい。わたし……た、立ち聞きしたかったわけじゃ……なくて、あの……」
こんなセリフ、原作にはなかったのに。
しどろもどろで答えるアリアを見て、セドリックは一瞬、顔をこわばらせていた。しかし次の瞬間には、包み込むような微笑を浮かべて抱き寄せてくる。
「アリア。大丈夫だ、何も心配いらない」
他の攻略対象たちも、慌ててアリアを取り囲む。
「ごめんなさい、アリアさま。不安にさせるつもりはなかったんです……」
「アリア嬢、ご安心を。我々は、いつでもあなたを信じています」
「あんたの予言は、必ず当たる。反発している奴らだって、今に必ず分かるさ」
彼らの声を聞きながら、アリアは自分に言い聞かせた。
(……大丈夫。これまで大丈夫だったんだもの。必ず原作通りに行くわ……!)
多少の時間差なんて、これまでいくらでもあった。だから、今度も大丈夫。
――早く滅びて、ヘスト・トロニカ!
聖女アリアは、ただひたすらに街の崩壊を願った。








